純白の訪問者(Case of White) 10


 六反田と土肥原を見送った後、儀堂と戸張は厩舎へ向った。初秋の夕刻で、あたりは黄昏色に包まれつつあった。


 道すがら無言の儀堂へ、戸張は遠慮無しに尋ねた。


「親父さんのこと、気になるのか」

「……まあな。まさか、土肥原大将と知り合いだったとは思わなかったよ」

「親父さん、優秀だったんだろ。お偉いさんと通じていてもおかしくはないだろう」

「ああ、そうだな。ただ、なんとも不可思議に思ったのさ」

「なにがだ?」

「オレは親父から軍の話を聞いたことがなかった。特に陸軍陸さんの話をしたがらなかったからな。だから、ひとから軍での親父の話を聞くと妙な気分になる」


 立ち止まった儀堂は射撃場の的へ目を向けた。


「まるで、オレの知らない誰かの話をされているようで、どう答えて良いのかわからなくなるんだ。妙な話だろう」

「そいつは、どうなんだろうなあ。オレには果たして妙なのかわからん。ただ、まあ、親父さんはいい人だったぜ。覚えているか。よくオレと小春に菓子をくれただろう。高い洋菓子だった」

「ああ、覚えているよ。ブランデーが入ったケーキを君がむさぼり食って、ぶっ倒れたことがあったね」

「そういや、そんなこともあったな」

「あのあと、親父は君のところのご両親に平謝りだった」

「おかげで、オレはしばらく菓子を一切禁止にされちまった。ひでえもんだ」

「食い意地を張りすぎたんだよ。だいたい、禁止にされても君はうちへ菓子をせびりに来ていたじゃないか」

「せびるとか言うなよ。おこぼれに預かっただけさ」

「胸を張って言うことかね」


 自然と笑いが漏れ、再び厩舎へ向けて、二人は歩き出した。


【駒沢練兵場 厩舎】


 厩舎に入った儀堂と戸張は、その場で立ち尽くすことになった。無理もない。シロの巨大な口蓋に女性の頭部が、すっぽりと収まっていた。


 数秒ほど絶句した後に、二人は頓狂な声を上げ、駆け寄ろうとした。


静かにセィ ライゼ!」


 くぐもったアルトの叱責が響き渡る。シロの口内から放たれたものだった。よく見れば、アルトの主は白い手術衣を着て、両腕をシロの口へ突っ込んだまま何か作業を行っていた。


「おい、こりゃいったい……」


 戸張は自身の妹へ尋ねた。小春はシロの首筋を撫でながら、人差し指を鼻先に立てた。


「いいから、静かにして。衛士さんも、そのままでもうすぐ終わるみたいだから」


 儀堂はうなずくと、壁にもたれかかったネシスの元へ歩み寄った。


「肝が冷えたぞ。あれは大丈夫なのか?」


 ネシスは大あくびをかきながら生返事でこたえた。


「まあ、問題なかろう。小春が制しておるし、あの女もなかなか肝が据わっておる」


 女の素性を尋ねようとした儀堂は、まもなく知ることになった。シロの口から舶来の淑女が顔を出した。


「おひさしぶりね、艦長ヘルカピタン


 淑女は手術帽とマスクをしていた。


「フロイライン・キールケ?」


 キールケは眉を潜ませた。


「そのフロイラインお嬢さんはやめてって言わなかったかしら?」

「失礼。しかし、なぜあなたがここに?」

「これよ」


 キールケは右手に持った注射器を掲げた。


「採血に来たの」

「採血? 血を採るために、口に顔を突っ込んだのか?」 


 戸張が目を丸くして言った。


「そうよ。ドラゴンの上皮は硬いけど、口内なら話は別でしょう。脊椎生物ならば内皮は無防備なものよ。麻酔をかけたうえなら、少量のサンプルは採れるだろうと思っていたの。結果的に私の仮説は正しかったようね」

「あんた、とんでもねえことを考えやがるな」

「あらそう。私からすれば、あなた達のほうがとんでもないわ。ドラゴンの飼育なんて、今までどこの国でも成功しなかったのに、いったいどんな魔法を使ったの?」


 キールケはネシスと小春を交互に見た。


「たいしたことはしておらん」

「普通に育てただけですけど……」


 キールケは肩をすくませると、マスクと手術帽を脱ぎ捨てた。ややカールの掛かった金髪が無造作に投げ出される。ほうと兄が呟くのを小春は聞き逃さなかった。


「そんなはずはないでしょう。まあ、いいわ。どのみち、この国に私は滞在しなければいけないし、その間にじっくりと検証させてもらうから」


 キールケが手術衣とサンプルの血液をカバンに収納すると、元のモガスタイルの貴婦人が現れた。その所作を戸張はしげしげと眺めていたが、小春にやめなさいと叱責される羽目になった。


「それでは皆さんご機嫌よう。御調少尉、送ってちょうだい」

「わかりました。帝国ホテルでよろしいですね」


 御調は儀堂に一礼すると、キールケを伴って出て行こうとした。思わず儀堂は呼び止めた。


「待て。キールケ、あなたがここに来た理由を聞いていないのだが」

「採血って言ったでしょう」


 キールケはからかうように言った。構わず儀堂は続けた。


「そうじゃない。独逸人のあなたが、日本にいる理由だ」

「あら、何も聞いていないのね。それについては、あなたの上官から話があるはずよ。ねえ、御調少尉?」


 御調少尉は渋々うなずいた。


「儀堂少佐、申しわけありません。六反田閣下から後ほど連絡があるかと思います」


 六反田の名前を出され、儀堂はその背後にあるものを察した。どうせ、碌でもない取引をしたのだろう。


「……承知した。閣下に至急説明を求めると、伝えておいてくれ。わかっていると思うが、シロはうち・・じゃなくて、戸張のものだ。本来ならば勝手なことはできないからね。なあ、寛、そうだろ。おい、寛?」

「ん? ああ、まあな」


 戸張の視線はキールケに釘付けになっていた。当のキールケは気づいた様子はない。そもそも全く興味を持っていないようだ。


「はい、心得ています。それでは……」

「では、ギドー。近いうちにまた会いましょう」


 御調と共にキールケは厩舎を去った。二人の姿が見えなくなったところで、おもむろに戸張が近づいて来た。小声で儀堂に話しかける。


「なあ、儀堂。あの金髪のご婦人は誰だ?」

「キールケ・フォン・リッテルハイム嬢だ。独逸の科学者だよ。前に<宵月>に乗せたことがある」

「そうか、キールケね。良い名前だ。なるほど独逸ね。畜生、独逸語はわからねえんだが……ま、いっか。日本語が達者なようだし。なあ儀堂、今度あのご婦人にオレを紹介してくれ」

「わけは聞かないが、その話はここでしない方が良いと思うよ」


 戸張の後方から氷点下の視線が送られていた。発信源は彼の妹である。


 背後でシロが大あくびしていた。


◇========◇

次回12月1日(日)投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

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引き続き、よろしくお願い致します。

弐進座




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