遠すぎた月(A Moon Too Far) 3
来客を予期していたのか、化け物の主は降車していた。
「やはり、あなたでしたか。本郷中佐、ご無事で何よりです」
本郷史明は大きく肯くと、「君の方こそ」と言った。
「今井
「ありがとうございます」
今井はやや照れたような困った顔で肯いた。
四ヶ月ほど前、今井は本郷のおかげで窮地を脱することが出来た。
戦闘後、今井は内地へ送られ、短い休暇の後で部隊の再編と新兵の育成を行っていた。彼が再び北米の地を踏んだのは、エクリプス作戦の完了が宣言されたときだった。
「いやぁ、これと言って手柄を立てた覚えはないのですが……まあ人手不足ってやつですよ。階級の員数合わせに付き合わされたもんです」
この頃では陸海問わず、日本軍では中級指揮官が不足していた。そのため、適正がありそうな士官は多少強引でも昇進させていたのだ。むろん指揮官不足の主要因は戦死あるいは傷病によるものである。
「わかっているよ。実のところ、僕も似たようなものなんだ」
「はは、海も陸も変わりませんね。それにしても、あなたが
今井はやや羨望めいた眼差しを本郷の背後へ送った。
『
どこからともなく不服そうな女児の声が響き、今井は怪訝な顔を浮かべた。
「え……?」
「ん? どうかしたのかな」
「え、いや、どこからか女児の声が聞こえたような」
「おや、そうかい? 僕には聞こえなかったが……今井少佐、立ち話もなんだ。珈琲の一杯くらい淹れさせてもらうよ」
今井は心底残念そうに首を振った。
「すみません。お付き合いしたいところですが、自分はすぐにここを発たなければいけないものでして――」
今井は背後にいる兵士へ手を振ると、ジープから段ボールの箱を持ってこさせた。
「それは?」
「
箱の中には、北米では滅多に手に入らないものが入っていた。羊羹に、小豆饅頭、干し柿などの和菓子がぎっしりと詰め込まれている。
「これは……誠に有り難い」
本郷は目頭が熱くなるのを感じた。
「喜んでいただけたようで何よりです。はるばる太平洋くんだり内地から持ってきた甲斐がありました。肩の荷が下りた気持ちですよ。心置きなく戦地へ向かえます」
晴れ晴れとした顔の今井を、本郷はやりきれない表情で見た。
「どこへ行くのかね?」
「セントルイスです。合衆国軍と協同で野戦陣地を構築、そこでやれるだけやることになるでしょう」
「セントルイス……パットン閣下のお膝元か。なるほど
「ええ、そうみたいです。日本に限らず、英国も増援として豪州や印度から軍を送ってくるとか。えらく多国籍な戦線になりそうですよ。うちの部隊は新兵が大半なんで、英語を覚えさせるのに、ひと苦労ですよ。そのうち慣れるでしょうが――」
それから五分ほど立ち話をした後で、今井は自分の部隊へ戻っていった。
本郷は今井から受け取った箱から羊羹を取り出すと、マウスの操縦席に差し入れた。化け物呼ばわりされたのがよほどお気に召さなかったのか、操縦席の
「これ、なに?」
ぶすっとした顔でユナモは直方体の菓子を受け取った。
「ようかんだよ。食べてごらん」
慣れない手つきで包み紙を解くと、ユナモはひと囓りした。そのまま二口、三口と続けていく。どうやら気に入ったらしい。
半分ほど平らげたところで、ユナモは包み紙を戻した。
「あのひとたちは、たたかいにいくの?」
「そうだね。あのお兄さんたちは、僕らと交代で戦場へ向うんだ」
本郷は干し柿を囓っていた。甘みが口全体に染み渡っているはずだが、素直に味わうことができなかった。
歳は聞かなかったが、見た目からして今井少佐は三十そこそこだった。若者である。少なくとも四十を迎える本郷にとって、前途のある青年と定義されている。
恐らく今井が率いる兵士はもっと若いだろう。中には十代の少年がいるかもしれない。
――いつまで続くのだ? 続けられるのだ?
暗澹たる気持ちがわき上がってくる。本郷には息子がいた。見た目はユナモと同じくらいで、まだ十にも達していない。その子が徴兵年齢を迎えるまでには、この戦いを終わらせる必要があった。
――早く終わらせて、ユナモを連れて帰らなければ……。
ふとメンドーダ湖に浮かぶ艦影が目に入った。本郷が知る、もう一人の少佐のことを思い出した。
「そう言えば、彼も若かったな」
◇========◇
次回10月06日(日)投稿予定
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引き続き、よろしくお願い致します。
弐進座
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