月獣(Moon Beast) 10

【シカゴ郊外 VIII号戦車マウス】


―これで回復するのならば、次から輸血パックを携行した方がよいかもしれないな。


 指先をナイフで切りながら、本郷は思った。ユナモは本郷の血を二、三滴ほど口に含むとすぐに目を覚ました。


「ホンゴー……?」


 ユナモの顔色が急速に回復し、瞳に色が戻っていく。


「大丈夫か?」

「うん」


 眠たげに目をこすりながらも、ユナモは操縦席へ戻った。


「ホンゴー、どうなっているの?」

「<宵月>が、君のお姉さんが助けに来てくれたんだよ」

「ネシスが?」

「ああ」


 本郷は車外を指さした。ユナモは紅く煌めく<宵月>を目にした。


「ネシス……うん、わかった」


 誰にともなくうなずくユナモを見て本郷は怪訝に思った。


「どうかしたのか?」

「ううん、なんでもない。本郷、あの爆弾を使う。わたしはもう大丈夫。ホンゴーは戻って」


 本郷はユナモをまじまじと見た。無理をしているわけではなさそうだ。


「よし、わかった。起爆は僕の合図を待つんだよ」

「うん、待つ」

「良い子だ」


 本郷はユナモの頭を軽く撫でると、天蓋ハッチを開き、車長席へ戻った。



 砲塔内の車長席から本郷は<宵月>へ呼びかけた。


「こちらアズマ……いや本郷だ。儀堂少佐、準備は出来ている。後は君ら次第だ」

『こちら儀堂、宜候。あなたたちは、可能な限り離れてください。月獣は我々が引きつけます』

「頼む」


 一呼吸おくと、続けて念を押すように本郷は尋ねた。


「儀堂少佐、よもや靖国へ行くわけではないだろうね?」


 数秒遅れて儀堂から返信があった。


『いいえ、中佐。そのつもりはありません。それに恐らく自分は靖国へ行けない・・・・でしょう』

「行けない?」

『大した意味はありません。とにかく自分は生きて戻ります。お互い生身で再会しましょう』

「ああ、そうしよう……通信終わり」


 釈然としない気持ちを抱きながら、本郷は回線を車内に切り替えた。


「ユナモ、旋回百八十度、月獣から距離を置こう」

了解ヤヴォール


 マウスは信地旋回を行い、月獣に背を向けると、そのまま全速で離脱を開始した。


 展望塔キューポラの視察窓から遠ざかる月獣と<宵月>を見送った。

 <宵月>の砲塔から橙色の煌めきが見えた。


【シカゴ郊外上空 駆逐艦<宵月>】


 本郷との通信を終えると、儀堂は興津へ向き直った。

 艦橋から応急班が撤収する姿が目に入る。


「副長、砲身冷却の具合はどうなっている?」

「たった今、応急班より冷却完了の報告が来ました。素手で触っても支障ない程度には下がったらしいです」

「よろしい。砲撃を再開しよう」


 儀堂は喉頭式マイクに手を当てた。


「ネシス、聞いているな。砲撃再開だ。ただし気をつけてくれ。徹甲弾の残りが少ない。先ほどのように景気よく撃つとあっという間に尽きるぞ」

『承知じゃ。妾とて長引かせるつもりはない。そろそろ終わりにしたいのじゃ』


 怒りともとれる口調でネシスは応えた。静かに儀堂は肯いた。


「ああ、そうだな」


 <宵月>が砲撃を開始した。射撃の間隔テンポはゆっくりとしたものだったが一発も外さず、頭部へ命中弾をたたき出した。


 月獣は叫び声を上げながら、果敢に反撃を行おうとしたが、いずれも失敗に終わった。複数の頭部がお互いにかばい合いながら火炎を発射しようと足掻くも、間髪入れず徹甲弾で叩き付されていく。


 間もなく地上の本郷から安全圏へ退避が完了したと報告が来た。


「ネシス、もう十分だ。反応爆弾を起爆させる。退避行動に移るぞ」


 ネシスから応答はなかった。砲撃は継続されている。


『ギドーよ。刹那じゃ』

「なに?」

『刹那に終わらせねばならぬ。お主等の爆弾ならば可能であろう』

「ああ、恐らくな。シカゴBMと違い、月獣は生身だ。こちらの通常兵器で損害を与えられている。反応爆弾の威力はお前も知っての通りだろう。街一つを吹き飛ばすような、凄まじい熱と衝撃波だ。そいつを零距離で食らったら、さすがに……」


 その先について儀堂は明言しなかった。見る影もないとは言え、月獣はネシスの同胞のなれの果てなのだから、彼女らに凄惨な体験をさせることに変わりは無い。


『ギドーよ。妾たちはあのものを確実に葬らねばならん。もしここを妾たちが離れた隙に、あのものたちが何処かへ行ったらどうする?』

「ネシス、はっきりと言え。お前は、どうしたいのだ?」


 耳当てレシーバーの先で、息をつくのがわかった。


『妾は、ここで最期を見届けたい』


 予想はしていたが、儀堂にとっては容易に賛同できないものだった。


「わかっているのか? <宵月>も反応爆弾に巻き込まれる」

『わかっておるぞ。そのことならば、案ずるな。妾に任せよ。ギドー、頼む。妾はあのものたちの最期を看取らねばならぬ。頼む、看取らせてくれ』


 二人の間に、僅かな沈黙が訪れた。別段、儀堂に迷いが生じたわけではない。彼は既に決心していた。反応に時間を要したのは、ある事実に気がついたからだった。


―こいつに何かを頼まれたのは、これが初めてではないか。


 振り返れば、ネシスが儀堂に懇願したことはなかった。この鬼の姫様は、たいてい好き勝手に振る舞うか、大上段から命じるかどちらかでしかなかったのだ。


『ギドー?』

「わかった。お前に任せる」


 耳当てから吐息が漏れてきた。


『ああ、ギドーよ。我が誓約者がお主で良かったぞ』

「そうか。では、早く終わらせてくれ」

『……任せよ』


 <宵月>の全砲門が火を噴き、再び活火山のように鋼鉄の雨を月獣に降らせた。月獣の全ての頭部が吹き飛ばされ、さらに追い打ちをかけるように五式連装噴進砲が発射される。赤い軌跡を描きながら、炸薬の楔が巨体に打ち込まれ、破裂、月獣は前脚のひざをつくようになった。


 すかさず<宵月>は月獣の直上へ移動し、眼下に捉える。


―どうするつもりだ?


 月獣を攻撃しようにも、真下にいては砲撃もできない。それどころか、こちらは無防備な船底をさらすことになっている。


 躊躇いがちに、儀堂は喉頭式マイクに手をかけた。一度任せたからには、ネシスを待つべきだろうと思っていた。しかしながら、艦の安全が確保できていない事実を無視するわけにもいかない。


 スイッチを入れるべきか否か、幸いなことに選択の時間は強制的に中断された。


『ギドー、妾が魔方陣を展開し終えたらホンゴーへ伝えよ』


 言い終えるや<宵月>の真下、月獣を覆い被せるように赤い方陣が展開された。それは今まで儀堂が目にした中でも最大規模のものだった。直径だけで優に五百メートルは超えそうだった。方陣は淵から赤い光の幕を下ろし、月獣の周囲を包み込んだ。さながら円筒の檻に入ったようだった。


『今じゃ! 疾くせよ!』


 儀堂はネシスへ短く応答すると、マイクの回線を切り替えた。


 十数秒後、シカゴにおける二度目の反応爆発が生じた。


◇========◇

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

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引き続き、よろしくお願い致します。

弐進座

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