原石(Rauer Stein):2

 悲観的な予測を立てたラスカーだが、決して絶望したわけではなかった。彼の第十一機械化歩兵大隊は、歩兵ライフルマンと装甲兵員輸送車のM3ハーフトラック、そして同じくM3の派生型75ミリ自走対戦車砲で構成されている。加えて現在、彼が直率する部隊は充足状態にあった。これまで予備戦力として温存してきたためだ。


 ラスカーの大隊が対峙した群体セルは、ウィチタ近郊の森から現われた。それらは初期段階で見落とされたトロールとグールの群れだった。


 両方ともラスカーの部隊ならば、十分に対応可能だった。相手のとの距離―贅沢を言えば、最低でも5キロ―が十分に開き、そして強力な防御陣地に立てこもった場合の話だが。


 残念ながら、現実はそれを完全に裏切っていた。彼我の距離は1キロを切りつつあった。そして野戦築城を行う余裕は全くなかった。彼が全速で部隊を率いて、ウィチタに辿り着いたのは30分ほど前なのだ。せいぜい各自の判断で蛸壺を掘らせるのが関の山だった。


 あるいは、もし彼等が積極的な機動防御を展開できれば、幾分か状況を好転できたのかも知れない。歩兵が大半を占めるとは言え、M3ハーフトラックで魔獣どもを引きずり回すことぐらいはできただろう。しかし、それでは任務を完遂することはできなくなってしまう。


 彼等は、この滑走路を"固守せよ"と言われてきたのだ。仮に機動防御では、彼自身の部隊を守ることは出来ても、滑走路を守ることが出来ない。全ての魔獣が彼の部隊に価値を見いだしてくれるとは限らないからだ。例えば数体のトロールに滑走路へ進入され暴れ回られるだけで使用不可能となってしまう。


――こんな真っ平らな土地なんてくれてしまえばいいものを。


 背後の滑走路を一瞥する。白状すれば、ラスカーにとって全く意義を見いだせない命令だった。彼の認識が正しければ、合衆国軍は滑走路の不足に悩まされてはいないはずだ。むしろ余り気味だと考えても良い。実際のところ、ウィチタ以外にも仮設された飛行場は数カ所あった。


 ラスカーは自身の疑問愚痴を、素早く意識の奥底へ沈めると現実に向き合うことにした。彼の手元には、自走砲型のM3ハーフトラックが4両あった。


 無線機を引っつかむと自走砲小隊を率いる中尉を呼び出した。


「ダールストン、貴様の大砲ガンであの巨人トロールどもの相手を頼む」

『サー、了解しました。手近な奴から優先的に叩きます』

「それでいい。あのペリシテ人どもの額を叩き割ってやれ」

『サー、お任せください。羊飼いの王のごとく撃ち抜いてやりますよ。ただしマサダは勘弁してください』

「はは、安心しろ。確かに今日は安息日サンデーだが、俺は君と違ってずぼらでね」


 ダールストンと呼ばれた砲兵中尉は笑いを漏らしながら、無線を切った。彼の生家は耶蘇キリスト教の教会だった。ユダヤの自分がカトリック相手に聖書のホーリージョークを飛ばすなど、えらい世の中になったものだ。


 砲兵中尉は命令を忠実かつ迅速に履行した。M3に搭載された75ミリ対戦車砲が火を噴き、驚異的な速度で徹甲弾を吐き出した。トロール達は徹甲弾の洗礼を等しく受けることになった。数十体の巨人ゴリアテが石つぶてでなぶり殺されていく光景は凄惨を越えて、伝説めいたものを感じさせた。


 トロールが容赦の無い足止めを食らう中で、グール達は着実に滑走路へ歩を進めていた。数百体を越える生ける屍の群れを歓待したのは、迫撃砲モーター機関銃チョッパーの十字砲火だった。たちまち数十体が腐敗した臓物や筋組織の欠片に変えられた。それでもグール達の波は押しとどめることは出来なかった。それらはあまりに数が多く、そして無秩序すぎる集団だった。ばらけた目標に対して、迫撃砲や機関銃は本来の効率を発揮できなかった。砲火の雨を越えて、歯をむき出しにし、過剰に飢えた化け物の集団が滑走路に達しようとしていた。即製の蛸壺やM3の車体から身を乗り出し、大隊の歩兵が阻止攻撃を開始した。ついにライフルの射程に入り、やがて火炎放射器が放たれ、手榴弾が投げ込まれる。最終的に兵士たちは銃剣かスコップを手にするようになった。


 近代において最も機械化された歩兵大隊は、極めて原始的な戦闘様式を展開することになった。すなわち白兵戦である。


 滑走路の各地から、悲鳴に似た怒号、怒号のような断末魔が上がった。星条旗に誓いを立てた兵士達が闘争本能のままに生きた屍を肉塊へ変えていく。もちろん、少なからず代償も払われている。数名の若者がグールに囲まれ、母や恋人の名を叫びながら生きたまま身体の一部を引きちぎられ、もぎ取られた。助けに入った先任の軍曹も同様の運命を辿り、陣地の一部が崩壊した。


 ラスカーは双眼鏡越しに状況を観察していた。短く神に祈りを捧げ、増援の手配を指示する。すぐに被害の少ない部隊が抽出され、崩壊した陣地の穴を埋めた。戦況は逆転し、生きた屍が次々と兵士達の手で、本当の最期を迎えていく。


 どうやら魔獣の第一波を完全につぶせそうだった。

 ラスカーは額の汗を拭うと、レシーバーをした通信幕僚の肩を叩く。


「メージャー、あとどれくらいだ?」

「サー、60分です」

「いいぞ……!」


 ユダヤ人の大隊長は米国人らしい快活な声を上げた。もちろん意図的なものである。"まだ60分も"ではなく、"あと60分だけ"だと思わせるべきだった。


「このまま奴らを食い止めろ。いや、いっそ全部片付けて、爆撃隊に遅かったなと言ってやれ」


 本部が置かれた倉庫内に失笑が溢れた。諧謔こそが絶望への特効薬だった。その意味では、ラスカーは名医かもしれない。


 倉庫を震わせるような咆哮が轟いたのは、ひとしきり笑いが収まったときだった。ラスカーは崩れた壁から外を覗いた。

 バズーカで脚を挫かれた甲羅竜タラスクが再び立ち上がろうとしていた。ゆうに20メートルは越す甲羅の怪物が陣地へ向けて移動を開始する。


「ダールストンへつなげ! 自走砲ガンキャリアで黙らせろ!!」


 ラスカーの命令が通達される前に、ダールストンは動いていた。75ミリの徹甲弾が甲羅竜タラスクへ向っていくも、ことごく分厚い背中の上皮に弾かれた。竜は脚を庇いつつ、にじり寄るように陣地は迫った。兵士達は限界まで抵抗するも足止めできないと悟った。甲羅竜は距離を詰めたところ、一気に突進し、グールごと兵士達を踏みつぶした。


 滑走路の防衛線ラインに致命的な決壊が生じた。


――ほら見ろ。酷いことになった。


 沸き上がる怒りと恐怖を抑えようと、ラスカーは奥歯に力を入れた。意図せずして、頬の筋肉が硬直し、口角が上がる。周囲の幕僚達は、彼の上官が余裕に満ちた笑みを浮かべているものと解釈し、圧倒的な現実の中でも精神の平衡をかろうじて保った。


 ラスカーは、やはり名医だった。


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※次回3/31(日)投稿予定

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