終点(Seattle) 2
【北太平洋 駆逐艦<宵月>】
1945年3月21日 夜
ネシスの妹、シルクの臨終は15時42分と記録された。
彼女が安置された一室へ案内された軍医は戸惑いを隠しきれなかった。無理も無いだろう。その遺体は、あまりにも無機質であり過ぎたからだった。シルクは全身が黒く変色し、結晶化していた。軍医は形式的な動作で脈を計った。瞳孔の確認は不可能だった。結晶化により、瞼は閉じられたまま硬直していたからだった。
まるで彫像のようだったと彼は述懐することになる。
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航海日誌を書き終えた儀堂は、大きく背伸びをした。身体の節々から抗議の声が上がってくるのを感じた。彼は万年筆を置き、日誌を閉じると近くのマグカップへ手を伸ばしていた。
カップに注がれたコーヒーはとっくの昔に冷め切っていたが、全く支障はなかった。今は頭の冴えを維持できれば、それで良い。
「……」
無言で、ベッドの片隅へ目をやった。そこに背中を丸めた鬼の姿はなかった。今、彼女はシルクの側に居た。しばらくの間はそっとしておくように
「あと、4日か」
誰にともなく呟いた。4日後、シアトルに入港する予定だった。恐らく、これ以上の戦闘は起こりえない。太平洋最大の脅威にして、魔獣の発生源のオアフBMが消滅したのだから。
ハワイ諸島には、野生化した魔獣がいると聞くがそれらも数ヶ月後には姿を消しているだろう。合衆国の第三艦隊をはじめ、太平洋中に展開してる部隊が続々と西海岸へ集結中と報告があった。彼等は、この機会を逃すはずは無い。そう遠からずして、ハワイ奪還へ向けて行動を開始するだろう。
太平洋における魔獣の活動も沈静化へ向う見込みだった。
要するに巨大な揺籃器だったのだ。魔獣を飼育し、出荷するための工場。年端もいかぬ娘の精気―ネシスは魔力と言っていた―を原材料にして、この世界へ吐き出し続ける装置だった。
そんなものがこの世界に散らばっている。当然、その中では同様の光景が広がり、ネシスやシルクのような鬼が拘束されているのだ。
これから先、あの黒い月と対峙する度にオレは今日の光景を思い出すのだろう。
あの月が、この世界から全て消え去るまでそれが続くのだ。
胸くそが悪いことこの上なかった。
そんなものをこの世界に送りつけた奴らに対して、抗しがたい怒りも湧いてきていた。
「決めた」
全員、ぶち殺してやる。
あれをここに送りつけた奴らを必ず突き止めるのだ。
外道にも劣る装置で、オレたちの世界をぶちこわしやがった。相応の報いをくれてやる。
儀堂はコーヒーを飲み干すと、叩きつけるようにデスクへ置いた。
呼応するように、扉がノックされる。儀堂は訝かしげに時計を見た。
21時近くを指していた。艦橋へ行くには数時間早かった。だとすれば、何か非常なことが起きたのだろう。
「入れ」
怒りを治めた声で儀堂は言った。
「よう」
扉から顔を覗かしたのは、全く意外な男だった。
「寛か、どうかし――」
直ぐに気がついた。
彼の友人は奇妙な生き物を腕に抱えていた。猫ほどのさいずだった。
「衛士、こいつ飼っても良いか?」
戸張はいかにも困ったような顔で聞いてきた。
彼の腕の中には、生まれたてと思しき竜の幼体が抱えられていた。
真っ白な幼竜だった。
こいつはいったい何を言っているのかと思った。魔獣を飼うなど、何を考えているのだ。犬猫とは違うのだぞ。だいたいシアトルへ入港したら、検疫に引っかか――いや、違う。今、そんなことはどうでもいい。
「君、それが何だかわかっているのかい?」
「見ればわかるだろう。飛竜のガキだ」
「そういうことじゃない……!」
殺気だった儀堂の声に、幼竜は怯えた鳴き声をだすと、つぶらな赤い瞳で睨んできた。
「怖い声出すなよ。怖がっているじゃねえか」
「君は正気かい?」
「ひでえ言われようだ」
「魔獣だぞ。そんなもの飼えるわけがないだろう」
「じゃあ、太平洋のど真ん中捨てろってのか? まだ飛べねえんだぞ。たちまち鮫のエサだぜ」
「莫迦野郎。こっちがエサになるよりましだろう」
「はは、大げさだぜ。こんなちっこいのに、何ができる」
戸張は失笑すると、幼竜は同意するように甘えた鳴き声を出し、小さな火球を放った。火球は寝台の枕を直撃した。たちまち
「あ……」
儀堂はすぐに高声電話を手に取ると、怒鳴るように命じた。
「消火班!! すぐに艦長室へ!!」
その夜、<宵月>でちょっとした騒ぎが生じた。
艦長室の小火を消火した後、儀堂は艦長権限で戸張と幼竜に謹慎を命じた。
シアトルまでの4日間、飛行機乗りは閉所恐怖症に耐えながら幼竜と船旅を過ごす羽目となった。
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次回2/5(火)投稿予定
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