夢は揺れる-1

 それは一種の夢物語。

 私は絵が好きだった。だから幼少期から落書き帳にクレヨンで塗ってみて色を知る。さまざまな色を組み合わせてどんな色が出来上がるのかを学ぶ。そして色は鮮やかだ、ということを心に刻んだ。

 私が小さい頃から描いた絵画は、景色だとか人物だとか。私が1番絵に取り憑かれた魅力である色をふんだんに使って描いた。

 両親も芸術家だったので絵を描くことは許容してくれたし喜んでくれた。褒められもした。

 私の絵はコンクールでも入賞して、変な話だけど自分には才能があるだなんて戯言を言っていた記憶がある。

 学年が上がるにつれて自分の画力も上達していく感覚が心地よかった。絵ばっかり描くから不思議がられてクラスメイトには友達はいなかったけど、小学生の時に本ばっかり読んでいた中学生と価値観が一致して友達になれた。


 私は色が自慢だ。モデルの景色や人物を自分なりの色で表現する。例えば肌色を違う色にしたり、緑々と栄える森を青で表現したり。これは自分にしかできない、表現できないと思っていたし、これからもずっとこのようなスタイルでやっていくと思っていた。

 でも、いつもアトリエにこもって絵を描いていたであろう画家の母親が、急に倒れた。自分を産む前から病弱だったらしい彼女は、そのまま病に伏して、亡くなった。

 あまりにも急で悲しみという色が自分の頭の中で表現できなかった。新しい感情が、複雑な感情が騒めいて渦巻く。

 多分それからだった。

 蠢めいた感情のせいなのか分からなかったが、急に絵が描けなくなった。いや、絵自体は描ける。でも、自分を表現できない。思った以上に母が亡くなったことに対する傷が深かったのだろうか。おそらくそうだと思った。

 ダメだ、描けない。

 キャンバスの前に座って筆を持って描こうとすると、腕が震える、指先が怯える、心が拒否した。あれだけ絵が好きだったのに、そんな自分が信じられなくて、何度も気分が悪くて吐いた。

 でも、そんな私を尻目に、目の前には絵が出来上がっていた。自分の知らないうちにキャンバスにはあのゴッホが描いた【ひまわり】があった。

 これは……何枚目だろうか。でも、あの有名な絵画がなぜ目の前に? そしてなぜ、私は筆とパレットを手に持っているのだろう。

 これは贋作?

 私が描いた?

 疑問がぐるりぐるりとぼやける。

 何をしたんだ、私は。私は誰なんだろう、私は私なのか?

 よく分からないままこの絵を父に見られ、すると彼は私の肩を掴んで泣いた。小声で何か言っていたけど、聞こえなかった。

 でもその涙の正体がすぐに分かった。

 私に筆を持たせて、無理やり絵を描かせた。描けないよ、と訴えても首を横に振るだけで「お前はできた。だから大丈夫、信じなさい」と答えになってない答えを言っていた。その意味を読み取ることができないまま、真っ白な頭でキャンバスと向かい合った。

 すると頭が冴えた。自分のではないイメージが湧く。手に持ってた筆が勝手にパレットの絵の具をすくう。

 コントロールできない。なんなの、これは。

 意識があるまま、彩られるキャンバスを眺めていた。

 おかしくて仕方ない。意図しない力に操られたまま私が描いているのは【ひまわり】。

 完成した作品は、贋作じゃない。偽物じゃない。本物だ。

 あれ? 今私が描いたんだよね。私はゴッホじゃない、○○○○のはず。彼は生きていない、とっくの昔に死んでいる。じゃあ、なんでアレを本物だと認識した? 私自身が認めているなら本物じゃん。違う、いや、そうだ。

 ちぐはぐに脳がバラける。分からない、分からない。私は○○○○、目の前の作品の作者はゴッホ、私じゃない……あれ?

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