ひまわりは誰の方にも向かない-2
僕は忌まわしき城を出て、息を長く吐いた。心がずっと締め付けられているような感覚があって、息苦しかった。それが幾分か解放されて何とか気持ちに余裕を持つことができた。
少しだけ陽が落ちかけていた。空の青が黄色に侵食されかけていてもうすぐ青が消えていくだろう。あの城にいた時間は短いようで長かったんだと初めて実感した。
どこに行こうか、帰ろうかと僕は足を動かす。何も収穫がなく少し落ち込んでいた僕の視線はある建物に誘導される。少し美術館から離れた場所にガラス張りの建物があった。外から見る限り本棚やそれを読むためのテーブル椅子、なんだかオシャレな空間がそこに見えた。
図書館なんだろうな、と直感的に思った。図書館なんか小学校以来全然行ったことなかったからこんなにオシャレに建築されているんだ、と素直な感想を頭に浮かべた。
そうだ、と僕は思いつく。
様々な文献を読み漁ってみよう。そして真実を自分自身の見つけたい。
僕の足取りは少し軽くなった。そして僕はガラス張りの聖堂へと入堂する。
自動ドアが開き、なんだか近代的な場所に入った気がする。でも鼻には古くさい古書の臭いがこびりつく。不思議な空間に来たみたいだ。肌にはりつく雰囲気と体の中で感じる感覚がまったく逆で、それが僕の頭をぼやけさせる。時代の流れが身体の内外で乖離している。
僕はとりあえず席を探した。本棚が並び立つ向こうに机が並んであって、そこでは学生服を着た少年少女たちがシャーペンを小気味よいリズムを立てながら滑らせていた。席には余裕があるようだったので、とりあえず席を取るのはやめた。
本棚に向かう。美術に関することが書かれた本が区分された場所を探す。奥に奥に。僕の身体は図書館の最奥へと誘われる。美術の棚は他と比べて一倍陰に隠れた場所にあった。おそらく貴重な本ばっかりで、それが色褪せないように配慮したのだろう。
背表紙がほとんど広かった。しかし真実に辿れるものが詰まっているとは思えなかった。
何冊か腕で抱え、それらを先ほど空いてるのを確認した席へと持っていく。重量がある本を机上に置く。ドスンと重い音が若干空間に響く。同じ机で勉強していた学生はその音に驚き、本の厚みを見て大きく目を見開いた。それを見て少しだけ優越感が湧いて出た。
座って最初の1冊。ページを開く。鼻につく古書の匂い。僕は文字の海に飛び込んでいく。
座っていた学生が何回か入れ替わる。
文字列には僕が求めていたものはなかった。何冊も開いたけど成果は得られなかった。
意味深長な言葉を裏付けるものなんかなかった。あるいは、僕は掌の上で転がされているのかもしれない。あの言葉すべて嘘みたいなもので、反応を楽しんでいる、そのような可能性がないこともない。
そして僕はふと意識を文字の海から外へと飛び立たせた。机に座っていたのは僕だけになっていて、更にはガラス張りの窓から差し込んでいた光もいつのまにか無くなっていて月の優しい光に変わっていた。
ああ、もうそんな時間なのか、そして日が落ちるのも早くなったな。帰るしかなくなっていた。
僕は立ち上がり読んでいた厚い資料を再び腕に抱えて元に戻そうと動く。本棚に戻して重さでだるくなった肩や腕を回してダルさを解消させる。そして鞄を背負い、図書館を出ようと入口へと歩みを進めようとした矢先ーー。
新書と大きな看板が掲げられているコーナーに「あの絵」が見えた。その絵が表紙になっている雑誌だろうか、今の僕には輝いてみえた。そして帰り際にそれを手にとってパラパラと捲る。
宝の山だ、と直感的に思った。そしてどうしようかと思った。今ここで読む時間はない、借りるしかないのか……。
おそらく、今この空間には僕と司書さんしかいない。その人となんやかんや手続きをしなければならないのが煩わしい。とりあえず明日もここに来る時間がある。その時に眺めよう。
「あの、どうかなさいました?」
新書コーナーにそれを置こうとした時、後ろから声をかけられた。肩をビクッとさせながら慌てて後ろを振り向く。完全に不審者だな、と自分でも思う。
僕は声をかけてきた人物を凝視する。緑色のエプロンを前にかけた女性がいて、おそらく司書さんなのだろうか。歳は僕とあんまり変わらないかもしれない、バッチリと目が開いていて肌が少し焦げている。活発なイメージが僕の中で先行する。こう思うのは失礼であろうが、図書館に似合わないな、と思ってしまった。
「? あのー?」
「あ、いや。すみません。帰る時に気になる雑誌を見つけてしまって」
「そうだったんですね。帰り際に興味あるの見つけるの、あるあるですよねー」
そして司書さんは僕の持っている雑誌を覗き込む。
「それ、借りられます? もうちょっとで閉館しますけど……」
「え? ああ、そうですね……借りたいのはやまやまなんですけど、借りるの初めてなので」
挙動不審のまま受け答えしてしまう。図書館で本を借りるなんて今までしたことなんてない。
「ああ、手続きは簡単ですから大丈夫です。お客様学生さんですかね? 学生証があればすぐにできますよ」
手のひらを僕に向ける司書さん。しかし僕は学生証を持たなくていい日だと思っていたから自分のアパートに置き忘れてしまった。わざとポケットの中を探る。そしてわざとらしく表情を引きつらせる。
「すみません、忘れたみたいで……」
そう言うと彼女は意に介さない様子でそれだったら! と手をパチンと1拍する。突如鳴り響いたクラップ音に驚いてしまった。
「多分君、私と同じ大学だよね。なら、私の図書カードを貸してあげる」
ニッコリ笑顔で胸の前で手を組みながら言ってくる。
「それだったら嬉しいんだけど……でも一体」
「なんで分かったかって? ふふーん、それはね」
得意げに顎に手を当てながら鼻を鳴らす。
「私はねここのバイトなんだけど、ここに来る大学生はほぼ○○大生だから。ま、単純な理由だね。というか、それでいい? 借りるんだよね?」
「……じゃあ、断るのも悪いし借りちゃおうかな。あ、ちなみに僕は○○大生なんかじゃないよ」
「え!? そうなの!?」
大げさに驚く。しかも身振り付きときたものだ。
「そ、ここの最寄駅から3つ離れたところの大学。……とりあえず助かったよ」
「でもなんでわざわざここに? 結構遠いよ? あ、ちょっと待ってね。借りるやつちょうだい。図書カードに色々書いてくるから」
催促されたので雑誌を手渡す。随分とテキパキと言葉が出ていて、彼女に対しやはり文学少女というイメージは持てなかった。スタスタと機敏に歩き出し、受付に向かっていく。そして数分経ったら戻ってきた。
「はい、これ。私名義で借りたから2週間以内にここに返しにきてね。あ、でも私がシフトに入ってない時に来られても困っちゃうな……」
「色々とありがとう。その時はちゃんと連絡するから大丈夫だよ。というわけで聞いていい?」
ニヤっと顔が崩れていくのが見えた。
「なーんだ、もしかしてナンパ目的だったの〜? わざわざ閉館まで粘って私に声をかけられるのを待っていた感じ? 君の大学ではそんなナンパが流行ってるんだ〜」
司書さんは茶化すように笑う。更なるからかいを防ぐために、あまり言葉が強くならないように違うよ、と優しく諭した。
「とりあえず私のSNSのIDを教えるから。それだったら毎時間監視してるから気づくと思うし」
スマートフォンをエプロンのポケットから取り出した。それにつられるように僕も取り出し操作する。
「ここで会ったのも何かの縁だし、こういうナンパもいいかもね」
さっきまでの活発なイメージが一瞬で消え失せた。目尻が下がったまま放たれた微笑みは屈託のない輝きだった。可愛らしい表情が急に目の前に現れたものだから、この子と連絡先の交換をしているという事実に少し気恥ずかしさを覚えてしまった。
「おや、どうしたのかな。佐伯大雅くん。なんだか顔が赤いけど、ナンパに成功して嬉しいのかな?」
彼女のからかいが止まらない。僕は首を何度か振り正気を取り戻す。
「まあ……とりあえずありがとう。これで連絡するよ、ええと……」
僕はスマホ画面に表示された彼女のSNSのアカウント名を見る。
「梶井蓮、さん」
「はい、梶井蓮です。レンでいーよ」
何も不安なんかないと主張しているような柔かな顔で反芻した。彼女の顔を見るのが照れ臭くなってきた。
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