第5話 なにも知らなかった

 リュカが眠る横で、シャルルは心ここにあらずといった様子でぼーっとしていた。フランシスから聞いた話をまだ、上手く消化しきれていないのだ。頭では理解出来ている。だけどまだ、心の整理がつかない。もう何日目になるのだろうか。

 リュカの親指にはめられた獅子を象った指輪が目に入る。

 それは国王と皇太子だけが身に付けることを許された『獅子の栄冠』だ。沢山の護符があるせいでその指輪も一つの護符にしか見えなかった。あのカロリーヌが気が付かないくらいだ。魔法の暴走を押えるためと、眠っているリュカにこんなにも沢山の護符を用いらなくてはいけないのかと、見ている方が辛い。

 まるでリュカを封印しているような有り様だ。


 リュカが竜の肉を喰らうことになった原因に自分があったと、理解してしまった。

 ……本当はずっと気が付いていた。

 気が付きたくなかった。


 小さな声で、独り言のようにシャルルはリュカに謝る。シャルルが謝る必要なんてない。全ては彼が王子としての基盤を築く、皇太子となれるようにと動いていたカロリーヌのせいだろう。シャルルの知らないところで行われてきたこと。リュカだってシャルルのせいにはしないはずだ。


 頬を流れるものを拭い、シャルルはリュカの額に掛かる黒髪を払う。全ての苦労を忘れたかのような穏やかな顔だ。

 眠っているときにしかリュカの穏やかな顔を見られない。兄の辛そうな顔しか知らないなんてあんまりだと、込み上げる涙が溢れた。


「シャルル殿下。失礼致します」


 リュカの隣にいたシャルルはハッと顔を上げる。泣いて、沈んでいた気持ちを誤魔化すように目元を擦る。

 間が悪かったと、ユーグは自身のタイミングの悪さに戸惑う。泣いている姿を他人には見られたくないものだろう。シャルルから目を離し、不敬を承知でリュカの顔を覗く。

 彼の寝顔をすぐ側で見るのは子供の頃以来だ。リュカの乳兄弟として側にいた頃はいつも一緒に遊び、一緒に昼寝に興じていたと懐かしい。

 あの頃は母カロルがいて、ダミアンが騎士の仕事そっちのけで遊んでくれたものだ。リュカを罵った自分が懐かしんでいいものだろうかと、胸に刺さるものがある。


「ダミアン・マルムクヴィストたちの謹慎は今日までだったか?」


 リュカを守れなかったと、ダミアンとマリユスの二人には謹慎の処分が出されていた。魔法使いと蔑んでおきながら、都合に合わせてリュカは王子になる。この謹慎処分だって、リュカと近侍を引き離すためのものだろう。

 なにがあろうともリュカの側を離れようとしなかった近侍達が、黙って謹慎処分を受けているとは思えなかった。彼らがいなければリュカは生きていなかったのではないかとさえ思える。

 シャルルは今までのことを二人から聞きたかった。リュカがまだ王城にいた頃から、出て行ってからも。


「はい。本日、国王陛下にお目通りの予定です」


 ユーグの顔が曇る。


「既に王城にいるのですが、会っては貰えませんでした……」


 ユーグは横に首を振り自嘲気味に母の事があるからと口を濁した。ユーグの母カロルの起した事件は一騒動と、一言で済むようなものではなかった。

 全ての責任をリュカに被せたにも関わらず、アブラハムソン家も苦労してきたのだ。名家と言われた家名は地に落ち、暗殺者の代名詞とまでなっていた。

 ユーグがシャルルの側に居ることだって良しとしない者が多くいるが、カロリーヌが認めているというだけで許されていた。


「ユーグどうしたら僕は……僕は許してもらえる?」

「……それは」

「ごめん。わからないよね。……僕にもわからないや」


 リュカは静かな顔で眠り続けている。混乱している頭を整理するように深く息を吐き出した。

 ユーグは躊躇いながらも、シャルルの気を逸らすようにオーロルの名前を挙げる。


「居場所がわかったのか!」


 椅子を倒し立ち上がる。ユーグのもたらした情報は予想通りのものだった。


「彼女はカロリーヌ王妃の侍女としてこの王城におります」


 絶句するとはこの事だろう。シャルルはカロリーヌの息子だ。何度もカロリーヌの部屋には入ったことはあるし、侍女たちの顔だって知っている。

 リュカの部屋から飛び出していくシャルルにユーグは黙って従う。


 黒い影の女がシャルルの飛び出していった扉を見つめていた。彼女は首を傾げる。


 「あの女は飽きもせずに娘をいたぶっていますのね

 この憎しみも 怨みも その娘ならわかってくださるかしら?」


 その呟きは心底愉しそうで、憎々しそうだ。声に反応するようにリュカは呼吸が荒れる。リュカの苦しみなど知らぬといった様子の黒い影の女がリュカの側に腰掛ける。


 「ねぇ、起きなさいよ

 起きたらきっと、面白いものが見られるわよ」


 「ほら!」


 黒い影の女は『獅子の栄冠』に触れる。

 弾けるように舞い上がる黒い焔に巻き込まれないように距離を取り、リュカの様子を伺う。

 黒い焔はリュカを守るように包みこみ、黒い影の女を拒むようだ。


 「わたしの憎い子に触れることのなにがいけないの?

 お腹を痛めて産んだ我が子なのよ?」


 ――この子を憎い子などと呼んでいる内は駄目だ――


 「あは、あははははっ!」


 高笑いを上げる黒い影の女に獅子はその黒い焔をさらに強くする。


 「私はもう、すっかり悪意に染まってしまった

 もう、清らかな心なんて、慈愛をもつことなんて無理だわ

 だって……」


「うるさい!!」


 体を起し、頭を抱えたリュカから発せられた大声に、黒いものは全て掻き消えた。

 急に体を起したせいか、大声を出したせいか、リュカは頭がくるくると回る感覚に気持ちが悪い。夢見が悪かったのかと、リュカは今しがたなぜ声を上げたのかわからない。とにかく耳元でうるさかった。

 見慣れない景色にここはどこだろうかと、側に居るはずのマリユスに声を掛ける。

 リュカ一人で寝かされていた部屋だ。誰か応える者がいるはずもなく、顔を上げたリュカの眼前に飛び込んでくる絵から目が離せなくなる。

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