第20話 書類を広げた机を
ダミアンは書類を広げた机を指でコツコツと打ち付けている。
機嫌が悪いあからさまな態度に、呼び出されたオーロルは肩を縮こませていた。
機嫌が悪いのはリュカが倒れたことで、先延ばしにされていたドラゴンの集落掃討作戦についてだ。
リュカの体調が戻り次第作戦に入ると、新しく下りてきた作戦書にはオーロルの名前が入っていたのだ。
リュカとオーロルの二人の噂を知った王都の連中の嫌がらせかと思えば、言い出したのはオーロルだと言う。
リュカが一人で最前線に送られるだけでも頭が痛いのに、そこにオーロルまで一緒では胃が痛くなる程度では済ませられない。彼がどんな無茶をやらかすかと心配だ。
「リュカだけを前線に行かせることが心配なのはわかるが、そこにオーロルまで行ってなにが出来るんだ」
「少しでもリュカに魔法を使わせないようにするためにわたしが……」
ダミアンが机を打つ大きな音に体を強張らせる。
「勇気と無謀は違う!」
机に乗り出した体を椅子へ戻し、呼気を整えるように息を吐く。
オーロルが魔法使いであればここまで悩むこともないが、騎士見習いの兵士だ。しかも、結婚前の娘であり、リュカの思い人ときている。危険を承知で前線に送るわけにはいかないのだ。
女兵士など、余程で無い限り結婚までの腰掛けでいるものが多いという中、オーロルはその余程に入るらしいと頭を抱えた。
気分を少し変えようと窓の外を覗いたダミアンは、リュカの姿を見つける。
今日はまだ休ませていたはずだというのに、制服姿に訝しむ。なにをしているのかと思えば、マリユスと揉めているように見える。
「また、いつものか……」
独り言を拾うオーロルに向き直すが、窓の外が気になって仕方がない。
過保護なマリユスとリュカはよく揉めていた。日常の風景と同化したような些細なもめ事だ。
大抵はマリユスが世話を焼きすぎるせいか、リュカが魔法を使い過ぎた事へのお小言かのどちらかであることが多い。
「リュカが外に居るんだが……」
制服姿であることがどうしても気になり、ダミアンは窓からリュカを呼ぶ。
気が付いたリュカは逃げようとするかのように錫杖に跨り、マリユスに邪魔をされていた。
リュカが向かう場所など、なにもない空の上しか浮かばない。王城にいる頃からなにかあれば空を飛び回っていたが、今はその制服姿が気になった。
ただ空の上へ向かうだけであれば制服を着ることもないはずだ。
制服は仕事着だ。騎兵団の身分を示す格好であり、その身を守るために動きやすく、生地は丈夫なものを使用されている。
魔法使いのものはそれに、護符の類いが縫い込まれていたはず……まさかと、嫌なものが走る。
思い立った時には窓枠に足を掛けていた。当惑するオーロルを置いて窓を乗り越えて向かうのはリュカのもとだ。
思い違いであればいい。それを確かめる為にも話を聞かなくては分からないし、懸念した通りであれば諭さなくてはいけない。
ダミアンの話を素直に聞くような、しおらしい性格ならばここまでやきもきさせられる事もなかっただろう。
「なにをしている?」
不機嫌そうにリュカはそっぽを向き、マリユスは増援だと勢いづく。
話を聞けば、一人でトーチリリー山に向かうという。なにを馬鹿なことをしようとしているのかと、唖然としているダミアンの後ろから怒号となってオーロルがリュカに飛びかかる。
「みんながリュカを心配してるってわからないの!」
後ろから彼女が追いかけてきているとは思っても、飛びかかるとまでは思わないだろう。
体勢を崩し、錫杖から落ちたリュカの胸にオーロルはくらいつく。驚きに目を丸くしていたリュカは眉根を寄せ、体勢を直そうとオーロルの肩を掴む。
「俺はそれよりも、オーロルの無茶の方が、お前が前線へ出……痛っ!」
音も激しく頬を張られたリュカは文句を言おうとオーロルへ向き直り、振り切った右手を胸に涙を浮かべている彼女に言葉を飲み込む。
オーロルにそんな顔をさせたい訳じゃないと、胸に刺さるものがある。
笑っていて欲しいと願い、その為にドラゴンの集落掃討が必要ならばと考えてのこと。オーロルを泣かせようとは露程も思っていない。
「それよりもって、なに? 心配なんだよ。大事に想ってくれる人がいるって忘れてない?」
それは今まで何度も言われてきた言葉だった。ダミアンに、マリユスに、ジルに、それから……
それでもリュカは
「だからなんだ? 大事にされたかった人から死を望まれた事はあるか?」
静かに怒りを含んだ声色にオーロルは目を逸らさない。
ダミアン達から話は聞いた。聞きはしたが、それは概要だ。直接それを受けた本人から感情が籠もった言葉は重くのし掛かる。
「初めて竜の肉を喰ったのは物心ついた頃だ。苦しかった事だけは覚えているよ。大事な人から……」
カロルの最期の顔が思い出され言葉が詰る。彼女のことは今も胸の中に澱のように残っている。
「……12歳で最後の竜の肉を喰った。その時は父上様が目の前にいた」
青い目は氷のように冷たく、冬の夜空のように煌めくのはリュカの涙のせいだ。
「母のように慕っていた乳母にすら死を願われ、今だって……」
頬を伝わる涙にオーロルは手を伸ばすも、その手をリュカに捕まれる。
「王妃は俺の死だけを望んでいない。俺の苦しみも望んでいるんだ」
捕まれた手はその悔しさに、やるせなさに怒りに、哀しみに力を込められ軋み痛む。
「父上様だって俺の死を望んでいる……ダミアン達だって、俺が居なければ苦労せずに済む」
「騎兵団長たちがそんな事を思うわけないでしょ! 見ていればわかる。わかりやすいくらいにリュカの事、大事にしているじゃない」
力を込められたままのリュカの手にオーロルはもう片方の手を添える。冷たいリュカの手は震えていた。
「わたしだってリュカに死んで欲しくない」
「俺だって死にたくない! でも! ……オーロルが死んでしまうかもしれないと、思うことはもっとイヤだ!」
不安にやりきれない思いで、押しつぶされそうになっていたリュカの吐き出した言葉に、オーロルは微笑み返す。その微笑みは暖かくて、春の日差しのように包み込むものだ。
「同じだよ。リュカの死なんて考えたくないんだよ」
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