DiNNER

片宮 椋楽

A Small Talk With Cooking

「オールスパイス、頂戴」


 夢叶ゆめかは、夫の道幸みちゆきに声をかけた。左隣にいた道幸は「面白い名前だね」と反応しながら、顔を左右に振る。普段キッチンに立っていないため、この動作がどこか分からない所作なのだと夢叶はすぐに察した。


「上の棚」人差し指で示している夢叶。中指と薬指の間からは菜箸が横に伸びていた。「カゴにまとめてある」


 道幸は「ん」とだけ発すると、取っ手に手をかけた。開くと横長のシールが貼られた半透明なカゴが2つ姿を表す。側面に貼ってあるシールには、スパイスとハーブとある。オールスパイスがスパイスの一種であることは名前から判別がついていた。道幸はカゴを引き出し、手元へ持ってくる。蓋にはこれまた同じシールが貼ってあり、クミン、ナツメグ、シナモン、ターメリックなどと書かれていた。隙間なく容器が並んでいたが、どれも夢叶が別の入れ替えたもの。幅や高さ、全て同じ容器に移されており、綺麗に揃えられていた。


 不意に道幸は静かに口角を上げる。


「何笑ってるの?」


 気づいた夢叶が声をかけると、道幸は笑みを消して顔を向けた。「いや」とだけ言い、オールスパイスを渡す。


「気になるじゃない」夢叶は眉を中央に寄せながら受け取る。


「だって怒るもん」


 道幸は言いたくないというニュアンスを込めて、口を突き出した。


「いいから教えてよ」


 夢叶は蓋を回し、取り出した炊飯器の内釜内へ弱い力で叩いて落とした。中には既に、水洗いした米の他に角切りトマトや薄く切ったハム、輪の形にしたソーセージが入っている。その量の多さは、水の代わりに入っているコンソメスープとトマトジュースから顔を出すほど、具は沢山だった。


 圧された道幸は、肺の空気を鼻から出し、「几帳面に並べるこの感じ、相変わらずだなって」とカゴを見ながら白状した。


 思えば、夫婦生活のために思い切って買ったこの部屋だってそうだった。仕事はできるが整理はできない道幸は、仕事も整理もできる夢叶に全て任せた。どの部屋にするかの基本的なことからインテリアはどれにするかの細かなことまで。


 2人がいるキッチンと真反対の壁には、75インチのテレビがかけてある。その右隣には緑が映える大きなウンベラータとライトスタンド、左隣には高さや幅の異なる黄土色の棚がある。棚には、2人が写った写真が複数枚飾ってあった。他にも互いが好きな書籍と旅行先で買ったのは間違いないもののどこでかは全く覚えていない黄色い豚の置物など様々な雑貨が所狭しと置かれている。

 ガラステーブルを間に挟み、2人がけの白いソファがテレビと相向かっている。それらの下にはフローリングの床を傷つけないように、長方形で灰色のカーペットが敷いてあった。


 夢叶がこの部屋を選んだのは、持て余すぐらいの広い間取りだけではなかった。窓の外から、東京タワーが見えるのだ。都会に憧れていた夢叶は、東京タワーがその象徴だった。それでいて、暗く沈んだ闇夜に浮かぶ紅白色は安心感をくれた。電波を出していない今も、東京タワーが好きだった。


 間取りも見晴らしも、道幸には不満は無かった。むしろ満足ばかりだった。


「細かいってこと?」木べらを取りながら、むすっとした表情になる夢叶。


「ほら怒った」案の定、という想いを込める道幸。


 夢叶は反論しようと、体の底から「だって」という言葉を出そうとした。が、やめた。通ってきた喉へ戻した。代わりに「もうやめよ」と話した。「折角なんだし」とも。


「……オールスパイスって他がもう要らなくなる感じがしたんだ」


 頬を緩めた道幸に、夢叶は「アラサーにもなって、何を言い出すの?」と冷静に返した。


「温度差のある反応だね、同じくアラサーさん」


「女性に歳を言うのは失礼よ」


「どうもすいません」


「……で?」


「やっぱり気になってたんだ」道幸はまたも頬を緩ませ、


「なんかさ、オールスパイスに寄せ付けない無敵さを感じたんだよね。そしたら脳内でね、オールスパイスって顔に書かれた棒人形が他のスパイスを殴り飛ばし始めたんだ。妙にその光景が面白くなっちゃって」


「要らなくない。ちゃんと必要だよ」


 夢叶は木べらを動かす。液体の中で具材が静かに踊る。


「数種類のスパイスが香るだけだから」


「ん? 香りだけなの?」


「うん」夢叶は鍋のふちで木べらを叩く。水滴が飛ぶ。


「なーんだ、万能ってわけじゃないんだ」


「料理にもお菓子にも使えるから、勝手はいいんだけどね」


 夢叶はそうフォローし、釜を両手で持った。そのまま後ろに振り返り、数歩歩いて炊飯器の前に立つ。そして、今か今かと待ち侘びている全開の口の中へ収めた。蓋を閉める。カチッという音が鳴る。早炊きボタンを押す。ぴっ、と軽い反応を返してくる。直後、地響きのような深い音が聞こえてきた。この音が夢叶には、しっかりちゃんと炊きますよ、そう力強く答えてくれたような気がした。


「案外かかるね」道幸は腰に手を当て、頬を引き上げて目に近づけた。


「もっと楽だと思ってた?」


「思ってた」夢叶は踵を返し、歩みを進める。


「あの時は二人ともお腹ペコペコで、すぐに出てくる物を頼んだからね」


 道幸は虚空を見ながら、そういえばすぐに“出来る物”とは頼んでなかった、と思い出す。


「作り置きしてたかなんかだったんじゃないの?」


 向かったのは、3口あるIHコンロ。うち、左側の方の前に立つ。そこには、コンソメスープの入った小さな鍋があった。


「納得納得」


 道幸の反応が来てから、夢叶はタッチパネルに触れて、スイッチを入れる。火の代わりに赤い円が広がるのを見て、おたまを手にした。既に少し煮立たせていたからか、鍋には小さな泡が浮かび上がっている。


「大学で吹奏楽部にいたって話してたじゃん」道幸は話題を昔話に変える。が、返しは想像と違った。


「大学は写真部だよ」


「あれ? 高校じゃなかったっけ」


「ううん」夢叶は首を横に振る。「それに部じゃなくて、サークル。しかも、お相手見つけるための、完全なる飲みサー」


「てことは、逆で覚えてたのか……」


 鍋の沸騰が激しくなったのを見て、スイッチを弱くする。すぐに収まった。


「じゃあ高校の吹奏楽部では、なんの楽器弾いてたの?」道幸は質問を続ける。


「弾いてたというか吹いてた。クラリネットだから」


「あぁーママが壊しちゃったやつね」


「……は?」


「歌あるじゃん。ほら、マーマが壊したクラ~リネット」


 揚々と歌う道幸だったが、「じゃなくてパパだよ。しかも壊してない」と夢叶は遮る。


「そうだっけ?」


「パパから貰ったクラ~リネット」夢叶は全く同じリズムで別の歌詞を歌う。


「あぁ、そういえばそうだったかも」


「そうだったかもじゃなくて、そうだから」


 夢叶は良い意味で意志が固く、悪い意味で頑固者であった。父親譲りだと言う本人の主張に、道幸は全面的に賛成だった。「娘さんをください」という結婚した男ならば必ず通った、する男ならこれから必ず通る道を、道幸も当然通った。だが何度行っても「やらんっ」の一点張りだった。結局、折れたのではなく娘と夢叶の母が無理に折らせ、結婚に至ったのである。


「まあそこは置いておいて」


 会話の流れを戻そうために道幸は箱をどかす仕草をすると、キッチンのワークトップに左手をついて上半身を夢叶に向けた。


「全国学生……何とかとか言うコンクールで優勝したでしょ」


「全国学生音楽コンクールね」夢叶は口を尖らせる。「残り、音楽とコンクールなのに、なんで忘れちゃうのよ」


「へへへ」道幸は舌を軽く出して、髪に触れた。


 個々人に配られる小さなトロフィーは玄関の棚に飾ってある。努力の結果が実った証拠なのだが、夢叶としては物置に追いやりたくて仕方なかった。小っ恥ずかしさを感じていたからだ。加えて、来る来る人が尋ねるため、都度説明しなければならなかったからだ。だが、「自慢できることなんだから」と、道幸が止めさせていた。


「俺にはさ、そういうのがないんだよ」過去の記憶に、道幸は深いため息をついた。


「優勝したことがってこと?」夢叶は首を傾げた。


「それもだけど、ほんと色々」


 道幸は腰に添えていた右手もワークトップへつけた。


「生徒会とかやったとか、何かの代表に選ばれたとか、今まで誰かに頼られたり注目されたりってのがなかったんだ。良くも悪くもずっと波のない人生だった」


「波のない……」


 道幸の話す言葉の中のモノを夢叶は感じ取れなかった。ただ、なぜ物置に仕舞うのを止めていたのかは分かった。

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