第34話 「昭和生まれのクソ眼鏡」
「湊心!」
初対面のはずの千夏が、その女性の名前を呼び捨てる。
何も知らない孝太郎には千夏の態度は失礼極まりなく映ったが、心なしか千夏が楽しそうにしてるようにも見えた。
「なんであんたがここにいんのよ!」
「は!?黙れ。パートの分際でデカイ口叩きすぎ」
「きーー!偉そうにー!社員ぶんな!」
「偉そう?まぁ、べらぼうに過信するわ。私、実力しかあらへんし。てか、歴とした社員やねんけど。あら?千夏は私が社員やって知らんかったっけ?」
「またそうやって上から!何様よ!」
二人の口論に孝太郎の理解が追い付く。
昨日彩音が言っていた人物『高寿湊心』とはこの女性のことなのだとようやく理解した。
「んー神様になったつもりはないけど。神様クラスってことで仕事は超一流ってとこかしら?」
「一流?あんたなんか彩音に比べたら二流よ!あんたの働いてる現場なんて二流の現場よ!」
「二流の現場かぁ。だったら飛竜昇天波喰らわしたるわ。わかる?STREET FIGHTER。じゃなくてこの天才的な七文字踏み!バカはわからんかぁ」
「また訳のわからないこと言ってー!!」
千夏は訳がわからないことと怒っていたが、孝太郎には意味がわかっていた。
意味が、というよりは湊心が千夏への返答にすべて韻で踏んで返してることに。
孝太郎はその様子と返答内容を固まりながらもすごいと感心していた。
バタンッ!
「うるさいっ!!!」
突然彩音が珍しく大きな声をあげて、休憩室へ入ってくる。
が、実際一番うるさいのは彼女の声だった。
「やっとおでましか。平成生まれのポニーテール」
「あら、いたの?昭和生まれのクソ眼鏡」
お互いの特徴を貶し合う彩音と湊心。
孝太郎は短く罵った二人がじっとお互いを牽制しているので、掴み合いの喧嘩にならないかと身構えていた。
が、彩音もそんな暴言吐くんだ、と内心クスッとしていた。
一方の千夏もさっと湊心から離れ、彼女から彩音を守るような体勢をとる。
「やっぱり高寿さんはすごいです!完敗です」
手にした資料を見せながら湊心に尊敬の眼差しを送る。
どうやら何かに対して湊心が作成した資料を誉めているようだ。
「犯罪者の彩音なら通じると思った」
「えー全然敵わないです。南無阿弥陀って感じです」
彩音と湊心は韻を踏み合いながら陽気に語らう。
高寿湊心。
真っ黒な髪は見るからにサラサラで、ボブカットに黒淵眼鏡というインテリを絵に書いたような容姿だが、そこからは想像できないような暴言を吐く。
身長も千夏ほどあり、口を開かなければそれなりに良い女性に見える。
だが、開けば一瞬でおっさんと化す。
千夏はバイトを始めた時から湊心を知っており、付き合いが長いためか『湊心』と呼び捨てにしている。
彩音は『高寿さん』と敬意を込めて呼んでいるが、私情の縺れで喧嘩したことがあり、それ以来嫌煙している節があった。
彩音と湊心。
端から見れば仲の良さそうな二人に見えるが、必ずしもそうではない。
特に事情を知っている千夏にはわかっていた。
ある事件をきっかけに二人の関係に亀裂が入り、お互いうわべだけの馴れ合いだということが。
特に彩音が必死に笑顔をつくっていることが。
その笑顔を見るに耐えきれなくなった千夏は、ここぞとばかりに二人の間に割り込む。
「千夏のわかんない話しないでよ!」
「なに?明美がこないだの合コンで捕まえた男の話でも聞きたいん?」
「いらんわ、この全身猫背ブス!孝太郎!コンビニにご飯買いにいこ!」
「すいません、朝に買ってきたものがあるんです」
「ムキーーーーッ」
誰からも見放された千夏はプンプンしながらロッカールームへ消えていった。
「彩音、用意できた?」
「はい、お待たせしました」
彩音は湊心の横にちょこんと立つと孝太郎をちらっと見た。
「伊藤さん、桝屋さん。私、しばらくホテルへ出向くので何かあったら明美ちゃんに連絡お願いします」
千夏はロッカールームに潜んで出てこない。
孝太郎がわかりましたと二人に会釈すると、二人は休憩室を出ていった。
ふとドアの手前で湊心が足を止め、孝太郎に向き直る。
「そーそー、そこの君」
座った孝太郎が顔を向けると、湊心と目が合った。
「全っ然ダメ。もっとノリよくやらんと」
湊心の顔を見た時、はっきりと思い出した。
以前、彩音が風邪を出してダウンしているときにやって来た女性。
弱りながら涙を堪える彩音に冷淡で冷酷な視線を落とし、そこにいなかった千夏に対し「早くしないとこの子死んじゃうよ」と言い残した女性。
その女性こそ、高寿湊心その人であった。
「あの、もしかしてドッキリでした?」
「ん?ドッキリ?」
「あの、今までの面接というか……」
「あぁ、あれね!暇潰し」
自らの履歴書を作り、それに加えて前もって考えてきたかのようなセリフ。
そんな手の込んだ暇潰しがあるか、と孝太郎は真顔で驚き、きょとんとしてしまう。
千夏と同じ属性か千夏よりも質の悪い性格だと、孝太郎は瞬時に感じ取った。
湊心はその反応にしばらく呆気に取られたていたが、ふんっと鼻で笑った。
「その顔、面白いやん」
二人は足早に休憩室を後にした。
******
定例の従業員交換研修。
この時期、各施設や本部で従業員の交換研修があり各施設や部署の代表が一堂に会し話し合いをする。
彩音のスパは今年は湊心のホテルとの間で交換研修となり、お互い人材や期間に様々候補や案があがるものの平行線を辿っていた。
「彩音はビアガーデンやりたいんやんな?」
「はい、スパでは初の試みですが、成功させるためにも的確な人材を候補に挙げていただければ」
「おけおけ。じゃあさ、あの男の子。代わりにこっちにくんない?」
「え!だ、だめです!絶対だめです!」
先程まで冷静に話をしていたのに、孝太郎の話になり急に慌て出す。
「なんで?」
「え、その、伊藤さんは頼りになりますし、てきぱき働いてくださいますし」
「いや、なんでパートに敬語なん?」
湊心の急な質問に彩音はすぐに言葉が出ない。
一人のパートとしてではなく、一人の男性として、孝太郎を考えながら話していたからだ。
「お気に入りなん?その、伊藤って男」
「いえ、そういうことではないんですけど」
「さっさとあいつと別れて、その男に乗り換えたら?」
湊心の軽率な発言に彩音の顔が一気に強ばる。
さすがの彩音もこの発言に苛立ちを隠せなかった。
「ふーん。ま、とりあえず妥協案は数案出しとくから。あとは明美に報告して」
彩音の苛立ちをもてあそぶかのように、湊心は話を切り上げる。
湊心にも湊心なりの考えがあってのことなのだが、彩音がそれに気づくのはまだまだ先である。
「ありがとうございます」
「じゃ、研修当日誰が行くかはお楽しみ、ってことで」
「はい」
そしてまさか湊心本人が研修に来るとは誰も予期していなかったのである。
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