~小さな来訪者~ 2

 私の話すことには分かりづらいところがあるかもしれませんが、自分なりに精一杯、話します。

 私には元々、家族が居ました。お父さん、お母さん、それに兄弟たちです。でも、私が幼い頃に、みんな離ればなれになってしまいました。私も小さかったので、何故かは分かりませんでした。ただ、私は皆が暮らしていた家とは別の家に行くことになったんです。

 その家の人たちは最初、私のことを可愛がってくれました。お父さんもお母さんも本当の子供のように愛してくれました。でも、数年して、家族全員が私のことをいじめるようになったんです。何かあると、蹴ったり、叩いたりされました。私は悲しかった。何故、私は何もしていないのにこんな事をされるのだろう。ずっと思っていました。

 もちろん、逃げだそうとしたことも何回もあります。でも、その家族は私を檻のような物に監禁して、外には出してくれなかったんです。考えられないですよね。私はただの道具だったんですよ。逃げようにも、なかなかそのチャンスはなく、ひたすら暴力から耐える日々でした。ある日には、木の棒でお腹を叩かれ、殺されると思ったこともありました。本当に地獄でした。私の生きている意味があるとすれば、この人たちの怒りをすっきりさせるためだけに生きているのだろうか、とすら思いましたから。残酷な人たちでしたよ。

 あれは夏の暑い日でした。私の心は限界を迎えていました。その時、家族の人たちが全員で、どこかに出掛けました。それから一日しても、家族の人たちは帰ってきませんでした。目の前には水と食料が置いてありましたが、それもすぐ無くなりました。でも、誰も帰ってこない。私は決死の覚悟で、檻の鍵を開けようとしました。

 でも、そこで気付いて悔やみました。なんてことはない。檻はすでに開いていたのです。家族の人たちが掛け忘れたのでしょう。もっと早く開けようとしていれば、すぐに逃げられたかもしれないのにと思いました。

 その檻のドアを開けた瞬間でした。家族の人たちが帰ってきたのです。時間は家族が出掛けて、もう二日目の夜になっていました。私は檻から出ると、外に繋がる通路はないかと探しました。ですが、檻のあった部屋の窓は高いところにあり、私にはとても届かないような場所でした。だから、一つの賭けに出ることにしたんです。

 私はその家族が部屋の中に入ってくるまで、部屋の入り口からは見えない場所で、じっと息を潜めて待ちました。そして、願いました。「神様、助けてください」と。本当のところ、神様は居ると思います。私に奇跡が起こったんですから。

 誰かがその部屋に入ってきました。私はそのタイミングを見計らい、その誰かが部屋の灯りを付ける前に、入り口に向かって走りました。相手はまだ暗闇に目が慣れていないようだったので、それが幸いしたのかもしれません。そうして、部屋を抜け出すとある場所を目指しました。そう、その家の玄関です。後ろからは「捕まえろ!」という声が聞こえてきましたが、私も命が懸かっています。必死に走りました。そして、ここでものすごい幸運だったのが、玄関にはお父さんが立っていたものの、その後ろにあったドアは開いていました。お父さんはちょうど、何かの荷物を車から家の中に運んできていた途中だったようだったので、だからかもしれません。

 理由が何であれ、私にとってはそのお父さんさえ突破できれば、自由が待っています。これまでの悔しさ、辛さを思い出し、私はそのお父さんに向かって飛びかかりました。お父さんは急なことでびっくりしたのでしょう。後ろに慌てて倒れたんです。その中で、私は足を掴まれたものの、何とかその手をふりほどき、逃げ出しました。

 そこからは、とにかく、走りました。もう、力の限り、足の皮がめくれるかと思うくらい、全速力で走り続けました。

 一時間ほど走った頃でしょうか。私はあるお店の前に辿り着きました。何やら、店の中から美味しそうな匂いが漂ってきたのを覚えています。ですが、店の中に入ろうとすると、今思えば当たり前の話ですが、簡単に追い払われました。

私はそのお店の近くを回り、何か食べる物がないかを探しました。ですが、何もありませんでした。そうやって、二日が経ちました。そう、ホームレスの状態で、私は近くの公園などを巡り、寝られそうな所を探して寝ました。でも、空腹がとうとう限界に来たのです。もうフラフラでした。だから、もう死ぬかもしれないと心の中では諦めていたんです。そして、一番最初に辿り着いたあのお店に戻りました。何故かは自分でも分かりませんでした。ですが、そのお店の横で、じっとしていたときです。一人の男の人が近づいてきました。その人は私を見るなり「どうしたんだい。お腹減ってるの?」と言いました。私が「お腹が空いた」と訴えると、そのお店の中で牛乳とご飯を買ってきてくれました。私は無我夢中で食べました。あの時の食事の味は忘れません。

 私がご飯を食べ終わる前に、その男の人は帰っていきました。お礼もまだ言っていなかったので、本当はお礼を言いたかったのです。

 それから数時間ほどした頃でしょうか。その男の人がなんと、戻ってきたんです。そして、私に言いました。「行くところがないなら、家においで」と。もう、嬉しくて、嬉しくて。その男の人はとても優しいと感じました。少なくとも、逃げ出してから会った人の中では、一番優しそうに見えました。前の家族のように次第に怖くなって、殴ったり、蹴ったりされるかもしれない。そんな不安もありました。でも、私は自分の直感を信じようと思いました。そして、この人と一緒に生きていきたいと思いました。

 その人の名は一ノ瀬峻(いちのせ・しゅん)と言います。いつものように峻さんと呼ばせてもらいますね。峻さんは私を家に連れて帰ってくれました。家には峻さんだけが住んでいました。そして、話をしてくれたんです。自分には家族はいない、お父さんもお母さんも昔に病気で亡くなったと言っていました。そして、今は一人でこの一軒家に住んでいる。だから、気にせず住めば良いと。その日から、一緒に過ごす生活が始まりました。

 前の家の人たちのように、峻さんは私を閉じ込めたりはしませんでした。だから、私はある程度、自由に外に出掛けることができました。前の家を脱走した時はまったく気付きませんでしたが、外の世界は楽しいことだらけでした。峻さんは仕事から帰ってくると、私にその日あった楽しかったことなどを話してくれました。私はそれを聞きながらご飯を食べることが幸せでした。生きていると言うことはこんなにも素晴らしいことなのかと思いました。そして、夜に一緒に布団で寝ることもまた、私にとって幸せだったんです。布団の中は温かくて、前の家とは大違いでした。

ただ、気になったのは峻さんにとって、私という存在が重荷になっていないかということでした。もしかしたら、こんな厄介者がいると、峻さんの人生が狂ってしまうのじゃないかと考えたからです。

でも、それは考え過ぎだったと気付きました。それからも峻さんは優しかった。車で海へ連れて行ってくれたこともあります。初めて見た海というものはすごく綺麗でした。一緒に旅行に行ったときは、車の中で寝ました。でも、心から楽しかったです。峻さんもまた「楽しかった」と言ってくれました。

その峻さんに彼女ができたのは今から数年前のことです。私は自分の事のように嬉しかったです。家にその彼女を連れてきたときにも、いつものように一緒にご飯を食べさせてくれました。一緒に記念写真も撮りました。彼女の名前は「利恵さん」と言いました。彼女もとても優しくて、私のことを「可愛い」と何度も言ってくれました。二人はとてもお似合いでした。私は結婚して欲しいとも思っていたのです。でも、そう上手くはいきませんでしたね。

峻さんがひどく落ち込んで帰ってきたときがあったんです。そして、峻さんは私を抱きしめながら泣き始めました。私は分かりました。峻さんはあの彼女と別れたのだと。峻さんは寝室に入ると、自分の机の一番上にあった引き出しから一枚の写真を取り出して眺めていたんです。それが何かは私にも何となく分かりました。きっと彼女と一緒に撮った写真だったのでしょう。

そんな姿を私は部屋の隅からじっと眺めていましたが、私に唯一、できることは峻さんと一緒に居ることだけです。だから、その日の夜もじっと、隣に居ました。峻さんは疲れて寝てしまいましたが、私は動かず、じっとその様子を見ていたんです。そして、少しでも早く元気になってほしいと思いました。

次の日、峻さんはいつも通りでした。確かに元気がないような感じでしたが、それでも普段のように仕事に出掛けていきました。

 私が前の家を飛び出したとき、もしかしたらあのまま誰にも助けてもらえなければ、死んでいたかもしれません。だから、命の恩人だと思っています。その峻さんが辛そうにしているのだから、私に何かできることはできないかと思っていました。ですが、私にできることと言えば、たかがしれています。この時ほど、自分の無力さを恨んだことはありません。

 峻さんはその日、家に帰ってきませんでした。私にできることは待ち続けることだと思っていましたので、待ち続けました。ですが、次の日もその次の日も、峻さんは家に帰ってきませんでした。

 前の家の時のことを思い出しました。家にあった食べ物はすでになくなっており、もしかしたら私はもう峻さんにとっていらない存在になったのかもしれない、とも思いました。でも、峻さんは私のことを見捨てるような人ではありません。暴力を振るわれたこともありません。としたら、峻さんに何かあったのかもしれないと思いました。そう考えて、私は峻さんを探しに行くことにしました。偶然ですが、二階の窓の鍵が開いていたので、私はそこから抜けだしたんです。

 ただ、手がかりはありません。あまり遠くに行ってしまうと、逆に自分が家に帰られなくなってしまうことも考えられます。だから、まず家の周りを探し始めました。

 ある程度、外に出させてもらっていたこともあって、その町の様子はかなり詳しくなっていたのは幸いでした。知っているところは全部回りました。散歩に連れて行ってくれた公園も、良く行っていたお肉屋さんも。私は峻さんを探して走り続けました。

 そして、夜の間はずっといろんな所を巡りました。そして、町の外れの道路を歩いている、峻さんをようやく見つけたのです。私はホッとしました。峻さんがちゃんと生きていたことにです。峻さんは私には気付いていないようで、そのまま自分の家の方向に歩いて行きました。私は嬉しくなって、駆け出しました。峻さんに追いつこうと、必死で走ったんです。でも、数日間、何も食べていなかったことで、道路を横切ろうとしたときにふらついてしまいました。

 そして、そこに大きな光が突っ込んできたんです。私は車にはねられてしまったんです。悔やみました。自分の間抜けさに。いつもならそんなことは絶対になかったからです。そして、薄れていく意識の中で、最後に峻さんに何もしてあげられなかったこと、恩返しすらできなかったことに後悔を抱きながら、息絶えたんです。

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