第15話

 それにしても忠邦(ただくに)と耀蔵(ようぞう)の「遠山排除」のやり口は執拗(しつよう)を極めていた。景元(かげもと)を大目付に「栄転」…、棚上(たなあ)げしたにとどまらず、儀式への参加という、最低限の仕事、義務をも奪い取ろうとするとは、その執拗(しつよう)さに景元(かげもと)は不気味なものさえを感じていた。


 だがそれ以上に、やはり、「許せない…」との思いの方が遥(はる)かに勝(まさ)っていた。これで大目付が景元(かげもと)一人ならば、


「好きなだけ嫌がらせをすれば良いわさ…」


 景元(かげもと)はそう受け流すことも出来たであろう。だが大目付のポストは景元(かげもと)一人ではなく、直恒(なおつね)を始めとする四人もの「先輩方」がいた。閑職(かんしょく)である大目付に認められていた唯一の仕事、義務とも言える儀式への参加の機会まで、大目付から奪い取ろうとは景元(かげもと)のみならず、直恒(なおつね)を始めとする四人もの「先輩方」からその仕事、義務を奪い取ることに他ならなかった。


「去年までは、白書院にて行われる恐れ多くも上様と日光門主の遣(つか)いとのご引見(いんけん)の場と、そして御座之間(ござのま)にて行われる御三家の遣(つか)いの恐れ多くも上様への拝謁(はいえつ)の場に同席することが許されていたんだがな…」


 直恒(なおつね)は実に寂(さび)しげな表情でそう呟(つぶや)いた。理由は自分にあるものと、景元(かげもと)には分かっていたので、「申し訳ござりませぬ」と直恒(なおつね)らに手を突(つ)いて詫(わ)びた。


「何ゆえ、遠山殿が左様に謝られる?」


 直恒(なおつね)は首をかしげてそう尋ねると、とりあえず頭を上げるようにと、景元(かげもと)を促(うなが)した。


「されば鳥居(とりい)めがこの遠山を憎く思い、水野様にこの遠山めに嫌がらせをしてやれと、左様にすすめられ…」


「なるほど…、なれど例えそうだとしても悪いのは鳥居(とりい)であって、遠山殿ではあるまい。されば謝られるには及ばぬ」


「いえ、そもそもこの遠山が鳥居(とりい)めに憎まれていればこそ、皆様にご迷惑をおかけすることになり…」


 耀蔵(ようぞう)と、それに忠邦(ただくに)にここまで嫌われなければ皆に迷惑をかけることもなかったのではあるまいか、だとするならばこの自分に責任が全くない、とは言い切れないだろうと、景元(かげもと)はそれなりに責任を感じていた。


「いや、余計な儀式に参加せずに済むと思うと、肩の荷がおりたわ。さればホッとしておると申すが本音にて、遠山殿、左様に気にされずとも良い。むしろ感謝しているぐらいぞ」


 直恒(なおつね)のその言葉が本心からのものでないことぐらい、景元(かげもと)にも分かっていた。恐らく景元(かげもと)に負担をかけまいとする、直恒(なおつね)なりの心遣いに違いなく、それが余計に景元(かげもと)には心苦しく感じられ、同時に、ますますもって耀蔵(ようぞう)と、それに忠邦(ただくに)への怒りを募(つの)らせると、スクッと立ち上がった。


「遠山殿?」


 直恒(なおつね)は顔を見上げて名を呼んだ。


「されば白書院にいる筈(はず)の鳥居(とりい)めに抗議を…」


 景元(かげもと)はそう言うと、芙蓉之間(ふようのま)を出ようtとした。すると直恒(なおつね)が景元(かげもと)の袖(そで)を掴(つか)んだ。


「お止めなされ。左様なことをいたさば、乱心者として処罰されますぞ」


 確かに直恒(なおつね)の言う通りで、景元(かげもと)は我を忘れてそのことをすっかり失念(しつねん)していた。だが、どうしても耀蔵(ようぞう)と忠邦(ただくに)に対して…、とりわけ耀蔵(ようぞう)に対して一言文句を言わねば気が済まなかった。恐らく耀蔵(ようぞう)が言い出した「嫌がらせ」に違いないからだ。耀蔵(ようぞう)はきっと忠邦(ただくに)の勧心を買おうとして、己に対する「嫌がらせ」を進言に及び…、それは景元(かげもと)のみならず、すべての大目付に対する「嫌がらせ」ともなった…、それに忠邦(ただくに)もうなずいたに違いなかった。


「ですがこのままというわけには…」


 景元(かげもと)はとりあえず腰をおろすと、直恒(なおつね)にそう反論した。


「いや、このままで良いのだ。今さら抗議せしところでどうにもならぬ。それより遠山殿が乱心者として処罰されるやも知れず、敵はもしかしたらそれが狙いなのやも知れぬ…」


 直恒(なおつね)にそう言われて、景元(かげもと)も初めてその可能性に気付かされた。なるほど、さんざん「嫌がらせ」をして己を煽(あお)るだけ煽(あお)り、怒りで我を失わせ、殿中にて何か事件でも引き起こさせようと欲しているのやも知れぬと、景元(かげもと)はその可能性に気付かされた。


「おのれ…、悪辣(あくらつ)な奴(やつ)…」


 景元(かげもと)はそう歯噛(はが)みした。


「左様。悪辣(あくらつ)なやつばらよ。されば遠山殿にはかかる悪辣(あくらつ)なるやつばらの罠にかかって欲しくはないのだよ」


「岡村殿…」


「せっかくこうして大目付として我らの仲間に召し加わったのだ。仲良くやろうではないか」


 直恒(なおつね)はそういうと、景元(かげもと)の手を取った。それで景元(かげもと)も少しは怒りが和らいだものの、相変わらず己を気遣う、「先輩」の直恒(なおつね)の姿を目)ま)の当たりにして景元(かげもと)はいよいよ、直恒(なおつね)を始めとする四人の「先輩方」に申し訳なく思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る