いつか出逢ったあなた 6th

ヒカリ

01

「あっつ…」


 外から、早すぎるでしょ。と思わせる蝉の声。

 じっとしてるのに汗が出て来る。


 暑い!!

 五月なのに、真夏なみ!!

 このまま夏になったら、それこそ裸で通学しなきゃだよー!!


「う~…」


 眉間にしわを寄せたまま、下じきでパタパタと扇いでると。


「少し早いですけど…」


 先週から来てる教育実習生が、時計をちらっと見て頭をさげた。


「やりっ、終わり?先生」


 教室のあちこちが、急ににぎわう。


「きりーつ、れいっ」


 忙しく号令がかかって、クラブに行く連中が部室に向かうのを眺めてると。


「あー、クラブのある人達って忙しーい」


 まいが、巾着袋を振り回しながらやって来た。


「その点、帰宅部のあたし達は優雅よね。しきちゃん」


「まーねー…でも暑くて帰るのもやだー…」


 バタン。と、机に突っ伏す。

 ほんと…暑いの苦手。

 あ、でも寒いのも嫌いだ。


「織ちゃん、髪の毛梳かしていい?」


「うん」


 前の席に座った舞は巾着袋から櫛を取り出して、ゆっくりとあたしの髪の毛を梳かし始めた。

 ああ…眠くなっちゃうなあ。


 舞は時々こうやって、あたしの髪の毛を梳かしてくれる。

 世話好きな親友。


 商店街にある反物屋「岡本本店」の一人娘。

 いつも持ってる巾着袋には、女の子に必要な七つ道具が入ってる。

 ハキハキしてて明るくて、時々ドジな所が憎めない。

 成績はあまり良くないけど、『女に学は必要ない』が座右の銘?らしい。



「あ、りくちゃんだ」


 言われてグラウンドに目をやると、あたしの弟の陸。

 舞が陸とあたしを見比べて、小さく笑う。


「何?」


「ほんっと、よく似てるよね。陸ちゃんの髪の毛が長かったら、絶対間違えちゃう」


「見た目は、ね?舞だって、陸が学校一歩出たら別人になるのは知ってるでしょ?」


「学年一優秀な陸ちゃんが、この辺占めてるの知ったら…先生達、泡吹いちゃうね」



 ―陸は。

 常にトップの成績、スポーツ万能、そのうえ愛想のいい奴で、めちゃくちゃ先生達に可愛がられてる。

 でも、大人は知らない。一時期…陸が荒れてた事。

 

 正体の分からない憤り。つまり…反抗期ってやつだったのかな。

 あたしにはそんなもの来なかったけど、陸は学校を出ると常に不機嫌で。

 家にもろくに帰らないで、一晩中あちこちでケンカしたり…


 本当、あの頃はシャツに血を着けてない日はないぐらいだったなあ…

 自分のじゃなく、他人の、血。

 あたしがいくら口やかましく言った所で、陸は聞く耳を持たなかった。

 それでも学校は休まなかったし、校内ではおとなしくしてたから…まあ、あたしもそれ以上は口出ししなかった。


 今は、どこで出会ったのか…ギターという趣味を持ったおかげで、すごく落ち着いた陸。

 健全過ぎて笑っちゃうけど、ケンカで誰かを傷付けたり、陸が傷付いたりするのは嫌だから…安心だ。



「舞ちゃん、二階堂にかいどうさん、バイバーイ」


「あっ、バイバーイ」


 廊下から声を掛けられて、舞が元気な声と共に手を振る。

 あたしは机に突っ伏したまま、小さく手を振った。


「なんで『二階堂さん』なんて呼ぶのかな。『織ちゃん』でいいのにね」


「仕方ないんじゃない?あたし、みんなと話さないし」


「もー、織ちゃんももっとクラスに打ち解けようよー」


「んー…苦手だなあ…」


 あたしは―

 陸とは違って自分から人に打ち解けることもしないし。

 親友は舞だけ。

 家族は陸と二人きり。

 物心ついた時、すでに親はいなかった。


「織ちゃんから声掛けないと、みんなからは気が引けちゃうんだよ」


「どうして」


「だって、織ちゃん綺麗だもん。モデルみたいって後輩も言ってたよ」


 あたしと陸はクォーター。

 親の事は何も知らないけど、近所のおばさんが『お母さんはハーフでモデルだったのよ』って教えてくれた。

 茶色い髪の毛は母親譲りらしい。

 その髪の毛のせいで、目だってしまうのだけど。 


「あー、ダメだ。気持ち良くて寝ちゃいそう」


 あたしが髪の毛を梳かしてる舞の手を取って言うと。


「あーん。織ちゃんの髪の毛梳かすの楽しいのにー」


 舞は唇を尖らせながら『また明日ね』とつぶやきながら、巾着に櫛をおさめた。


 そこでようやくチャイムが鳴った。

 そろそろ帰ろうかと立ち上がると…


「織」


 グラウンドにいたはずの陸が、教室の入り口に顔をのぞかせた。


「ん?」


「待ってろ」


「え?なんで?」


「いいから。着替えてすぐ来る。あ、舞」


「えっ?」


森魚もりおが一緒に帰ろうってさ」


「えっ…」


 突然の報告に、舞は真っ赤。


「どっどっどどどうしよ…織ちゃん」


 坂本森魚さかもともりおは、陸の悪友で。

 舞とはお互い意識し合ってるくせに進展がないとゆう…


「いいじゃない。一緒に帰るついでにデートの約束でもしとけば?」


「無理っ!!無理無理!!」


 そう言いながらも、巾着からリップを取り出す舞。


「明後日の土曜、ピーターパン(雑貨屋)に買い物に行きたいから、付き合ってって言ってみたら?」


「ぎゃ―――!!無理―――…って、明後日は本当に無理なの」


 盛り上がって来た所で、舞は急に冷静になって。


「明後日さあ、父さんが帰って来るのよねー」


 って、少しうんざりな顔をした。


「父さん?舞の?」


「うん。半年ぶりの再会」


「それならもっと嬉しそうな顔したら?」


「思春期の女子に、父は鬱陶しいだけよ」


 そんなものなのかなあ。


 舞の父さんはめったに家に帰ってこない。

 舞も父さんの本当の職業は知らないようで。


「きっと船乗りよ」


 なんて言ってる。



「織、帰るぞ」


 教室に顔をのぞかせた陸の後ろで。


「……」


 拗ねたような唇の森魚が、赤い顔してるのが見えた。

 …何だか、さっきから違和感だらけ。


「じゃあね、舞」


「うっうん…」


 固まってる二人を残して、陸とあたしは教室を出る。

 階段ですれ違った先生に『今日は木曜なのに一緒に下校?』と、言われた。

 …確かに。

 あたし達は、毎週火曜日だけ一緒に帰る。

 近所のスーパーで買いだめするから。

 それ以外の曜日に一緒に帰るなんて…周りから見ても違和感…と。



「陸」


 靴箱で履き替えてる陸の背中に声をかける。


「んあ」


「森魚が舞に一緒に帰ろうって、嘘でしょ」


「キッカケぐらいやってもいいだろ」


「先輩さよならー」


「おう」


 人気者の陸に、後輩の女の子たちが声をかけてく。

 あたしはまだ靴をはいてる陸の前に仁王だちして。


「何企んでるの?」


 すごんだ。


「…は?」


 前髪をかきあげながら、怠そうな顔の陸。


「火曜日じゃないのに一緒に帰るって」


「たまにはいーだろ。さ、帰ろう」


「……」


 どう見ても、うさんくさい。

 グラウンドを突っ切る陸の足取り、いつもより速いし。 


「…ねえ、何隠してるのよ」


「何もないって」


「嘘ばっか」


 唇を尖らせて陸の隣に並ぶと。


「織」


「何よ」


 陸は校門を出る手前で突然足を止めて、あたしに向き直った。


「ここを出たら、うちに帰るまで後ろ振り向くな」


「…え?」


「それだけ」


「ちょちょっと、それ何よ…」


 そんな事言われると…むしろ振り返りたくなる。

 だけど、陸が珍しく真剣な顔してるから…


「ねえ…」


「黙れ」


「なんで?」


「いいから」


「あ、そ。教えてくれるまで帰らない」


「織」


「だって、陸おかしいんだもん」


「……」


 陸は無言であたしの腕を引っ張ると。


「…尾行られてる」


 小声で言った。


「え?」


「三人組の男」


「…それって…何…危ない感じ?」


「どうかな…とにかく、早く帰ろう」


「……」


 歩くペースを陸に合わせた。

 少しだけ後ろが気になったけど…陸の言うとおり、振り向かずに帰った。


 いつも庭木戸から入って、鍵も掛けない縁側から家に入るのだけど…

 今日は珍しく玄関から家に入って、一階も二階も鍵をチェックした。

 カーテンを閉めて、その隙間から外を眺めた。


「…尾行られてた気配って…あった?」


 小声で問いかけると。


「途中から消えたかな」


 陸は大きく溜息をついて、その場に寝転んだ。


「…もしかして…調査に来たのかな…」


「調査?調査って何……あ…」


 あたしの言葉に陸は何か気付いたのか、顔をしかめてうなだれた。


 あたしと陸は…この二階建ての家に二人で暮らしている。

 昔は親戚と名乗る高齢の他人(これは後から判明したのだけど)と一緒に暮らしてたけど、そのばあちゃんが死んでからは、ずっと陸と二人きり。


 その生活に疑問がなかったわけじゃない。

 あたし達の身元引受人で、暮らしてる家の名義…甲斐正義かいまさよし

 ちなみに…一度も会った事はない。

 だけど、身元引受人だもの。って事で…


 あたし達は、この春…その人の名前を使いたいだけ使ってしまったのだった…。

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