いつか出逢ったあなた 5th

ヒカリ

01

「おまえ、そりゃあかんやろ」


 斜に構えた晋ちゃんが、怠そうに言った。


「…どうしてよ」


「茶会は、ちゃんと出なあかん」


「だって、晋ちゃんのライヴと重なるんだもん」


「ライヴはいつだって見れるやんか」


「今度のが見たいの」


「だめ」


 あたしは唇を尖らせて、眉間にしわも寄せた。


「んな難しい顔しても、だめ」


「…あたし、楽しみにしてたのよ?」



 今日は久しぶりの、デート。


 高校を卒業して三年。

 今年で21歳のあたし、早乙女 涼さおとめ りょうは、茶道の名家に生まれ育ち…現在たくさんのお弟子さんを抱えている。

 そして、あたしより一つ年上の彼氏である晋ちゃんは…人気バンド『FACE』のギタリスト、浅井 晋あさい しん

 まだメジャーデビューこそしてないけど、インディーズでは間違いなく有望株。


 そんなわけで…お互い多忙な日々を過ごしていて、連絡も思うように取れない。



「今日、おまえ何時までええ?」


「六時ぐらいかな…」


「うち来ぃへん?まーが置いてったビデオがゴッソリあるで」


「うそっ、見たい」


 『まー』とは…晋ちゃんの妹の愛美ちゃん。

 あたしより二つ年下のまーちゃんは…お父さん同士が酔っ払って決めたという『許嫁』と、結婚した。

 つい、先月。

 それには晋ちゃんも、すごく驚いたみたいで…


「世界のDeep Redのキーボーディストが俺の義弟やなんて、恐れ多くて人に言えへんわ…」


 って、本当に誰にも言ってないみたい。


 そう。

 まーちゃんの許嫁は…世界のDeep Redのキーボード担当、島沢 尚斗しまざわ なおとさん。


 まーちゃんから、『お向かいの許嫁のために自分を磨く』とか、『お向かいの許嫁を追って留学する』とか、色々話は聞いてたけど…

 何となく、まーちゃんは夢見がちだなあ~…なんて。

 あたしは、見た事もない『許嫁』を頭の中で妄想しながら、相槌を打ってた。


 結局は留学先で現実を突きつけられた…って、一年半の予定だった留学を、たった三ヶ月で帰って来て。


「あたし、甘過ぎた。目が覚めた。短大に進んで合コンしまくって、超カッコいい彼氏作る」


 って…言い張ってた…んだけど…


 まさかの急展開。


 お相手の方が…まーちゃんをさらいに来た。

 まだ短大に進んで一ヶ月も経ってなかったのに、『卒業まで待てない』ってご両親を説得して、学校も中退して…

 五月に入ってすぐ、あれよあれよと言う間に…まーちゃんはアメリカに。

 そして向こうでジューンブライドとなった。


 短大に進んだばかりだったのに…って、お母さんはボヤいて。

 冗談だったのに…って、お父さんは自分が蒔いた種に涙されたそうだ。

 …でも、まーちゃんの幸せが一番。

 うん。


 あたしは、その急展開を晋ちゃんから聞いて…

 …まーちゃん…すごい!!

 って、震えた。

 そして…羨ましく思った。


 ―本当は、晋ちゃんがあたしをさらいに来てくれる事…夢見てる。


 高校生の時からずっと付き合って来て、お互いの事、解かり合えてる…つもり。

 …だからこそ、晋ちゃんがあたしに『結婚』って言葉を発さないのも…分かる。

 うちは…特殊だし…



「涼?」


 考え事してると、晋ちゃんが顔を覗き込んだ。


「あ…あっ、まーちゃん、ホラー持ってた?」


 晋ちゃんの家に向かうべく、じゃれつきながら問いかけると。


「おまえ、ほんっま、ホラー好きやな」


 晋ちゃんは苦笑いした。


 あたしは去年までホラー映画を見たことがなかった。

 せいぜいテレビでやってた心霊特集。

 だから、初めての「エクソシスト」は、あたしを気絶寸前まで追い込んだ。



「おまえとホラー見ると、耳栓いるねん」


 晋ちゃんが、耳に指を突っ込む。


「いいじゃない。まーちゃんだって言ってたよ?そうやってストレスを発散させるんだって」


「…ま、ええけどな…」



 楽しい。


 結婚は…まだ先でもいいとして。

 ずっと、こんな日が続けばいいのに。

 


「こんにちは。お邪魔しまーす」


 晋ちゃんの家はいつも誰もいない。

 分かってるけど、いつも挨拶だけはしてしまう。



「これでええかな」


 晋ちゃんがビデオデッキに入れたのは…『サスペリア』って映画だった。


「おまえ、何か飲むか?」


「ううん、何もいらない」


「せやな…見てる時って、俺も眼中に入ってへんしな」


「そんなことないよー…」


 って言いながら。

 あたしの目は、すでにテレビ画面。


「……」


 やれやれって顔した晋ちゃんが、あたしの後ろに座った。

 しばらく見続けてると。


「なあ…」


 晋ちゃんの声が、聞こえたような気がした。

 でも、あたしの神経はテレビに集中。


「…襲うで」


 何か言ったな…と思った瞬間。


「出たーっ!!」


 あたしは、絶叫。


「び…びっくりした…」


 晋ちゃんが、胸を押さえてあたしの横に倒れ込んだ。


「だって!!いやーっ…!!」


 眉間にしわをよせながらも。

 あたしの視線はテレビ画面に釘付け。


「涼」


「…えー…?」


 ふいに、視界の晋ちゃんが入ってきて。


「……」


 首筋に、晋ちゃんの唇が…


「なっ…何するの?」


「…もうええやろ?」


「やっ!!」


 あたしは、晋ちゃんを突き飛ばす。


「いてっ!!」


「なっなななな何すんのよっ!!」


 あたしはソファーの陰に隠れて身構える。

 だって…だって!!

 首筋にキスって…!!


「何って…俺らもう5年になんねんで?キスしかしてへんって…変やん」


 晋ちゃんは唇を尖らせて、あたしに近付いた。


「そっ…そんなこと、ないと思うけど?」


「普通やないって。俺ら、キスするまでに三年かかったよな。あの純情なるーでさえ、一年もたたんうちにしてたのに」


「…せっ先輩が言ってた?」


「マノンが言うてた」


「……」


 テレビでは血が吹き出るような場面。

 でも、それどころではなくなってしまった。


 る…るー先輩こと武城 瑠音たけしろ るねさんは…晋ちゃんの同級生で…音楽家のご両親の元、とても大事に育てられたお嬢様。

 彼氏…いや、旦那さんとなった人は、まーちゃんの旦那さんと同じく…Deep Redの人。

 世界的に有名なギタリスト、朝霧 真音あさぎり まのんさん。

 晋ちゃんの幼馴染。


 お嬢様とギタリスト…って組み合わせ。

 あたしは、少なからずとも…自分と重ね合わせてる。

 だって…あたしも一応…お嬢様…ではあるから。

 だから、るー先輩の結婚は、あたしにとって希望の光でもあった。


 その…

 その希望の光が…

 キ…キキキキスを…付き合い始めて一年足らずで経験したと聞いて…あたしは…



「おまえ、俺に嫁にもろてくれとか言うくせに、おかしいやん」


「だって…まだ結婚してないし…」


「結婚せな、セックスできへんわけ?」


 ギャーーーー!!

 そんな、堂々と言わないでー!!


「み…みみみんな、してるの?」


「してるやん」


「……」


 るー先輩は結婚してるからよ。

 って…

 言ってしまうと…結婚を強要してるみたいだよね…


 …結婚したい。

 晋ちゃんと、ずっと一緒にいたい。

 あたしはそう思ってるけど…

 晋ちゃんのバンド、FACEは…波に乗り始めてる。

 今あたしが結婚結婚って言ったら…困る…よね?


 あたしが困った顔で考え込んでると。

 晋ちゃんが、大きくため息をついてうなだれた。



「も、ええよ」


「…怒った?」


「めっちゃ怒った」


「……」


「うっそー」


「もう!!」


「何、涙目なってんねん」


「晋ちゃんのばか」


 チュッ


「……」


「ごち」


「…バカ…」



 …そりゃあ…あたしだって憧れる。

 好きな人と、肌を重ねるって…どんなに素敵な事だろう…って。

 映画でさえ、あんなにドキドキしてしまうんだもん…

 あたし、きっと晋ちゃんとそうなったら…死んでもいい…って思うかもしれない。


 だけど、それと同時に…

 一線を越えてしまうと、この素敵な時間が消えてしまうんじゃないかなって。

 それほどの力を持ってしまってるような気がして。


 あたしは、進むのが怖い…って思ってるのよ…。

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