アル・スハイル 5
眩しい魔道灯の輝きが夜の闇を照らしている。
私とラッセネクは、パーティ会場である、グラズーン家の大きな屋敷の門の前に立ち、大きく息を吸った。
「いきますよ。コゼットさん。僕のことは、ブライアン。僕もあなたをコゼット、と、呼びます」
海軍の制服に身を包んだラッセネクが腕を差し出す。
「はい」
私は緊張しながら、彼の腕をとる。
慣れないドレスに、慣れない靴。何より、ラッセネクとの距離が近い。
ジニアスの時は、心がふわふわしても、どこか安心した自分のものでない腕の体温が、ただ、ただ、緊張を強いる。
柔らかいラッセネクの微笑みに微笑みを返しながら、自分がジニアスをどれだけ思っていたのか思い知った。
広いエントランスを抜け、赤いじゅうたんの敷かれたホールに出た。
個人の家とは思えない、大きな部屋だ。たくさんのひとたちが、きらびやかな衣装をまとっている。奥のテーブルには、色とりどりの香しい香りを放つ料理。そして、楽しそうな音楽が聞こえてくる。
視線を泳がせてみると、視界の端にサネスの姿があった。
ラッセネクは広い会場を見まわしながら、私をエスコートする。
「飲み物を飲みますか?」
ラッセネクは恋人にするように甘く私の耳元で囁く。
「あ、はい」
私は、ぎこちなく頷いた。
今日は、私は、ラッセネクの恋人役。正確には、ラッセネクを恋人だと思い、たぶらかされている愚かな女の役だ。
よく考えたら。ついこの前まで、ジニアスと腕を組んで歩いていた時、いけないと思いつつ、知らず知らずに叶わぬ夢を見ていた。ジニアスはだまそうとしたわけじゃない。のぼせあがったのは、私だけの問題で、愚かなのは私で、ジニアスに責任はない。
自分で志願したことであるけれど、あまりに自分に相応しい役回りに、苦笑いをしたくなる。
「どうぞ」
ラッセネクが甘いワインを私に手渡してくれた。
「ありがとうございます」
私とグラスを合わせ、甘い笑みをラッセネクは浮かべる。演技なのか、本気なのかよくわからないけれど、いっそ、本当に彼にだまされている女だったら楽だったのに、と、ちょっと思う。
「どうしました?」
優しい笑みに私は、微笑み返す。
「ブライアンは、優しいですね」
「それはそうです。本気ですから」
微笑み、ラッセネクは私の腰を引き寄せ抱く。思わず、身体がびくんと震えたが、拒絶してはいけない。
「……僕はあなたが好きですよ」
耳を噛むように、耳元でささやかれ、固まった。どうしたらいいかわからないくらい息苦しい。
「思った以上に、初心ですね」
ラッセネクは私の腰から手を離し、どこかに視線を送った後、苦笑いを浮かべた。
「これくらいにしておきます。僕も、命は惜しい」
ほんの少し肩をすくめ、小さくそう囁いて、彼は再び、私の手を取った。
「バーダンに紹介しますよ。無理はしないでください」
「ええ」
私は少しだけホッとする。同じ緊張をするなら、本来の目的のほうがいい。
姿勢を正して、ラッセネクにエスコートされながら歩く。着なれないドレスは、裾が長くて、床にすりそうだ。とても歩きにくい。
この前。ジニアスとともに出席した時は、ジニアスの影のように後ろを歩いていれば良かった。
訓練された優雅さなど意識する必要もなく、私は、私であれば、それで許された。思えば、それは、ジニアスのやさしさだったのかもしれない、と思う。
今、私の隣に立つのは、ジニアスではない。
違う。
最初から、私はジニアスの隣には立てる人間ではなかったのだ。いつだって、見上げるように後ろからついて歩いただけ。今さらのように、そう気が付く。
「彼ですよ」
ラッセネクがアゴで示した先に、金髪の男がいた。
馬車から降りてきた男達。
頭が割れそうに痛い私は、地面に倒れたまま、男達の姿を眺めている。
黒髪の男が、疲れ切った顔で座り込んでいた。
赤い髪の男が、何か指示をして、何人かの男が、黒髪の男を担架に載せていた。
金髪の男が、大事そうに水晶球を抱きかかえている。
ガクン、と膝がゆれた。
「コゼット」
ラッセネクが心配そうに声をかけ、私の身体を支えてくれた。
「平気です」
私は、目の前の男を見る。かすみの向こうに見える男と同じと、はっきり確証が持てるわけではないけれど、私の記憶を刺激する顔だった。
黙り込んだ私をフォローしながら、ラッセネクが、その男、バーダンに私を紹介する。
私は、自分の指でそっとドレスごしに自分の足をつねり、意識を保つ。
「……コゼット・バーバニアンです」
震える声。少しでも平静を保とうとして、顔がこわばる。
「お噂はかねがね。バーバニアン主席の秘蔵ッコだそうですな」
バーダンは、にこやかに笑う。
「このような美しいかたとは。魔術の才をもち、なおかつ美しい。天はあなたにたくさんのものを与えたようだ」
魔術の才と言われて、思わずラッセネクの顔を見る。ラッセネクは私の驚きを別の理由だと思ったようだ。
「びっくりすることはありませんよ。あなたは本当に美しい」
にこり、と、ラッセネクは私に甘く微笑んだ。
「お世辞はやめてください……」
言いながら、思う。
ひょっとしたら、私が孤児院の『生き残り』であることは知っていても、『魔術が使えない』ことは、知られていないことなのかもしれない。
今まで、自分が無事だったのは、記憶がない事や、監察魔術院が守ってくれたということだけでなく、私自身が『優秀な魔術士に打ち勝った魔術士』という世間の誤解もあったのかと思いいたり、思わず苦笑いが浮かぶ。サネスが、強引に私を監察魔術院に入れたのは、そのためだったのだろう。
「どうしました?」
バーダンが心配げに私を見る。『記憶と同じ』声だ。確信は持てない。でも……。
「失礼いたしました。……知っているかたと、よく似ていらっしゃるので」
勝負どころである。
私はにこやかに微笑んだ。精一杯、虚勢を張って、バーダンの目を見る。
床につきそうな長い裾のドレスで良かったと思う。今、私の膝は、ガクガク震えている。
怖い。
「ほほう」
バーダンの顔がほんの少しだけ、ゆがんだ。
「気のせいだ。コゼット。君の考えすぎだろう。僕はそのために、君をここへ連れてきたのだから」
ラッセネクが、諭すように私に話しかける。
「バーダン氏は、優秀な魔術士部隊の副長だ。そして、僕は、この人のおかげで、出世できそうなのだから」
ニヤリ、と、ラッセネクが人の悪い笑顔を浮かべた。
「君との幸せな未来は、彼が作ってくれる……僕を信じて」
まるで、三文芝居の悪党のようなセリフだ。
私はコクリと頷いて、ラッセネクの腕にすがりついた。
「そうそう、私の義父、ライナル・グラズーンに紹介しよう」
バーダンはにこやかな表情のまま、奥で別の人物と談笑している老紳士に声をかけた。
年齢は五十代前後。柔和な笑みを貼り付けてはいるものの、眼光がとても鋭い。白髪の混じったグレーの髪。
年を感じさせぬ、足取りで、やってきたライナルは、私を一瞬、睨むように見た。憎しみを感じた。
それはそうだろう。私はラッセネクの『脅し』の道具だ。
天下のグラズーン家にわざわいをもたらす、疫病神である。
しかし、老獪な男は、そんな表情をすぐに隠した。
「おおっ、あなたが、バーバニアン主席の秘蔵ッコですね」
ライナルは、先ほどの憎しみを見せた人物とは思えない、優しい笑みを口元にみせる。
「秘蔵……というほどのこともないですが」
私は、正直にそう言った。
「いやいや。監察魔術院といえば、エリート中のエリートの職場。そんな方に、ぜひ、うちの研究室に入っていただけたらと、いつも思っておりました」
「はあ」
ライナルの意図が見えなくて、私は間抜けな返事をしながら、彼の顔を見る。老獪な男の表情からは何も読み取ることが出来ない。
「ぜひ、おふたりで、うちに来てもらいたいと思っているのですよ。バーダン君に話を聞いてからね」
「私も……ですか?」
少しだけ、本当に声が震えた。
「そうだ。バーダン、ぜひ今度、研究室を見せてあげなさい」
「わかりました」
バーダンは頷いた。ここで終われば、社交辞令で終わる。でも。
仕掛けるならここだ、と思った。
「あの……今から、でもいいですか?」
私は声を潜める。
「私、養父にブライアンとのこと、反対されているのです。さらに、監察魔術院をやめるなんていったら、養父になんて言われるか」
私は、遠くで談笑しているサネスの方をチラチラ目を向けた。
「おや? そうなのかね?」
ライナルは面白げに、私たちを見る。
「バーバニアン主席は、軍人がお嫌いでして」
にやにやとラッセネクが笑う。
「では、バーダン、今から、案内して差し上げなさい」
「わかりました。では手配をするから、しばしこちらで」
少しも慌てた様子もなく、バーダンがそう言った。
おそらく、私が言わなくてもそうなるシナリオだったのかもしれない。
私とラッセネクは、楽団のそばのソファで、バーダンを待つことになった。
楽団は美しい音楽を奏でている。
「下手くそだな」
ラッセネクが楽団の方を見て毒づいた。
こんな美しい音色のどこがいけないのだろう、と思い、そちらを向こうとしたら、グイッと急に腕を引いて私の肩を抱き寄せた。
びくん、と震える。
「コゼットは見ないほうがいい」
「ブライアン?」
言われた意味がわからないが、この距離感は、どうにも耐えがたい。
「安心して。これ以上はしないから」
小さな声で、ラッセネクが呟く。
「おやおや、仲のよろしいことで」
揶揄するような声音で、バーダンが現れた。
「馬車のご用意が出来たので、どうぞ」
バーダンにうながされ、立ち上がり、パーティ会場を後にする。
部屋を出る寸前、ふと振り返ると、なぜか楽団のなかで、ひとつだけ誰も座っていない椅子が見えた。
馬車で連れていかれたのは、おそらく、グラズーン商会の敷地であった。
いくつかの倉庫が立ち並び、事務所らしき建物が見える。敷地は広大で、その中で、ひときわ立派な建物があった。
「大きいですね」
私は、目を見張った。グラズーン商会が大きいのは知っていたが、こんなにも大きな研究施設を持っているとは知らなかった。
バーダンは、私たちを中へと案内した。彼が、魔道灯に点灯する。
机の上に雑多に置かれた、見慣れた魔道具。そして、杖。たくさんのエーテルが込められている術具が壁際の棚に押し込められている。
部屋の半分は、何も置かれていない空間になっていて、天井も高い。おそらく簡単な実験場なのであろう。
「あっ」
私は、バーダンの灯した大きな魔道灯の灯の光に、思わず声が出た。
このいろだ、と思う。
赤い飴玉のいろ。ペンダントのいろ。
きらきらとひかる、そのいろは、魔術の種類は違えど、彼の色と同一だった。
「おや、どうかされましたか?」
バーダンが、部屋の片隅に置かれた杖に手を伸ばしながら、私たちの方を振り返った。
「お気に召しましたかね?」
バーダンはそう言って、杖を振るった。部屋にエーテルが渦巻き、力が降り注いだ。
「くっ、僕まで……」
ラッセネクが苦しそうに呻き、倒れた。
これは、傀儡の魔術だ。
少し強力だけど、この程度の魔術なら、『受け入れなければ』私には効かない。
しかし、抵抗したところで、私に何が出来るのか。
私は魔術が使えない。もちろん体術だって。
ラッセネクはかろうじて、『意識』はある程度で、当てにはならない。
私は、考えがまとまらないまま、壁際へと走った。ラッセネクを見殺しにはできないけれど、私一人ではどうにもならない。私は、胸元のペンダントを握りしめ、バーダンを睨みつけた。
「おや、さすがに抵抗できる。優秀なお嬢さんだ」
バーダンは、そういって、杖を振る。
ガツンと、扉の鍵がかかったのが見えた。
「君は、ブライアン・ラッセネクに乱暴されることになっていてね」
くくっと面白げにバーダンは笑った。
「乱暴されて、君の魔力が暴発する。いいシナリオだと思わないかね?」
バーダンは男性で。しかも、魔術士といえど、軍人である
私は、あっという間に、バーダンに組み敷かれた。
魔術には抵抗できても、力には無力だ。
バーダンは、ナイフを使って、私のドレスを引き裂いた。
半裸になった私の身体をバーダンはねっとりとした目でみて、舌なめずりをする。
「ただ殺すには惜しい美しさだ。この大きな胸で、何人の男をたぶらかしてきたのかね?」
逃げようとする私の乳房を、バーダンは手で押さえつけた。
そしてそのまま、もう一度、さらに強力な傀儡の魔術を唱え、術を重ねる。
恐怖にとらわれたせいで、魔術に抵抗しきれずに、身体が痺れ始めた。
もともと、わたしの身体には、バーダンの古い魔力がなじんでいる。効いてしまえば、効果は絶大だ。
バーダンは、私の残った衣服をはぎ取り、ペンダントをむしり取った。
コロンと、音がして、ペンダントが床に落ちる。
「やめろ……彼女から手を離せ」
ラッセネクが自由にならない身体で、かすれた声で叫ぶ。
この世に、これほどの、恐怖と嫌悪があるとは、思っていなかった。バーダンの指が、私の肌を這いまわる。
「いやっ! ジニアスさまっ!」
必死で暴れながら、咄嗟に、私は叫んだ。
「ジニアス?」
バーダンが首を傾げた。
その時、ガッシャーンという激しい爆音が響いた。
「コゼット!」
叫び声がした。ジニアスの声だ。
バーダンが、私を抱えて、杖を振るった。激しいエーテルがジニアスの方へと降り注いだが、ジニアスは気にした様子もない。
当たり前だ。私に効かない程度の魔術がジニアスに効くわけがないのだ。ジニアスは『天才』なのだから。
バーダンは悔しそうに呻いた。
私は、このすきに自力で逃れようとあがいたが、思った以上に身体が痺れている。
「逃げるな」
バーダンが私に命じる。私の身体は、動きを止めた。身体はまだ、傀儡の魔術の影響下にある。
「無駄な抵抗はやめろ。お前の魔術は俺には通じない」
聞いたことがない、冷徹な声。見たことがないほど、冷たい瞳。
ジニアスは、カツカツと歩みを進める。
バーダンは、ニヤリと笑った。
「ならば、このお嬢さんの魔術ならどうかね?」
バーダンは私に命じた。
「この男をお前の魔術で殺せ」
私は、命じられるままに知っている攻撃的な魔術の呪文を唱えた。けど……。
「どういうことだ?」
バーダンは首を傾げる。
私の唱えた、雷を呼ぶ雷撃の呪文は、エーテルを動かしはしない。
動揺で、傀儡の術が緩み、私は、バーダンを突き飛ばす。
強風が吹き、バーダンの身体が宙に浮きあがった。
そして、宙づり状態のまま、高い天井すれすれの上空に制止する。
「さて。聞きたいことがいくつかある」
ジニアスはそう言いながら、上着を脱ぎ、私の肩にはおらせる。よくみれば、これは楽団の人たちが着ていた制服だ。
「な、なにもしらん!」
バーダンは、赤い顔で呻いた。
「なら、死ね。俺のコゼットに触れただけで、死に値する」
ジニアスはそう言って、魔術をすぅっと解いた。バーダンの身体が、空中から落下する。
「ひぃっっ」
絶叫がおきる。
ジニアスの指がすうっと伸び、バーダンの頭が床に当たる直前で、落下が止まった。
「次は、ない」
ジニアスは再び呪文を唱え、バーダンの身体を再び、天井近くまでつり上げた。
「お前、監察魔術士だろう? こんなことをしていいと思っているのか?」
バーダンが赤い顔で叫ぶ。
ジニアスはふっと笑った。
「貴様も、軍の魔術師だろう? コゼットにしたことが合法だとでも?」
ジニアスは、そういいながら、男の頬をかすめるように、気弾を放った。
「心配してくれなくても、俺もプロだ。どうやったら俺の魔術の痕跡が残らないか、よく知っていてね」
みたこともないほど、ジニアスは凶悪な顔で笑う。相当、怒っている。
「わかった! 話す、話すから、殺さないでくれ!」
バーダンが泣き叫ぶ。
ほどなく、ワイズナーが現れ、バーダンは逮捕された。
私は、ジニアスに抱きかかえられたとたん、安堵のあまりに、意識を手放したのだった。
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