第16話 ヴェルテ神殿の奇跡



「なあ、彼女だけは助けてもらえないか?」


 弓が向けられる中、リョウが懇願した。まだ、ビームソードは構えたままだ。


「だめだ。たとえ女といえども、このような鉄の意志を持つ者ならば、必ず我らに仇なす存在になる」

「しかし……」


 ロベールのにべもない拒絶に言い返そうとすると、腕に手が添えられたのを感じた。アリシアだった。


「リョウ、私のことはもういいの。覚悟はできているわ」


『まだ諦めるな、必ず助ける』


 リョウは、遠話を送って彼女の手に自分の手を重ねた。

 だが、彼女は静かに微笑みを浮かべるだけで何も言わなかった。

 その微笑みが健気けなげでかえって痛々しく、胸に突き刺さる。


(くそっ、なんとかならねえのか……)


 必死で策を巡らせつつ、周囲に目を配り状況を確認する。

 今二人は、本殿の一番奥、祭壇から少し右に離れたところにいる。

 本殿への入り口は一つだけ、しかも祭壇側から見て最も遠い正面にある。そこに到達するためには、数十人の騎士団を越えていかなければならない。

 だが騎士たちは、完全臨戦態勢で入り口までのルートをふさぐように大きく横に広がり、半数が弓をこちらに向けている。

 自分が無理やり突っ込んで、その隙にアリシアだけ逃すこともできそうにない。


「よかろう」


 ロベールが満足げに声を張り上げた。


「我らとしても、ロザリア様のお眠りになるこの神聖な場所で、これ以上の騒動は起こしたくない。武器を捨てて、我々に同行してもらおう」


(そうか!)


 そのロベールの言葉を聞いて、リョウはひらめいた。


(ロザリアの体を盾に取れば、ここから出られる)


 彼らは、ロザリアを崇拝している。彼女の身に危険が及ぶような真似は絶対にできないはずだ。

 祭壇までの距離は数メートル。

 祭壇は石造りになっているため、背後に回ればいい遮蔽物になる。

 おそらく、ロザリアの体を傷つけることを恐れ、弓も撃ってこないだろう。

 あとは、彼女の体にレイガンを突きつけ、ここから自分たちを逃がすよう脅せばいい。


 ただ、無防備な少女を人質に取るという手段は、唾棄すべきほど卑怯なだけでなく、もう一つ大きな問題をもたらすことに気がついた。


 これをやったが最後、教団の激烈な憎しみを買い、永久に敵に回すことになる。

 それだけではない、おそらく国のお尋ね者にもなるだろう。


 たとえ、ここから生きて出られても、その後、地獄が待っているのは間違いない。こんなものにアリシアを巻き込むことはできない。


 とはいえ、何もしなければここで死ぬ。

 リョウは迷った。

 そして、それでも、もうこれしかないと思い始めたとき、別の考えが頭に落ちてきた。


(……いや、待てよ。そうだ、まだやりようはある……が)

 

 正直言ってこれも、あまりやりたくない方法ではあった。

 とはいえ、彼女を盾に取るよりマシに思える。

 

「どうした、往生際が悪いぞ」


 ロベールが苛立った声を張り上げた。

 もう猶予はない。

 リョウは、心を決めた。


『リズ、やむを得ん。ロザリアを起動させろ』

『了解。でも、すぐにシャットダウンしちゃうわよ』

『構わん。そして、彼女が目覚め次第、こちらの状況をデータで送ってやってくれ。あと、今から言う指示も彼女に頼む』


 リョウは、詳細を念じリズに告げた。


『了解。彼女のメモリに送っておけばいいわね。……起動ポートに接続完了。ロザリアの起動シークエンス開始したわ』


 リョウは祭壇に目をやった。

 しかし、一向に動く気配はない。

 リョウは、背中に冷や汗が流れるのを感じた。


(やはり、無理なのか……)


『今、先に自己診断プログラムが動いてるみたい。ちょっと待って』

『そんな悠長な……』


 一方のロベールは、これ以上待つつもりがなかったらしい。


「全く、この期に及んで面倒な。おい、どうせ抵抗はしない、やつらをひっ捕らえろ。このまま刑場につれていく」

「はっ」


 そして、数人の騎士が警戒しながら寄ってきて、リョウとアリシアの体を横から掴んだ。

 リョウはビームソードを消して床に落とす。

 アリシアは騎士たちに激しく引っ張られながらも、どうしたらいいのかを問いかけるようにリョウを振り返った。


『今はおとなしくしてくれ。俺に考えがある』

『分かったわ』


 二人は、屈強な騎士に抱えられるようにして、祭壇の前を横切り、ロベールの元に連れて行かれた。


「無駄な手間を取らせおって。では、行こ……」


 だが、彼は最後まで言い終えることができなかった。

 その目は見開かれ、目の前のリョウを通り越して、ただ一点を凝視していた。

 ロザリアの眠る祭壇を。

 その様子に気が付き、リョウも振り返った。そして、ついにその時が来たことを知る。


 ロザリアが動き出したのだ。


(頼む、起き上がってくれ)


 半ばに祈るような気持ちで、見つめる。

 彼女は重篤な故障を抱えており、起動後すぐにシャットダウンすると聞いていた。

 そうなる前に、こちらの指示通りに動いていくれるかは、賭けだった。

 ゆっくりと、上半身が起こされていく。


「ああっ」

「あれを見ろ」


 騎士たちも徐々に気が付き始めた。


「おおっ」

「ロザリア様が……」

「ロザリア様がお目覚めに……」


 それはあっという間に広がり、もはや全員が、彼女の姿を呆然と見つめていた。

 彼らの顔に浮かんだ表情。それは、ほとんど恐慌に近い畏怖だった。

 彼女は千年の間眠り続けてきた神の使いである。それが、今ここに目覚めようとしているのだ。


 今や、彼女は上半身を完全に起こしている。そして、周りを見回すと、両足を祭壇からおろし、ゆっくりと立ち上がった。


「奇跡だ……」

「ロザリア様の奇跡だ……」


 騎士たちは、これ以上彼女の御前で突っ立っていられないという様子で、一斉にその場で平伏した。その音が本殿内に鳴り響く。

 ロベールですら、顔面蒼白で片膝をつき、深く頭を垂れていた。


 立っているのは、ロザリアのほかは、リョウとアリシアだけだった。

 そして、アリシアも呆然と立ち尽くしている。


「こ、こんなことって……」


 彼女は、ロザリアが神の使いではないことは知っている。しかし、それでも、畏敬の念を抱かずにはいられない何かが、ロザリアにはあるのだ。


「皆の者。大儀である。私は、神の使徒ロザリア」


 彼女の声は年相応の少女のものだったが、威厳に満ち、そして、神秘的な響きを帯びていた。

 そして、まるで全員を受け入れるかのように、両手を前に広げた。薄手の白いローブと相まって、まさに神使にふさわしい神々しさだった。


「ははーっ」


 騎士たちは、首を深く垂れ、恭順の意を示す。


「これまで長き眠りについていましたが、今日この日、このように仮初めに目覚めたのは理由があります。そなたたちの長は誰ですか」


 ロベールが膝をついたまま、緊張の面持ちでずいっと前に進みでた。


「お、恐れながら、ロザリア様に申し上げます。私は、ヴェルテ騎士団副総長ロベールと申す者。総長不在ゆえ、私が代わりにこの者たちの長を務めております。このようにロザリア様に御意得ましたこと、誠に望外の僥倖にて、恐悦至極に存じます」

「ロベールとやら」

「はっ」


 名前を呼ばれて感動したのか、ロベールの頰が紅潮した。


「なぜ、お前たちは、ここにいるリョウとアリシアをしいしようとするのですか」


 リョウの隣でアリシアが体を硬直させた。いきなり名前を呼ばれたからだろう。「なぜ私の名を……」という顔で、ロザリアを見つめている。


「はっ。そ、それは、この者たちが、ロザリア様のお立場を弱めようとする輩で……」

「なりません!」

「ははぁーっ」


 強い口調に、ロベールは、まるで雷に撃たれたように体を震わせ、頭を深く下げる。


「この者たちを誰だと心得ているのですか。彼らは、私の下僕しもべなのですよ。しかもリョウは私と同じ神の国から来た同胞です。アリシアも、この世界でリョウを助けてくれる役目を担っているのです。よろしいですか、神の御名において命じます。彼らに敬意を払い、金輪際この者たちを傷つけようとしてはなりません」

「ぎょ、御意のままに」

「もしこの者たちを傷つけることがあれば、私はもう未来永劫、この国から去り、神の元へ戻ります。いいですね。騎士団だけでなく、すべての関係者にそう伝えなさい」

「か、かしこまりました。誓って、そのようにいたすでありましょう」


 ロベールが、胸に手を当て、頭を下げた。

 

「いいでしょう。それでは、私はこの者たちと話があります。皆はここから立ち去りなさい」

「お、恐れながら、1つだけお聞かせいただきたいことがございます」

「何でしょう」

「先ほど、ロザリア様は、仮初めに目覚めたと仰せになった。それでは、また永の眠りにつかれるのですか?」

「そうです。今はまだ私が目覚める時ではありません。いずれ、神の御心のままに目覚めるときが来るでしょうが、それは今ではありません。これよりまた眠りにつきます」

「さ、さようでございますか……。ロザリア様をお慕いしておる者が、この国には大勢おります。ひと目だけでもお会いできれば、みな天にも登る気持ちになりましょうものを」


 ロベールが、がっくりと肩を落とす。

 勇気づけるように、ロザリアが言った。


「短い邂逅でしたが、あなた方のように立派な騎士団が私に仕えてくれていると知って、喜ばしい思いです。これからも、私に尽くしてくださいね。私の現し身は眠りにつきますが、私の魂はいつもあなた方のことを見守っています」

「ははっ。身に余るお言葉。我ら一同、ロザリア様の剣として、心の限り忠勤に励む所存にございます」


 自分たちのことを褒められてよほど嬉しかったのだろう。ロベールを始め、騎士たちは顔を紅潮させ、中には泣き出さんばかりの者もいた。


「では、もう行きなさい」

「かしこまりました。全員、整列!」


 ロベールの号令に、騎士団が一斉に従い、隊列を組み直す。


「では、これにてご無礼仕ります」


 この時代の敬礼なのか、全員がこぶしを胸に当て、黙礼した。

 そして、整然と本殿から去っていた。


 やがて足音が聞こえなくなり、再び辺りには静寂が広がった。

 どうやら本当に騎士団が出ていったと分かって、リョウは安堵のため息を漏らす。

 彼は賭けに勝ったのだ。


 騎士団がいなくなったのを見計らって、ロザリアがこちらを振り返った。


「……これでよかったですか? リョウさん」

 

 そして、彼女は普通の女の子のように微笑んだのだった。



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