魔女と呼ばれた彼女

紫乃緒

序:始まりの日

 「血の鎖」というものは厄介だ。決して目には視えぬのに、決して逃れることは出来ない。親子であろうと兄弟であろうと似通う部分はあれど別個体であるはずなのに、どれほど遠くに逃げようとしても影のように潜み、蔦の様に伸びたそれに絡み取られてしまう。

 物心ついた時には既に私は「人生」というものに飽いていて、「自分がそれ以外のものと違う」ということもなんとなく察していた。固い板張りの床、粗末な布団。太く強固な檻。木で組まれたそれは子供の手には固く重く、そこから逃げようとする意志すらも圧し潰してしまうかのような。

 泣いた記憶が、憶えている限りない。

 おそらく赤子の時はあっただろうが、それでも自我を意識した時には既にもう私は全てに諦めを抱いていたし、涙を流すことで現状を変えられるなどとも思わなかった。


 食事を持ってくる下女や下男の ―時に場所を選ばずに― 声を潜めて囁かれる「それ」が、自分のことだとなんとなく解ってしまったのはいつ頃だったか。

「忌み児」。

 自分の外見や姿がどのようなものであるかは解らないが、様々な単語を拾い集めるうちに私は「自分が望まれていない存在」であることを悟ってしまった。この檻の外には世界というものが広がり、そこには親とよばれるものや子供と呼ばれるものが居て、子供と言うものは親から生まれてくるのだと。それは鳥や獣、花や樹々に至るまで「そう」なのだと。

 では、私には親がいるのだろうか。いや、産まれているのだからいるのだろう。だが、私は親の顔も声も何もかもをしらない。


 何度陽が昇り、月が檻を照らしただろう。憶えていない。


 ある日のことだった。私はいつものように檻の隅で膝を抱えていた。手足は氷のように冷たい。身体の末端から死んでいくようにも思えて、私はそれすらもどうでもいいと思った。誰も、何も望みはしないのだ。ならば苦痛や哀しみに満ちた生などどうでもいい。それから解放されるというのならばその方法が死でもそれはそれで構わない。そう思って、頭の重みで身体が傾いていくのもそのままにしておいた。

 がん。鈍い音と鈍い痛みがあった。それだけ。


 ぎし。何かが軋む音がして、またいつもの食事えさだろうと視線すら移動させなかった私の視界に、何かが映った。


「やぁ」


 降りていたその声の響きは聴いたことのないもので、それが自分に向けられたものかどうかさえ私には解らなかった。


「言葉も解らないのかな……まぁいい、わたしは訊くだけだ」


 そこまできて漸く、その音が自分に向けられたものだと気付いた。

 ゆるゆると頭を動かして、音のした方へ向く。


「おや、」


 私の反応は意外だったらしい。感心するかのような、それとも好奇心のような色が声に滲む。

 視えたのは小さな窓から入る陽光を煌々と跳ね返す黄金きんの色。


「問おう」


 その光に目が眩む。


「世界を見たいか?」


「その血から逃げたいか?」


「生きたいか?」


 薄い口唇から放たれる言葉はどれも強いものだった。

 全てを諦め、飽いていた私を奮い立たせるには、その言葉はただただ強く、


「…………はい」


 私は、思わず頷き、答えた。


「ならば来い、わたしと共に」


 ぎぃ、と檻が開かれる。私は思わず立ち上がり、そして。




差し出された手を、取ったのだ。







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