第1章-19

 動けるうちにすぐ動くべし、と翌日の朝餉もそこそこに、晴秋と火白は福禄屋を後にした。雪トと千次は留守番である。余りぞろぞろと鬼を連れて行っては、無用に警戒されるだろうと火白が改めて考えなおしたのである。

 またも雪トとの別行動だが、火白はさして気にしていなかった。福禄屋から今のところ離れることができない久那がいるからこそ、一番信頼している従者に留守を任せたのである。

 雪トにはまたもや主がひとりで行くことを少し渋られたが、そこは強引に押し切った。

 故に火白は、相方になった晴秋と通町を闊歩することになったのである。


「商いでもなんでも、早いことは大事だとうちの親父は言っていたね」

「ふむ。そういうものなのか。おれたちは、百年生きてもまだ若造扱いだからのう。総じて言うと、そういう時の感覚はずれておるかもなぁ」

「ちなみに参考までに聞くが、君、何歳なんだい?」

「おれは百歳ちょうどくらいだ。久那とは同じほどの歳だし、雪トが確か八十くらいだったかの」


 妖たちは、年齢の計算が歳を追うにつれて大雑把になっていくのだし、千年や二千年生きているのだっている。そういうと、晴秋は頭を抱えた。


「種族の違いを感じるね……!というか、久那ちゃんと君は幼馴染みで許嫁なのだね。なんという、読み物のような展開……!」

「読み物言うな。子どものころから共におっただけだ」


 そんなことをぐだぐだと言いながら、不忍池まで歩いて行く。

 この晴秋という陰陽師に、火白はかなり親しみを覚えていた。

屈託ないし、鬼だからと無闇に怯えない。それはそれとして、打ち解けるのが早すぎではないかとこちらが気になるほどだが、それは恐らく千次が晴秋の分まで警戒することで、つり合いを取っているのだろう。


「そういえば晴秋、お主の同業の陰陽師というのは、江戸にはどれくらいいるのだ?」


 思いついて尋ねると、晴秋は肩を大きくすくめた。


「さあねぇ。確かな数は知らないよ。陰陽師と言わずにお祓い屋とか拝み屋とか、様々勝手に名乗って銭を稼ぐものが多いが、そうごろごろとうまい儲け話が転がっている訳でもないからね。それに仕事にありつけてもさ、下手に失敗したら、悪い評判がすぐに建てられてしまうものなのだよ。大店から持ち込まれた憑き物落としの依頼を完遂できなくて、結局江戸を引き払う羽目になったやつもいたね」

「なるほどな。……世知辛いな、陰陽師の界隈。一応おれは、妖の天敵だと教わって育ったのだがのう」

「君たち妖と本気で調伏合戦を行えるような陰陽師なんて、それこそ京の都にいる正統派の者たちだろうさ。土御門って家が有名だねえ、。後は、加茂家だったかな」

「さすがにそ奴らの名前くらいは聞いたことがあるのう」


 遠い西の地にいる彼らのことはともかく、最も身近にいる妖の天敵である職業の人間たちがこれでは、肩透かしもいいところである。


「そもそも最初に長屋で言ったじゃないか、私たちは結構かつかつだってね!尤も今回は、家族の一大事だから金どうこうなんて言っている場合じゃないのだが」


 初対面で、いきなり晴秋が銭と言い出したことを、火白は思い出した。晴秋は実家に住んでいるが、家賃以外はすべて己の陰陽師業の稼ぎで賄っているという。家賃だけは、店を手伝うことで無しにしてもらっているのだ。

 他人の家のこととはいえ、家族には色々あるのだな、と火白は懐手をして歩きながら思う。

 朝の通町は変わらずに賑わっていた。今回は、晴秋も普通の女の格好をして、髪も髷にしていた。どうも、狩衣で目立つことより相手に警戒させないことを選んだようである。

 ふわあ、と欠伸をしつつ、火白は通町に並ぶ店にふと眼をやる。

日の光できらきら輝く飾り玉をくっつけたかわいらしい簪の並ぶ屋があれば、有名な絵師の挿絵入りの読み物が入ったことを声高に叫んでいる本屋もある。軒先には、色鮮やかな版画がぶら下がって、夏の風に揺れていた。

 その喧騒は、正に天下の江戸の町である。将軍様のお膝下、人間たちの日の本の中心に、己が今いるのだという思いが不意にわいてきた。


「この話が終わったら、久那たちと遊びに行きたいのう」


 ひょいと浮かんだ考えを口にすると、晴秋が瞳を輝かせた。


「そりゃあ、いい。久那ちゃんと茶屋でも冷やかしに行けばいいよ。あ、二人で行くんだよ!二人で!雪トくんは置いてね!そっちは千次に任せればいいから!」


 眼をきらりと光らせる晴秋に、火白は呆れたように息を吐いた。


「お主、楽しんでおるだろ。あと、さりげなく弟子を売るなよ」 

「そりゃあね!伊達に歳はくっていないんだよ、私は!面の皮も厚くなろうというものさ!」

「己で言うか、それを。……まあ、おれからすれば皆子どものようなものだがの。歳だけ見れば。山育ちだから世間に疎いのは認めるが」

「ええい、百歳越えのくせに見た目少年の君に言われると腹立つね!久那ちゃんとか、昨日ちょっと見ただけでもすごく肌すべすべだったし!」

「さっき己で言うておったではないか、種族の違いだ。諦めろ。それから久那はずっと昔から、綺麗だ」


 この女陰陽師が、出歯亀のようなことをするなと実の弟に窘められていたことを火白は思い出した。

 他愛なく、くだらない言い合いをしながら通町を抜け、橋に差し掛かる。夏の暑さのなか、川のせせらぎの音が涼しさを感じさせた。鬼である火白にはやはり夏の暑さはさほど堪えていないのだが、それでも山に比べれば江戸は暑い。何せ人が段違いにひしめき合っているのだ。生きている人間の放つ熱気だけでも、相当なものだ。

 げんなりはしないのだが、ここまで人が多い中を歩くのに、火白は単純に慣れていなかった。


「ううむ。まともに向かうと、ちと遠いの、不忍池。屋根の上を走れれば、もっと早く行けるのだが」

「やめておこうよ。さすがに通町で八艘跳びをした日には、翌日のかわら版にでかでか書かれてしまうよ。やるとするなら、町から外れてからだね。昨日の雪トくんがしていたように」

「あいつそういう気遣いうまいのう……」


 そうは言うが、晴秋は人間の女にしては足が強かった。程なくして、二人は不忍池に辿り着く。


「それで、妖くんたちから教わった破れ寺というのはどっちなんだい?」

「こっちだ。池の北だと聞いている」


 不忍池は、蓮の花の名所である。夏の今、池の中には緑の葉が生い茂り、薄紅と白の花弁を持つ花が咲いていた。

 結構な数の人々が、花見物に来ているのだ。


「そうそう。ここは花だけでなく、蓮の葉飯という名物もあるのだよ。今度来てみたまえ」


 蓮の若葉を飯に炊き込み、塩味を加えたもので、蓮の香りが飯に移り、たいそう旨いのだと晴秋は言った。


「ほーう。確かに旨そうだのう」


 呑気なことを言いながら、池の端でくつろぐ人々の横を、陰陽師と鬼の組み合わせは通り過ぎて行く。普通に見れば、年増女と髪も結っていない小僧っ子という少々奇妙な二人組だが、誰かに見咎められることもなく通り過ぎることができた。

 妖たちに教えられた件の寺は、池の周りの人々のざわめきからも遠い、小さな森の中にあった。遠目で見る分だけでも、それが立派な伽藍を備えた、かなり大きな寺であることは見て取れた。


「一体、どうして打ち捨てられたのかのう」

「何か血生臭い話があったのでないことを祈るよ。今時では、寺だって押し込み強盗にあったりするからね。人が殺されたのならば、その場所は見捨てられることが多いからね」


 物騒なことだな、と思いながら、火白は改めて寺を見た。黒い屋根瓦に、夏の日差しが降り注いでいる。よく見れば、厳めしいがどこか滑稽な面の鬼瓦が、こちらを見下ろしていた。

 鬼瓦の空っぽの視線から目を逸らして寺の中にいる人の気配を探る。鼻を研ぎ澄ませば、墓土の湿った臭いも感じ取ることができた。

 気配は────ある。微かだが、この寺は無人ではないのだ。


「この寺、誰かおるぞ。多分、いるのは人間のほうだ」

「わかった。では、話した通り、君はまだここにいてくれたまえ。一度様子を見に行ってみるから」


 そう言って、晴秋は寺の門へと足を向け、火白はその場で立ち止まる。立派な門扉を備えた、門ではあったがやはり人の手が入らくなった建物の脆さゆえか、扉の付け根の金具が腐り落ちて、左の板が傾いていた。

 寺の敷地には草が生い茂り、じっとりと湿った生温い空気が着物越しに染み込んでくるようだった。藪蚊の羽音も聞こえ、火白は手を払って蚊を避ける。

 その廃寺の門を、晴秋がくぐろうとした、そのときである。

 火白は首筋にちり、と焼けつくような何かを感じた。


「晴秋、止まれ!」

「うわっひゃあ!」


 咄嗟に叫び、立ち位置を入れ替えるようにして、火白は晴秋の前に飛び出た。突き飛ばされるようになった晴秋の口から頓狂な悲鳴が飛び出たが、そんなことに構ってはいられない。火白が門の前に出た途端、敷地内の石灯篭の影から竜の形をした紫電が大気を切り裂いて立ち上った。


「っ!」

「火白くんっ!?」


 避ける間もなく、竜の形の雷が火白に直撃する。

 ばりばりと大気が焼かれる鈍い音が、辺りに木霊するのだった。

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