第3回

 いよいよ講義が始まった。入塾式の後、一週間ほど経ってからである。

 その間に、学力診断の結果によるクラス編成とテキストの配布が行われた。また、オプション講義の申し込みもあった。

 オプション講義は定められたカリキュラム以外の講義である。ある人にはカリキュラムの中に組み込まれているが、別のある人には組み込まれていない。そういった場合にオプションでその講義を取るということが可能である。

 それがしは経田と一緒にその申し込みに出かけた。申し込み開始は一時からなのでそれまでに着けばいいとそれがしは考えていた。

 しかし、経田が「そんなに甘くはない。それでは取りたい講義も取れない。九時に行っても間に合わない。朝の七時くらいから並んでいる奴もいる」と大げさなことを言う。

 コンサートやスポーツのチケット発売開始じゃあるまいし、そこまでする奴はいないだろう、とは思ったものの、経田に強く押され、仕方なく朝早く家を出た。

 八時二〇分には塾の受付前に着いた。けれども、そう大して並んでいない。また、経田に担がれたか、こんなに早く来ることもなかった。どうやって時間を潰そうかと考えていた。

 しかし、それがしたちが着いてから数分経っただけで、後ろに一〇〇人以上並んだ。経田の言ったことは、あながち根拠のないことではなかったのだな、と思った。心の中で経田に謝っておく。並んでいる中に中学時代の同級生の姿があった。別段仲が良かったわけではないので、話しかけなかったし、話しかけても来なかった。

 八時半過ぎに整理券が配られたので、もはや並んでいる必要がなくなった。二階のラウンジで休憩しながら外の様子を窺っていたら、建物の外にまで行列ができていた。遅く行って取りたい講義は取れたとしても、長時間並ばされるのが嫌いなので、早く来てよかった。経田に多少なりとも感謝した。

 ベンチで経田と他愛のない話をしたり、学食でゆっくり時間をかけて昼食を摂ったりして、受付までの時間を何とか潰した。

 それがしは受講したかった講義をとることができた。経田も取りたいものは取れたようである。


 

 暇だったので、家に帰る前に名古屋駅で高級車を眺めていた。

 駐車してある車や走っている車を、あれは何々だ、あれは何々だと経田が教えてくれる。しかし、全くと言っていいほど車に興味のないそれがしには、どれもこれも同じように見えた。

 もちろん、バンとかセダンとかSUVとかといった車の種類や、エンブレムなどでメーカーの名前、その程度の判別はそれがしでもできる。けれども、経田の場合は車種の年式などまで、一々説明してくれる。まるで、というか、まるっきり子どもだ。

 そういえば、経田は幼稚園のころから車が好きだったよな。家に遊びに行っても、車の絵本やミニカーばかりだった。

 今は、経田のベッドの下には、車の雑誌やらカタログやらが無造作に押し込まれている。何を思ったか、中古車の情報誌まである。買う気なのだろうか、収入もないのに。

 経田に合わせると日が暮れてもやっていそうだったので、それがしが帰宅を促した。



 高校や大学で教わった先生の誰よりも、予備校で教えてもらった先生の印象が強い、それゆえ、大学の講義が物足りなく感じる、という人がいるらしい。

 それがしは、浪人の身ゆえ、当然のことながら大学の講義を取ったことはないので、大学の先生については知らない。そのため、高校の先生と比較してみる。 教える教科の内容については当然ながら共通するが、高校の先生より塾の講師の方が絶対的に少数だ。アンケートなどで人気のない講師は、担当コマ数が減っていく、もしくは担当から外される、という話を聞くので、塾の講師の方が競争は熾烈で、必然的に教え方が上手だとか、人をやる気にさせるとか、特異性を有する講師が残るのではないだろうか。それゆえ、受講生の印象にも残りやすいのではなかろうか。

 実際、講義を聞いてみても、印象深い講師が多いように思う。


 入塾式で講演をした玉崎先生は、それがしの英語構文の担当だった。今年はついている、素直にそう思った。

 経田情報によると、玉崎先生は結婚をしてその人気はやや落ち着いたそうだ。結婚を発表したときは、結婚するのを止めてくださいと嘆願する女生徒たちに取り囲まれたとか。身長は一七〇半ばぐらいだろうか。すらりとした体形をしている。黒いスーツをトレードマークとしており、某ブランドのものばかりだそうだ。これも、経田情報による。

 それにしても、経田はどこからこういう情報を集めてくるのだろうか。

 それはさておき、ネクタイまで黒いのも徹底している。それでいて、喪服には見えないところが、玉崎先生の着こなしによるのか、某ブランドの卓越したところなのか分からない。

 玉崎先生は、最初の講義でこんなことを話した。

「入塾式では言い足りなかったので、少しここで繰り返します。諸君らも初回はどうせ冷やかし程度に考えて、予習はしてないでしょう。聞きたくない人は寝ていてください。出て行っても一向に構いません」

 ここで、玉崎先生は少し間を取った。

「始めてもいいですか。実はほっとしているんですよ、出ていく人がいなくて(と、実際に胸を撫で下ろして見せる)。寝ている人もいませんね。良かった。では、始めましょうか」

「受験勉強をゲームとして捉える、ってことですけれども、誤解のないように言っておくと、馬鹿にしているわけでは毛頭ありません。馬鹿にしているのなら、塾の講師なんてやっていませんから。

 繰り返しますが、受験勉強は学問というよりも、むしろある種のゲームとして捉えた方がより適切だと思います。と言うのは、やることが、また、目的がはっきり決まっているからです。やることと言ったら試験でいい点数を取ること。目的と言ったら大学に入ることです。それ以外にありません。これは、学問の有り様とは異なります。

 学問は自分で問題を立て、そしてそれを探求して行かなければなりません。諸君らも大学に入ったら感じるでしょう、何のための受験勉強だったのだろう、と。受験勉強など全く役に立たないことを知るでしょう。順当に行けば一年後、遅くても、まぁ数年の内には入っておいてください。

 言った端から自分の言葉を否定するのも何ですけれども、『全く役に立たない』と言うのは誇張表現でありまして、本当は役に立っているんですよ、分かっていないだけで。

 話を本筋に戻します。

 ゲームと言うのは、合目的性の内に成り立ちます。つまり、目的が存在し、かつ、その目的はあらかじめ設定されたプログラムの範疇にしかありません。例えば、あるRPGがあるとします。ボスキャラを倒すのを至上命令として、経験値を上げ、装備を充実させ、技を覚え、それに習熟します。

 そして、小刻みに設定された目標をクリアして最終的にボスキャラを倒し、ハッピーエンディング、それでおしまい。

 お姫さまと結婚して終わらせようと思っても、最終目的がボスキャラを倒すことにある以上、それは終わりではありません。

 ゲームを支配するアルゴリズム、つまりルールを外してはいかなるゲームも成り立たなくなります。フットボールをしているのに、ボールを手に持って走る、あるいは、馬に乗ってフィールドを駆け巡ることってできないでしょう。

 では、受験という名のゲームのルールは何か。

 ここまで鼻息荒く語ってきたけれど、立ち止まらざるをえなくなります。問題なのは、受験のルールは不可視、目に見えないことにあります。成文化されているとは言えないし、様々な人の間で見解の相違もあるでしょう。私が受験のルールは○○だ、と明言しても、それはあくまで推測、玉崎仮説の域を出ません。

 そうであっても、例え仮説であったとしても、有効でないとは限らないし、ほとんど確かだと思われるルールもあります。それは、受験問題は出題範囲が限定されている、閉鎖系であること。そして、得られる点数がすでに設定されていること。ゲームは完結しています。ただし、そのルールの全ては分かりません。

 ゲームを支配するルールを探す、このこともまたゲームの中に組み込まれているのかもしれません。『受験勉強など全く役に立たない』とう言葉を先ほど否定しましたが、その根拠はつまりここにあるわけです。

 最後の方は、自分でも未整理な問題ですので、矛盾を感じる人や、こじつけだと思われる人もいるとは思います。そういう人は、後は自分でやってください。私が皆さんのお手伝いをできるのはここまでです。一つ言えることは、受験は私が参加するゲームなのではなく、諸君らが参加するゲームである、ということです。

 以上で、受験はゲームとして扱った方がいいという話を終わります。ご拝聴ありがとうございました」


 それがしには、もう一つしっくりこなかったものの、だからと言ってそれがしに意見がある訳でもなく、素直に納得するには疑問が残る。

 玉崎先生はペットボトルの水を飲み、一息ついてから続けて、

「理論面はこれぐらいにして、実践面に移ります。実践面はおいおい講義の中で示して行きますが、ここで一つだけ言って終わりたいと思います。

 受験勉強なんて集中的にやらないといけません。あれもこれもと欲張っていたら、どれもこれも駄目になります。先ずは一つの教科に集中して、前期はひたすらそれだけに没頭してください。そうすれば、集中的にやっている分、勉強のノウハウも早く身につきますし、他の教科にも応用が可能となります。

 何も英語をやれ、とは言いません。数学でも、世界史でも、日本史でも。でも、英語をやっておいた方がいいんじゃないかな、入試で英語を課す大学は多いですし」


 その後は、雑談のような話をして最初の講義を終えた。雑談と言っても、英語や入試に関係のある話だ。興味深かったのは、英語のテストでいい点が取れるからって英文科に進むのは馬鹿だ、という話だ。

 確かに、日本史が得意だから、史学部日本史学科に進むのは順当といえる。国語も同様に文学部日本文学科に進むのもありだろう。しかし、英語の点数が良いからといって、英米文学に興味がある訳ではないだろう。英語の勉強が得意で、英文科に進んだものの興味を持てず、退学や学部の移動をする人は少なくないらしい。同じ語学と言っても、国語で求められているレベルと、英語で求められているレベルは違う。

 そういえば、アメリカから来た交換留学生と話したとき、日本の高校で習う英語は小中学校ですでに終えていると言っていた。その交換留学生は女の子だったのだが、彼女は授業中に一人図書館で自習をしていることがあった。そんな彼女に、木田と二人で話しかけたのだった。キャシーという如何にもアメリカ人という名前だった。

 前述した、高校を卒業してからも高校で木田と会っていたときのことだ。


 

 漢文の藤井先生、英文法の中井先生の話も興味深かったが、玉崎先生以上にインパクトがあったのは現代文の牧村先生かもしれない。

 

 講義が始まる前にすでにそれがしは驚いた。三〇〇名は座れるのではないかという広い教室にもかかわらず、立ち見の生徒までいたからだ。それに教壇の演台上には缶ビールが一本置いてあった。

 五時になって始業のベルが鳴り、牧村先生が入ってくる。頭はつるつるに剃ってある。心なし頭頂部が少しとがっているように見える。耳の上部も心なしかとがって見える。

 教壇に上がるとすぐにビールに気がつき、「気が利くじゃないか」と言って美味しそうに飲み始めた。

「やはり仕事の後のビールは格別だね、あ、まだ終わっていないか。でも、欲を言えば、これよりも○○の方が好みかなって。別に催促している訳ではないよ、催促している訳では」

 と、露骨に催促しているのだけれども、愛敬を覚える。


「君たちは選ばれた人間だ」

と、唐突に言った。

「現役なんかで大学に入る奴は頭が悪い。何も分かってやしない証拠である。その点、君たちは頭がいい。浪人しただけではなく、こうして私の講義を取っているのだから」

 冗談とも本気ともどちらとも判断できない語り口で、最後まで話しっぱなしだった。最後までと言っても、この講義は本来ならば六時半に終わるはずなのに、三十分以上延長してもなお、話し足りない風であった。

 最後は、テキストの表紙に「塾内限り」という記載がなされている理由について触れ、何かあったときにと自宅の住所と電話番号を黒板に書き記して終わった。「塾内限り」という記載がなされている理由は、牧村先生いわく以下のようであった。

「それは十二月のことだった。講義がまだ終わっていないのに、校舎を締め出された私は、二十名ぐらいいたかな、塾生を引き連れて黒板を探してさまよい歩いていたわけよ。黒板があり、かつ、建物の中という条件は中々揃わない。某予備校の教室を拝借しようと思ったが、すでに閉まっていた。

 一つ思い出したのはJRのみどりの窓口。みどりの窓口へ行くと案の定、まだ開いていた。ここでようやく講義の続きができたんだね。めでたし、めでたし。 しかし、異様だったのだろうね、あんなところに固まって講義をしているのは。その翌年からだよ、テキスト表紙に『塾内限り』という記載がされるようになったのは。それ以前はなかった。だから君たちも『塾内限り』という記載を見るたびに思い出してください、みどりの窓口の哀しい話を」

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