卵 らん

雨世界

1 白魚 君がわたしにくれたもの

 卵 らん


 プロローグ


 さあ、恋の季節の始まりです。


 私だって、恋をするんですよ。……本当ですよ。(小さな声で)


 白魚


 水の温度


 君がわたしにくれたもの


 君に会いたかったんだ。 


 水の中を泳ぐことが大好きだった糸川白魚が水が怖くなって泳げなくなったのは、いつも上手に泳ぐことができていた近所の大きな川の中で、一度、溺れてしまったことが原因だった。

 それ以来、白魚は水の中を泳ぐことができなくなった。

 湖南小学校。激しい雨の日。

 その日は朝からずっと大雨が降っていた。どれくらいの大雨かというと、小学校から下校する時間が少し遅れるくらいの大雨だった。(大泣きする子供みたいだと思った)

 窓の外では、その向こう側にある風景が見えないくらいに強く雨が打ち付けていた。(それはまるで、駄々をこねる子供のようだった)

 その雨の中を散歩した白魚は風邪を引いて学校をお休みした。どうして強い大雨の中を散歩したいと思ったのかは自分でもよくわからなかったのだけど、そうしたくってたまらなかった。

 熱は高熱で病院に行ってお医者さんからもらった薬を飲んでも、全然下がらなかった。

 白魚は高熱の中で、このまま私死んじゃうのかな? とそんなことを思ったりした。

 ……白魚が目をさますと横に浅瀬小石くんがいた。

 小石くんはずっと白魚の手を握ってくれていたようだった。

「勘違いするなよ。僕が勝手に握ったんじゃない。お前が握って欲しいって僕に頼んだんだよ。熱で覚えてないかもしれないけどさ」と、ちょっとだけ照れながらそう言った。

「風邪うつっちゃうよ」

「そのまま死んじゃうかもしれないよ」

 そんなことを赤い顔をしている白魚はいった。 

「大丈夫だよ。それに、もし、そうなったとしてもその代わりお前の風邪が治るなら、別にいいよ」と小石くんはそう言った。

「君に死んでほしくない」

 と白魚はいった。

(こんなに素直に自分の気持ちが小石くんに言えるのが不思議だった。それは、きっと風邪をひいて死にかけているからだと白魚は思った。これは私の『遺言』のようなものなのだと思った)

「なら、頑張って生きるよ」とにっこりと笑って小石くんはいった。

 そんな小石くんの笑顔を見て白魚はなんだかすごく嬉しくなってにっこりと笑った。

「お見舞いに来てくれてありがとう。小石くん」と白魚はいった。

 それから小石くんは白魚になにかをいってくれたみたいだったけど、その声はあっという間に穴の中に落ちていくみたいに、眠りに落ちていった白魚にはよく聞き取ることができなかった。

 目が覚めると世界は真っ暗だった。

 小石くんの姿ももちろん、いつの間にかその場所からなくなっていた。

 白魚を自分の小石くんがずっと握っていてくれた手をのひらを見つめてから、しばらくの間、本当に今まで生きていて一番幸せな気持ちに包まれていたのだけど、そのあとになって、冷静に今日のことを思い出した白魚ははずかしさで死にたい気持ちになった。

 風邪が治った白魚は学校で小石くんに会うと、「あの日のことはみんな身は絶対に秘密だからね」と(まだ風邪をひいているような)真っ赤な顔をして小石くんにそう言った。

 すると小石くんはいじわるそうな顔をして「さあ、それはどうかな?」とにっこりと笑って白魚にいった。

 そんな小石くんの言葉を聞いて怒った白魚は、自分から逃げていく小石くんのことを全速力で追いかけた。

 そうやって大地の上を走りながら白魚は、生きていてよかった、と思った。


 英雄(ヒーロー)はどこにいる? (ここにいるよ、と君は言った)


 雪だるま


 魔法使いの恋


 初めて、君と出会った日。


 その恋は、魔法、ですか?  


 まぶたの奥が熱くなった。そう感じた次の瞬間、宝塚ホリィは泣いていた。ホリィの青色の目から自然と涙が溢れてきた。

 自分の涙に触れて、ホリィは、私はどうして泣いているのだろう? とそんなことを疑問に思った。

 今日は十二月二十四日。クリスマスイブの日。

 電車の窓の外は雪。

 ……雪を見るとホリィは遠い昔に出会った一人の孤独で無口な、あまり笑わない、でも誰よりも優しくて、温かい心を持った誇り高い男の子のことを思い出した。

 額に小さな傷のある男の子。

 その男の子の名前は、……おそらく本当の名前ではないのだと思うけど、(自称、魔法使いの)雪玉といった。

 雪玉とホリィが出会ったのは、十年前の、とても寒い日の十二月二十四日のクリスマスイブの日だった。

 その年、ホリィは十二歳で、今年の夏に(雨の日の多い、台風もたくさんやってきた、初めて経験するとても蒸し暑い日本の夏だった)イギリスの田舎から日本に引越しをしてきたばかりであり、その(友達をたくさんつくるために一生懸命になって勉強した)片言の日本語や、ハーフである金色の髪や青色の目のことなどをからかわれて、いつものようにひとりぼっちで泣いていた。

 ホリィには友達が一人もいなかった。

 ……ホリィはずっと、孤独だった。

 ホリィが雪玉と出会ったのは、ホリィの秘密の隠れ場所である人気のない小さな古い公園の中だった。

 いつものように小学校で(青色の目や金色の髪のことで)いじめられて落ち込んでいたホリィは、いつものように(勝手に決めた)自分専用の隠れ場所にくると、慣れた動きで、その存在をこの世界の中から誰の目にも見えないように(誰にも見つかりませんように、と願いを込めて)隠そうとした。

 そうして、ホリィが大きなピンク色をした象さんの遊具の中に隠れると、そこには一人の先客がいた。

「きゃ!」

 と声を出してホリィはとても驚いた。

 自分だけの居場所(あるいは、聖域)に自分以外の人がいた。

 そのことにホリィはひどく驚いたのだった。(ホリィの心臓はすごくどきどきとしていた)

 そこにいたのは雪玉だった。

(もうずっと会っていない、ただ遠くからホリィが見ていただけの男の子)

 その雪玉という名前の男の子は、ホリィの初恋の人だった。


 ねえ、覚えてる? それとも、もう忘れちゃったかな?


 きらきら

 

 目の色


 消えちゃったね。寂しいな。


 君はなにを見ているの?


 高浜あめには生まれたときから、目に少しだけ、みんなとは違う変わった特徴があった。それはあめの『目の色』だった。

 あめの目はみんなと同じ黒や茶色ではなくて、とても澄んだ宇宙のような青色をしていた。それは外国の人たちの青色の目とは、また少し違った印象を受ける青色だった。

 海のような青ではなく、空のような青でもなく、あめの目は、確かに宇宙のような青色をしていた。透明な青。

 その青色の中に星の光のように、あめの意思を宿した強い光が輝いていた。あめの目の色はそのあめの心の強さを物語っているような、強い光を、まったく邪魔することなくあめの目を見る人にまっすぐに伝えていた。

 それがあめの一番の魅力だった。あめには人を惹きつける力のようなものがあった。その力はきっと、そのあめの目の色から、あめの強い目の輝きから発生している現象だと思われた。(少なくともあめ自身はそう思っていた)

 あめは子供のころ、その目の色について、周囲にいる子供達からよくいじめられていた。(そのこと自体、とても辛い思い出だけど、今思い返してみると、私は確かに異物だったと思う。近くに自分たちとは違う目の色をしている子供がいれば、いじめるというわけではないけれど、からかってしまったり、変だな、と思ったりするのが当たり前の子供の反応だと思った。子供は正直な分、残酷なのだ。まあ、大人はもっと残酷だけど……)

 だから、子供のころのあめはよく泣いていた。

 小学校の教室の中で、帰り道の途中で道端に座り込んで、家の中でお母さんの膝の上で、自分の布団の中で一人で、……そんな風にしていろんなところで泣いていた。

 そんなあめのことをよくかばってくれる男の子がいた。

 とてもかっこいい男の子。(今考えると、もしかしたら、その男の子はすごくかっこいいというわけではないのかもしれないけれど、当時のあめにとって、その男の子は間違いなくかっこいいヒーローだった。あめが困っているときに、助けに来てくれる、あめに手を差し伸べてくれる、あめの憧れのヒーローだった)

 その男の子を見るとき、あめの目の色はいつも以上にきらきらと輝いていた。(だから周囲にいる女の子達からはあめの思いが丸わかりだった。すごく恥ずかしい思い出だった)

 そんな男の子に、あめが「好きです。私と付き合ってください」と告白をしたのはあめが中学二年生のころだった。

 男の子に告白する前日の夜から、あめの心臓はずっとどきどきしっぱなしだった。

 でも、そんなあめの人生で初めての、初恋の人に自分の思いを正直に告げる恋の告白は、……成功しなかった。

「ごめん。僕、ほかに好きな子がいるんだ」それが男の子のあめに対する返事だった。

 自分の憧れたヒーローに振られて、あめは久しぶりに(こそこそと学校の人のいないところに隠れて)一人で泣いた。

 泣きながらあめは、……まるで泣いてばかりいた小学校時代にタイムスリップしたみたいだ。と、そんなことを小さく笑いながら思った。(それは涙の止まらない、あめの自分に対する、……ほんのささやかな慰めだった)


 落としものはなんですか?


 花占い


 初恋の人


 君のことが大好きです。


 あなたは私の初恋の人だった。


 春の駅


 僕が君と再会したのは、本当に偶然だった。

 僕たちは小学校、中学校の同じ教室の同級生で、高校で別々の教室に別れ、そして大学は別々の大学に入学して、そこで完全に一度、『お別れをした』、関係だった。

 それから二年後のある日、僕たちは東京の駅で偶然に出会った。(季節は春だった)

 僕たちは本当に驚いた。

 二人ともきょとんとした表情をして、その目を丸くしていた。

「久しぶり」僕は言った。

「……うん。久しぶり」ちょっと照れたような顔で君は言った。

「今、なにしているの?」

「普通の大学生。君は?」

「まあ、同じ。普通の大学生やってる」にっこりと笑って君は言った。

 僕はそれから、言葉に詰まった。

 君になにを言っていいのか、よくわからなくなってしまったのだ。君は黙って、僕の言葉を待ってくれているようだった。

 でも、僕は結局、君になにも言えなかった。

 高校生のときの、(桜の花が咲いている)卒業式の日と同じように、僕は「それじゃあ」と言って、笑顔で君の前からいなくなろうとした。

「待って」

 と君は言った。

「え?」僕は君のほうを振り向いて言った。

「あのさ、久しぶりに会ったんだしさ、もし時間あるなら、少しどこかを一緒に歩かない?」

 にっこりと笑って君は言った。

「うん。わかった」

 君を見て、僕は言った。

 それから僕たちは、君が言ったように、春の駅の周辺を少しだけ歩いて、美しく咲く桜を見て、それから近くにあった喫茶店に入って、そこで二人で温かいコーヒーを飲んだ。

「実は、君のことがずっと前から好きでした」

 その喫茶店を出て、桜の咲く、たくさんの桜の花びらの舞う、(その桜の花びらの舞う風景の中に、僕と君はいた。僕が君に恋をした、私があなたのことを好きになった、あの日と同じように)春の駅の前でお別れをするときに、僕は君にそういった。

 君はとても驚いた顔をしたあとで、「……嬉しい。私も、ずっとあなたのことが大好きでした」とちょっとだけ泣きながら、そう言ってくれた。

 それから、僕たちは恋人同士になった。

 ……そして、それから大学を卒業するのとほとんど同時に、僕たちは結婚をした。

 結婚式の日。

(その日はやっぱり桜の咲いている春だった)

 僕たちは誓いのキスをした。

 僕は君にキスをして、君は僕のキスを受けいれてくれた。

「ずっと、君のことが大好きでした」

 僕は真っ白なウェディングドレス姿の君にそう言った。

「あなたと、ずっと一緒にいたかった」

 泣きながら、君は僕にそう言った。


 こんなところでなにしているの?

 

 君を待っていたんだよ。


 本編


 時間は、本当にあっという間に過ぎていくね。……一日も、一年もあっという間だった。……きっと君がいないからだね。


 彼女は日に日に綺麗になっていく。

 それはすごいことだと思うけど、それと同時にそれは彼女がまだ成熟していない証拠でもあった。大人っぽく見えても、それはそう見えるだけで、大人ではない。彼女は子供なのだ。

 ……私と同じ、未熟な子供。

 だからこうして、二人で一生懸命言葉を探している。


 人の選べる生きかたは、きっと二つしかない。

 現実から逃げるために夢を追いかけるか、それとも夢から逃げるために、現実の中に逃避するのか、……そのどちらかだと思う。

 もう一つあるよ。

 もう一つ?

 ……愛のために生きるの。


 あなたはしばらくの間、そうして私のことをじっと見ていた。

 でも、少ししてちょっと体を私から離して、口元に手を当てると、「え? えっと……。ちょっと待ってね」と顔を赤くしながらあなたは言った。

 その言葉を聞いて(もう三年も待ったのだから)いくらでも待つ、と私は思った。

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