第12話 葱鮪の殿様

 寒くなると食べたくなる料理に鍋料理がある。入れる材料によって幾らでも変化して行くのが面白い。白菜、キノコ、白身魚やエビ、ホタテ等を入れて鰹と昆布で出汁を取った汁を加えて鍋にすれば「寄せ鍋」となる。

 これに鶏肉を沢山入れれば「鶏すき」とか「水炊き」となる。また、魚を排し、牛肉とか焼き豆腐とか白滝を入れて溶き卵を絡ませて食べれば、すき焼きとなる。

「今日はこちらを食べて戴きます」

 いつものように、仕事が終わった後で寄った「まさや」のカウンターで神山と柳生は雅也が出したものに目を見張った。

「これは……」

 怪訝な顔をする神山に柳生が

「これ小鍋立てですよね。でも中身は……」

 そう言って二人の前に置かれた小さな土鍋の中を覗き込んだ。

「これは葱鮪ですね」

「さすが師匠ですね。そうです葱鮪鍋です」

 少し小さめの土鍋の中には濃い醤油の出汁に幾つもの四角く切られた鮪と筒状になった葱が浮かんでいた。

「熱いうちに食べてください」

 鍋の下には焜炉があって火が焚かれていた。

「燃料が切れると冷めますので」

 雅也に言われて二人は小さめの鍋用のお玉杓子で煮えた鮪と葱を少し深めの取皿にすくった。それを箸で摘み口に入れる。

 柳生は神山が慌てて食べるので

「急ぐと鉄砲で撃たれますよ」

 そんな物騒なことをいう。

「アチチチ!」

 神山が慌てグラスに入っていたビールを口に流し込む

「葱鉄砲に当たりましたね」

 柳生が愉快そうに言うので神山が

「葱鉄砲って言うのか。熱々の葱を噛んだら中身が飛び出して喉の奥が熱いのなんの。火傷したかも知れないなぁ」

「慌てるからですよ。葱鮪はその熱さも醍醐味なんですよ」

 雅也がカウンターの向こうから語りかける。

「全く『葱鮪の殿様』だな」

 神山はもう一口ビールを飲んで喉を冷やすと二回目の葱鮪に取り掛かった。

「『葱鮪の殿様』って落語があるんですよ」

 少し不思議な顔をした雅也に今度は柳生が説明をする。

「へえ〜どんな噺なんですか?」

 雅也の言葉に柳生が説明を始めた。

「明治時代に、先々代の立川談志師の作を昭和になって古今亭今輔師が直した噺なんですよ」

「へえ〜じゃあ新作なんですか?」

「今は古典となっています。冬になると寄席でも掛かります。筋を言いましょうか?」

「是非!」

 雅也の頼みで柳生が語りだした。

「あるお殿様、三太夫を連れて向島の雪見にお忍びで出掛けました。本郷三丁目から筑波おろしの北風の中、馬に乗って湯島切り通しを下って上野広小路に出てきますと、ここにはバラック建ての煮売り屋が軒を連ねています。

 冬の寒い最中でどの店も、”はま鍋”、”ねぎま”、”深川鍋”などの小鍋仕立ての料理がいい匂いを発していますので、殿様 その匂いにつられて、下々の料理屋だからと止めるのも聞かず、一軒の煮売り屋に入って仕舞います。

 醤油樽を床几(しょうぎ)がわりに座ったが、何を注文して良いのか分かりません。小僧の早口が殿様にはチンプンカンプンで、隣の客が食べているものを見て聞くと”ねぎま”だと言うが、殿様には「にゃ~」としか聞こえません。

 さて、ねぎまが運ばれ見てみると、マグロ は骨や血合いが混ざってぶつ切りで、ネギも青いところも入った小鍋でした。三色で三毛猫の様に殿様には見えたのですが、食べるとネギの芯が鉄砲のように口の中で飛んだので驚き。酒を注文すると、並は36文、ダリは40文で、ダリは灘の生一本だからというので、ダリを頼みます。結局向島には行かず、2本呑んで気持ちよく屋敷に戻ってしまいました。

 家来は、その様な食べ物を食べたと分かると問題になるので、ご内聞にと言う事になったが、こ殿様は味が忘れられぬ有様です。

 ある日、昼の料理の一品だけは殿様の食べたいものを所望できたので、役目の留太夫が聞きに行くと「にゃ~」だと言います。聞き返す事も出来ず悩んでいると、三太夫に「ねぎまの事である」と教えられます。

 料理番も驚いたが気を遣って、マグロは賽の目に切って蒸かして脂ぬきし、ネギは茹でてしまった。それで作った”ねぎま”だから美味い訳はないのです。

「灰色のこれは『にゃ~』ではない」の一言で、ブツのマグロとネギの青いところと白いところの入った 本格的な三毛(ミケ)の”ねぎま”が出来てきた。満足ついでにダリを所望。これも三太夫に聞いて燗を持参。大変ご満足の殿様、

『留太夫、座っていては面白くない。醤油樽をもて』こんな噺なんです」

 柳生が語り終わるのを待っていた神山は

「だから噺と同じ事をしてしまったと言う事なんですよ」

 そう言って笑った。

「お殿様はちゃんとした葱鮪を食べられて良かったですねえ」

 女将がそんな感想を言った。

「だって、『目黒のさんま』のお殿様は結局、焼いたさんまを食べられなかったのでしょう。可哀想ですよ」

 落語の噺なのに真剣にそんな事を言う女将が微笑ましいと柳生は思うのだった。

「大将。これに合う酒はなんだい?」

 神山が雅也に尋ねると

「そうですね。日本酒ですね。それも辛口がいいですね」

 そう言って棚から一本の酒を出して来た。

「『黒松剣菱』です。どの鍋料理にも合いますよ」

「他には」

 今度は柳生が尋ねる

「そうですね。個人的な好みですが、『亀の井酒造』の『くどき上手 純吟辛口』ですかね。酸味と辛味のバランスが良いんです」

 雅也はそう言って「黒松剣菱」の封を切って、酒用のグラス二つに酒を注いだ

「さあ試して下ださい」

 雅也に進められて二人はグラスを口にする。透明に僅かに琥珀がかった液体が喉を通って行った。

「今夜は良い夜になりそうだな」

 神山の言葉に三人が頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る