第11話 告白
半月後、柳生が編集部に顔を出した。手には東北のお菓子を下げていたので、土産を持って来たのだと判った。
「これ編集部の皆さんでお茶請けにでも食べて下さい」
そう言って土産を神山の机の上に置いた。
「悪いね。気を使わなくても良かったのに」
「でも手ぶらじゃ来づらいですよ」
そう言って笑った。
「今日はこの後あるの?」
「いいえ。あちこち挨拶回りして、ここが最後なんです。神山さんさえ良ければ、あそこに行こうと思いまして」
あそこが「まさや」だとは直ぐに判った。
「もうすぐ終業の時間だから待っていてくれ。一本記事を書いたら終わりだから」
柳生はその言葉に頷いて他の部署に行って来ると編集部を出て行った。
それから一時間後、二人は編集部を出て「まさや」に向かった。勿論車は置いて出た。
「いらっしゃいませ~」
女将さんの声に迎えられて、何時ものようにカウンターに座ろうとすると神山が
「奥のテーブルで良い?」
そう柳生に確認を取った。
「あ、いいですよ」
そう言って二人は奥の四人掛けのテーブルに座った。神山がこの席を選択したので、柳生は今日の神山の腹の内が推測出来た。
「お通しです」
女将が持って来たのは薄緑の小鉢よりも更に一回り小さい器に入った鮮やかな緑色の豆だった。
「これ、空豆?」
「はい翡翠豆です」
雅也の言葉に柳生が
「今の時期で採れるのですか? 空豆というと初夏のものだと思ってました。噺でも豆の出る噺がありますが、『明烏』の甘納豆以外は大体夏の噺です」
「初物なんです。指宿で今頃から採れるんですよ。まあ、ハウス物ですけどね。珍しさだけですけどね。塩で揉んで茹でて皮を剥くと鮮やかな緑の豆が出ます。今の時期は季節的な色で言うと茶色でしょう。だからこんな鮮やかな緑が目の保養になると思いまして」
神山は雅也の言葉を聴いてなるほどだと思った。味だけではなく目でも楽しませる料理の奥深さを感じた。一方柳生は、料理は落語に通じるものがあると感じたのだった。
「飲み物はそうしますか?」
女将の言葉に神山が
「そうだな。ビールよりも酒かな。ヒヤで良いよ」
そう言って日本酒を頼んだ。すると雅也が
「今日は珍しい酒が手に入ったのですよ」
「珍しい酒?」
今度は柳生が興味を持った
「ええ、京都の伏見の酒なんですが、江戸時代からの酒蔵なんですが、昔から江戸には下らせなかったそうなんです」
「下り物じゃ無いという事か。噺だとくだらないと洒落てしまいますけどね」
柳生の軽口に雅也は
「余り量を作ってなかったので上方で消費されてしまっていたのです。だから江戸では飲めない酒だったんですね。今でも同じなのですが、たまたま手に入りましてね。それならお二人に是非とも飲んで欲しいと思っていたのですよ」
二人は素直にありがたいと思った。
「燗でも良いのですが、やはり最初はヒヤで飲んで欲しいと思います」
雅也はそう言って女将にお銚子を二本持たせた。
「どうぞ」
受け取ってぐい呑みに酒を注いで口に運ぶ
「うん、何て言うか淡麗辛口とも言うのかな」
神山の言葉に柳生が
「そうですね。私なんか先日まで北国の濃い酒ばかり飲んでいましたから余計に感じますね」
そう言って目を細めた
「師匠、北の酒ってどうなの?」
「そうですね。淡麗というより辛口もありますし、濃厚な甘口もあります。地方によって違うんですが、酒自体の個性が強いですね。それと、お燗をした時に美味しく飲めるように調整されているものが多いですね」
柳生なりの評価を話している時に肴が運ばれた
「わらさの刺し身です」
わらさは鰤になる前の名前で上方ではハマチと呼ばれる。冬の魚の代表だ。鰤より脂の乗りが少ないが、魚自体の味のバランスが良い。ちなみに重量が10キロを越すと鰤と呼ばれる。
神山は酒を一口飲んでから、わらさに山葵を乗せて醤油を着けてを口に入れた。そして酒を口に入れる
「これは……」
驚いた顔を見た柳生も同じ事をしてみた
「あれ……」
そんな二人の表情を見て雅也が
「料理を引き立てるでしょう。伏見の酒は大体、京料理に合うように作られているんです。京料理の繊細な味を壊さないように調整されているんですよ」
その言葉に納得する二人だった。
「実はさ、旅に出ている間に『たけの子園』に行ったんだ」
神山はこの前の行動について話した。「たけのこ園というのは先日神山が訪れた柳生と美律子の出身の施設の名前である。
「園長、いいや今は名誉園長でしたね。お元気でしたか?」
「ああ、達者なものだったよ」
「そうですか、それは良かった」
「そこで一つ判った事があったんだ」
神山は先日の事を話した。
「美律子さんが卒園した時にお前さんが引き取ったと言う事を初めて知ったよ。そのままプロダクションに行っただと思っていたからね」
「一緒に暮らしたと言っても半年にも満たない期間ですよ」
「でも、プロダクションとの交渉には立ち会ったんだろう」
「そうですね。入門して七年。二つ目になって四年目。歳も二十二歳になってましたからね。業界のことも少しは判っていましたからね」
「親代わりが」
「そんなところです」
「男女の関係は無かったのか」
「私には、全くそんな気はありませんでした。だって赤ん坊の頃にオシメを何回も変えてあげたのですよ。女として見られる訳ないじゃありませんか」
柳生はため息を吐くと酒を口に運んだ
「じゃあ、その想いは美律子さんだけが思っていたんだな」
「そうです。でもいつ頃から思っていたのかは判りません」
神山は、想ってる方は常に思っているのだろうが、想われている方は解り難いのだろうと思った。
「まあ、そうだろうな。でも気がついたのはいつ頃なんだい」
神山の質問に柳生は遠い目をして
「そうですね。いつの間にかという感じですが、告白されたのは彼女が成人した時ですね。寮から出てからです」
「なるほどね」
納得できる話だった。この点について嘘は無いと思った。
「夜なんか部屋に帰ると待ってるんですよ。終電も終わってるから仕方なく泊まらせるんですが、そんな時に自分の想いを連々と告白しましてね。それが自分の仕事が暇な時には連日でした」
神山はそこまでだったとは考えていなかった。
「そんなのが続いていた時だったんです。美律子が死にたいと言って来たのは。色々と聴きました。かなりの事まで強制されたそうです。そこで私は、あの時私が美律子の想いを叶えてあげていたら。一度でも美律子を抱いてあげていたら。ここまで思い詰めなかったと思ったのです。だから半分は、私が美律子を追い詰めたのですよ」
柳生はお銚子から酒を注いで更に口に運んだ。
「それが真相か」
「そうです。単なる同情では無いんです。だから最後に私は美律子の想いを叶えました。男と女として結ばれたのです。彼女は『これで想い残すことは無いわ』と言っていました」
神山は柳生の芸が復帰した時に以前より達者になっていたのにはこんな事を体験したからだと納得したのだった。
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