第5話 北の宿で

 柳生はいきなり消息を絶った。神山は数回尋ねていたのだが、ある日住んでいたマンションの部屋にに「リ・セール」の札が下がっていた。管理人に尋ねると二日ほど前に越して行ったとの事だった。マンションの部屋は既に管理会社に売却されて今は購入者を募集してるとのことだった。

 改めて考えてみると、行方をくらましそうな感じはあったのだ。だが自分にだけは告げてくれるものだと甘く考えていた。管理人に引っ越し先を尋ねても判らないと言うだけだった。

「仕方ないな」

 それきりになってしまったが方々に探りを入れてはいたが行方は判らなかった。

 だが、それから三年後、意外な所から柳生の情報が入って来た。

 いつもの様に寄席に取材に出向いていた時だった。楽屋で中堅の噺家の三圓亭遊助から声を掛けられた。それほど親しくしている間柄でなかったから意外に思ったのだった。

「神山さん。最近柳生の噂聞くことある?」

 久しぶりに耳にした名前だったので思わず身を乗り出した。

「いいえ、相変わらず消息不明ですよ」

「そうだろうね。でもね妙な話を聞いたんだよね」

「妙な話?」

「うん。ウチの一門の二つ目が地方公演に行った時に、似てる奴を見かけたと言うんだよね。

「似てる奴ですか?」

「ああ、山形の米沢に行った時に、近所に赤湯温泉ってあるじゃない。そこに泊まったそうなんだ。そうしたら旅館の従業員でそっくりなのが居たそうなんだ。声を掛けたら声まで似ていたそうなんだ」

「山形の赤湯ですか……」

「いや違うかも知れないけどね。本人は否定したそなんだ。だからそれきりなんだけど、確か協会では休席扱いになってるはず。本人さえやる気なら直ぐに復帰出来るんだけどね」

「確かにあの芸は惜しいですからね」

「そうなんだよ。あれだけの噺家はそうは出て来ないからね」

「三年という月日はどうですかねぇ」

「どうとは?」

 遊助は意味が判らないと言う感じで尋ねた。

「世間があの事件を忘れているかどうか」

「忘れてはいないだろうが、あいつはむしろ被害者だからな。女に刺されただけだからなぁ。その後女は自分で自分の胸を刺して果てたんだから。あいつのせいじゃ無い」

 確かに遊助の言う通りだが、復帰したとしても、色々と色眼鏡で見られるだろうとは簡単に想像出来た。柳生がそこまでの覚悟を持って復帰出来るかどうかだと神山は思った。

「何か言われるのが嫌なら噺家なんか務まらねえよ」

 それも確かだった。

「一度赤湯に行ってみます」

「そうかい。ガセだったら御免な」

「いやいいですよ。最近情報が全くなかったですから。有り難いです」

 その時はそれきりだった。中々仕事が忙しく休みも取れなかった。婚約者の立花薫も女優業が忙しく、多分誘っても無理ではないかと考えていた。ところがチャンスは意外な所からやってきた。米沢市で行われる落語会の取材をすることになったのだ。その取材に合わせて一日だけ有給を取った。最初は一人で行くつもりだったが、薫も休みが取れたので一緒に行くことになったのだった。

 米沢は山形新幹線で行けば訳はない。米沢や赤湯にも新幹線は停まるが神山は自分の愛車アルファロメオで行く事にした。やはり地方では自由に移動出来る脚がある方が必要だったからだ。

 東北自動車道を北に走るアルファの車中で、薫が鼻歌を歌っていた。

「どうした。随分ご機嫌じゃないか」

 神山が冗談めかして言うと薫は

「だって孝之さんと一緒の旅行なんて久しぶりだし。それに温泉だから嬉しい」

 そう言えば、薫は温泉好きだったと改めて思い出した。

 やがて車は高速を降りて米沢に向かう道を走っていた。

「今夜の落語会を取材してから宿に行くんだけど、先にチェックインだけしておこう。そうすればお前は宿に居れば良い」

「ええ! 一緒に落語会行きたい」

 薫がそう言って拗ねると神山は

「こっちは仕事なんだ。それに一足先にお前に探りをいれておいて欲しいんだ」

 言われて薫はハッとした

「そうか、そうだよね。遊びじゃなかったんだよね」

「お前も柳生のことは良く知ってるだろう」

「うん。話したこともあるしね」

「だから。本当にあの旅館に居る人間が柳生なのか違うのか、俺が行くまで探りを入れて欲しいんだ」

「判った。さり気なく調べてみるわ」

「頼んだぞ」

 こうして一端チェックインして薫は宿に残り、神山だけが米沢の落語会に赴くことになった。

 旅館は最近改築されたそうで、古い古民家の面影を残しながらも建物の中は近代的な造りになっていた。案内された部屋は八畳ほどの広さで中庭に面していた。仲居さんが

「男女別のお風呂の他に大風呂もあります。ここだけは混浴となっています」

 と説明してくれた。

「大風呂ってどれぐらいの広さなんですか?」

 薫が尋ねると仲居さんは

「そうですね湯船の広さが円形ですが直径が十五メートルほどですか」

「それは広いですね」

「そうですね湯けむりと灯りがそれほど明るく無いので向こう側に居る人は殆ど見えませんね」

 神山はそれを聴いて、混浴なのでわざと、見えにくくしているのだと考えた。仲居さんが他の説明を終えて下がると神山は

「ひとっ風呂浴びてから取材に行こう」

 そう言ってタオルを肩に掛けて部屋を出て行こうとすると薫が

「私も一緒に行く!」

 そう言って付いて来た。神山とすれば大風呂ではなく、普通の男風呂に行くつもりだったのだが、薫はそうでは無かった。積極的に神山を大風呂に誘うのだった。

「折角なんだから大風呂に行こうよ。滅多に見られない大きなお風呂なんだから」

 神山としてみれば、その部分は仕事が終わってからだと考えていたので、薫の積極性に驚いたのだった。

 だがこれが結果として幸いした。というのも大風呂に行き、脱衣所で着替えて、風呂場に入った時だった。

「おお、大きいなぁ。これなら向こう側が見えないというのも頷けるな」

 神山がそう言った時だった。バスタオルを手に持って浴場に入って来た薫が

「あそこで掃除してる人がいるよ。掃除中じゃないのかしら」

 そう言ったので、暗い中で目を凝らして見ると、確かに掃除をしてる男が居た。

「一応確認して見るよ」

 神山はそう言って、その男に近づいて

「掃除中みたいですが入浴しても良いですか?」

 その男に後ろから声を掛けた。男は神山の方を振り向いて

「大丈夫ですよ。どうぞお入りください」

 そう言った瞬間、表情が強張った

「か、かみやまさん……」

 それは旅館の従業員の姿をした柳生だった

「師匠! 随分探したんですよ」

「ここで、あなたと出会うという事は、やはり運命なんですかねぇ」

「噂を聴いてね。今日は米沢で落語会があるから、そのついででここに宿を取ったんですよ」

「この前、協会の若手が泊まったんですよ。私は面識が無かったのですが、向こうは私を知っていたんですね。逃げられないものですね」

「とりあえず、取材が終わったら話しましょう」

 神山はそう言って柳生の了解を取り付けた

「今度は逃げませんよね」

 その言葉に柳生は僅かに苦笑いをした。


 落語会の取材を終えて旅館に戻って来て、遅い夕食を食べていると部屋に柳生が現れた

「仕事が終わったので」

 神山は酒を柳生に勧め

「いきなりマンションを売って居なくなるとは思わなかったなぁ」

 そう言って柳生の反応を確かめる、柳生は勧められた酒に口を付けると

「皆さんに迷惑をかけどうしだったので、消えて無くなる方が良いと思ったのです。美津子の位牌を一生守って暮らして行こうと思いました」

 法律的には柳生は美津子に傷害を負わされた事になっている。その事を問うと

「それは結果論です。私は彼女の悩みを解決出来なかったし、彼女を守ってやる事も出来ませんでした。駄目な男なんです」

「何もかもが自分のせいだと言ってるみたいですね」

 神山の言葉に柳生は

「それは、それが本当のことだからです。自分が噺家にさえならなかったら……」

 神山はその言葉にむかっ腹が立った。言葉が荒くなった。

「それも違うな。逃げてるだけだ。第一、落語と噺家に罪を着せるなよ。自分が選んだ道だ。貶めることは無いんじゃないか」

 柳生は神山の言葉にハッとした表情をした。

「噺家として秋萩亭柳生は、まれに見る逸材だった事は俺が保証する。確かに滅多にお目にかかれない高座を幾つも見せてくれた。だから、それによって救われた人も大勢居たと思うよ。恐らく彼女も苦しい毎日の中でお前さんの落語で救われていたと俺は思うけどね」

「うっうっ……」

 柳生が下を向いて涙を流し始めた。

「俺は、お前さんが助かった。所謂急所を外してあったという事から、彼女は噺家秋萩亭柳生を自分と一緒にこの世から抹殺してしまう事に、迷いがあったのだと思うよ。今まで幾つも救われた来たんだと思う。殺してしまったら、自分と同じような人を救えなくなってしまう……。そんな事を思ったんだと。だから急所を外したんだと思うんだ」

 確かに発見が早かったので柳生は助かったのだ。でも後から命を絶った美津子は即死だったそうだ。

「で、では美津子の想いとは……」

 柳生が顔を上げて神山に問う

「俺が考えるに、これからも噺家として人々を救って欲しいと言う事だと思うよ」

 神山の考えを聴いて柳生は

「そうでしたか、あの日も私はリクエストで、彼女の前で一席やったんですよ」

 始めて当日のことを口に出した。

「ほう、何をやったんだい」

「『たちきり』です。美津子が好きだったのです。登場人物の小糸を自分に擬えていたのかも知れません」

「ならば供養の為にも続けないとな」

 神山の言葉に柳生は静かに頷いたのだった。

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