Attention GO!!
街宮聖羅
入部編
Rowing.1
決勝戦。この響きはいつしか俺にとって当たり前のものになっていた。
中学三年の夏。俺は全国大会の舞台の最高峰に立っていた。
「行けぇぇぇぇぇぇぇぇ!そのまま真っ直ぐすすめぇぇぇ!」
遠くから聞こえる大歓声。でも、その声の方に手を振り返すことはできない。
「
他校の人間の応援。足がきついこの状況で耳に入ってくる応援は選手からすれば命の水よりも有難い。
残り五百メートル付近、丁度中間地点に差し掛かったところだ。
「うおおおおらあああああああ!!」
隣のレーンからの雄叫び。普段はこんな所では声を出す選手はいない。でも、今は四日間の疲労が溜まりに溜まった最終日。そりゃ声をあげたくなるのも分からないことは無い。でも、俺はこんなところで音を上げるほど弱くない。
ゴールは
でも、そこにエネルギーが注入されればどうなるか?
「がんばれぇぇ!翔ちゃん!行けるよおおおお!そのままトップでゴールしよおおおおおおお!」
微かに聞こえた、俺にしか効かないエナジー成分。声の主は俺が一番応援して欲しくてたまらない人物。そいつの声が聞けただけで俺は再加速する。
若干落ちていたレートを力の限りあげていく。一本一本、キャッチの際に力を込めていく。もぎ取れてしまいそうな腕に構わず後ろへと反る。そして、前へと上体を戻しまた力を込めて今にも折れてしまいそうなオールを引く。
気が付けば残り二百五十メートルといったところか。百メートルごとに置かれているブイを横目に見やりながらざっと計算したから少し不安である。ただ、その二百五十メートルという数字は事前に監督から勝負をかけろと言われていた距離と同じ。ただ、感覚的には俺から見て左の奴に三メートルほど離されている。
「追い抜けええ
ビンゴ。聞き取れた歓声の中から情報をキャッチし、頭の中で整理しようとするがそんな余裕が今の俺にはない。そのインフォだけを頼りに追い抜くことだけを考える。
二百メートル。監督の指示を無視しているような状況になっているが仕方ない。踏ん張りどころを制する。この選択肢以外はない。
「あああああああああああああ!いくぞおおおおおおおお!」
俺は全力の雄叫びをレース会場に響かせた。レース中にも関わらず、思わず振り向いてしまうような。そして、俺の咆哮を聞いたあとの空気がみるみる緊張感の増すものになっていった。フィニッシュの際に散る水しぶきさえも緊張感に負けて震えてしまうようだ。この勝負、誰が勝つのか分からない雰囲気が漂う。
―――残り百メートル。
全艇が横一直線というわけではない。しかし、突然オールが折れればそれだけで順位が変動するような距離。でも、そんなことは俺には関係ない。
「まだまだああああああああああ!」
叫ぶ。この行為はレースだけに力を使いきれてない証拠でもある。だが、それと同時に自分を奮い立たせる作用がある。ボルテージが上昇していくのが自分でもわかるくらい………今、俺は猛烈にこの勝負を楽しんでいる。
ピッチがさらに上がり、パドルのままゴールラインへと突っ込んでいく。隣の奴に三メートル開けられていた距離はいつの間にか十メートルほどこちらが先行していた。視界には両隣の船首が見えそうなくらいまで開いていた。
―――残り五十メートル。
本当に最後の勝負が俺を待っていた。先ほど俺を三メートルほど引き離していた選手がペースを上げ、俺と横並びになりそうになっていた。気が付けば、体力も気力も限界を超えていた俺は失速気味になっており、究極のピンチを迎えていた。
そんな時、いつも俺を救ってくれるのはあいつの言葉。
『ボートができることにちゃんと感謝してるの?』
何気ない一言だけど、俺からしたら神の言葉の何百倍も胸を打つ言葉。
そうだよな、優奈。俺はお前が見ているから、お前がちゃんとそこにいるから頑張れるんだよ。それに約束したもんな、てっぺんは譲らないってさ。
グラっと揺れた船体。だが、そんな些細な揺れをもろともしないかのように俺はレートを元に戻す。ピッチ計の左上の数値が上昇し、これ以上上がらないというところまで持ち直した。
―――残り二十メートル。
俺は頭が真っ白になり、思考が停止していた。『勝ちたい』という一言だけが目の前に映る。レーン内に自艇が収まっているかも見えていない。まっすぐ進んでいるのかも、何も見えない。身体はバキバキで、これ以上稼働するのは無理という部位の一部一部から苦情が聞こえてくるようだ。それでも、俺は漕ぎ続ける。
目視することはできないゴールラインへと一直線に。
―――ピッ………ピッ………。
無機質な電子音が会場内に伝播した。二回なった音の間隔はほんの僅か。
前者が勝ち、後者が負けたという合図は喜びと悲しみの二つの感情が混在する場を作り上げていた。果たして、その喜びが俺関連であるのか敵関連であるのかは全く分からない。俺が勝っているのか、勝っていないのかなんてわからない。でも、心の中にいるもう一人の自分が教えてくれた気がした。
≪俺がこのレースを制したんだぜ≫
そう言われた途端、俺は訳も分からないままに天に片腕を突き刺していた。
♦
レース中に飛んでいた意識が戻ると、周りには船体に顔を沈めたり寝そべっていたりしていたライバルたちの姿があった。一番の接戦を演じてくれた隣の選手は汗と共に流れる涙を拭わずにただ座っていた。そして、ゆっくりこちらに顔を向けたそいつはゆっくりと口を開けて、俺に宣言してきた。
「次は………負けないからな。次の舞台で覚悟してろよ」
クールダウンをしていても彼の心の中はまだまだ熱かったみたいで、俺はその口調に苛立ったのか強気に返していた。
「お前、名前はなんて言うんだ」
初対面の人にこんな言葉遣いで質問したのは初めてだった。互いが疲れているためにキレるということはないにしろ、彼もさらに強気で自分の名をゴリ押ししてきた。
「五十嵐………、
そう言った後、オールに手を掛けようとする彼に俺は咄嗟に叫んでいた。
「俺は
―――結局、俺たちは喧嘩別れのようになってしまった。
審判からレース成立のアナウンスを聞いて、レーン上に留まっていたシングルスカルの選手たちは順々に桟橋へと漕ぎ始めていった。五十嵐はいち早くこの場から立ち去り、桟橋でオールを外す姿も見かけなかった。
しかし、後に本当に残念な出会い方をしたあいつが俺の漕艇人生を変えてしまうことになろうとは思ってもいなかった。
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