宝石かどうか
絶滅危惧種、ⅠとかⅡとかいうのが、世の中にはたくさんある。それは種名と一緒になって図鑑や解説板に書かれていて、彼らがどれくらい危機的な状況にあるのか、端的に教えてくれる。
日本では、
絶滅していった生き物なんて数えきれないほどいるのに、絶滅しかかっているというその瀬戸際が、一番ヒトの興味を引く。
論理じゃなくて、感情の話なんだろうね。こういうのって。
自然保護って言うと、「ああ、オーストラリアのコアラが」って考える人、まあまあいると思う。パンダとか、イルカとか、そういうアイドルが中心にいて、自然保護ってそういうものだと思うことってあるんじゃなかろうか。
ポスターにかわいい動物が描かれていて、寄附を募っている。そういうのが、自然保護とか環境保全とかのいうもののスタンダード。
キラキラした羽の鳥。真っ白な花。飛び交う蛍。
「懸命に生きている美しい彼らが、護られなければいけません」
あれを見ると、派手だなぁと思う。
派手でなければいけないな。生きていけないな。
ヒトという巨大災害を前にして、保護されなければ生きられないな。
いくつ数えられているのか忘れたけど、いまは何度目かの大量絶滅の時代なんだと聞いた。ヒトの築いた文明が及ぼす影響が、たくさんの生き物を絶滅させている。ヒトによる絶滅紀なんだって。
コアラやイルカは、その中から拾い上げられた幸運な宝石なんだろう。
例を挙げればキリがないけど、蛍やカワセミやヤマユリなんかは、きっと分かりやすく宝石だ。誰もがその姿に息をのむ。感動する。そして、拾い上げる。
綺麗なものを手元で護りたいという欲求は単純で強力だ。その宝石が、崖下へ落ちていく寸前なのであれば、なおさらに。
生態学の言葉なのか、心理学の言葉なのか分からなくなってしまうのだけど、「雨傘種」という考え方がある。
生態系ピラミッドにも似たような構造で、たとえば蛍を護ろうとすれば、餌となる巻き貝、巻き貝の餌の藻……。という感じに、一種類の生き物を護ろうとすると、生態系の関係をたどって、結局たくさんの生き物を考える必要がある。そのてっぺんの生き物のこと。雨傘を差すように、その下にいるものを護るみたいだから、雨傘種。
でも、他の生き物と関わりのない生き物なんていない。
捕食関係でなくても、生きていくためにぜったい必要な関わり方をしていることなんてざらだ。隣で生きていて全く関わりのないことのほうが有り得ないんだから、床に広げた布みたいに、どこをつまんでも三角形に持ち上がる。
そう考えると、てっぺんになる「雨傘種」をどれにするかなんて、ヒトの気分次第ということなんだろう。気分というのがつまり、宝石かどうか、だ。
宝石には、訴えかける力がある。地味な石ころがいくら転がってもなかなか得られない力が、宝石には備わっている。
その力が、進化によって残ってきたものなんだと思うと、創世神話や運命論も信じたくなってしまうね。
こういうのも、ぜんぶ、感情の話。
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