剣の国の姫騎士、本の国の王子

@taku1531

剣の国の姫騎士、本の国の王子

 あるところに、王女さまがいました。


「……で、あなたは何をしにいらしたの? 子供のお使いかしら、なんでしょう、この花は。私、こういったものには疎くて」

「ええ! "姫騎士"グレイス様には可憐な花がお似合いと思いまして! 美しいでしょう、どうです、我が花の国に来て頂ければ平原いっぱいに咲き乱れる花々が……」

「失礼ですが目はしっかりお付きですか? この『剣の国』の王女に可憐な花が似合うようにお考えですか? 見合いの際に毒草を持っていらして、先王の毒殺を謀った先代のほうがよほど魅力的だったように思いますよ。はい次」

「お噂はかねがねお聞きしていましたが、実に美しい声色だ……お礼に私の故郷に伝わる恋の歌を」

「次は貴方本人ではなく貴方の国の吟遊詩人を呼んでくださいね。次」

「お会いできたのもなにかの縁、最高級の生糸で編まれたアンダードレスを」

「あなたの国の変態趣味、国境から一歩たりとも外に出さないでください」


 彼女は剣の国の王女グレイス。

 剣の国は、危機となれば老いも若いも、男も女もみな剣を取るというお国柄。


 その国の女性といったらまったくもって気が強いことで知られていますが、王女である彼女は剣の国の女性全員を束ねたかのような気の強さと王女としての誇りを持っていました。

 剣の国のど真ん中の巨大な城で、王座に座る彼の父は言いました。「お前が王女として役割を果たしているのはわかる。だが、たまにはこんな機会もどうか」と。

 というわけで、首都から少しだけ離れた風光明媚な彼女の小城に結婚相手となるべくワンチャンス狙う小国の成り上がり、その気の強さが良いかも……と考える王族、とりあえず顔見世だけでも、と狙う野心的な若手商人などがわらわら集まっていたのです。


「幾らなんでも酷すぎるのではないですか、先程までの方々は」

「申し訳ありません」


 一先ず退散し、腰をおろしたグレイスに従者が傅きます。

 彼はフォートラン。猥雑さを嫌いあまり城に人を置かない彼女の、数少ない従者の一人です。


「別に見合いが嫌だとか、そういうことを言ってるのではありません。王族としての、王女として。役割を完璧に全うしてみせるつもりです……ですが、流石にここまでお相手になにも考えていらっしゃらないかたを並べられますと! 王族と王族の見合いなら、花だの歌だの服よりまず利害を説くべきでしょう」

「その価値観は王族であっても普遍的ではないかと思いますが……」

「父の顔を立てる、に留まらず良い話であればぜひお聞きしたいと思っていましたのに、ここまで一つたりともありません。剣の国の外には愚か者しかいないのかしら? もう切り上げてもよいでしょうか」

「お疲れのところ、申し訳ないのですが。できればあと一人」

「……フォートランがわざわざそう頭を下げるほどの相手ということね」

「ご明察です」


 この世界には、大陸を支配する四柱の精霊がいます。

 春を司る大妖精、夏を司る炎油馬、秋を司る眠り龍、冬を司る大巨人。

 誰も彼らを見た人はいませんが、それらは確かにいるのです。いるんですったら。


 剣の国は秋を司る龍が治める土地にあります。

 切り立った山脈に囲まれた"秋の大地"と呼ばれる土地です。

 秋の大地にあるほとんどの国は、この険しい山々に囲まれた盆地にあるのです。

 山の水源から流れ落ちてきた栄養を蓄えた川は恵みをもたらし、彼らは秋の龍を恵みの父といって讃えました。


 では、剣の国もそうであったかというと――さにあらず。

 その国は険しい山が連なる間にある――小さな台地にありました。

 剣の国の人間は自嘲もこめながら、山々を竜に例え自分たちの住む土地をこう呼びます。「眠り竜のひたい」と。


 激しく流れ落ちる川はもはや滝、という環境では農業もままならず、では他の土地を……と思ったところで険しい山々を切り開くのは無謀でした。

 実りをもたらす涼しげな気候も、少し標高が上がれば実りどころか死をもたらす厳しい環境。

 では、彼らはどうしたのでしょうか。

 まあ、ご推測の通りでしょう――剣を取りました。


 蓄えを奪うため麓へと降りてくる彼らは嫌われ、怖れられ、へりくだられ……そうしているうちに、いつのまにか剣の国は一帯をまとめあげる大国へと成長していました。

 効率的ですね。


 さて、そういった厳しい環境に置かれている国は剣の国だけではありませんでした。

 ちょうど盆地を山沿いにぐるっと回って反対側。

 ここにも小さな台地がありました。ここの人間は自分の住む土地を「眠り竜のひたい」と――おかしいですね。頭が2つのヘンテコな竜になってしまいます。どちらが先に呼びはじめたかはわかりませんが、ともかくお互いに自らの住むところをひたいと主張しており、お互いに「お前たちの住む土地はいつでも切り落とされる尻尾のようなものだ」「あいつらは臭いケツに住んでいる」などと言いあうこともしばしばでした。


 もちろん、この国も状況はほとんど変わりません。

 食料はなく、風は冷たく、道は険しく。そんなときに彼らが手にしたのは――

 本でした。


「格は」

「第二王子でございます」

「本の国にしては、ずいぶん奮発してきましたね。いつ態度を変えることにしたのでしょう?」


 少しばかり思案しようとしたグレイス王女。

 そこに、一人の使用人が飛び込んで来ました。


「僭越ながら、しっつれいしますグレイス様ー!」

「……はあ。せめてノックぐらいしてください、ルビイ」


 王女と第一の従者の密談の場に平然と割って入る胆力があるのか、はたまた、入っても怒られなさそうな雰囲気をうまいこと感じ取りながらであるもののノックもせず入る胆力があるのか、そこはわかりませんが、彼女はこの館の管理をほとんど一手に請け負っているハウスキーパー(代理)のルビイです。

 若い身上ながら能力をもってメイドの長に上り詰めた才女――ではなく、人嫌いな面を持つ王女グレイスの小城は人手不足、なぜか懐いてきた彼女に面倒な仕事をあらかた任せた結果ハウスキーパー(代理)などという謎の役職を担っているメイドです。

 一般的にハウスキーパーは管理職のようなもので、雑務は人に任せるのが仕事のようなものですが、彼女の場合はそんなこともなく毎日のように館をドタバタと駆け巡っています。


「私の見立てでは、あれは情熱的な恋ですよ、恋! 一目惚れかなにか!」

「本の国の王子とは一人も会ったことがないのですけれど」

「ではゼロ目惚れですよゼロ目惚れ! あるいはこう、あの時の思い出のヒーローが実は身分を隠していた彼だった! てきな!」

「的なじゃありません、的なじゃ」

「いやあ、メイドの立場を利用して探りに言ったんですけれどもね、どうも本の国の意向は相も変わらずのようですよ。つまり! 彼は国の意思に反してグレイス様のもとに! きゃー素敵!」

「ふむ、それが本当だとしたら――気に入りませんね」


 王女様は、肩を鳴らしながら立ち上がりました。

 どうやら疲れは取れたようです。表情は、これから素敵な王子様に会いに行くというよりは――


「王族の、それも第二第三の予備の木っ端なんてのは国の人形みたいなものです。小賢しく自分で動くぜんまいじかけのおもちゃなんて、藁人形以下ではありませんか」


 獲物を狙う猟犬のようでした。




「初めてお目にかかります。王女グレイス、あなたのお噂はかねがね」

「はい、こちらもお聞きしておりますよ。初めまして、王子ホッパー。どういった意向でしょうか? つい先月、父の誕生祝いに実に底意地の悪い皮肉にあふれた祝辞を頂いたばかりだと思いましたが」

「ははは、悪く思わないで欲しい――なんて言うのは無理だな、なにせ我が国の筆頭文筆家を集めて祝辞としての体を成立させながらどれだけ罵倒できるかを競って尽くした祝辞だ、間違いなく傑作だが、受け取り人のお父様には申し訳なく思うよ」


 実に爽やかな笑顔とともに現れた第二王子ホッパー。

 彼の傍らに控える従者も同様に人好きのする笑顔を浮かべていました。もっとも、隙はないようでしたが。

「御託はいいですから、用向きを話して欲しいですわ。本の国にお似合いの優男様」

「用向きもなにも。かの名高い姫騎士とぜひお会いしてみたくてね。お会いしてよかった。噂以上のかただ!」


 王子ホッパーはニコニコと笑いながら王女グレイスに手を差し出しました。

 その所作は実に美しいもので、王女グレイスの後ろで傅いていたメイドのルビイなんかは相手が自分でないにも関わらず目を輝かせるほどでした。


「王女グレイス、どうか手を取って欲しい。確かに本の国と剣の国は対立している。だが、このままでいいはずがない。 貧しい土、狭い地、少ない人……お互い、ここからスタートしたと歴史では伝えられている。我々の国は、共通点のほうが多いはずだ。今すぐにどうこうというものではないが……両国の友好、その礎になって欲しい」

「ふむ」


 くだらない口説き文句がくれば蹴り倒そうか、そうしたほうがうちの国民受けはいいだろうし、なにより気持ちがすくだろうと思っていた王女グレイスでしたが、王子ホッパーの口から出たのはまさしく彼女が先程求めていた、お互いの利害の話でした。

 フラフラと国外をうろつく第二王子と首都から離された王女。要するに政治のメインストリームから外れた同士で手を組もうという話です。


「言いたいことはわかりましたが、具体案が見えませんね。私達が組む? いったい手を繋いでなにが出来るというのです。仲良く手を繋いで駆け落ちですか? 流石、ロマンティックな国の方でいらっしゃる」

「正直に言えば、それは非常に魅力的な案だ。君がよければ」

「……それとも、うちの国という後ろ盾が欲しいのですか? ああ、いいでしょう。あなたたちの住む狭苦しい竜の尾が荒れに荒れ、貴方の身内が殺し合う光景は実に素敵かと思います。まあ、それはそれとしてそれを望む貴方さまは実に軽蔑しますが」


 王女グレイスは、席についたときの王族教育仕込みの素敵な笑顔を崩してはいません。

 崩していません。

 いません、いませんが……明らかに雰囲気を変化させた様子をその場にいる誰もが鋭敏に感じ取れます。

 王子ホッパーの従者は顔を、ほんの少しだけ強張らせ、メイドのルビイは冷や汗をダラダラとかいています。従者のフォートランは無表情ですが、どのような命令が下されても瞬時に対応できるよう、王子たちから一切目を離しません。


 そこにいる人間の中で、雰囲気を変えないでいられるのは王子ホッパーだけでした。

「いやあ、剣の国の後ろ盾か! 確かにそれは魅力的だが、私の求めるものはそんなものではないよ」

「ほう。ずいぶん欲が深いのですね。ではなんでしょう?」

「君だ」

 

 まるで愛の告白です。


「……私と、うちの国の後ろ盾は同義でしょう」

「いやあ、まったく違うよ。私は気高く、思慮深く、大胆な勇者であるグレイス嬢と手を取りたいんだ! 王女の肩書きも、剣の国の後ろ盾もけっこう! 私は、君と手を組みたい」

「ふん、流石カビ臭い国の人間ですね。言葉だけは上手いよう。それで? 組んでどうします? 私になにをしてくださる?」

「なんでもさ。君が望むものなら、なんだって。私と君が組めばなんだって手に入る。それを考えればどんなものでさえ安い投資さ」

「私への過分な評価、痛みいるところですが貴方は自分への評価もずいぶんと甘いのですね。さて。私の望むもの」


 グレイスは少し考え込んだ後、ニヤリと笑いながら言い放ちました。


「そうですね……秋の大地の半分、といったところですかな。私の望むものといえば」

「秋の大地の半分! それは我が国をすべて譲っても足りないな!」


 それを受けた、ホッパー王子も朗らかに笑いながら、席を立ちました。

 あまりにも下品な冗談と受け取ったのでしょうか? 話を終わらせるために無茶な要求をした、と受け取ったのでしょうか?


 いえ、違います。彼は真面目な男でした。


「ですが、王女グレイス。それで貴方が手に入るならば安いものです。近い内にお見せしましょう。半分と言わず全てを。その暁には改めて貴方を求めに参りますよ」




 日は暮れました。

 畑の収穫を狙う鳥のように山ほどいた客は、みな用事を終えて帰りました。人によっては運命の出会いを果たしたでしょう。あるいは大商談を成立させ、名だたる大商人への一歩を歩み始めたものもいるでしょう。もちろん良い話ばかりではありません。力を持つ、誰かの尾を踏んでしまい、既に森に転がされているもの。

 大したものを持たない個人にとって、王女の誘いによる社交会というのはそんな人生を変えうるものなのです。少しでも想像力というものがある劇作家であれば、今日この城に来ていた全ての人間を題材にできるでしょう。それほど大きな一日だったのです。


「はあ、なにも得られない一日でした」


 もっとも、王女グレイスにとってはそうではなかったようですが。


「それにしてもなんのつもりだったんでしょうねえ、あの人」

「情熱的でしたねー! しかも超イケメン! あっ私主人の相手を狙うような悪いメイドじゃないですよ、その傍らに控えた従者さんもまた見栄えのするイケメンで、どっちかといえば私はあちらに」

「見栄えのしない従者で申し訳ありません」

「いえいえとんでもない、フォートランさんも十分イケメンですから! むしろ剣の国的にはその厳つさがポイント高い、顔の傷もダンディさが一周回ってチャーミング、いやキュート? ポップ? ファンタジー?」

「ルビイ、部屋の掃除という名目で平然と入ってこないでください。話が進みません」

「はっ、これは失礼! 出過ぎた真似を……これ一度言ってみたかったんですよね!」

「フォートラン。彼の動きの意味がわかりますか?」

「……推測しろといえばやってみせますが、情報が少なすぎまして」

「現時点の私見で構いません」

「は、では」


 常に気を抜かず、王女グレイスに付き従うフォートランですが、そのときは普段よりも少し雰囲気を緩めたようでした。


「根拠はありませんが、おおよそ話された内容通りかと」

「つまり? 本の国の第二王子はただ私と会って話すためだけにここまで来たアホの子ということ?」

「さ、流石にアホとまでは……一応、耳に挟んでいる情報によれば、既に譲位は第一王子ということで固まっており、兄弟も納得しているとのこと。兄からの信頼も厚く、身体的自由は十分にあるようです」

「つまり、アホの子が暇だから遊びに来た?」

「そういうつもりでは」

「んー、でもフォートランさんの言うことそんなに外れてないと思いますよー?」


 背後で、もはや掃除という名目すら放棄して壁にもたりかかるすまし顔のルビイ。

 名目的には掃除をしているだけのはずでしたが、平然と主人と従者の話に割って入れるのが彼女の良いところなのです!


「私やフォートランさんがなんでこの城にいるかわかります? グレイス様が王女だから? お給金がいいから? 王女付きのメイドっていうと自慢になるから? どれもノン!」

「ほう、本当ですか。メイド長自ら経費節約に励んでくださるとは」

「はっ!100%ノンではないです! お城付きだとモテますし! じゃなくてですね、私たちはグレイス様という個人のためにこの城で身を粉にしているわけです。なんたってグレイス様は素敵ですから! キャーモテモテハーレム王国ですね!」

「ルビイに口を挟ませた私が間違いでした」

「ああいえ、確かに表現は特異ですが、あながち私の思ったことと外れておりません。私めもグレイス様に付いているのです。彼についても同様なのかも、と」

「馬鹿を言いなさい。王女という肩書きがなければ私なんてただの世間知らずの小娘です」

「……」


 フォートランは再び表情を硬く戻しました。ルビイはその様子をニヤニヤと眺めています。


「ともかく。情報収集です。ルビイ、あなたを呼んだのはそのためです。もっとも、扉の外とはっきり言いましたが」

「いやあ、扉の内と外って一目見たぐらいじゃわからないもので……へ? 私になんか用事? 情報収集ってえっまさか」




 一晩明け。

 グレイス王女が情報を集めるために向かったのは城下の街で最も大きい商館。パイソオン貿易商会の館です。パイソオン貿易商会は剣の国に拠点を置いており、豪商といえるほどの規模はないものの剣の国の広い地域での日用品などの小売を担っており、民衆にはよく親しまれています。

 さて、その本拠地である館はグレイスの小城のすぐ近くにあります。もちろん偶然ではありません、なにせ彼女の城を建てるにあたり、資金のかなりの部分を拠出したのは件の商会なのですから。

 つまりは王女グレイスのスポンサーともいえる存在です。


「お父様ー! 可愛い娘のお帰りですよ! 歓迎してしてー!」

「……お気の毒だが、君の父上はつい先日破産して荷物をまとめて故郷に帰ったよ」

「じゃあ今私の前で喋ってるデカブツは誰だてめえ」

「てめえこそ昼間から街をブラブラとかいい身分じゃねえか、ついにクビになったか?」

「はー? お仕事中なんですけどー?」

「……! これはグレイス王女、お見苦しいところをお見せしました。お見苦しいのは主に娘でしたが」

「ご無沙汰しております」

「てめー! そのむさ苦しいヒゲ全部剃ってから言いやがれー!」

「ほらーやっぱ聞き苦しい発言、私の言うことのほうがどう考えても正しいこれは私大勝利ですな王女様」

「毎度のことですが、愉快なお父上ですね、ルビイ」


 さて、その商会の長を任されているのはルビイの父親であるジャンゴ。誰がどう見ても聞いても触っても遺伝率100パーセントオーバーの完璧な親子です。

 王女グレイス最大のスポンサーの娘が館にいるのは偶然ではありません。

 もっとも、「商会がスポンサー」のことが結果なのか「ルビイが王女のお付きのメイド」のことが結果なのかは意見が別れます。主に某親子の間で。

 父の方は「私のおかげで娘が城に潜り込んで仕事にありつくことができた」と言い、娘の方は「私のおかげで商会とグレイス様の間のパイプが出来た」と主張します。まあ、どちらも真偽は半々といったところで、持ちつ持たれつでしょうか。


「向こうの人間なら周知の情報で構いません。本の国の王子ホッパーについてお聞かせ願えれば」

「む! そういえば城にいらしてたそうですね。ロマンティックな例のアレですか?」

「違います」

「それは残念。さて、王子ホッパーですね。彼、大層な人気者ですよ」

「ほう」


 席に通された彼女は話を切り出さないと永遠に親子の愉快なコミュニケーションに付き合わされると骨身に染みて知っていたので、率直に要件を切り出しました。

 国内での小売を中心に財を築いた商会ですが、当然国外とのネットワークを有しています。

 実際にそこを通じてモノやら土地やらをやり取りするかどうかは別として、知っているに越したことはないのです。


「非常に若いうちから『国政は兄上に任せる』と繰り返しアピールしていたたそうで。見通しの聞かない政治情勢をなによりも嫌う商人ウケは当初から良かったですな。現在も、主要な支持基盤と言えます」

「ずいぶん派手好きのようですね、私とは対照的です」

「派手好きなのは間違いないですが、自らの派手さが何をもたらすかわかった上で積極的に派手に生きてる、と私は見ますね。人によっては政治の中枢に向く不満のガス抜き役と揶揄する向きもありますが」

「まあ、そういう方向性なら理解できます。私もそういった役割を担っていますから」

「いえ、グレイス様とはやはり真逆かと」

「というと」

「彼は、積極的に権力と関わり続けています。具体的には軍事方面で」


 王子ホッパーは政治による駆け引きが昼夜続く中央から離れたのは事実ですが、兄の影に隠れたわけではありませんでした。

 積極的に軍隊の詰め所で顔を売り、常備軍の拡充を訴え、私財を惜しげもなく投入しました。

 政治的な競合相手に軍権を持たせるのは怖いところですが、ほぼ次期の王が内定していることもあり兄も現王の父も快く受け入れました。

 結果的に兄と弟は本の国という車体を強力に推し進める両輪となったのです。


「グレイス様がなにか感じ取られたというなら、もしかしたら本の国の昨今の方針も彼の影響なのかもしれません」

「拡張主義ですか」

「ええ。長らくの間、我が国と同様周辺の国は従属関係までに抑え既存の統治機構を利用する方針でしたが、ここ数年で少しずつ転換が見られます。手始めに、敵対的な行動を起こした国の指導者をすげ替えるのではなく、そのまま直轄地にするケースが時折見られるようになりました」

「それに関しては少しは耳に挟んでいます」

「そしてこれは急ぎの報せとして受けたものなのですが、本の国と隣接する主要な国の多くが連合を組みました。それまで従属関係にあった国からも離反して連合に参加する国もいるそうです」

「!」

「まあ、トップの人間としては隣国の拡張主義なんてのは気が気でないでしょうな。半年前の煉瓦の国の併合をきっかけに水面下で動きが進んでいたようです」


 連合、同盟、あるいは防共協定? かっこいい響きですが、はっきりってしまえばトップの人間からしてみれば組みたくて組むものではありません。

 従属関係を抜け出して別に移るなんてのはたいがい幸福な結末は待っていません。もっとも良い結末でさえ仕えるボスが変わるぐらいのことです。もっとも、移らなかった結果最悪の結果――すなわち国の消滅――が待っている場合もあるのですが。

 グループを抜けて別のグループに入っても、またそのグループの中で力の大小があり、地位の上下に繋がります。小国にとって楽園の地は遠いのです。


「もっとも、こちらが滅ぶか、向こうが滅ぶか……といった剣呑な雰囲気ではないようです。従属下から離れた国にしても徹底的な復讐を狙っているというよりは連合軍の規模の優位を活かして有利な条件を奪おう、という肚のようです」

「まあ、でしょうね。主導する国が巨大ならともかく、大所帯の連合による侵略など上手くいく試しがありませんから。防衛に絞っても頭が痛いでしょうに」

「ところが、各国をまとめた中心的役割を果たしている鉄の国の総指揮官がなかなかの男でしてね、少なくとも防衛に関してはかなり歩調は取れてると見てよいです」


 国と国が集まっての連合の中でも、もっとも難しいのが軍の扱いです。

 どこかの国がはっきり主導権を握っているならともかく、小国の集まりではそれは望むべくもありません。

 では、この連合は瓦解する運命なのでしょうか。

 少なくとも、現状はその余地はなさそうでした。まとめあげるは鉄の国の猛将、ゲクラン・シムラ。傭兵隊長の出身です。

 他の国の軍の指揮官もまとめあげた手腕は彼のカリスマによるもの――だけではありません。

 そもそも、指揮官はどうやって育てられるのでしょうか? 幼少期からエリートや才覚を見せた人間に徹底的に士官教育を叩き込む剣の国や、軍事も含めたエリート向けの教育機関のある本の国は例外で、ほとんどの国はそもそも輩出される母体である軍隊が小規模すぎて育て上げる体制など維持できていません。

 そんな中で最も手軽な方法は――より大きい母体から取ること。そう、ゲクランと同じようにかつて傭兵をやっていた、という高級士官は多いのです。

 むしろ、傭兵というキャリアの『上がり』を自分の出身地に再就職すること、と考えている人間も少なくない。

 さてその結果、ゲクランの鉄の国の周辺には、同じように傭兵出身の高級士官ばかり――端的に言えば知り合いばかりでした。

 お仕事ですから、やり合うといえば手加減などしませんが組むならやはり知り合いのほうが相互理解もしやすいというものです。

 連合が結成されて1ヶ月後には目標設定について合意に至り、2ヶ月後には軍の配置や動きも全軍にしっかりと叩き込みました。

 実質的に防衛専門ながら戦力は本の国の3倍――圧倒的です。


「まあ、連合側は攻め込むには準備に欠け、本の国は戦力が欠けと双方、決め手にかける模様。我々商人は、小競り合いを何回かやって双方の面目を立てたところで緊張は緩和されると見ております」

「……果たして、それで済むでしょうか」

「ははは、もちろん心配する気持ちもわかります。つい先日かの弟君を見てきたのであればなおさらですかな。確かに革新的で破天荒な気風のかたですが、彼の上に立つ兄君や現王はむしろ保守的な人間。こうなるもの予測して少し威信を高めたかった、といったところではないですかね……と思っていたのですが。グレイス様がなにか釈然としないものを感じるならばなにか起きるのかもしれませんな! 先日なにか聞いていたとか?」

「いえ、なんだか気持ちの悪いことしか言っていませんでした」

「でしたら天才の勘?」

「とんでもない。そんなものありやしませんよ」

「そうですかねえ、私から見ればグレイス様の相当の傑人ですよ。でなければうちの娘を預けたりしませんからな。商人に必要なのは機転と忍耐、なんて私らの間ではよく言うのですが。贔屓目抜きにどちらも兼ね備えている良き商人の娘です」

「ふふ、お父君からそんな言葉が聞けるとは思っていませんでした」

「どうです、お役に立てていますかね?」

「ええ。それはもう。ですがいいのですか? それならば跡継ぎとして育てる道もあったのでは?」

「跡継ぎに血の繋がりなんて不要ですよ。それに私よりもグレイス様にお預けしたほうがよりよく活用して頂けると見てましてね。これは投資です、リスクヘッジでもありますが」


 商会のジャンゴは、普段の豪快な笑いとは違う、穏やかな笑みを浮かべています。彼なりに娘が誇らしいと思っているのでしょう。


「あいつがもし男だったら気兼ねなく後継者として育てていたかもしれません。ですが世間は未だにくだらない役割だのなんだので人を縛りたがる――こうして、娘が女だからといって違う道を歩ませた私も、それに加担している一人と言えるでしょうな。ただ、それでもまだ。王女様のところのほうが羽ばたきやすいと思いましてな。それに」

「それに?」

「商会の長なんて偉そうな面してますが、明日明後日どうなってるかわからない身分です。自分の才覚と一緒に溺れ死ぬならまだしも、あいつを俺の判断で背負うのが辛くてね」

「まさか。今も商売の方は絶好調なんでしょう?」

「ええ、そうですな。ですがそれが一瞬で転げ落ちかねないのが商の道です。例えば、うちの儲けの秘訣をちょこーっとだけお教えしましょう。パクって商人やるのは厳禁ですよ?」

「聞かせてください」

「本の国の近隣に向かいます。外交的な問題などで本の国に条件よく品を卸せない国で足元見て商品を買い付けます。なにせ、本の国と同等の大口の取引が出来るのはうちの国だけですからな。あとはここで捌くだけで大儲け現在進行系! てな具合です。さて、この方式の問題点は? 答えてみろルビイ」


 扉に向かってジャンゴがルビイの名を呼ぶと、案の定立ち聞きしてたルビイがニヘヘ、と照れ笑いを浮かべながら入室してきました。


「居るのわかってて、さっき褒め殺ししてたの?」

「あー? 自分の力量ぐらい把握しとけっつの。 それで、答えはどうなんだ?」

「そうですねー、さっき言った防衛連合が負けたら死にます! 経営破綻で一家離散」

「正解! ……と、まあそんな具合ですよ、うちの稼業ってのは。もし、この国にも影響するなにかが起きたら……どうか娘をよろしくお願いします」

「違うでしょー、父さん」


 ルビイは少しだけ、姿勢を正し、姿勢を伸ばして言い放ちます。


「もし、この国にも影響するなにかが起きたら……パイソオン貿易商会の長ジャンゴの娘、最高に利発で機転が周りすっごい忍耐を持ってる超有能メイド、ルビイがグレイス様のためにビシバシ働きますので、どうか色々お任せください!」

「そうだそうだ、言うだけならタダだ! ハッタリと胡椒は効かせるなら効かせるほうがいい!」

「はー? ハッタリなんかじゃないんですけどー?」

「ふふ、頼りにしてますよ」

「まー、何事も起きないのが一番いいんですけどねー、私ものんべんだらりと優雅なお城仕えしてるほうが楽ですしー」


 ところが、その”なにか”というのは起きてしまったのです。




 本の国の北の果て、多くの国と接する国境のド真ん中。

 そこにホッパー王子はいました。


「兄上はどう言っていましたが」

「本隊として一個の巨大な軍を独断で動かすのは厳禁、小競り合いでポイントを稼げ、そのような旨を」

「流石私の副官だ、望む内容の命令を持って帰ってくるとは!」

「いえいえ、王子の的確な指示あってのものです」

「的確な指示ぐらいでうまく動いてくれるなら、こちらも指示の考えがいがあるな! 戦場は、そうもいかないことが多すぎる」

「お察しします」


 まだ日が昇りもしない薄暗闇の世界。

 ホッパー王子はもうすぐ朝日が見えはじめるであろう方向に向かって呟きました。

 大方の予想通り、本の国の宣戦布告によって国境の連合軍との戦争が始まりました。

 まあ、どちらの首脳も一気に突破して敵の首都を陥れる……なんてことは考えていません。決戦を避け、薄く広く部隊を配置しています。


「ああ、一日が短すぎる。太陽に指示して日没を遅らせられればなあ。さて、漏れはないと思うが再確認だ。"小競り合い"の開始は?」

「残すは、ここのみです」

「大変結構! 我々の作戦の最重要点は時間だ。バッファはあるが、暗くなる前に終わらせなければ我々が不利になる関係上、時間の余裕にも限界はある。今日ほど夕日が忌々しいと思ったことはないよ」

「ええ、ですが数年前からこうした動きを見据えて我が軍は訓練を続けてきました。実践でもそれが必ず発揮されるでしょう」

「あとは兄上に目論見がバレないことだけだったが、それも上手くいったしな。さて、もう出たとこ勝負だ。我々もそろそろ出番だ、動き出すとするか」


 本の国の国境を覆う森と、隣国へと繋がる細い道に、夜明けが訪れました。

 木漏れ日に弱い陽の光がさし始めたのに合わせ、王子ホッパーが直接率いる軍も動き出し始めました。

 総数は500程度の小さい規模。

 これは、同様に国境に布陣する連合軍の守備隊と同程度の規模です。


 同数同士の軍の衝突――ですが、戦いはあっさりと終わりました。

 王子ホッパーの勝利です。


「王子、幸先が良いですな」

「そうは言うがなあ、あちらさんも対して被害を受けていない。まあこんな小競り合いで死にたくはないだろうし、総指揮官としても消耗は望まないだろう。というわけで対して抗戦せず撤退するよう指示を受けていたんじゃないかな。もっとも、徹底抗戦されたとしても同数の相手に競り負けるつもりはなかったが」


 その通り。

 連合軍の最前線の守備隊たちは鉄の国の総指揮官、ゲクランよりこういった指示を受けていました。

『質で勝る彼らに少数対少数でぶつかれば手痛い打撃を食らうのは確実。そうして兵力を削られ、同程度の総戦力に持ち込まれたというのが最悪のシナリオだ。それを避けるため、基本的には消耗を回避するように。撤退や生存を最優先し、最寄りの主力に向けて突破された旨伝令を送れ』

『ただし、敵がうちの鉄の国、塔の国、酒の国の3カ国に配置した8000程度の規模の主力との決戦を目指して動いてきたときは仕事が必要になる。数千程度の敵の部隊の動きを捕捉した場合は、すぐさま各国に向け伝令を飛ばせ。そして部隊の捕捉、及び遅滞に努めよ。伝令が手早く届けば、狙われている部分を固めるもよし、他の主力を回して包囲を狙うも良し……まあ料理は俺に任せるんだな』


 と。

 間違いなく悪手ではありません。

 堅実な手であり、一方で本の国が迂闊な動きをすればきっちり咎めるだけの作戦。急ごしらえの連合軍とは思えない出来です。


 ですが、彼らは本の国が、いえ王子ホッパーが数年かけてやってきたことを知りませんでした。

 ホッパー王子は少しずつ昇る朝日を見ながら、軍を進めていきます。手勢はほぼ変わらず、500のままです。


「どうだね、小競り合いの経過は順調か?」

「ええ、全勝です。問題もなく、時間通りに全体移動しています」

「いやあ。よかった。ここで転んだら全隊に向け慌てて撤退命令を出さなければいけないところだったよ」

「まだ異常に気づいていないと良いのですが」

「まったくだ。だがまあ、気づいてももう遅い……ように手早く、本隊を攻略したいものだがな」





 ちょうどその頃、主力の1つが位置する鉄の国の前線に伝令が届きました。

 国境の東側が破られた、と。


「動きが早えなあ。例の王子の差金かあ?」


 連合軍の総指揮官、ゲクランは突破されたと聞いても驚きませんでした。予測の範疇。むしろ、『完全に捕捉は出来ていないが、鉄の国方面に向かっている』という話を聞きほくそ笑んだぐらいです。


「はっ、たかだが500そこそこで随分深入りしてくるねえ。こっちの主力の釣り出しでも狙ってるのか? 今のところは待ちの一手かね。だがなあ、うちの国の森は深くて怖えぞぉ~?」

 鉄の精錬技術で名を馳せた鉄の国。質の良い鉄鉱石はもちろん特産物ですが、もう一つの特色が深い森です。

 良い薪を生む、深い深い森こそがこの国の誇りの一つでもあるのです。

 さてどうしたものか、撤退してる守備隊を再編成させて背後を塞ぐか、他の主力を一旦この地域に呼びつけるか……とゲクランが思案しているところ、また伝令の声が聞こえました。


「伝令です! 国境の西側が突破されました! 敵規模は500、進路は鉄の国です」

「……? やっこさん、ずいぶん手広くやってるな……わかった。指示あるまで待機せよ」

 挟み撃ち? 500の小部隊2つで? 馬鹿を言え。


 ゲクランには動きの全貌が見えません。ですが、嫌な予感がしました。実践経験に裏打ちされた予感です。

 その予感を裏付けるように、伝令がふたたび届きました。いえ、ふたたびどころではありません。ふたたび、みたび……堰を切ったように伝令が相次ぎました。

 そしてその内容全てが判を押したように同じ。

「国境が突破された、敵規模は500程度、進路は鉄の国」だったのです。


「ちくしょう! あのクソ王子ふざけやがって、つまりこういうことか、国境の12箇所が全て同時に破られたと!?

 待機してる伝令ども、全員速やかに原隊に復帰して伝令だ! 突破した軍隊を追跡し捕捉、速やかに遅滞行動に移れと。加えて他二都市にも救援の伝令を出してくれ!」


 冷や汗をダラダラと流すゲクランは、矢継ぎ早に指示を飛ばします――ですが、間に合わなかったようです。


「ゲクラン指揮官! て、敵がもう目前に!」

「ああクソ、最初に現れたのはどの方面のやつだ! 1つ1つは小部隊だ、集合するまでに潰すぞ! 遊撃隊を出す!」

「い、いえ、それが。それがですね」

「早く言え!」

「す、全て! 全てなんです、本の国国境からここ、鉄の国まで! 存在する全てのルートを使って、同時に現れましたぁ!」


 王子ホッパーがやった戦術、それは分進合撃。

 鉄の国、あるいはその周辺の国の国境を一斉に破り、同時に到着する……簡単なものではありません。同時に動く12の小部隊間の連絡手段も限られています。

 数年前から王子が軍に対して粘り強く必要性を訴え、徹底的にこの作戦に向けての準備――作戦を計画し、訓練を行い、修正点を探し、また作戦を計画し、訓練し……というサイクルを行い続けたこと。

 それが成功の秘訣でした。


 まだなおゲクランの手勢は数では勝っており、それなりに粘ったものの複数方面からの連携の取れた同時攻撃に屈します。

 はっきりいってこれは弟の独断専行でしたが、実質的に実権を握る兄は今回も黙認したようです。

 連合の中心であった鉄の国、戦力の約1/3、総指揮官を一挙に失った連合は、ほどなくして崩壊しました。

 この勝利をきっかけに、本の国の王の位は正式に兄に譲位されました。




「本の国からの申し出ですが、陛下は断ったそうです」

「ありがとう、フォートラン。 ……でしょうね。厳しすぎる条件だもの」


 破竹の勢いで勝ち続けた本の国は版図を広げ、剣の国へと至るほどになりました。

 どちらに付くか決めかねる周辺国が様子を伺う中で行われた決戦で剣の国は惜敗。人的資源の損失という面で考えればほぼ互角でしたが、何百年も剣の国を守り続けた国境沿いの大河を越えられ、橋頭堡を築かれてしまいました。

 これを機に雪崩を打ったように剣の国の従属国や友好国が離反。戦力自体は十分に蓄えながらも、非常に厳しい状況に追い込まれてしまいました。

 そこに届いたのが本の国から和解勧告。降伏、というほど厳しい内容ではありませんでしたが秋の大地に君臨した大国として意地を全て捨てろと迫るような内容でした。


「降伏ではないとはいうものの……主権以外の全てを失う、って文面に書かれているようにしか読めなかったわ」

「あ、王女様もそう読めました? 私もですよ」

「ルビイは……ここを離れなくてよかったのですか?」

「いや、あのオヤジ私にも知らせずに蒸発しやがったし」


 もともと土地自体は貧しい剣の国。周辺国の離反で経済は大きく崩壊しかけており、あらゆる面で追い詰められていました。

 もちろん、それが本の国の狙うところなのでしょう。


「むしろ王女様こそ逃げてもよかったんじゃ。山脈こえて秋の大地を抜けてもいいでしょうし、本の国がムカつくならどっか中立国に潜んでるとか。和解ならともかく、抗戦選ばれちゃった以上は王族なんて見つかれば首チョンパ! でしょうし」

「そんなことをすれば、王女すら逃げ出した国などと喧伝され、この国はますます苦しくなるでしょうね」

「はー、こんな国にそんなこだわる必要あります? 前から思ってましたけど、その王女って肩書が重荷にしかなってませんよ?」

「ルビイ!」

「……申し訳ありません、流石に失言でした」


 この小城がこんなにも重い雰囲気を纏うことはあったでしょうか。

 瀬戸際の国という敗北感。

 そして王女という立場ではなにもできない無力感。

 もっとも気を詰めていたのはグレイス王女でした。

 項垂れたルビイが部屋を出ていこうとして扉に手をかけたところで――外側から扉が開かれました。

 フォートランです。


「そんな殊勝な顔をしたルビイを見るのは初めてですな」

「フォートラン。 ……もう、ですか」

「ええ。しっかりと包囲されています。しかも指揮しているのは一度見た顔です」


 城周辺の主要な道全てに、敵軍が見えました。

 その中から一人が供回りを連れて城に近づいて来ます。

 ホッパーです。


「もし望むなら、博打にはなりますが私の部下――といっても十数人ですが――であなたを連れて突破を試みます。城の下女たちはルビイに任せて降伏させれば悪いようにはされないでしょう」

「博打ね……フォートランはそういうのあまり好きそうじゃなさそうだけど」

「いえ、そうでもないですよ」

「あら、意外です」

「この国ではなく、あなたを選んだこと。それが私の打った大博打です。 ……どうしますか、あなたが望むならば万に一つ、ここで王弟を――」

「いえ……まず、話してみましょう」


 供回りを制して門に近づいてきた王弟ホッパーを、王女グレイスが迎えます。


「また相まみえましたね」

「私はお会いしたくなかったですけれどもね」

「ははは、手厳しさも相変わらず」


 グレイス王女にとっては少しばかり時を経たぐらいのものですが、王弟ホッパーは激戦を繰り返しあらゆる死闘を制してきたはずでした。

 ですが、そこに初めて会ったときとまったく雰囲気は変わらないまま。自然体でした。


「こんな僻地まで抑えられたということは、もう剣の国は全て抑えられているんでしょうね」

「まあ、そうですね。首都の方は兄王に任せました。花を持たせてやりたくてね。それよりも約束を私は果たしましたよ。秋の大地の半分、いやそれ以上を手にして見せました」

「まだあなたはそんなことを……! 私をどうしたいのですか? 持ち帰って宝箱にしまっておきたい?」

「確かにあなたはこの世のありとあらゆる宝石よりも美しく、そして貴重だがそんな無駄なことはしない」


 王弟の態度は敗北に瀕した国の、それも王権もなにもない王女に向けるものではありませんでした。

 彼を知る人ならば、それこそ兄王に接するときよりも尊敬の念が込められていると思うものもいるかもしれません。

 まあ、事実なのですが。


「あなたは、王女という宝石であり続けようとしたようですが、私はあなたを素晴らしい実用品として評価しているのです。それこそ、本のような」

「私が実用品……本……?」

「あなたが輝ける席を用意しましょう。我が国が占領するであろう、この一帯の総督として大鉈を振るわせるのも良さそうです。我が国の学問の場に立つのも悪くはない! おそらく数年かけてまず基礎を学ぶことになるかと思いますが、すぐに追いつき追い越すでしょう。あなたが教壇に立つところを是非見たい! ……どのような望みでも構いません。私のバックアップとあなたの能力があれば、必ず欲する地位をものにするでしょう」

「私が、望むもの……」

「もうあなたを縛る剣の国というものはなくなった! あなたはなんだって出来る! 一緒にあらゆることをやってみせようじゃないか!」


 彼が言うことは、周囲の親しい人物が漏らしてきたことでもありました。

 あなたなら出来る、王女の肩書きなど不要だというささやき。

 あるいは王女の責任など投げ捨てればいい、無能な王宮もなにもかもその権威も利用して奪い去ればいい、などという誘惑。

 彼女は王女になどなるべきではなかったのでしょうか。

 

「そうだな、確かに。私を縛るものはなくなりました」

「よかった! 理解していただけたか、では!」

「だが、剣の国はなくなったわけではありません」

「いや、グレイス王女。希望的観測を言っても無駄だ、もう王宮にも我々の手が」

「私の国は王宮ではありません。私の国の軍隊も、私の城も。この国そのものではありません」


 人によって幸福の定義は違います。

 不幸の定義も違います。

 だから、人は彼女を悲劇の王女と呼ぶかもしれません。

 なにも「選択」できないまま全てを失った、と。


「私はたぶん、王女という役割から逃げたりしたくなかったのでしょう。あるいは失いたくなかったのでしょう。一度私のものになったものを手放すなんて考えられません。負けず嫌いですから、それもとびきりの。だからこそ、王女という役割に固執してきたのかもしれません。『剣の国の王女』というルールのゲームで遊んでいるだけ」


 でも、違います。

 彼女は「選択」していたのです。

 苦しくとも、辛くとも。

 王女であり続けるという道を。


「今も本質的には変わっていない気がします。ただ、違うとするならば……私が王女という位を失ったことを認めるということ。いいでしょう、この一敗。受け入れます。受け入れた上で奪い返します」

「……君は私の想像の上を行ってくれるな。だが、それは困難な道だ」

「ようやく、私の望むものが見つかりました。秋の大地の半分も悪くありませんが……」

「……」

「誰かに譲ってもらうのではなく、それを自ら手に入れてこそ、です、フォートラン!」

「はい」


 背後にいたフォートランは全く躊躇いもせずに合図ですべてを察して長剣で王弟ホッパーを斬りつけました。

 間一髪のところで背後にステップ、かわしたホッパー。周囲にいた兵が飛び出そうとしますが、それを制します。


「出るな! 門の裏にきっちり兵士を固めてるはずだ。兵士を釣り出して私の身柄を確保するのが狙いだろう。一旦退く」

「あ、道中お気をつけくださいねー、イケメン王子さん。あれ、もう王子じゃないんだったっけ? 呼び捨てでいい?」


 王弟が退こうとする中、降り注いだのは小城から降り注ぐ石やらなにやら。陣頭にはルビイが立っていました。

 兵士は身を挺して王弟を守るものの、とても反撃どころではありません。数人の被害者を出しながら、一度離れていきました。


「フォートラン、城の南の川に沿って包囲網を突破しますので、配下の兵とともにしんがりを頼みます。ルビイ、さっき石を投げたのは」

「へい! もちろん我が剣の国の誇る強き女たちでごぜえます」

「とにかく武器になりそうなものを持たせて。私とルビイが先頭、間をメイドの皆さん、最後方をフォートランに任せます」

「もう済んでまーす! 即席投石器から火かき棒まで、それはもう色々と」

「流石ね。王弟が怯んでる今が勝負よ。フォートラン、行けますか?」

「ふふふ、はい。無論です」

「うおっ、フォートランさんの表情筋動いてる」

「そりゃあ、私だってこんな愉快なことがあれば笑いますよ。先程まで迷いがあったとは思えない的確な指示です、グレイス様」

「まったく、もう……行きます! 全員着いてきてください!」


 下女もあわせてたかだか数十人でした。が、彼らはグレイスの指揮下のもと遺憾なく実力を発揮。

 撤退した王弟はその一隊を舐めていたわけではありませんが、指示をだした頃には川沿いを守っていた兵士が上流から流れてきたところでした。


 もちろん、こんな小さな争いが剣の国全体に影響するわけもありません。

 首都は陥落し、剣の国は降伏しました





「剣の国はどうかね?」

「王弟もずいぶん気にされるんですね。至って順調。反乱も小規模なものはしばしば起こっていますがすべて被害なしで鎮圧しています。あなたの懸念はもっともな部分もありましたから、ナンバースリーの高級士官であるジアバシース氏に占領統治を任せています。問題など起こりようもありませんよ」

「……いや、彼女がいるはずなんだ。油断はできない」

「まるで恋煩いですねえ」

「そうだな。これが初恋……いや二度目の恋かも。一度目は初めて会った彼女に惚れ、二度目は二度目に会った彼女に惚れた」

「むちゃくちゃ言ってるなあこの人」

「まあ、違う道を見つけたのかも知れない。そうであれば幸運を祈りたいところだな……離席する。なにかあったら伝えてくれ」


 秋の大地を統一しましたが、まだ課題は残っています。いや、統一前よりも積み上がったというべきでしょうか。

 彼は王弟という立場ながら、今なお前線にいます。もちろん彼は好んでその場にいるのですが――あまりにも活躍しすぎた彼を政治の中枢から遠ざけておきたい、そういった思惑も、少しだけ兄王の中に生まれていることを彼は知りません。

 そしてついに、彼がある意味では待ち望んでいた便りが来たのでした。


「急報! 剣の国で反乱が!」

「反乱ごときであまり騒ぐな。……その、ホッパー様が煩い。それで? 規模と場所は?」

「い、いえ、それがですね。規模は不明……反乱の場所は全土です」

「はあ? 全土だと、大規模にしてもそんな答え方があるか! 既に管区分けは完了している、置かれている統治組織の単位で答えろ」

「い、いえ……ですから全土なのです! 文字通り全ての管区の駐留拠点が焼かれるか、あるいは担当している士官と連絡が付きません!」

「馬鹿を言え! 守備隊を率いているジアバシースはどうした!」

「詳細はわかりませんが、主力は現在潰走中、ジアバシース様は行方不明。予備の部隊もすべて襲撃され分断包囲されている状態です」

「……ホッパー様を呼べ! 待ち望んでいた事態が来たと伝えろ!」

「いや、聞こえてるよ」


 剣の国は、危機となれば老いも若いも、男も女もみな剣を取るというお国柄。

 彼女は、剣の国のグレイス。


「彼女が来た」

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剣の国の姫騎士、本の国の王子 @taku1531

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