第13話 慈悲深き令嬢

 


 洞穴に響き渡る、化け物の呻(うめ)き声。

 その耳障りな音を俺達プレイヤーは、ただ黙って聞く事しかできなかった。

 特に、化け物から見て左端に位置する俺は、自らの拳を握りしめて震えている。



 最強のはずの鮫島が、渾身の一撃を放ってダメージ100だぞ。相手のHPは55000なのに…どうやって勝てっていうんだよ。


 化け物の方向にゆっくりと視線を向けると、姿そのものは見えないが、しっかりと相手ステータスだけは見えた。

 やはり相手は、健在のようである。



―――――――――――――――――――――――

 ●呪猫(カース・キティ)

  Lv.20

 ○HP…『4900』

 ○状態…『通常』

 ○殺人カウント…『100』


 闇より生まれた呪われし子猫。

 人間を食い散らかしていくたび、口の数が増えていく。

―――――――――――――――――――――――



 ステータスには先程のダメージが既に反映されていた。

 HPと記されている箇所が『5000』から『4900』になっている事が確認できる。

 そしてこれは、勝てないという事の証明でもあった。



 こちらへ戻る鮫島の落ち込んだ表情を見るに、先程の攻撃は自信があったのだろう。恐らく、1番攻撃力の高いモノを打ち込んだのだ。

 呆然としたままの彼に、俺は話しかけた。

 絶望的な状況を打破しなければならない、そんな表情を浮かべながら



「鮫島君!あの攻撃を何回もやり続ければ勝てるんじゃない?」

「………」



 そうだ、単純に考えれば55回やれば相手のHPを0にする事が出来る。馬鹿な提案と思うかもしれないが他に方法がない。

 現状では、敵の攻撃をひたすら俺が受け続けるという策が最善なのだ。

 幸運な事にステータスを見ても『HP』の欄には、まだ9の数字がズラリと並べられている。



 あの痛みを、あと55回も経験しろというのか…でも、これしか生き残る道はないさそうだ。



「鮫島くん。返事してよ」

「………おい。なんか勘違いしてねぇか?」


「え、それはどういう…」

「さっきの攻撃は特殊な物理攻撃でな、MPを大量に消費するんだわ…あと2発が限界だ」



 鮫島の発言で一気に血の気が引いた。でも、何か対策を考えなければ……俺は、身を乗り出して限りなく不可能に近い提案をする。

 焦っている様子で、必死に訴えかけるような口調になっていた。



「通常攻撃ならどう!1くらいのダメージは与えられるんじゃないか?」



 あの痛みを1000回、いや5000回繰り返す事になるが仕方ないだろう。

 戦闘が終わった後、痛みのせいで廃人になってる可能性は捨てきれないが、やらなければ確実に死ぬだけだ。



 俺は覚悟を決めたが、鮫島は声を荒げてその提案は不可能である事を伝えた。



「さっきの攻撃以外にダメージを与えられないんだよ!コマンドにご丁寧に書かれてあったんだ。他の攻撃手段の所に米印でダメージ不可ってな」

「そんな…」



 どん詰まりの状況を確認した俺達は、無言になってしまう。考える事を止めたのだ。

 現状考えうる手段では、生き残る道がない。

 しかし、考える事を止めたと言ってもゲーム自体が止まる事は無い。



〈プレイヤー『蓮』が『身を守る』を選択致しましたので『物理防御値』を100にupします〉



 進行を続ける機械音に対して、俺は思わず笑ってしまった。防御値が100増えるだけという無意味な報告もしてくれるのだ。


 まだゲームは終わっていないと教えるかのように。



「あれ?…そういえば……」



 機械音を聞いて冷静さを取り戻した俺は、ある事に気付く。先程から松尾が、無言のまま地面で足を抱えて動かないのだ。



 おかしい……彼女が誘導魔法で蓮を指定しているならば少なくともこのターン、死ぬ危険性は無いはずだ。

 ならば、気持ちに余裕も出来て先程の会話にも参加するはずである。



 --‐-‐だがもし彼女の態度の理由を、会話に参加する余裕がなかったと仮定するならば一つの可能性が浮上する。



「もしかしたら…」



 俺が松尾の方向を向いた時、機械音がまた鳴り響いた。




〈プレイヤー『松尾』は、『魔法(マジック)』を選択されましたので実行致します〉



〈……『全防御(フル・プロテクト)』発動します。効果により全プレイヤーの『物理・魔法防御値』が5倍になります〉




 彼女は、誘導魔法を選択しなかったのだ。

 命が関わる状況に来て、胸の奥底の優しさがコマンド選択に現れてしまった。

 この優しさに溢れた選択を鮫島が許すはずが無い。彼は、すぐに松尾を怒鳴りつけている。



「松尾何やってんだ!次のターンに化け物が、俺かお前を選択したら死ぬぞ!」

「だって……私のせいで人が苦しむのは嫌なのよ」



 松尾は体育座りのまま顔を伏せているので、表情が見えないが泣いているのだろう。

 微(かす)かだが、鼻をすする音が聞こえた。



「お前!いつも蓮のこと虐めてるじゃねぇか!」

「それとこれとは… 違うでしょ。あんな悲鳴を私は聞きたくないの…」



 鬼のような怒りの鮫島であったが、彼女の発言を聞いて1番驚いてるのは俺だ。



 なんで松尾は、俺に誘導魔法をかけなかったんだ。困惑を表していたと思う。

 理解出来なかったんだ……俺の事をいつも虐めていたじゃないか。



 三人が混乱している中、不気味な機械音が進行を進める。



〈呪猫(カース・キティ)のターン、『戦う』でプレイヤー『松尾』を選択致しましたので〉


〈これより呪猫(カース・キティ)の攻撃ターンに入ります〉



 不幸な事に化け物が選択したのは、命を軽視する鮫島ではなく慈悲の心を有する若き女性であった。

 化け物の攻撃対象とされた彼女はゆっくりと顔を前方に向け、悲痛な表情を浮かべる。



「誰か…助けてよ…」




 ―溢れる涙とともに

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