第14話 運命を宿命に変える者





 白い壁と青みがかった白色光のはっきりとした照明に包まれていた。


 中央の長机の向こうには、制服姿の幹部たちが並び、その中央に白いケースが置かれている。


 ケースの蓋には、青い宝石のエンブレム。ハートの両端に翼を広げた紋章が刻まれていた。


「アヤ・アガペー。前へ。」


 名を呼ばれ、アヤは一歩前へ出る。背筋が自然と伸びている。

 中央に座る現本部長が、静かに口を開く。


「君を、ブレインギアの適格者として任命する」


 緊張に息を呑むアヤ。


「適格者。それは単にアレセイアと身体が適合する者のことではない。


 このブレインギアは誰でも装着できる。


 では何故、君が選ばれたのか。分かるかね?」

「分かりません。私はまだ遊撃班に配属されたばかりの新人です。


 何故そのような特別な物の適格者に選ばれたのでしょうか?」


 眼鏡を掛け直した本部長は、彼女と視線を合わせ直すと質問に答えた。


「こんな物は特別でも何でもない。君という人材が特別だったのだ。


 よく聞き給え。選抜された魔法使いの中から、

 これに対して兵器として認識が強く、力を正しいことに使えると認められた者だけが与えられる。


 我々は、力を持つ者をただの戦力としては扱うつもりはない。」


 本部長の声は低く、しかし芯の通った声で彼女を見詰める表情は確信に満ちていた。


「君は、人よりも深く思い悩み、迷う。そして、その上で行動する。


 それは時に判断の遅れと見なされるが、

 我々が求める最も重要な資質が悩むという傾向なのだ。」


 話を聞いた上で目を瞬かせるアヤ。本部長は欠点と指摘されるべきものを嬉々として語る。


「人を守る為の兵器の扱いは当然速く、正確でなければならない。


 しかし、人を助ける為の兵器は、それ以上に正しいものでなければならない。

 理解してくれたかね?正しさとは、悩み、考え、選び取ることでしか得られない。


 そしてそれを君は深く思い悩むことで人を助けるという行動に変えることが出来る貴重な人材なのだよ。


 君は人を守るだけではなく、人を助ける力を持っている。」


 本部長は白いケースを開けた。


 中には、銀で縁取られた白いベルト。


 そしてその中心には青い宝石が埋め込まれたハンディトランシーバー。ブレインギアが収められていた。


 宝石はまるで意思を持って発光する様に青い光を点滅させて、室内を鮮やかに照らした。


 本部長はケースを両手で差し出す。


「君が悩み、決断し、行動する限り、このアレセイアは正しい力として君に力を貸すだろう。」


 両手でケースを受け取り、ブレインギアに搭載された宝石はアヤが覗き込んだ途端、

 点滅させていた光をピカリと輝かせて彼女の顔を照らし出した。


 まるで宝石そのものに意思が宿っているかの様に。


「…………必ず、この力を正しいことに使います。人を助ける力にとして……!」


 彼女の声は確かな響きとなって広がった。

 会議室の静寂に吸い込まれ、やがて暗がりの中へと暗転する。





 夜の路地を、黒い影が疾走する。


 青と白のツートンのバイクに乗る白髪の少女がアクセルを回して必死に追うが、

 黒猫の怪人は壁を蹴り、屋根を駆け、闇に溶けるように姿を消す。


「――――速い……!目で追えても、バイクでは追いつけない!」


 屋根から屋根へと飛び移った怪人は、港湾施設の廃屋へと向かう。

 倉庫の屋根に開いた大きな穴へと身を滑り込ませた様子を、アヤは見逃さなかった。


 錆び付いた倉庫の入り口に停車して恐る恐る中を覗き込むアヤ。


 天井から落下した怪人が床に着地して、そのまま膝を折って崩れ落ちる。


 咄嗟にレッグホルスターの銃に手を掛けるアヤだったが、その瞬間、小さな影が駆け寄った。





(子供が……!でも、どうして!?)





 幼い少女が、黒猫の怪人の身体を抱き起こすように膝を着く。


 その手には、ほつれた包帯と小さな救急箱。


「猫さん!また怪我したの!?」


 震える指先で、怪人の裂けた皮膚に布を押し当て、必死に血を止めようとしている。


「……動かないで…………すぐ手当てしてあげるから……。」


 すると黒猫の怪人は「フゥゥゥウッ!!!!」と威嚇する様に毛を逆立てて少女の身体を跳ね除ける。


「うわぁああっ!!!?」


 鋭い爪が彼女の肩を掠め、手を着いた路面には剥がれた皮から血が流れている。


「危ないっ!!!!離れてっ!!!!」


 咄嗟に走り出していたアヤは彼女から飛び散った血を見て思わずベルトのバックルを取り外していた。


 駆け付けるアヤに反応した黒猫の怪人は彼女を見るや否や問答無用で駆け出して、四つ足で高く跳び上がる。


「――――アンロックっ!!!!」


 バックル型のハンディトランシーバーに出力解除音声を入力し、素早く装填する。


「ACCELERATION」


 起動電子音と伴にブレインギアの低い駆動音が鳴った。


 次の瞬間、視界の端が青く閃き、全身を稲妻が駆け抜けた。


 地面を蹴るたび稲光が走り、まるで世界が引き延ばされた様に視界がゆっくりと動いている様に見えていた。


 当然、周囲がゆっくりと動いている訳ではない。


 自身の運動速度と動体視力が脳に送り込まれる電子の加速と伴って運動神経細胞と伴に思考速度が向上している為であった。


 そのため、飛び掛かった黒猫の落下速度が遅く見えている。


 落下する怪人の懐に入り込み、身体を低く捻った。


 彼女の瞳が青く光った瞬間、低く捻った態勢から立ち上がる様に、目にも止まらぬ速さで回転する。


「うおぉおおおぁあっ!!!!」


 青い稲妻を纏った脚が、弧を描いて怪人の腹部を蹴り上げていた。

 電光と伴うハイキックの衝撃と焼け焦げた皮膚から黒い煙が立ち昇る。


「ッウゥゥ二ィイィゥゥウゥッ…………!」


 獣の様な断末魔と伴に口と腹から血を噴き上げて怪人が崩れ落ちる。


「LOCKED FOR RECOVERY」


 纏っていた電気がパチパチと散り、発光していたベルトの宝石が点滅し、電力供給が止まる。


「RETRACTION」


 停止音が鳴った同時に彼女の後ろから小さな影が駆け抜けた。


「猫さんっ!!!!」


 パタパタと黒猫の怪人に駆け寄る少女は雪の様な光の粒を溢してピクピクと痙攣する身体を抱き上げた。


「ごめんね…………!猫さんのことを……、何も知らないのに…………!


 猫さんのこと、守ってあげられなかった……!」


 涙を流し、上体を膝に乗せて抱き締める少女が、黒猫の怪人に寄り添うように膝を着いている。



「大丈夫!?怪我を見せて!」


 駆け寄ったアヤが少女の左肩の傷口を確認すると、

 擦り傷のような線傷から血が流れている。


「貴女……、どうしてその怪人を匿っていたの?


 その怪人が3年前から街の人達を襲っていたことは知っているでしょう?」


 戸惑った様子のアヤは少女の開かれた口元が震え、唇が何かを形作る様子を待った。


「…………ぅっ、…………ふっ……ぅっ……。」


 腹部を焼き潰された怪人に寄り添いながら、少女は怯えた顔で、震える声を絞り出す。


「だって、苦しそうだったから……!」


 少女の声は掠れ、涙で濡れていた。


「猫さんだって、ただ生きていただけなのかもしれないのに……、


 何もしてあげないまま、見捨てるのは……っぅ。


 可哀想だと、思ったから……!」


 涙でぐしゃぐしゃになった顔で少女が純粋な想いを告げる。


「…………っ!」


 思わずアヤは息を呑む。その時の彼女は何も言う事も無く黙り込んでしまっていた。


「…………お姉ちゃんは……どうして……、魔法使いになったの?」


 その言葉が、立ち尽くす彼女の胸を鋭く突き刺した。





「これが、アヤさんの記憶……。


 アヤさんが抱えていた後悔だったんだ…………。」


 彼女の力は、本当に正しいことに使えているのか。


 それぐらいのことは白い怪人、久遠彼方にも分かり切っていることだった。


 彼女の行いは結果的にも正しく、目的や動向に間違いはない。


 ただ、人の傲慢さが彼女等を対象として陥れているに過ぎない。


 これで彼女の行いが正しくないのならば、

 魔法使いという組織は全ての問題を躊躇いの無い暴威で抑え込まなくてはならなくなるからだ。


 地球人と同様に彼女等の目指すべき社会もそこにはない。





 身体が上下左右に揺れて暗闇の様な空間から光が射し込んでいく中。


「アヤさん……!確りしてください!アヤさん!」


 霞んだ景色の中で白い怪人が彼女の上体を起こして背を支えながら揺らしていた。


 「……ク、クドウ……さん…………私は……。」


 辺りを見渡してゆっくりと立ち上がるその周辺はアーケードで囲まれていた。


 中央区への大運河を跨ぐ大橋の上。メル・グランデ橋。


 柱の間から見える水路はすっかり増水しており、

 先程まで彼女等がいた橋際も河川の氾濫の様に洪水していた。


「良かった。アヤさん。気を失っていたんですよ。


 津波に流されて後ろにあった建物の壁にぶつかったんです。


 水に飲まれた後、取り敢えずここまで運びました。」


 彼は傍らに置いてあった割れたヘルメットを見せると、

 アヤは自分の頭を触り、長い焦げ茶色の髪が流れると既に被っていなかったことを認識する。


 そして咄嗟にベルトのバックルとネックレスの宝石を確認した。


 宝石は黒から青と交互にチカチカと点灯して青い光に切り替わっていく。


 彼女の視線を見て白い怪人は「さっきまで、アヤさんのネックレスが黒く点灯していました。」と伝える。


「でも、代わりにベルトの宝石が青に光って、その後でネックレスも同じ様に青く光っていました。


 変身が解けたアヤさんをここに運んだその時にはもう、アヤさんの記憶が見えていました。


 まずはすいません。勝手に見てしまって……。」


 膝立ちの上体から立ち上がって謝罪する白い怪人に対してアヤは、

「いえ。見えてしまうものは仕方がないことです。」と返事をする。


「私は…………昨日の蜘蛛の怪人が地球人であることが分かり、

 彼等が人として生きることを願っていることを知ってとても戸惑っていました。


 以前、黒い猫の怪人を倒した時の出来事を同時に思い出してしまったからです。


 何故、私が魔法使いになったのかを問われたことを未だに答えられませんが…………。

 クドウさん。私は昨日、貴方が1人の少年を助ける為に自分の身を挺して守ろうとしている姿を見て、本当に嬉しく思いました。


 地球人であることなどは関係なく、

 ただ純粋に人として向き合おうとしてくれたことが、私にとって救いに思えました。


 昨日の事件を終えて、今日の事件で魚の怪人を助けようと思えるのは、

 貴方の行動が私達を信じさせてくれたからです。」


 心情を吐露する彼女に白い怪人は静かに首を振ると、「それは違いますよ。」と否定する。


「確かに俺はカズラ君を守りたいと思って行動していました。


 でも俺は勘違いしていたんです。


 本当はカズラ君が街を守ろうと必死に呼び掛けていることを知って、

 俺は自分が嫌な思いをすることから逃げていることに気付かされました。


 そして今日も彼と偶々病院で合って話を聞きました。


 誰かが守るんじゃなくて皆が守っている、ということを。

 誰かを助ける為に、誰かと協力しなきゃ、誰も助けることなんて出来ないんだ、ということを。


 今日もまた、彼に気付かされました。」


 透明な仮面の中で髑髏が何処か自嘲気味に笑みを浮かべている様な声で彼は語った。


「彼のお父さんの言葉なんだそうです。


 自分の周りの人達が皆を守ってくれているから人を守ることが出来るんだ、って。


 自分が魔法使いだから人を守っている訳じゃなくて、

 周りの人達も大切な人達を守ろうとしているから人を守れることなんだ、と教えてくれました。


 今の俺に足りないことだと思いましたし、これからもアヤさん達に協力していきたいと思いました。


 人が人を助けるって、人を守るだけじゃなくて、助け合うことだと教えてくれたんです。」


 アーケードの柱の間。欄干から濁流が瓦礫や汚泥を流し込んでいく中、

 叩き付ける様なザァザァと降りしきる雨音が彼等の会話を途切れさせる様に視線を奪う。


 急激に増水した河川の様に沈んだ水路。


 桟橋に乗り上げられてロープが絡んだ水上バイクが転覆することなく波に揺られている。


 思い詰めた様子で欄干から様変わりした街並みを眺める彼女はぽつりと答える。


「…………凄いですね。あの男の子は。確かに、私もそう思います。


 昨日みたいにただの戦いで終わらせたら、また誰かを助けることも出来なくなってしまいます。


 あの蜘蛛の怪人でさえ、地球の人達が人として生きていられる世界を望んでいました。


 結局、私は迷ってばかりで、彼に寄り添って伝えるべきことを伝えられていなかったと、今になって思います。


 せめて、ハヤセさんにも心配している人達がいることを伝えられたなら…………。」


 そう言って彼女の視線は蝙蝠怪人が飛び立った空の向こうを眺める。


「……………。」


 雨の中、高い空で紫色の光が蜷局を巻いて徐々に、ゆっくりと降下していく先を見詰めて。



「……俺はアヤさんと違って、昨日の怪人を殺すことを決心していました。


 でも今は、違います。


 このままでは何も変われないことを気付かせてくれた人達がいたからです。


 それは、昨日アヤさんが何度も助けてくれたから同じ場所に立って居られています。


 今でも出会ってきた怪人を思い遣っている、そんなアヤさんだったからこそ独り善がりは駄目だと気付いたんです。」


 共に並び立って空を暫く見詰めていた白い怪人が静かに語り掛けていた。


「……さっき、記憶の中でアヤさんのお母さんの言葉を聞いて思いました。


 人が生きるのは運命なんかじゃなくて、皆がそれぞれ宿命の中で生きている、って。


 今、俺がここに居られるのはこの世界の人達が助けてくれたからです。

 その宿命の中でアヤさんには何度も助けられました。


 それって助けてくれた人達が、俺の運命を変えてくれたってことだと思います。


 だからアヤさんが、どうして魔法使いになったのか、答えられる筈なんです……!」


 その声に振り向いた彼女は仮面越しの垣間見えた、垂れ下がった様な赤い目を見詰めていた。


「だって、さっきの攫われた怪人も助けようとしていたんですから……!


 誰かを助ける為に人の運命を変えることができる人なんですよ!アヤさんは……!」


 まるで胸の内に残った熱を放つように語り掛ける白い怪人。


「…………運命を……、変える……。」


 仮面から透けて見える不気味な顔付きに対して熱心に励まされていたアヤは、

 頬を緩ませてそっと優しく笑みを浮かべていた。


「…………クドウさん。ありがとうございます。


 貴方のように歩み寄ってくれる人がいるのなら、

 きっと他の地球人の人達も人として分かり合おうとしてくれるかもしれません……!


 今度こそ、助けに行きましょう!」


 そう言った彼女の紫色の真っ直ぐな瞳に白い怪人は「はい!」と返事をした。


 少女から差し伸べた手に、怪人も手を出して握ろうとしたその時だった。



「――――それはおかしい。分かり合えないからこんなことになったんだ。」


 彼女等が上がってきた橋際の向こうからガチャガチャとした足音と伴に、

 重装騎兵の様な怪人が手摺に手を掛けながら両端に設けられた階段を上って来た。


 フゥフゥと息を切らせて、足を引き摺りながら青い光を帯びた両手にポールアックスを形成していく重騎兵の怪人。


 階段を上がり切って斧槍を構えて歩み寄っていくと、

 アーチ橋の中心地点に立つ2人は思わず引き下がって身構えた。


「探していて正解だった。


 魔法少女が動けないともなれば、もう何も出来まいと安心していたが……。


 どうやら本当に君達のことを侮っていたようだ。」


 非武装の少女を庇う様に前に出た白い怪人。


 彼に向けて穂先を向ける重騎兵の怪人は睨み付ける様に籠った声で怒りと不満をぶつけた。


「特に君の行動は見過ごせない……!


 御人好しの失敗作なのかと油断していたが、そうではないみたいだな?


 君も所詮は人間に尽くす為に生み出されたロボットに過ぎないということだ!!!!」


 水溜まりを踏み付けて重騎兵の怪人が水飛沫を上げながら突進すると、

 彼のネックレスの宝石は青く光を放ち、全身に光を纏った途端、一瞬にして白い怪人の一歩手前まで移動していた。


「……なぁっ!?速い……!」


 向かって来るスピアの先端に白い怪人は咄嗟に穂先を掴み取ろうとするが、

 詰め寄られた間合いから数瞬で胸部を突き刺されていた。


「……がぁぁぁ……ぁっ!」


 血を仮面と腹甲から噴き出して柄舌を掴み取っていた白い怪人は致命傷を避けていた。


「クドウさんっ!!!!」


 声を上げてベルトに収まったままのバックルに手を掛けていたアヤだったが、

 白い怪人は腹に穂先が刺さったまま前へと走り出していた。


「アヤさんっ!先に行って下さいっ!!!!」


 力を力で押し返すように柄舌を握り締めて抑え付ける彼は重騎兵の怪人に言い放った。


「…………俺はぁあ!貴方とも分かり合えると信じてる!!!!


 だから邪魔はさせない!俺には必要なんだ!自分が出来なかったことを…………!


 正しいことを出来る人がぁ……!必要なんだぁああああっ!!!!」


 雄たけびの様な叫びと伴に柄舌を握って振り回す彼はそのまま重騎兵の怪人を柱に叩き付けた。


「ぐぁっ!?急に何を……!何を言っているっ!?」


 背中を打ち付けられて、更にポールを押し退ける白い怪人の勢いに怯み、欄干まで乱暴に押し出した。


「うわああぁぁあああっ!!!!」


 力任せに叫ぶ白い怪人の圧力に重騎兵の怪人が握っていたポールを上向きに反らしてしまうと、

 柄舌を左手に握ったまま咄嗟に重騎兵の怪人を右腕で抱きかかえて担ぎ上げる。


「お、お前っ!!!?まさか!?」


 そしてその重量にふら付いた身体は欄干の柵から転げ落ちるように倒れ込んでいく。


「わあぁああああっ!!!?」


 絶叫する重騎兵の怪人の体重と伴に頭から濁流に落ちていく白い怪人。



「そんなっ!クドウさんっ!!!!どうして!!!?」


 欄干に手を着いて覗き込むアヤの叫びは、濁流に呑まれて消えた。


 泡立つ水面に2人の姿はもう見えない。


「私達にだって、貴方のような人が必要なのに…………っ!」


 手摺に着いた手を握り込む少女。


 胸の奥が締め付けられるような焦燥を押し殺し、アヤは周囲を見回した。





(—————今はハヤセさんを追わなきゃ。クドウさんの厚意を無駄になんてできない……!)





 視線の先、桟橋の上には相変わらず青い水上バイクが打ち上げられている。

 括りつけておいたロープが、波に揉まれながらもまだ繋ぎ止めている。


 駆け付けた板張りの桟橋は波に軋み、足元から余計に水が吹き上がる。


 駆け寄ったアヤはハンドルバーに手を掛けるとそのまま飛び乗ってロープを素早く解く。


 船体はすっかりと海水を滴らせ、デッキには泥が溜まり、流れ着いた藻が絡みついていた。


「…………今度こそ、ハヤセさんを助けてみせる!」


 跨がると同時にスロットルレバーを引く。エンジンが唸りを上げ、噴射した水流が波間に飛び出した。


 高波の余波で水面は荒れ狂い、波に乗るバイクは何度も跳ね上がる。


 ハンドルを握り締め、視線を紫色の光が降り立つ広場へと向かった。





 13時16分。中央区 アクア・マーレ広場。


 宮殿を中心に囲われた大聖堂。その奥で聳える背の高い鐘楼。アクア・マーレ聖堂。


 宮殿に囲まれた聖堂を中心に、建造物が無い広々とした煉瓦調の広場。


 海上都市メル・フィオナ。中央区の中心点。


 水上バイクが波の勢いに乗り上げて、水面から突き出た入り江の石階段の上に上陸する。


 冠水して沈んだ階段を駆け上がり、アヤは跳ねるように濡れた足音を響かせながら聖堂の広場へと向かう。


 すると聖堂の広場には大きな水の球体があった。

 水は卵の様な球状を保ちながら周囲に水を流し込んでいる。


 まるで水が湧き出続けているかの様に。


 その球体の中には魚の怪人が背中を丸めて浮かんでいた。


「ハヤセさん……!ハヤセさんっ!!!!」


 思わず呼び掛けるアヤだったが、

 怪人はまるで胎内で誕生を待つ胎児の様な姿勢で水の中で眠っている。



「水というものは実に神秘的なものだなぁ……。


 生命に欠かせないものであれば、命そのものを飲み込む力にもなる。」


 声が聞こえた長い階段の先。聖堂入り口にアーチを多用したゴシック様式の建造物。


 広場から奥の大聖堂までは煉瓦調の街並みとは違い、白い大理石で建築されていた。


 煉瓦の路面に対して一面真っ白な階段を上がった先。聖堂の入口前から見下ろす者がいた。


「そんなものを自由に操れる者がいたのなら、実に恐ろしいことだなぁ?」


 漆黒の翼を外套の様に纏った蝙蝠怪人。


「ハヤセさんを解放してもらいます。」


 降り続く雨の中。アヤの声が大聖堂の広場に響く。

 鐘楼の影が2人を包み、水面に揺れる姿が少女を映した。


 ゆっくりと歩み寄るアヤに蝙蝠怪人は佇んだままだった。


 彼が立っていた場所は聖堂の階段の頂部。


 その背後には2体の天使の彫像が聖堂へ続く石造りの巨大なアーチを囲っている。


「言った筈だな?自分達の最後ぐらい受け入れるべきだ。


 今更、何をしようとも遅すぎる。」


 何層にも重なった建物の構成で造られた長い階段の半分を上り切り、幅の広い踊り場で立ち止まったアヤ。


「…………貴方の仲間から聞きました。


 この街を沈める為に起こした水害と、これから起こそうとしていた震災を。

 そしてこの世界を裏で支配する組織が地球人さえも利用して、この街を実験場にしていることを。


 貴方がハヤセさんを攫っていく前に白いアレセイアは破壊されました。


 あれで貴方の計画が狂ったかはどうあれ、

 貴方たちを利用する組織が人間を支配しようとすることに変わりがない。


 それなのに貴方は自分がやっていることすら無碍にするのですか?」


 息を呑むアヤ。水面が微かに揺れ、広場の静寂を打ち破る様に蝙蝠怪人は、「無碍か……。」と呟いた途端。笑い声を上げて問う。


「逆に何故分からない?


 君達が選んだ未来にはより地球人との諍いしか待っていないというのにも関わらず……。


 この世界の人間はより地球人を憎み、地球人もこの世界の人間を憎む。


 今まで怪人を殺してきた君ならとっくに理解できた筈だ。」


 白いベルトに向けて指を指し示した怪人はアヤが答える前に更に問い掛ける。


「そのベルトがそうだ。魔法使いの中でブレインギアを与えられる人間は選ぶよりも先に始めから決められている。


 怪人の力に対抗する為に魔法使いの中で装着員として任命された人間は組織の中で最も社会的な思考で物事を判断する人間だけだ。


 要するに組織に入る前から君は、既に適格者だったのだ。」

「……………それはどういうことですか?


 社会的な、思考……?

 それはあなた方の組織が求めている人間の話ではないのですか?


 それに私は自分の意思で魔法使いになったんです。


 選ばれていたから魔法使いになれた訳ではありません。」


 理解が追い付かない彼女は思わず彼の問いを疑問で返していた。


 話が噛みあわない少女に対して蝙蝠怪人は「はははっ……!」と笑い声を上げると静かに三角帽から髑髏の仮面を覗かせる様に言った。


「未だに気付いていないようだが、君は既に組織の一部として組み込まれている。」

「私が……!?そんな馬鹿な――――」


 彼女の反応に予想していたのか、蝙蝠怪人はアヤが言葉を言い切る前に先に答える。


「おかしいとは思わなかったのか?


 この世界の人間は皆、人間の心を守る為に合理的な判断を出来る人間ばかりだ。


 心を守る為だけに怪人を殺すことにも手段は問わない。

 だから街中であんなにも可燃性の高い銃も平然と撃てる。


 魔法使い全体が許容することで街そのものが認めているものだ。矛盾だな?


 その中でも特に洗脳されている筈のこの世界で悩み、

 考えて行動する融通の利かない人間にそんな力を与えられるなど合理的ではない。


 そう。その悩むという特性を持ち続ける君はこの実験場での成功例なのだ。」


 彼の話を聞いて言い切ったと同時にアヤは慌てて返答していた。


「……そんな…………!


 でも……、仮にそうだとしても……!

 あなた方の行動と組織の目的は一致していない!


 だったら何故態々、地球人を利用する必要があったというのですか!?」

「それは地球人が実験対象として最も適格だったからだ。


 今の地球には政府に管理されたデザイナーベイビーと、その中の出来損ないであるトランスヒューマンが社会を形成している。


 それに対してこの世界で好き勝手に暴れ回るだけの有象無象共は、失敗作の中で人体の機械化を拒否した者ばかりだ。


 要するに、曲がりなりにも自我を持った人間であったというだけの話だ。」


「そんな理由で人間を否定するだなんて間違っている……!


 人間は合理的に成り切れないから人間なんです!


 どうにもならないことを制御しようとすること自体がおかしい……!」


 あくまでも常識的に考える彼女の反応を見て漸く蝙蝠怪人は、「その通り。」と肯定的に答えた。


「人間というものは常に利己的で自己中心的な生き物だ。


 例えば、の話。


 働く必要性が無く、住居を与えられて、財産を好きなように使える環境に恵まれた人間は自由奔放に振る舞える。


 だがそういった一方的な無秩序で、

 社会という枠組みに当て嵌まらない非合理的に生きていられる人間がいるのならば、

 管理することは容易くても、制御することは難しいと考えるだろう。


 人間をロボットにしておいて未だに社会を維持できていない地球が良い例だ。

 奴等は常に社会秩序そのものが非合理的だということを前提に実験を続けているのだ。


 だったらそんな前提から無駄なことであったと、否定してしまえばいい。


 この街さえ沈んでしまえば、地球が次の実験対象になるのだから。」


 目を見開いて驚愕するアヤ。脳裏には重騎兵の怪人が感情的に吐き出した言葉が過っていた。





(「…………諦めるだって?

 諦めなくては生きてはいけない世の中に…………何の意味があるっ!!!?


 僕たちは操り人形にされてしまっても完璧なロボットには成れない。


 何処までいっても人間なんだ…………。


 人が人らしくいられない社会に人間は必要ない!」)





 彼等の共通点は始めから人として生きることを諦めていた。


 諦めた上で自身の願望の為に生き続けることを選んでいた。





(この人達は諦めている……!


 人として生きることを望みながら、生きられないことを分かっていて諦めてしまっている……!


 クドウさんのように、純粋に人の心を持って生きることよりも、

 現実を受け入れた上で自分達さえも亡ぼしてしまうことが目的になってしまっている……!)





 歪な生き方しか選ぶことが出来ない彼等に対して、分かり合うことを望んだ彼女には説得する他なかった。


「……本当にそれが貴方の望みなのですか!?


 もうどうにもならないと思ったからこの世界に来た筈の貴方達が!


 地球どころか、自分達さえ否定してしまったのなら、

 貴方達の居場所は何処にあると言うのですか!?」


 しかしながら今更、分かり切ったことの為に自身の生末を預けられる程、彼等には余裕や時間も無かった。


 当然、蝙蝠怪人は首を振って否定をする。


「そんなものはない。人間は常に何かを犠牲にして自分を維持しているに過ぎない。


 だから君は我々を殺すことに迷い続けていた筈だ。そして今でさえでも迷っている。


 何よりも平和を愛する君がそんなことが分からない筈がない……!」


 淡々と語っていた蝙蝠怪人が話の終止を言い切りに変えると、外套の様に纏っていた翼を広げた。


 隠れていた左手には手の平ぐらいの大きさがある深いピンク色をしたハートの宝石を掴んでいる。


 紅紫色の光が辺りを照らし、まるで脈を打つかのような鼓動を放っている。





(――――また、見たこともないアレセイアを……!)





 思わず、左脚のレッグホルスターに手を掛けてそのままトランシーバーを引き抜いた。


「君は人を守り、我々は人を壊す。


 こうなることでさえ仕組まれた運命だというのならば、お互いに、与えられただけの力では何も変えられやしない。


 今ここで、無駄な争いは終わりにしよう。」


 仕向けられた出来事を運命として潔く受け入れる蝙蝠怪人。





(運命……。争いが無駄だと分かっているのならそんな悲しい運命は受け入れたくない……。


 彼等と同じ地球人でも……クドウさんならば――――)





 バックル型のハンディトランシーバーを握り構えるアヤ。


 青い宝石が目に移り、脳裏には白い怪人に伝えられた言葉を思い出していた。





(「……さっき、記憶の中でアヤさんのお母さんの言葉を聞いて思いました。

 人が生きるのは運命なんかじゃなくて、皆がそれぞれ宿命の中で生きている、って。


 今、俺がここに居られるのはこの世界の人達が助けてくれたからです。

 その宿命の中でアヤさんには何度も助けられました。


 それって助けてくれた人達が、俺の運命を変えてくれたってことだと思います。


 だからアヤさんが、どうして魔法使いになったのか、答えられる筈なんです……!」)





 脳裏を過る仮面から透けて見えた不気味な顔。


 だが、その言葉は何処までも純粋で素直な人の気持ちそのものだった。


 見詰めた青い宝石から顔を上げて紫色の瞳を蝙蝠怪人に対して真っ直ぐに向ける少女。


「……この世界が決められたように動いているのなら、私は運命を宿命に変えてみせます。


 与えられた力では何も変えられなくても、

 人を助ける為に力を使えば、その人の運命が変わっていくように……!


 私達の運命は誰かを助けることで変えることが出来るんです……!」


 蝙蝠怪人が胸元へとハートの宝石を押し込んだと同時に機器の側面にあるスイッチを瞬時に長押した。


「OVER?」


 ピピッと電子音が伴って、女性の声の様な電子音が呼び掛ける。


「装着!」


 アヤはトランシーバーを口元に持って音声を入力した。


「ACTIVE」


 トランシーバーが起動音声を鳴らし、宝石が青く光るとすぐさま差込口にバックルを装填する。


「ARMAMENT」


 埋め込まれた宝石がバックルの縁から突出し、辺りを青く照らして少女の身体さえも包み込む。


 紺色のロングコートの赤い裏地がはためき、

 赤いリボンと伴に雪のように白銀に輝くポニーテールが靡いている。


「私は……、人を助けたいから魔法使いになったんだ――――!


 運命から逃れられない人達を、助け出すために!」


 一瞬にして姿を変えた少女。青い双眸が光を放つ。その瞳は迷いなく目の前を見詰めていた。


 蝙蝠怪人の胸元に埋め込まれた紅紫色の光がドクン、ドクリと鼓動を打ち、

 痛々しく身体を振動させながら両手に構えられた双剣。


 右手には茨の様な護拳付きの細剣を握り締め、左手には盾型護拳が付いた短剣。


 レイピアとマン・ゴーシュの刀身は深いピンク色の宝石で形成された刃から、

 ギラギラと視覚を刺激する様な光を放っている。


 短剣を前に出して茨の様な鍔に指を掛ける蝙蝠怪人に対して、

 左手にホルスターから抜いた銃と右手に鞘から引き抜いた宝石の剣を向けるアヤ。


 残酷な運命を受け入れた彼に対して、運命さえも変えることを決意する少女。


 命を宿し意志を持つ者として、運命という名の人の傲慢に抗う2人。


 己が宿命を以って、運命と雌雄を決する時が来た。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る