09

「んーんーんーんー…」


 五月。

 クラブ活動で賑わってるグラウンドを、鼻歌交じりに教室の窓から見下ろす。


 あ、サボリ魔の宇野君がクラブに出てる。

 帰宅部だとばかり思ってたのに、宇野君は陸上部だった。

 中学時代は県大会でいい成績を残した事もあるらしい。

 自分で『逃げ足が速いから』とは言ってたけど…本当に短距離選手だなんて。



「もしもーピアノがー…」


 ピアノが弾けたら、あたしの人生はどんなだっただろう。

 あまり歌謡曲を知らないあたしは、この歌もママから教わった。

 聴き慣れない曲を弾いてるなと思ったら、テレビで見て気に入ったから、と。


 頼子は色んな事に興味があるから、歌謡曲にも外国の歌にも映画にもスポーツにも…色んな事に詳しい。

 意外だったのは、愛聴盤が松田聖子。

 頼子がいつも口ずさむおかげで、あたしも松田聖子にだけは詳しいかもしれない。



「あれっ、あんた、まだいたの?」


 声に振り返ると、頼子が丸い目をして教室の入り口に立ってる。


「あ、頼子。待ってたの。一緒に帰ろ?」


「まだまだ終わんないのよ、これが。先に帰ってて」


「えー…」


 頼子は自分の机の中からノートを取り出すと、それを手でポンポンとしながらあたしのそばに来て


「今夜、プリン持って遊びに行くから」


 首を傾げて顔を覗き込んだ。


「本当?」


「うん」


「…じゃ、帰るね」


「気をつけてね」



 頼子は、ここでも生徒会長に選ばれてしまった。

 さすが頼子。って自慢だけど…会議続きで、ちょっぴりつまんなくもある。



 元気のいい声が飛び交うグランドを、トボトボと歩く。

 帰りにアイスでも買って食べようかな…



「るー!!ちょい待ったー!!」


 校門の近くで大きな声に呼び止められて、驚いて振り向くと宇野君が全力疾走。


「な……何っ?」


 宇野君とは仲良くなれてると思うけど…こんなに突進して来られると、やっぱり怖い。

 あたしは鞄を抱きしめて、少しだけ宇野君から距離を取った。


「一人か?」


「うん」


「頼子は?」


「生徒会」


「あー、そっか。で、寂しそうな顔して帰ってんだ?」


「えっ、そんな顔してた?」


「とっても」


 そう言われると、何だか恥ずかしくて…

 あたしは鞄を抱きしめてた力を抜いて、背筋を伸ばした。



「るー、表通りって帰り道じゃない?」


「んー。用事がある?」


「帰り道ならね」


「いいよ。一本違うだけだから」


「ほんとに?じゃ、チケットの予約して来てくんないかな」


「分かった」


「るーは見てないんだっけ」


「え?」


「ほら、るーが帰った日。あの日の三番目のバンド」


「……」


 それって、朝霧さんのバンド…だよね。


「…バンド名、何だっけ」


「Deep Redっての。6月6日。ワンマンライヴなんだよなー」


 Deep Red…

 あたしは鞄から手帳を出すと、忘れないように書き込んだ。



「瀬崎君も行くのかな」


「もちろん。るーも行くか?」


「えっ、あー…うん…頼子に聞いてみてから…」


「あはは。そうだな。じゃ、頼むよ」


 宇野君に手を振って、校門を出る。



 …ワンマンライヴ。

 それって、実力あるって事だよね…


 あたし、少し自惚れてたのかもしれない。

 たった一度、一緒にお弁当食べたぐらいで…

 もしかしたら、また何か偶然があるのかもって。



「よっ」


 だけど、あの日以来朝霧さんに会う事はなくて。

 あの出来事さえ、もしかしたら夢だったのかも…なんて思えて来た。


「おーい。無視か?」


「……」


 …あれ?


 聞いた事のある声にハッとする。

 振り向くと、そこには……朝霧さん!!


「ああああ朝霧さん…」


 朝霧さんは星高のブレザーの制服。

 ネクタイ少し緩めて、それがちょっと不良っぽくて、だけど…

 す…すす素敵…


「るー、って呼ばれてんねや?」


「ええええ?」


 緊張すると、どもる…恥ずかしいクセ。

 きっとあたしの顔は真っ赤!!


「今、そこで声かけられてたやん。男と普通に話せるやんか」


「あ…あああの人は、その…クラスメイトで…」


「ふうん」


「あああの…何かうちの学校に…用事が?」


 話変えちゃえ!!


「るー、待っててん」


 はっ…!!

『るー』って…!!


「…………えっ?」


 名前を呼ばれて浮かれた直後、さらに衝撃が届いた。

 あ…あたしを待ってた?

 …聞き違い…じゃない…?



「今日はバイトが休みなんや」


「……」


 口をあんぐり。

 だって、バイトが休みだから、あたしを待ってたって…

 どういう事?



「何か用事ある?」


「あ…あの…チケットの予約を頼まれて…」


「何のチケット?」


「…Deep Red…」


「なんて?」


「Deep Red…」


 うつむき加減でそう言うと。


「ホンマに?」


 マジメな声。


「はい…あの…さっきの友達が、すごくファンで…」


「るーも来る?」


「えっ?あっ、はい…」


 つい、そう答えてしまうと。


「よっしゃ。めっちゃ頑張る」


 朝霧さんは右手でガッツポーズをされた。


「よし。予約行こ。音楽屋やろ?」


「えっ?」


 そう言えば、どこのお店か聞かなかった。

 でも…


「俺がバイトしてる店なんや」


 それを聞いて、あたしは無条件にそのお店を選んでしまった。

 朝霧さんと肩を並べて歩くなんて…夢みたい…。

  


 * * *


 それは、表通りで一番目立つ場所にあった。

 朝霧さんがバイトされてるお店。

『音楽屋』


 音楽屋と言えば、あたしも何度か来た事がある。

 一階はギターやドラム、キーボードといった少しハードなコーナーで、二階には鍵盤楽器や管楽器、三階がレコードショップとチケット販売のコーナー。


「俺はいっつも一階の奥の方でコソコソやってるんや」


 朝霧さんはそう言って、慣れた感じでお店に。



「るーは何かせえへんの?」


 階段をゆっくり上がりながら、問いかけられた。


「…え?」


「楽器」


「…昔はバイオリンやってたんですけど、今は何も」


「バイオリン…上流階級の匂いやな」



 階段を上がりきった所に、ママのポスターが見えた。

 随分若い時の物で、思わず首をすくめる。



「……まさかな」


 朝霧さんは、ママのポスターを見て、あたしを見て


「この人、知り合い?」


 ポスターには『武城 桐子たけしろ とうこ』って大きく書いてあるし…分かるよね。


「母です」


「うっわ…お嬢様やん。はー…納得」


 何かブツブツつぶやきながら、朝霧さんは三階に。



「あら、マノン今日休みじゃなかったっけ」


「客で来てんねん。気安く話しかけんな」


「あはは。何気取ってんのよー」


「よお、マノン」


「来たならついでに働いてけばー?」



 …………


 つ…次々に周りの人が朝霧さんに声をかけて行く。

 そりゃそうよね…ここでバイトしてるというのもあるけど…有名な人なんだろうし…


 はっ。

 あたし、そんな人と歩いてもいいのかしら。

 今更のように、そんな事に気付いて歩幅が小さくなる。



「何人で来る?」


「よ…四人…です」



 チケット予約のカウンター。

 朝霧さんは手馴れた様子で、何かを書き込んでくれた。

 勝手に頼子も数に入れてしまった。

 怒られるかなあ…



「…これ、男二人女二人?」


「はい」


「……」


「?」


 突然黙った朝霧さんを見上げると…目が、合った。

 ドキッとして、瞬きをたくさんしながら目をそらしてしまうと。


「ダブルデートみたいやん?」


 …思いがけない言葉が。


「……はい?」


「男二人女二人で来るの、ダブルデートみたいやんか?」


 …ダブルデート。

 それは…あたしと頼子が、宇野君と瀬崎君とデートするって事…?



「……あ…いえ…全然そんなんじゃ…」


「妬ける」


「……」



 朝霧さんが言った言葉の意味が分からなくて、あたしは首を傾げて黙った。


 妬ける…

 今、朝霧さんはそう言ったけど…

 …何に?



 レコード売り場からは、頼子の好きな松田聖子。


 夏の扉を開けて、私をどこか連れて行って


 何だか、やたらとそのフレーズが、あたしの耳に残った。

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