昼下がりの強奪2

 ――それはあまりにも人権を無視するようないやらしい言動だった。

 ――瞬間、男の目の色が変わる。

 目玉商品――その言葉が言葉が男の神経を逆撫でしてしまったように鋭い殺気が広がった。一般人には到底理解し難い感覚――しかし、どこか肌寒く鳥肌が立ってしまうような感覚――、更に一般人とはどこか離れた〝教会〟の人間達はその殺気を強く感じてしまう。凍てつくような殺意は鋭い刃物のようで、全身が切り刻まれてしまったような鋭い痛みと、錯覚を覚えてしまった。思わず一人の人間が徐に手のひらを見つめている。

 そして、男に向かって叫んだ中年の男は、〝終焉の者〟の目が酷く冷たくなったような気がして、小さく息を呑んだ。

 街を見下ろすように叫んだ男を、一瞥している男の目は鋭い瞳孔が開かれていて、その威圧は形容し難い重力を感じさせてくる。その時間は数秒だったにも拘わらず、体感時間は数時間にも及んでいただろう。

 動きが止まってしまって風の音すら耳障りな静かな街に、〝終焉の者〟が微かに唇を開いた。


「――悪いが、これは私のものだ」


 明確な殺意と溢れた言葉から滲み出る独占欲――ふ、と男が地面を抉るように下から上へと腕を振り上げる。

 すると、同時に地面から勢いよく突き出した黒い爪は、走るように中年の男の元へ一直線に、続々と鋭さと数を増して向かっていく――。

 すると――突然白い服をまとう女がよろめきながら中年の男の前に躍り出た。

 ――いや、正確には突き飛ばされたのだろう。

 驚いたように目を丸くする女の目線の先に居る優しげに微笑む一人の男が口を開く。それは〝教会〟の中で一際異彩を放つ人間で、藤のように鈍い色の紫の色が特徴的な毛髪と、見慣れないオッドアイが誰よりも印象的だった。


「……街の人間を傷付けてはいけないからね」


 勢いがなくなることのない爪に、よろめき地面に倒れてしまった女。

 目の前で人が死ぬ――その瞬間が訪れてしまいそうな光景に、群集の耳障りな悲鳴が上がった。あの爪なら体が引き裂かれるという事にはならなさそうではあるが、群集にとっては「体が貫かれる」という可能性もまた衝撃でしかないのだ。

 ――その裏に好奇心が刺激され、微かな期待が隠れているなどと気が付くこともなく、咄嗟に目を伏せる。中年の男は目の前で倒れた女を確実に盾にするように服を掴んでいて、女の透き通るような暗い目には黒い爪が映っていた。


「――おいおい、余計なことしてんじゃねえよ」


 女の眼前に黒い爪が差し掛かろうとしたとき――低く挑発するような声色が届いてきた。

 ――それは、群衆の間を縫うように――いや、無意識に群集が女までの道を一直線に開いていたのだ。その間を鋭い光を反射しながら何かが黒い爪に強くぶつかる。女の顔の横をすれすれで通り過ぎた何かは黒い爪にぶつかった後、宙を回ってそのまま大地へと突き刺さる。

 それは酷く美しい刀身だった。銀の刃に金の装飾が施されていて、柄は装飾と同じよう金で彩られ、所々に赤い宝石が煌めいている。


 ――一言で表すなら大きな剣だった。


 〝教会〟が持つ十字架を模したように、刀身と柄の全体を見ればそれは人を殺す為の道具ではなく、巨大な十字架に見えてしまう。爛々とした太陽の光はそれを照らしていて、群集はおろか、一部の〝教会〟でさえもその光景に目を奪われてしまっていた。

 弾かれた大剣、それは彼女の足元に――女を守るように――突き刺さっていて、彼女に――元を正せば中年太りした男に――向かっていた黒い爪は弾かれたと同時に芯から割れるように音もなく、砕け散ってしまった。

 微かに滲み出る群集の期待に対する裏切り。それを踏み躙るように大剣が飛んできた方から足音が聞こえ、女の服を掴んでいた男の手を強く踏みつける――。


「いぎッ……!?」

 煙草の吸い殻を踏み

潰すようにその足は小汚い手を地面に擦り付け、手を踏んでいるその人物は中年の男を、塵を見るような目で強く睨み付けている。

 それに気が付いた住人はその目に肩を竦ませ、目を合わせないよう咄嗟に顔を逸らす。中にはそそくさと足早に離れる者も居た。中年の男は目尻に涙を浮かべながら痛みと訴えるが、その声は届かないと言うように、手を踏み躙る足は一向に離れる気配がない。

 ざわざわと先程とは異なる騒ぎが〝教会〟から聞こえてきた。訝しげな目がそれに向けられる。


「まあまあ、その辺にしなさい。遅かったね、――ヴェルダリア」


 その間を縫うように微笑みながら出てきた男は先程女を突き飛ばした人間で、ヴェルダリアと呼ばれた青年は赤い髪を揺らしながら「ああ……?」と言った。その服装は〝教会〟の人間とよく似ていて、ほんの少し異なる。

「俺が遅かったぁ? だったらこんなことしていいと思ってんのかぁ、モーゼさんよぉ!」

 ヴェルダリアにモーゼと呼ばれた男は相変わらず薄っぺらい笑みを浮かべていて、その男の言葉が癪に障ったのか、ヴェルダリアは踏んでいた足を一度上げると、男の手の甲を強く力任せに踏みつける――。


 ――ゴリッ


 骨がずれてしまうような聞き慣れない鈍い音が微かに鳴った。「ひっ……」と誰かが息を呑むように声を上げ、群集の中に居るであろう子供がヴェルダリアの怒りに満ちた言葉に驚き、泣き声を上げ始める。

 先程まで緊張感の漂った雰囲気は一変してしまった。壊れた街並みよりも遥かに目を惹いてしまうらしい〝教会〟の人間は泣き声にハッとすると、モーゼが小さく首を横に振って「やれやれ」と呟く。


「さあ、お前達。彼らの安全を確保しておくれ。教会の地下はまだ広かったろう? 〝終焉の者〟はもう逃げてしまった。街の損傷の他に何かないか確認を」


 モーゼの言葉に誰も彼もが屋根の上を見た。先程の一件で誰も彼もが〝終焉の者〟に目を向けなかったのだろう。――気が付けば黒い男の姿など見る影もなく、残されたのは見るも無惨に壊れてしまった建物ばかりだった。


 逃がしたことに悔しさを滲ませる〝教会〟――しかし、モーゼの言葉に従うように中心人物が指揮を執る。「住人の安全の確保を」その言葉に他の〝教会〟は一斉に動き出した。

 耐えられなくなった瓦礫が音を立てて崩れていく。それに悲鳴を上げる女子供に寄り添う男、〝教会〟が「こちらへ」と導く。その声に簡単に従うほど、彼らは街一番の信頼を得ているようだった。

 ――やがて、飽きが来たらしいヴェルダリアは踏み締めていた手から足を離すと、突き刺さった大剣を無造作に抜き取る。石畳に刺されば相当な力を要するというのに、彼はいとも簡単に抜いてそれを鞘に収める。

 その姿は見れば見るほど、十字架そのものに見えた。


「……無事か。怪我はないな?」


 ヴェルダリアが見据える目線の先には先程の女が居た。腰が抜けてしまっているようで、倒れ込んだまま身動きを取ろうとはしない。先程男の足を踏み締めていたとは思えないほど、優しい顔をした彼は彼女に手を伸ばすと、慣れた手付きで頭を撫でる。その髪は艶やかで、赤から青へと毛先にいくにつれて移り変わる美しい色をしていた。

 ヴェルダリアの金の目が不思議と柔らかさを湛えて、女の体を支えながら起こしていく。割れ物を扱うようなその仕草に女は薄暗い目を丸くして――唐突に糸が切れた人形のように意識を失った。

 彼はそれが予想できたように片腕に重くのし掛かる体重を引き寄せ、苦い顔を浮かべながら抱き寄せる。極力肌を晒さない為の服から微かに覗いた、首に巻かれた暗い色の――。


「今回の敗因は一体何だと思う? 〝終焉殺しのヴェルダリア〟として、意見を聞かせてくれないかい」


 不意にモーゼはヴェルダリアに声を掛けた。それに彼は強い苛立ちを露わにしたような瞳を向けたが、モーゼは薄気味悪い笑みを浮かべながら微かに首を傾げる。徐に立ち上がり、〝終焉殺しのヴェルダリア〟は「決まってんだろ」と呟く。


「敗因は〝魔法〟一択。てめぇら……魔法に特化したアイツに勝てると思ってんのか?」


 〝魔法〟――それは存在する筈ものを生み出す為の一つの手段に過ぎない。一部の人間が扱える摩訶不思議な力だ。

 一般的に体を巡る魔力と呼ばれるものを使い、攻撃にも守りにも徹することのできる力。大抵の人間には備わっていないものだが、光明のルフランには魔法を扱える者が比較的多く居た。それは不思議と教会に集まっていて、街を守る為に力を駆使しているという。――そんな噂だ。

 そして、彼ら〝教会〟の標的とされているのが黒衣をまとう〝終焉の者〟と呼ばれる男。彼は魔法を使うことに酷く特化していて、どれほどの人間の数を積もうが敵わないとされている。彼の扱う魔法は影か闇だと分類され、〝教会〟の誰もが持っていない属性だとも伝えられている。

 更に〝教会〟が男を確実に仕留めようとする理由は、〝終焉の者〟という名前が強く影響しているのだ。


光明のルフラン――この街にはどこかに〝黒の予言書〟と呼ばれる本が存在しているらしい。

 それは、この世界が終焉に呑まれるという史実が記されているというのだ。幾つかの噂の末、決定的な裏付けとなるものは「〝終焉の者〟が世界を滅ぼす」という一文。〝終焉の者〟の特徴は何ものにも染められない黒をまとう存在だという。

 そして噂の蔓延るこの街で唯一黒を身に付けているのは、先程の男以外には見当たらないのだ。

 〝教会〟はそのことを伝承のように街に広めて該当する人物を見掛ければ即座に報告するように言い聞かせている。それ故に住人は〝終焉の者〟を見て顔を青くさせたのだ。


「ああ……そうだったねえ」


 くつくつと笑う様は格別落胆しているようには思えず、寧ろその逆、モーゼは現状を強く楽しんでいるように見えた。

 薄暗い紫と白のオッドアイが瞼の隙間から覗く。「何にせよ、街の損傷だけで済んで良かった」――その言葉は嘘のように思えるほど、異常なまでに薄っぺらいものに思えた。ヴェルダリアは片腕に抱える意識を失った女を強く抱き寄せると、「俺は帰るぞ」と言った。


「街の損傷だけが損害だと……? 笑わせんじゃねえぞ、〝教会〟共!」


 彼が赤い髪を靡かせて踵を返した矢先、下から威勢の良い声が上がる。

 声のする方を見れば、声の主は先程ヴェルダリアが強く手を踏み締めていた中年の男だ。男は手を押さえながらヴェルダリアを睨み付けていて、見下ろされた途端徐に立ち上がった。押さえられた手は痛々しく腫れていて、彼の力が強かったことが窺える。


「――何だてめぇ」


 ヴェルダリアの声色はあまりにも低く、〝終焉の者〟に匹敵するであろう殺意を湛えている。


「ひいっ……!」


 つい先程の一件の所為だろう。中年の男はヴェルダリアにあからさまな恐怖を見せていて、咄嗟に身構えてしまう。その隣でモーゼが宥めるように「まあまあ」と声を掛けるが、彼はやけに嫌そうであった。


「……おや……そのフードの留め具……貴方は〝商人マーチャント〟だったんだね。その口振りからすると、何かしらの損害が出たようだ」


 ざわめく街は気が付けば静けさを取り戻しつつあった。その中でモーゼの言葉は酷く耳に届きやすく、ヴェルダリアが改めて見れば、フードの留め具としてあしらわれている馬の金バッジがキラリと輝く。

 「そうだよ、損害が出たんだよ!」〝商人〟の男は唾を吐き散らしながら叫んだ。それを小汚いと言いたげな目をしたモーゼが小さく衣服を払いながら、「それは一体どんなものだい」と問う。


「もしかして、、『目玉商品』というやつかい?」


 「彼女を盾にせざるを得なかった」――その言葉にヴェルダリアの顔が顰められる。


「ああ、そうだ! あれはわざわざ遠くから持ち込んで来た一級品だぞ!……それを……それを〝終焉の者〟とかいう男に横取りされたんだよ!!」

「まあまあ少し落ち着いて。それはどんな特徴があるか、さっさと教えてくれたら取り戻そう」


 〝商人〟が全身で怒りを露わにするところを見る限り、それはそれは価値のあるものだったのだろう。モーゼは男を宥めようとヴェルダリアの前に出て両手を前に出していて、ヴェルダリアはさも興味も無さそうに再び帰るための足を進めようとする。

 ころころと小さな瓦礫が風に押されて石畳を転がり、桜の花弁が躍り狂っていた。暴れるように吐き散らす〝商人〟は支離滅裂な言葉を紡ぎながらも、はっきりとした口調でその特徴を強く叫ぶ。

 それを偶然にも耳にしてしまったヴェルダリアは驚いたように目を見開いたまま、彼らの方を見向きもせず足を止め、「……何だと……?」と呟きを洩らした。


「目玉商品の特徴は見て分かる! 白から黒に反転した目、月の満ち欠けに連動した瞳、目元には逆三角形の紫色の模様がある〝ニュクスの遣い〟だ!」

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