一章 ある昼の強奪にて

昼下がりの強奪1

 鮮やかな花が咲き誇る朗らかな春の季節。木々も小鳥も虫達も、例に漏れず様々な人間達にも新しい出会いがある。桜が珍しいと言われるほどの西洋の街並み。――太陽が煌めくほど美しいと謳われている街、人呼んで〝光明のルフラン〟――そこで、奇妙な出来事が起こった。

 それは石畳を踏み鳴らしながら行き交う大勢の人々、市場や子供達のはしゃぐ声というものは活気がどれほど満ち溢れているのかを暗示していて、大小様々な賑わいが耳に届く柔らかな昼時。まさに明るさを指し示す「光明」の言葉が似合う街――その賑わいが騒ぎへと移り変わる奇妙な昼時だった。

 耳を劈くほどのけたたましい音が鳴り響いた。石造りの建物が内側から破壊されるように、人波にバラバラと幾つかの破片が転がっている。石畳に石造りの破片――一部始終を目撃していた人々は音を立てて倒壊していく建物と、建物から慌ただしく出てくる人々を見て、事故が起こってしまったのを目の前にしたかのように茫然と立ち尽くし、言葉を失っている。


 そして、暫くして漸く金切り声を上げたのだ。


「きゃぁぁああ!!」


 ある一人の女の声が切っ掛けだっただろう。唐突に上がったその金切り声に意識を取り戻した人間が、我先にとそこから離れるように駆け出し始める。

 ある者は女子供を置き去りに、ある者は転んで体を踏み躙られ、またある者は怒声を吐き散らしながら何かを指差している。 遠くから騒ぎを聞いて駆けつけてくる幾人の大人達――彼らは謂わば警察というもの――に近いもの――で、事態の収拾をつけようとして来たようだ。

 時刻は昼時、人通りは決して少ないとは言えない。場所は大通り、遠くに見える時計塔の針は未だ十二時を指し示している。高台から見下ろす街並みはいやに美しく、広場の噴水も、聳え立つ教会も、街外れにある佇んでいる屋敷も一望できる。

 唯一丘の上にある大きな木は季節になれば美しい色に染まる。今は丁度心地のいい春の季節――桜の花弁が儚くも美しく街に降り注いでいる。それを見たいがために人通りが多かった。

 今も尚微かに軋んで崩れる建物は三階建てにもなる広く大きな建物だった。それは偶然にも、ある程度の街並みは見渡すことができるほどだ。穴の空いた天井は内側から見れば丁度いい日差しが入り込む窓にはなっただろう。

 そこから現れた黒地に白のラインが施されたベストをまとう一人の男は瓦礫に足を掛け、ざわめく街を一瞥するように見下ろした。

 黒い闇を象徴するような髪に交じる赤いメッシュが特徴的で、獣のように鋭い眼光を持った赤と金の瞳が小さく細められる。左目を垂直に切るように付けられたであろう傷は痛々しく、二メートル近くある高い背はやけに威圧的で、小脇には抱えられた黒い荷物――正確には黒い布で包まれた何か――がひとつ。

 騒ぎが鬱陶しいと言わんばかりに無表情を飾っているが――「しまったな」と紡がれた言葉に焦りが見え隠れして――。


「…………少しばかり揺れる。貴方への配慮は怠らないつもりだが、万が一……ああ……」


 「そんな悠長なことを言ってる暇はなかったな」男は騒ぎの中で独り言のように呟きを洩らし、小脇に抱えられているそれを再度強く抱き寄せる。その重さは成人男性よりは少し軽く、振り落とさないかが心配だと男は口を洩らす。

 その視線の先には警察とはまた違った集団――白い服をまとった奇妙な団体が居た。人波に逆らうように突き進んで、崩れることを止められない建物に近付き、男を見上げる。男の足下の瓦礫がぱらぱらと音を立てて崩れる反面、集団の胸元に揺れる金に彩られた輝かしい十字架が太陽に晒されて煌めいた。


「〝教会イグレシア〟だ、〝教会〟の人間が来たぞ!」

「嘘……っ、じゃああれが……!?」

「早くもっと遠くへ!!」


 逃げ惑う人混みの中で誰かがそう叫んでいた。その言葉を切っ掛けに強い風が吹き荒れる。丘の上にある桜の木から風に乗って花弁が舞っている。

 「世界最大の厄災に鉄槌を!」――そんな怒りにも似た声を発しながら中心人物のような男が周りに命令を下すと、一斉に懐から一冊の本を取り出し、聞き慣れない言葉を発する。聖言にも似た奇妙な言葉だ。

 「汝が悪、罪を償いたまえ」――洗脳のような言葉が紡がれると同時、キィン、と耳を裂くような甲高い金属音が鳴り響く。鼓膜を揺さぶり、脳を刺激し、目眩を覚えてしまうほどだ。――そう、それは例えば逃げ遅れた人間が地に膝を突き、頭を抱えて唸ってしまうようなもので――。

 ――にも拘わらず男はそれを見据えたまま、平然とした様子を保っている。氷のように鋭い欠片のような結晶が目の前に現れようが、その矛先が自分に向けられようが、まるで眼中にないと言いたげに更に目を細める。

 無粋だな、なんて小さく呟いて荷物を抱えている腕に力を込めると同時――〝教会〟と呼ばれた人間が生み出した造形物が男目掛けて一直線に飛んでいく。男はそれを鋭い目で見ながら一度膝を曲げると、足を着けていた瓦礫を踏み込んで、猫が垣根に飛び移るかのように軽々と宙返りを見せ付ける。

 男が足を着けていた場所に鋭い結晶が銃弾のように突き刺さっていく。男はそれに慣れた様子で、新たに足を着けた場所で悠々と服を手で叩いた――だが、小脇に抱えているそれの所為だろうか――男の感覚は少しずれているようで、綺麗に避けたと思った〝教会〟と呼ばれた人間達の攻撃の後、黒い髪が数本はらりと舞った。


 「ん」と男が想定外だと言わんばかりに小さく言葉を洩らすが、立て続けに、男の後を追うように〝教会〟達の言葉が聞こえてくる。その直後、再び透き通るほどに美しい結晶が狙い済ましたかのように着弾してくる。それは、男が避ける度に倒壊する建物に当たっては、硝子が割れるような高い音を立てて霧散する。

 男はその飛弾してくる結晶を慣れた様子で、更に並んでいる家の屋根を転々としながら軽く避けていた。

 屋根や石畳に結晶が当たってはは鈍い音を立てて街が壊れていく。屋根の破片が衝撃に耐えられず、音を立てて石畳の上に落ちた。けたたましい悲鳴が辺りに広がっていく。「すまんな」と男が申し訳なさそうに――申し訳なさそうには聞こえないが――呟いて、凄惨な街並みから微かに目を逸らす。反対に〝教会〟の人間はそれを気にも留めていない様子であった。


 不意に男は脇に抱えた黒い荷物を一瞥するや否や足を止め、首を傾げながら「これはいけないな」と一人呟く。男が抱えた荷物が小さく動いたような気がした。

 ――脇に抱えている黒い荷物であるが、実際に黒いのは何かを隠すように覆い被された布であって、その布も長さに限界がある。その布の先から覗き見えたのはしっかりとした手足で、――しかし、それは常人とは確かに異なる点があった。


 ――よく見ればその手足はろくな食事も与えられてこなかったようで、布から見えているそれは一般的な人間よりも痩せ細り、いやに小汚い。――それを横目で見てしまった男の動きが、呼吸が一瞬ではあるが確かに止まったのだ。

 それは男の様子を見ただけでは分からないだろうが、確かな動揺が表れた。――その隙を突いて男を仕留めるつもりなのだろう。氷のように透き通った結晶が四方を囲むように飛んできたのだ。的確に仕留める為の何度目かのようにそれに男は弾かれたかのように顔を上げ――


「――……まあ、だから何だと言うのだが」


 ――驚いた様子などなかったと言わんばかりに、全てに興味を失ってしまったかのような無表情で、自分に向けられた結晶を切れの長い瞳で遠く見据えたまま、壊れかけの建物を足で踏み鳴らす。大地こそは揺れはしないが、瓦礫から破片が微かに飛び散った。

 ――瞬間、同時に鳴り響いたのは結晶によって建物が壊される音ではなく、――硝子が割れるような甲高い音だった。

 男を仕留める為に放たれた結晶は不意に地面から突き出したどこまでも黒い造形物――強いて言うなら「爪」だろうか――に砕かれていた。


「――〝終焉の者〟、反撃を開始しました」


 ふと、騒ぎの止まない街の中で一際際立つ無機質な女の声が静かに響いた気がした。飛弾する破片に野次馬と化した街の人間達の声が響き渡る中で静寂に満ち澄んだ声が何故だかよく耳に届く。酷く薄暗く、この世界に光など見出せないと言ってくるような瞳をした、白い修道女のような服を着た女だ。

 女は〝終焉の者〟と呼んだ男を観察するようにじっと見つめていて、男は砕け散り結晶と化した結晶の欠片の中でそれを訝しげに見下ろしていた。


「あいつが来るまで奴を逃がすなよ!」


 ――ああ、早く戻らねば。


 〝教会〟の人間が慌ただしく男を狙う最中、男は自分の身の安全よりも小脇に抱えたそれを横目に見る。時折それが小さく身動ぎを繰り返す感覚を得ている男にとって、今は〝教会〟など取るに足らない存在なのだ。

 野次馬と化した群集の目から逃れられるよう、被せた黒い布は男の衣服であるが、それだけでは隠しきれない足に気が付き始めるように次第に指を指し始める者が現れる。

 その視線の先には動きを制する為の、いやに古びた鋼鉄の鎖があった。それが一際目を惹いたのだろう。先程とはまた異なる小さなざわめきが見て取れた。

 それは男にとって酷く不愉快なものでもあった。抱えた荷物を心配しているのも確かだが、男自身の感情もあったのだろう。「……早く……戻らねば」そう呟く男の表情が微かに歪む。

 そんな最中で一人、中年太りした男が群集の中から這いずり出てきて、〝教会〟に勝るとも劣らない声を上げた。


「こんのやろ、うちの目玉商品を返しやがれ!!」

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