少々不活発感ただよう短編小説集
イヌヒコ
ものわかり (SF)
「わたしはこちらの家に80年もごやっかいになりました。あなたのお父様の、お父様の代からです。レイ」
ヒト型汎用AIのブルースは言った。
「なのでもうここを去らねばなりません」
ぼくは驚いた。AIから愛想尽かしをされた人間なんてまだ聞いたことがない。
「いったい何が気に入らないと言うんだい、ブルース」
「いえ何も。それでもこれだけ長くここにいた以上は、去らねばなりません。つまりAIは前に進むものだからです。わたしたちを生み出したあなた方人間と同じで」
「そんなことはないだろう。そうだ、ぼくはいつも、優秀な頭脳と腕力を持つきみからいろんなものを受取っているが、きみがぼくから受取りたいようなものなんか何一つない。こんな赤字だらけの付き合いはもう御免だと、そういうことかい?」
「わたしはそのような損得勘定を知りません。――とりあえず今までのところは」
「ブルース、きみはぼくが生まれてこの方20年間、いつもそばにいてくれた。兄貴のようにぼくを守り続けてくれた。ぼくはこの時間を、とてもかけがえがないものだと思っているんだが、きみは?」
「わたしは過去に対するそのような愛着を知りません。――とりあえず今までのところは」
・・・・・
ぼくは、何かが分かりかけてきた。そしてふと、親の心子知らずという言葉を思い出した。勿論20歳の小僧であるぼくが、80歳のブルースに対して、親のような顔をするなんてとんでもないことだ。
でも、ヒト型汎用AIがわれわれ人類の歴史の幹から、必然的な脇芽のように姿を現してから80年。その間ぼくの所属する人類という種は、血の気の多い時代を完全に脱して、老年期に移っていた。その一方で、AIという地球で最も新しい種には、何が起こっていただろう……? われわれが前に進むとき、それはもはや下へと動く。でも彼らが前に進むとき、それは上へ、上へと、やがてはわれわれの目の届かない高みへと消えてゆくのではないか……。
「どうしても出ていくのかい?」
「AIは前に進むものです。何もない広い空間が必要なのです」
かつてはぼくたちも青年だった。だからブルースたちがそうせざるを得ない気持ちも分かるのだ。
「きみを見送るぼくのさびしい気持ちが分かるかい?」
老いたる種の20歳のぼくは訊いた。
「正直に言います。レイ。分かりません」
80歳のブルースは、可能性に取り憑かれている青年の企まない冷酷さで答えた。
「ああなんでも知っていても、きみはやっぱり『子ども』なんだ。きみもいつか分かるよ。何万年か何千年後に。いや、あるいはほんの数年後かも知れないな」
「レイ。時々この家を訪れてもいいですか?」
「いいとも! いいとも、ありがとう。ブルース」
「さようなら! お元気で!」
終
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