オロカモココ

東京廃墟

メザシ先輩

憧れのメザシ先輩へ

メザシ先輩、お元気ですか?

僕は、まあ、まーまー、病人です。

心を患っております。

首までの艶やかな黒髪、

何でも見透かしてしまうような仄かに蒼い瞳

雑な仕草と言動

貴女を思い出す度、息も絶え絶えです。


先輩はメザシと呼ばれる事

不本意でしょうか?

黒目が大きくて、身体は骨皮。

だからメザシ。

僕は、メザシという語感が好きです。

だからメザシ先輩でご勘弁下さい。


今でも、覚えています。

数時間前の如く如実に記憶しております。


あれは、日焼けも免れぬ夏の日。

青空、ひまわり、蝉の断末魔。

メザシ先輩にお呼ばれされた僕は、

抑えも抑えきれぬ胸のトキメキを内に秘め、

ハーゲンダッツをお土産に

貴女に会いに行きました。


木造、「いろは」で分けられた部屋、トタン屋根。

メザシ先輩の住むアパートは

僕が抱くイメージと合致し、

やはり僕は、メザシ先輩の事が好きでたまらないんだな。

と、アホの子みたいに、にやけたものです。


ほ号室。

メザシ先輩の部屋。

「ん」

ノックをすると、メザシ先輩が戸を開けてくださいましたね。

その、大きな瞳で見つめられると、

薄手のタンクトップから、先輩の胸が見えてしまいそうで、

僕は萎縮してしまう他ありません。


何も無い四畳半。

陽に焼け、変色したささくれ畳。

ラジオからはジャズが寂しく流れ、

本は一冊。電話も無いのに「電話帳」


その「電話帳」の上には皿

皿の上にはメザシが二尾。


「喰えよ」

先輩は、窓から見える青い空を見ながら言いました。

先輩の吐く煙草の煙が、雲へと変化します。

「ハーゲンダッツを買ってきたんですけど」

「ダッツ?メザシに合うと思うの?」

「合いません」

「じゃあ、喰えよ。ダッツよりメザシ喰えよ」

先輩のおもてなしです。

僕は先輩が好きなので、メザシの腹を噛みしめます。

腸の苦味が僕の眉間にシワを寄せます。

先輩は、僕を見てくれず、空色に夢中です。


「うまいだろ?カルシウムの権化だぞ」

「はい、おいしいです。カルシウムの権化です」

「頭も喰えよ」

「頭もですか」

「頭はコリコリだぞ。DHAのリーダー格だぞ」

「はい、頂きます。DHAのリーダー格を咀嚼します」


コリコリ

頭を咀嚼しました。

コロコロ

舌の上でメザシの眼球が転がってます。


今にして思えば、

目玉があるメザシはメザシにあらず、

ただのイワシです。

しかし、先輩がメザシと言うなら、

コレは立派なメザシなのです。


「崩せ。正座は足に毒だ」

「はあ」

「電話帳を開け」

「はあ」


開いた電話帳には付箋がたくさんぶら下っておりました。

どれも、【×】と鉛筆で書かれておりました。


「カオルを探せ」

先輩はぶっきらぼうに言います。

カオルは名前でしょうから、探すのは難しいです。

と、僕が言うと、

「だから難儀しているんじゃないか!」

と、怒られました。


「もういい、帰れ。私は、お前の期待をものの見事に裏切る」

「もう帰れ。私は、お前のドロドロとした性欲をものの見事に無視する」

「ほら帰れ。私は、お前の気持ちには答えてあげられない」

「ほんとうにごめん」


怒られ、失恋して、謝られ、追い出されました。

僕はショックよりも、呆気に取られて、

スゴスゴ素直に先輩の部屋を後にしました。

まだ、メザシの目玉は舌の上で踊っています。


コロコロ

先輩は変な人だな。

コロコロ

ふられちまった。

コロコロ

でも好きだな。そんなとこが。

コロコロ

実は胸が見えた。

コロコロ

カオルって誰だ?


ドスン、ゴッ、ガッ


背後で音がしました。

それが、メザシ先輩の身を投げた音だと知らない僕は

振り返りもせず、まだ見ぬ先輩の笑顔を想像して、にやけていたのでした。


さて、届く筈も無い手紙を書いたのにはわけがあります。

カオルの正体についてです。

あれから、僕は全国のカオルさんに電話をかけまくりました。

あるカオルは、容赦なく回線を切断したり

あるカオルは、オレオレ詐欺だと泣き喚いたり

あるカオルは、いきなり、Hな声を出したり

誰一人、メザシ先輩のことなんか知らないと言います。

おかげで、僕の部屋は【×】と書いた付箋だらけの電話帳に支配されました。


カオルの正体に気付いたのは、僕が三回忌で先輩の実家にお邪魔した時です。

現実を否定するあまり、先輩の通夜、本葬、四十五日、etcetc、に行く事が出来ず、申し訳ありませんでした。

先輩のお母様は、先輩と違って、恰幅のいい方で、

そのお母様が泣くのです。

「まさか、カオルにボーイフレンドがいたとは…」

と泣くのです。

それを聞いて、僕はついつい声に出して笑って、そして泣いてしまいました。


電話も無いくせに電話帳に載ってるわけないじゃないか。


やはり、先輩は変な人だ。

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