詩歌い少女は竜の堕ちた蒸気の街を渡る
三國
1.詩歌い少女は外の世界を見たがった
かつて、竜は空を駆る誇り高い生き物だった。だが、それも今は昔の話。現在の竜は人間の乗り物として飼いならされ、地を這って生きるちっぽけな生き物だ。また人間が魔法を扱うことができたのも昔の話で、科学技術の発展とともに魔法は人間の生活から姿を消した。今や街のほとんどは蒸気機関によって動いており、もはや街自体が巨大な蒸気機関であると言っても過言ではなかった。
しかし、そんな世界の片隅に、大昔の面影を保つ小さな村――「詩歌いの村」は存在した。この村には大昔からの伝承が今日まで歌い継がれており、それを歌い繋いでいるのが、「詩歌い」……一生を村の中だけで過ごし、来る日も来る日も歌い続ける人柱だった。
次代詩歌いの少女、クラリーチェは、今日も花畑で一人、何をするでもなく空を見ていた。十六歳の彼女は、人柱になるのを嫌がった。跡を継いでしまえば、もうこの花畑にも来られないのだろう。ざあ、と、吹き抜ける風が薄い金色の髪を揺らしていく。今日もまた一日が少しずつ終わっていく。クラリーチェは地平線のほうを見やった。遠くにかすかに、機械仕掛けの街が見える。ああ、この目で世界を見てみたい。こんな小さな村で閉じ込められたまま死んでいくなんて嫌だ。
「外にはどんな人たちがいるんだろう。どんな服を着ているんだろう。どんなものを食べて、どんなものを見て、どんなことで笑うんだろう……」
クラリーチェは目を閉じ、座った状態から背中を倒して花畑に倒れ込んだ。土と緑のにおいが鼻をくすぐって、それをざりざりと踏みしめる足音を聞いた。世話役のお姉さんがまた連れ戻しにやってきたのだろうか……いや、それにしてはあまりにも荒々しい足音だ。怒っているんだろうか。と、目を開けると、逆光の中で自分を見下ろす影があった。
「……誰?」
起き上がりながら顔をよく見ると、どうやら二十歳前後の男だ。見覚えはなく、村の人間ではない。では、旅人だろうか。この不便で小さな村にはめったにそんなもの寄り付かないが……。
クラリーチェが小首をかしげていると、男は質問に答えもせずに言った。
「初めて見る人間を警戒もしないのか。噂には聞いていたが、この村の『詩歌い一族』ってやつは、相当世間知らずらしい」
はあ、と呆れたようなため息をつきながらも、彼の表情はほとんど変わらない。それがなんとなく新鮮だった。この村においては老人だけが持つ、悟りきって愁いを帯びた目をしていた。
「あなたは、外の人? 外の人は、みんなそんな目をしているの?」
「は?」
男はややけげんな顔をしたが、じっとクラリーチェの顔を見ると、そうだなと静かに言った。
「お前くらいの年の娘が、そんな好奇心丸出しの目をしてることはまずないな」
「……バカにしてる?」
「おっと、皮肉はわかるのか。これは失礼」
肩をすくめる男が村の集落のほうに視線を移したのをいいことに、クラリーチェはその服をまじまじと見た。この村にはない素材で、この村では見ない形だった。
「何見てる」
「あ、ごめんなさい。外の服は面白いなあって」
「服……?」
男はちらりと自分の服を見て、クラリーチェの服と見比べた。外の服とこの村の服では根本的に、服の用途が異なるのだ。外の服はそれ自体が装飾品であるのに対し、村の服はあくまで便宜上のもの。装飾品は別につける。少女は懲りずに、興味深く男の服を観察した。
「外の人はみんなそんな綺麗な服を着ているの? その耳たぶにつけてる飾りは男の人だけがつけるの? 長い靴は動物の革? それを編み上げている紐の素材はなに? それに、」
「うるさいな」
クラリーチェが男を質問攻めにすると、彼は眉根を寄せた。少女はハッとして、再び謝罪を口にした。
「ごめんなさい。私、村の外を見たことがないの。外の人たちはどんなものを見て、描いて、作って、歌って、食べて……っていつもいつもそんなことばかり考えてる」
少女はその場にしゃがみ込むと、足元の花をそっとなぜた。この花は村の外にも咲いているのだろうか。村の外にはここよりもたくさんの種類の花が咲いているのだろうかと。
男はしばらく押し黙っていたが、やがて、言った。
「そんなに外の世界が見たいのなら、連れ出してやる。……お前は見目がいい。客寄せに使えそうだからな」
「え……?」
クラリーチェが顔を上げて男の顔を見ると、彼は相変わらず愁いを帯びた無表情で少女を見下ろしていた。
「俺はちょっとした芸を売りながら行く当てのない旅をしている、いわゆる旅芸人なんだ。どうせ旅の目的なんてのもないしな。お前が客の目を惹く手伝いをするっていうなら、連れ出してやる」
す、と差し出された力強い手。外の世界で生き抜いてきた手だ。クラリーチェが好奇心のままにその手を握り返すと、勢いよく引っ張られ立ち上がらされる。
「決まり、だな」
「うん。私はクラリーチェ。よろしくね!」
「ん、チェーザレ。……お前いかにも好奇心だけで手を取りましたって顔してるが、足引っ張ったらその場で置いていくからな」
かくして、外を見たがった詩歌い少女は、流浪の青年に連れられて、故郷の村を後にした。
詩歌い少女は竜の堕ちた蒸気の街を渡る 三國 @syarisyariLemon
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