第27話 祝言を上げるのじゃ(レイラ談)

 扉を開き中に入ると三人は、母屋を横に見ながら石畳の上を進んだ。石畳は井戸の所で切れており、その先は申し訳ない程度に、雑草が生えてある土の道であった。



「なんじゃ。母屋から随分と離れているのじゃな」



 雑草を踏まないよう器用にレイラは避けながら歩いていた。



「感染はしないらしいが、離れで暮らしたいとの政吉の強い希望だそうだ。見えてきたぞ」



 三人の目には吹けば飛びそうな小ぢんまりとした平屋が入ってきた。

 平屋の戸口前まで来るとレイラは深く息を吸ってからゆっくりと吐き出し、それを見届けてから市蔵は二回戸を叩くと中から返事が返ってきた。



「親から話しは聞いております。どうぞ、お入りください」



 戸を開け中に入ると式台になっており奥には神棚があったが、後は部屋の真ん中に布団が敷いてあり枕元には水が入った茶碗が置いてあるだけであった。

 そして布団からは体を起こそうとしている政吉の姿が見えた。



「このような姿でお恥ずかしい。生憎、病気から目も見えなくなっており、何のお構いも出来ませんが、こちらへどうぞ」



 布団の近くには座布団が三人分用意されていた。式台に上がる市蔵の着物をレイラは掴むと、手招きをして市蔵をしゃがみ込ませ耳元に手をあてがい囁いた。



「イチは知っておったのか? 政吉の目が見えない事を」



 市蔵はコクりと頷くと、呆然と立ち尽くす夕霧の手を取り式台へと上がり、そのまま進むと座布団へと座らせ、レイラも布袋を横に置くと座布団に腰をおろした。



 三人が座る気配を感じ取ったのか、政吉は気丈に振る舞い胡座をかきながら口を開いた。



「市蔵殿でしたかな。何でも私に良薬を下さるとのお話しらしいですが、私が一番自分の体を分かっております。今日は調子が良いですが、あと一月も持たないでしょう」



 政吉は水が飲みたいのか手で、床をまさぐり茶碗を探しているようだった。

 見かねたレイラが茶碗を持とうと中腰になると市蔵がレイラの前に手を差し出し制した。



「お前が茶碗を持ってやれ」



 市蔵は夕霧に向けて言葉を放った。レイラは目が見えない夕霧に対する仕打ちに驚き、手前にある市蔵の制した腕を噛んだが、市蔵はびくともせず同じ言葉を口にした。



「お前が飲ませてやってくれ」



 暫く黙り込み表情も変えずにいた夕霧が、スッと立ち上がると枕元まで歩き出し、座り込んでは茶碗を手に持った。そして政吉の後ろに回り込み手をおそるおそる握ると茶碗に添え当てがった。

 噛んでいた市蔵の腕をレイラは離すと口をあんぐり開けたまま、その光景を見つめていた。



「おや。これはとても懐かしく甘い匂いがしますね」



 夕霧の髪が顔にかかると政吉は、とても穏やかな表情のまま呟いた。

 夕霧は茶碗を持つ政吉の手を上から重ね、そのまま口許まで運んだ。

 政吉が水を口に含み喉が鳴ると満足そうに頷いた。



「ありがとう。真桑瓜まくわうりでも飲んでるかの様な甘く美味しく感じられました」



 夕霧は悲しそうに微笑むと茶碗を床に置いて、そっと後ろから政吉を抱き締めた。政吉の閉じている目がぴくっと動き、首に回された夕霧の腕を優しく手で擦った。



「市蔵殿。すまないが神棚に入っている紙を全て持ってきて下さい」



 市蔵は立ち上がり神棚まで向かうと一礼し、米や酒と一緒に置いてあった大量の紙を集め重ねると、二寸もあろうかと思える厚さになった。



「持ってきたぞ」



 市蔵は政吉の手前に置くと、ぱらぱらと上の方から紙は崩れ床に散らばった。

 政吉は夕霧の腕を擦り続けながら、もう片方の手で適当に紙を拾うと夕霧の顔の前に差し出した。



「宜しければ、これを読んでは貰えないだろうか? 」



 夕霧は政吉を後ろから抱き締めたまま紙を見つめ動こうとしない。

 どの位の時間が経ったのか……政吉は俯くと回された夕霧の手の甲に静かに口づけをした。



夢芽むめ殿 戻っておいで。もう、夢現ゆめうつつの世界は終わりにしよう」



 夕霧は政吉の言葉を聞くと力が抜けた様に政吉の背中に顔を埋め、持っていた政吉の手から紙を受け取った。



「夢芽殿が今は『夕霧太夫』と呼ばれていることも、ここに入ってきた時から、あなたが夢芽殿ということも分かっておりました。私が夢芽殿の匂いを忘れる訳がありません。余命のない哀れな私の為に読んではくれませんか? 」



 背中越しに頷くと政吉の背中から夕霧は顔を離し紙を開いた。夕霧は確認すると紙を閉じ床に散らばった紙を拾い同じように開いた。そしてまた閉じ床に散らばる紙をまた拾いなおし開いた。

 その繰り返す速度はどんどんと早くなり、夕霧の目からは次第に涙が零れ落ちた。



「……これも、これも、これも全部、私宛への文ではないですか……」



 両手に文を持ったまま夕霧は項垂れ顔を覆うと、文には夕霧の涙が染み込み始めた。

 政吉は涙を零しながら項垂れる夕霧の頭に手を乗せると、夕霧は更に政吉の膝へと崩れ落ちた。



「私は刀宗とうしゅうと夢芽殿が奥州藩に向かった二年後に戻って来てたのですが、刀宗が修行を積んでいる寺に向かっても会えず、夢芽殿は行方知らず、いつか会えると信じ、目が見えなくなるまで毎日文を書いておりました」



 膝に崩れ落ち撓垂しなだれ掛かる夕霧の髪を優しく政吉は撫でた。



「同心として城下町の見廻りをしていた私に、いつしか全盲ながらも太夫に登り詰めた『夕霧』の噂が耳に入ってきました。興味本位で花魁道中を見てみれば、見間違う訳もなく夢芽殿が練り歩いているではありませんか。私は酷く混乱しました。が、その頃から病気がちになってしまい、今を過ごしております」



 政吉と夢芽。雰囲気を壊さないよう市蔵は二人から目を反らし黙っていたが、レイラは固唾を飲んで見守っていた。



「何でも夕霧太夫の口癖は『ここは夢現の世界、現実を忘れましょう』と言うではありませんか。私には花魁道中とその言葉だけで十分でした。夢芽殿、そなたは全盲ではありません。辛い現実を見ないようにしていたのですね」



 パッとレイラは隣に座る市蔵を見ると市蔵は頷き小声で囁いた。



「道休も最初から怪しんでいた。それにレイラの髪に手絡を結んだ際、レイラは『白銀の髪に似合うじゃろ?』と、言っていたのに対して、夕霧は『緋色』と色を口走っていたからな」



 レイラは目線を上に向け思い出そうとしていると、政吉の膝から夕霧が頭を起こした。



「政吉様の仰る通り私は目が見えております。ただ、一度も私から目が見えない。と、言った事は御座いません。『お前は目が見えないからね』と、いった際も否定も肯定もしなかったです。勝手に周りが全盲扱いし、それを少し利用したら、知らない間に全盲の太夫で有名になってしまいました。でも、夢現の世界で生きる私には好都合でしたから」



 政吉は顔を上げた夢芽の体を起こすと力強く抱き締めた。



「夢現の出来事だと思わなければいけない程に、苦しく辛かったのうに。夢芽殿、すまない」



 市蔵はまだ目線を上にして思い出そうとしているレイラを、肘で小突きレイラが振り向くと顎で布袋を示した。布袋に気付き開くとレイラは目を丸くさせ視線を市蔵へと向けた。

 市蔵が頷いたのを見てからレイラは立ち上がり抱き締め合っていた二人に声を掛けた。



「これより、政吉と夢芽の祝言を上げるのじゃ」

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