第26話 いざ政吉の家に行くのじゃ(レイラ談)

「言う通りにやったぞ。後はお前次第だ」



 市蔵の言葉に道休は目を細め笑みを浮かべると、頭を下げてから立ち上がった。



「ありがとうございます。市蔵殿には、これ以上はご迷惑掛けませんから。私が市中引き回しで火炙ひあぶりにでもなった際は妹をお願いします」



「本当にそれでいいのか? 」



 立ち上り部屋を出て行こうとする道休の背中に投げ掛けると、道休は立ち止まり振り向いた。



「えぇ。先ほどお伝えした通り、妹とレイラ殿はもう少しでここにやって来ましょう。正直、面と向かって妹に会うのが怖いのです。ですから、後は政吉の所へ向かい言われた通りやって頂ければ妹も政吉も報われます。あちらのご両親にも話しは通してありますし、政吉は市蔵殿に話した通りなので、レイラ殿と妹は驚くかもですね。そして私の考えが当たっていれば妹は……」



 道休は言い残すと旅籠屋を後にし、残された市蔵はしばしくうを見つめたまま、目を閉じては溜め息を吐いた。


※※※※

「ぐぬぬ。夕霧よ、せっかく大門を抜けたのに旅籠屋まで行かねば意味がないじゃろ」



 レイラは梃子てこでも動こうとしない夕霧の袖を掴むと一生懸命に引っ張った。



「だって、お兄様がいるのでしょ? お兄様には会いたくないわ」



「そうじゃが……夕霧は夢芽めむ何て知らないのじゃろ? なら『お兄様』ってもいなかろう。会いに行くのも刀宗とうしゅうとか言う奴ではなく『道休』と言う破戒僧じゃ」



 夕霧が黙っているとレイラはさらに畳み掛けた。



「悪夢を早く終わらせたいのじゃろ? そう長くは行方を眩ます事も出来んのじゃ」



 袖を振り払うと夕霧は観念したかの様にレイラに手を差し出した。



「夕霧は良い子じゃ。よし急ぐのじゃ」



 クスッと夕霧が笑うとレイラはその手を掴み走り出した。



 道休が旅籠屋を後にしてから半刻もすると襖の向こうから女中の声が届いた。



「失礼します。お連れの方がお見えですが」


「分かった、ありがとう。通してくれ」



 段梯子を掛け昇る音が聞こえてきたかと思うと、襖が一気に開け放たれた。レイラは目の前に映る市蔵を見ると、大きい目を丸くし満面の笑みのまま、胡座あぐらをかいていた市蔵の元に一気に飛び込んだ。

 突然の体当たりに市蔵はレイラを抱き締めたまま畳へと仰向けに倒れ込んでしまった。



「イチよー。わらわに会いたかったのであろう。そうじゃろ、そうじゃろ。十日程も会ってなかったのじゃからな。仕方がないのう、ほれ、わらわに顔を見せてみぃ。ぶぎゃあぁ」



「レイラ。邪魔だ」



 市蔵はレイラの顔を掴むと無理やり体から引き離した。



「クスクス。胡蝶はレイラって言うのね」



「おぉ、そうじゃった。イチ、道休は何処じゃ? いも……夕霧を連れて来たのじゃが」



 市蔵は座布団を2つ用意するとレイラと夕霧に座るように促した。



「道休は野暮用だ。だが、政吉の場所は聞いている。病気に掛かってからは南町の屋敷で療養中らしい。それと、道休に言われてこの布袋を渡された」



 市蔵は手で持ち運びが容易な布袋をレイラに手渡すと早速、中を広げようとするレイラを注した。



「開けるなよ。政吉の家に着いてからだ」



「市蔵様と言いましたね。あなたの声も聞き覚えがあります」



 市蔵は体の向きを変え夕霧の顔を見つめると、その視線の間にレイラが割って入ってきた。



「イチ! 夕霧の顔に見惚れておるな! わらわがいるとゆうに」



「いや、道休にやはり似ているな。と思っただけだ」



 夕霧は眉間にシワを寄せると面影は暗くなっていった。市蔵は意に介さず今度は懐に手を突っ込むと筥迫はこせこを取り出した。



「あと、レイラ。お前が大事にしている筥迫も持ってきたぞ」



「おぉ、わらわの大切な形見じゃ。正直、気になって気になって仕方なんだわ」



 レイラは筥迫を開くと中から手絡てがらを取り出し市蔵に差し出した。



「何だよ? 」


「イチよ。折角じゃ、手絡を髪に結んではくれんかのう?」



「面倒くせーな」



 トコトコと歩き出し市蔵に手絡を渡すと胡座の上にレイラは座り出した。

 市蔵はレイラの髪を手櫛で整え器用に蝶結びを始めると、レイラは目を閉じ鼻歌をしてはニコニコと笑顔を浮かべた。

 蝶結びが終わり市蔵は、ふと夕霧を見ると夕霧の表情は曇ったまま泣き出しそうになっていた。



「お兄様の事でも思い出したのか? お前も昔は結んで貰ったりしてたのだろ? 」



「な 何の事か分かりません。ですが、胡蝶の鼻歌が楽しそうだったので」



 緊張した面持ちで夕霧が答えると、レイラは市蔵の胡座の上から歩き、夕霧の前でしゃがみ込むと夕霧の手を取り手絡に触らせた。



「ほれ 夕霧よ。イチは器用でな、この手絡を蝶結び以外にも、ウサギの耳の様にする事も出来るのじゃ。どうじゃ、白銀の髪に似合って可愛いじゃろ? 」



 片手で口を覆い笑いながら夕霧はレイラの頭を撫でた。



「えぇ。緋色の手絡は胡蝶に似合うのでしょうね。ウサギの耳を付けた可愛い胡蝶も見たかったわ」



夕霧の言葉を聞くと市蔵の呟きが漏れた。


「やはりか……」



「ん? イチよ。今、何か言ったか? 」



 市蔵の小声の呟きにレイラは反応したが市蔵は首を横に振った。



「いや 何でもない。ここから南町は近いとは言え時間が勿体無い。政吉の所に向かうぞ。レイラは布袋を持ってくれ」



 レイラは布袋を手に持つと、もう片方の手で夕霧の手を握り三人は旅籠屋を後にし南町へと歩き出した。

 鐘の音は夕七ツ(16時)を告げた頃に南町へと着き、通りを少し歩くと市蔵は立ち止まった。



「ここだな。徳利とっくり門番か」



 通りに面した政吉の屋敷には木戸で出来た通用口の扉に鎖が付けてあり、その先に徳利がぶら下がっていた。



「政吉は母屋から少し離れた平長屋で、ほぼ寝たきりらしい。入るが準備は良いか? 」



 レイラが頷くと市蔵はレイラの頭を小突いた。



「お前じゃない夕霧の方だ。夕霧も準備は良いのか? 」



 夕霧は黙って頷きレイラと握り合っていた手に力が入った。



「よし、入るぞ」

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