第16話 道休回想シーン 私にも純粋な時代があったんです(本人談)

 痛ってー。身体中が軋む、それに腹が減った。

 毎度毎度こんな蔵に閉じ込めて、そんなにこの俺が憎いかね。



「お兄様。今、開けますね」



 格子越しに聞こえてきた、囁くような小さい声は妹である夢芽むめの声だった。

 夢芽は戸を開けて入ってくると、すぐに駆け寄ってきた。



「また、派手にやられましたね。大丈夫ですか? 握り飯をお持ちしましたので召し上がって下さい」



「顔は殴らずに腹と背中が多いから、着物がボロボロだよ。ありがとう夢芽」



 夢芽は柱に括られていた縄を解くと、握り飯を手渡してきたので俺は受けとり無心に頬張った。

 殴られたからなのか胃袋が受け付けようとせず思わず噎せてしまった。



 ゴホッ ゲホッ



「お兄様。落ち着いて下さい。水もありますから」



 夢芽はしゃがりこみ両膝に肘を付き手首を合わせると、そこに小さい顔を乗せ俺を覗き込みクスッと笑い掛けてきた。親譲りの俺と似ていると言われる美貌もだが、11歳にはとても見えない大人びた顔を夢芽はしている。



「良かったですね。お兄様、自慢のお顔だけは傷付かずにいて」



「うるせー 自慢なのは顔だけじゃなく、頭の良さと身長の高さもだ」



「その頭の良さを発揮して、平穏に過ごせるように少しは行動を慎みなさいな」



 俺の親父は100石の俸禄を受け取る御家人で、母親は小石川養生所の医者の娘だった。

 俺が8歳で夢芽が4歳の時に親父は病気でなくなり、町でも評判の美貌だった母親は5000石を給わる大身旗本で勘定奉行でもあるこの萩原家へ後妻として入った。萩原家の当主と母親の年齢差は15はあったが、義父は母親にも連れ子である俺たち兄弟にも優しく夫婦仲も素晴らしかった。



 そんな母親も後妻として入った4年後には病気で亡くなり、その3年後に母と俺たちを温かく迎えてくれた当主も亡くなった。家督を継いだ息子。俺の義兄で長兄になるのだが、この現当主含め3兄弟全員が俺には冷たく当たる。特に一番年齢の近い3男は最悪だ。まっ、自分より才能もあって年齢も若く、見目も良ければ嫉妬もするわな。

 そんな義兄らに反抗しては殴られ蔵に閉じ込められるの繰り返しだ。



「お お兄様、ま 政吉まさよし様が心配されておりましたよ」



 政吉の名を告げる夢芽の声音は緊張していた。政吉は奥州藩士の子息で、この八丁堀の隣にある芝愛宕下の、奥州藩江戸中屋敷に住んでいる。山王祭りの際に偶然に出合い俺と年齢も同じとの事で仲良くなったのだが、夢芽は政吉に惚れているらしい。



「あいつは元服も済まして、俺に構ってる暇はないだろ」



「そ そんな事ないです。確かに忙しそうにしておりますが、先ほども軟膏と落雁らくがんを届けてくれま……」



 夢芽は目を丸くすると手を口で塞いだ。おそらく俺の分の落雁まで食べてしまったのだろう。



「まぁ、良いさ。出るぞ」



「え? お兄様勝手に出たら、また怒られちゃいますよ」



 夢芽の言葉を無視して蔵を出ると、陽も傾きはじめていた。夢芽はトコトコと後ろから駆け寄っては背中にしがみついてきた。



「いって!背中は傷付いてるから離れてくれ」



 夢芽は少し離れると、どうして良いか分からないように佇んだ。

 大人びているとは言え11歳だ。既に働いている子は働いてる年齢でもあるが、両親を早くに亡くした夢芽は、そういった意味では幼い部分がある。しょうがないなぁ。後ろ向きのまま指でこっちに来い。と合図すると、直ぐに夢芽は駆け寄り俺の手を握って来た。



 屋敷に戻ると俺を痛め付けた、すぐ上の義兄の信孝が式台で待ち構えていた。信孝は18歳になるも三男との事で役職らしい役職もなく仕事もせずに、毎日ふらふらと遊び呆けていた。



刀宗とうしゅう早かったな。夢芽! お前が蔵を開けたのか? 」



 俺の手を握る夢芽の力は強くなり唇を噛んだまま喋ろうとしなかった。



「開いてたんで出てきました」



 俺は当たり前の様に答え式台を上がり部屋に戻ろうとすると、信孝が夢芽の頭に手を乗せ、ニタニタと下卑た笑みを浮かべてきた。



「夢芽は近い将来、俺の嫁になるのだろ。俺の言うことを聞かないと駄目じゃないか」



 蛇に睨まれた蛙の様に夢芽は固まってしまい、俺は強引に夢芽を引っ張り部屋へと戻った。背中には、ねっとりとした信孝の視線が纏わりつく様な不快感があった。

 部屋に戻り畳に腰を下ろすと、先ほどの信孝にだんだん怒りが込み上げてきた。



「やっぱ、あいつ許せない。勝手に夢芽に汚ない手で触りやがって、殴ってくる」



 俺が立ち上がろうとすると夢芽は必死に足に絡み付いてきて、行かせようとしなかった。



「私は大丈夫ですから、またお兄様が蔵に閉じ込められ1人でいる方が嫌です」



 夢芽の言葉で落ち着きを取り戻した俺は、やり場のない怒りを自分の膝を拳で叩くことで紛らわした。



 義父が健在だったころは義兄らも大人しくしていたが、長兄が家督を次ぐと、少しずつ風当たりが強くなった。特に一番暇なのであろう三男の信孝は何かと俺に突っ掛かってくるし、まだ子どもと言って良い夢芽にも言い寄る始末だ。



 翌日になると政吉の届けてくれた軟膏の効果なのか身体の痛みは消えつつあり、政吉にお礼を言いに行くから付いてくるか? と、夢芽を誘うと夢芽はいつにもまして、お洒落に気合いを入れ始めていた。



 屋敷に付くと見番に外で待つように言われ、少し経つと政吉は精悍な色黒の顔を綻ばせながら屋敷から出てきた。



「いらっしゃい。すまん。こんなとこで、参勤交代で近々藩主様がやってくるので、中がバタバタしててな。それにしても、いつもの事とは言え心配したぞ刀宗よ。夢芽殿も大変な兄を持っちゃったね」



「な 慣れてますから。それに政吉様から頂いた軟膏が素晴らしい効能なのは知ってますし」



 俺は恥ずかしがり俯いて喋る夢芽に少しイラつき意地悪したくなった。



「頂いた落雁も素晴らしいお味だったのだろ? 俺の分まで独り占めするくらいに」



 夢芽の俯いていた顔は一気に耳までもが赤くなり、余計に下を向いては黙ってしまっていた。

 政吉が豪快に笑うと少し待ってろ。と言い残し屋敷へと入っていった。

 夢芽はすぐに顔を上げると、両手とも握り拳を作っては俺の腕をポコポコと叩いてきた。



「お お兄様のバカー 何も政吉様の前で言うことないじゃない バカバカバカバカ……」



 政吉の戻ってくる音が聞こえてくると夢芽は叩くのを止め先ほどと同じ、しおらしく俯き始めた。

 政吉は夢芽の手を取ると巾着袋をギュッと握らせた。



「ほれ。夢芽殿の大好きな落雁に金平糖も入れておいた。刀宗には内緒だぞ」



「思いっきり聞こえてるから」



 夢芽は手を握られたのが恥ずかしいのか、また顔を赤らめ巾着袋を握ったまま微動だにしなかった。



「夢芽、ちゃんとお礼を言いなさい」



「別に良いよ 刀宗。お礼が言われたくてした訳じゃない」



「あ ああ あり ありがとうございます……」



 一生懸命に顔を上げて必死にお礼を言おうとする夢芽だが、後半は声が小さすぎて聞こえなかったな。



「む 夢芽殿。いつでも欲しくなったら来てくだされ……」



 恥ずかしそうに頭をかく政吉。何でお前も耳まで真っ赤になってんだよ!



「忙しいところ邪魔したな。軟膏はありがとう礼を言う。夢芽に落雁もありがとな」



 夢芽に。の所だけわざと強調して言ってやった。



「あ あぁ。こちらこそ何のお構いも出来ずにすまん。また会おう。では、夢芽殿これを」



 政吉は紙を夢芽に手渡すと夢芽も紙を政吉に手渡していた。この2人はいつの頃からか文のやりとりをしている。10やそこらの女の子で文字が読めて掛けるのは珍しいが、夢芽は文を読んだ後はいつも文を抱き締めながら、薄気味悪い笑顔を浮かべては部屋をゴロゴロと転がり出した。


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