3-16
午後の授業中、真希菜は目を閉じて軽くこめかみを揉みほぐした。
科目は物理。担当の男性教師が板書しつつ、授業内容から脱線した内容を語っている。
「――つまり彼は、この対称性を突き詰めることで、世界の事象を説明する数式を見つけられないかと考えたわけです。ただ問題は、弱い核力――」
脱線しているうえに小難しい内容の話に、クラス全体の空気は既にだれている。教師はそれに気づいていないようだが、もはやクラスメイトの大半は俯いてじっとしていたり、黒板とは別の方向を眺めていたり、筆記具で手遊びをしていたりする。何とか話についていっていた真希菜もいい加減集中力が切れてきたので、ぼんやりと窓の外へ視線を移した。
(……そういえば、クロノ君、戻れたのかな。あっちに)
そんなことを考える。
幸いなことに、あれから砲弾は見つけていない。学校の内外で大きな騒ぎになっている様子もないようだし、解式術の余波なども含めて、真希菜の周囲は平和といえた。
ちなみに図書室の惨状は、適当な教師にあくまで外野として、状況を伝えるだけして、放置してきた。クロノの言っていた通り砲弾の残骸は無害そうであったし、下手に関わってこちらのことを怪しまれても面倒である。あの状況では警察沙汰になるかもしれないので、尚更だ。
(……やっぱり、戦ってるのかな)
図書室での出来事を振り返りつつ、真希菜は胸中でつぶやく。
いや、もしかしたらもう本体を倒しているかもしれない。
(でも……)
彼は修理を必要とするような体であった。解式術を使うような異形の機械に、あの体で立ち向かえるのだろうか。
(もし、クロノ君が壊れちゃったら……)
そうなったときは、あちらの世界でオートマトンが幅を利かせるようになるのだろう。今回の砲弾のようにこちらに来るようになるかもしれないし、そうでなくとも、オートマトンの使った解式術の余波が襲ってくるかもしれない。そして万が一にもALICEが破壊されれば、あの大消失に匹敵する――あるいはそれ以上の災害が発生するかもしれない。
今朝のクロノの話は、もう事実なのだと理解している。真実を証明する現象を目撃して、それでも尚ありえないと目を背けるような、浅慮な人間でありたくはない。
不安だ。彼のことも、世界のことも。
そして真希菜にはもう一つ気になることがあった。
(何か、切羽詰まった……思いつめたような声だった)
先ほど別れ際に聞いたクロノの言葉には、そんな響きがあった気がした。理由はわからないが、今朝話していた時もそんな彼の声音を聞いている。
(変なロボット……)
あまり自分のことを語らないので、何を考えているのかさっぱりわからない。今朝だっていきなり態度を変えてくるし、彼の過去だって、まだろくに知らない。
性格も生意気で、結構上から目線。おまけにことあるごとにこっちをからかってくるし、トロ臭いとか言ってくるし、基本的に自分勝手だ。
しかしそうかと思えばちゃんと助けてくれたりするし、守ってくれる。こちらのことをどう思っているかは知らないが、ALICEを守り、オートマトンを倒すということに彼は必死で忠実だ。
だが基本身一つの彼は、まるで自分の体を盾にするように何かを守る。さっきだってそうだ。手を傷つけてまで自分を助けてくれた。彼は自分の損壊を全く厭わない。
だからこそ、彼の壊れた姿を見るのはどこか苦しい。
こうしている今も、彼はあの世界で壊されているのかもしれない。
「……も、森本……? どうした?」
(え……)
声のしたほうを見ると、物理教師が不思議そうな目をこちらに向けている。クラスメイトも同じくだった。
どうやら自分はいつの間にか、その場で立ち上がっていたらしかった。
「どうした? 何か質問か?」
今一度、教師が声を飛ばす。昨日の今日なので、クラスメイトの視線もより不審の色が濃い。
しかし今の真希菜にはそんなことは些細なことだった。
クロノのことや世界のこと――昨日からの一日で知った様々な情報が、さながら濁流のように脳内を巡っていて、自分の奇行を省みる余裕すらなくなっていたのだ。
そして真希菜はいつの間にか、自身に問うていた。
自分は結局、どうしたいのだ? と。
「おい、森本――」
いい加減痺れを切らして、教師が再度言葉を放る。
その瞬間、真希菜は沈黙を破った。
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