第11話 経済は全てに勝るそれが美味しい食べ物であっても

3年ぶりに更新する


さて、久々のお酒である。

1000円で2リットルもあるワインという世にも不思議な飲み物を飲んでいる。


久々に文章を書くのかといえばそうではなく、他のブログなどはそこそこに更新をしつつ、誰も見ないブログを更新している生活をしている。


・・・え


お前の私生活などどうでもいいと・・・


仰るとおり、たしかに30代後半の爺の話などは聴きたくないだろう。ちなみに40で長老、50で生き字引、60でご長寿、70からは前世紀の遺物、80超えれば妖怪と考えている。


そんな爺が酒を飲んだのでまた久々に文章を書いている。


本題に入ろう。


私は仕事として農業らしきものをやっている。

お、個人情報だ


このコロナの影響で居酒屋や学校給食に出荷していた人々は阿鼻叫喚の世界をここ2年過ごしていたのだろう。


運がよく、日々の食卓に登りつつの居酒屋などには使用されない加工食品の材料を作っていたために業者は例年と変わらずに取り扱ってくれた。


そこそこに大規模に同じ野菜を作り、業者にトン単位でおろしているのだ。


専業の農家をしている人は基本的に米などはつくらずに1つの野菜を作り業者に例年決まった金額で売ることがコンスタンスにお金が入ってくるので安定して生活ができる。


もう一つの方法として様々な野菜を作り道の駅やスーパーに卸して稼いでいる人たちだ。


人気の道の駅に野菜を卸しているおばあさんが年収1000万を越えたという話題が昔流行ったときは羨ましい限りだったが、そこにはそこの苦労があるのだろう。


やはりお酒を飲んでいるからとりとめのない文章担ってしまっているが、2つのタイプの農家に共通しているところはお金になる野菜を生産しているというところだろうか。


貴方が料理をするとして、一体どんな野菜を使用するだろうか。


タマネギ、人参、ダイコン、じゃがいもなどなど色々思いつくかもしれないがそれでも10種類、多くて20種類程度を利用しているだけではないだろうか。


人の生活で様々な野菜があっても季節ごとに使う種類が変わってもそれほど多くの野菜を使用しない。


さらに言えば、例えば大豆にも様々な種類があり、比較されない限り全て同じ大豆というグループに一括にしてしまって同じものとして扱う人のほうが多いと思う。


品種の違いがわかるのは色や形が大きく違うじゃがいもやとうもろこしなどの野菜ではないだろうか。


ここまでは前提の話だ。


大豆を例に出したのでこのまま大豆で話をするが、世の中の大豆には品種が様々ある日夜品種改良が行われ今まで食べていた大豆とはもしかしたら販売している大豆は違うものかもしれない。


そう言われても、貴方は気づくことは出来ないだろう。


日本の大豆には様々な種類があった。


しかし、今のように品種改良をして形の良い、収量の多い大豆に置き換わっていった。少量しか収穫出来ないが豆腐や味噌にすると味がガラリと変わる品種があっても作らない。


そう、お金にならないのだ。


これは牛乳でも言える。

日本の多くの牛乳はホルスタイン種が利用されている。様々理由があるが一番の理由は乳のでる量がとても多いことだ。


味としてはジャージー牛などに比べると今イチどころか今二ぐらいには味の差が存在する。


農家が絞った牛乳は大抵がJAのタンクで全て混ぜられてしまうために味などよりも量を重視した結果、牛乳を飲む我々には本当に美味しい牛乳は手に入らないのだ。


さて、大豆に戻るが京都の京豆腐は国産6割外国産4割だそうだ。


外国の収量を増やすために地平線まで続く農地に農薬や除草剤を散布して作られた物もおおく使用されている。良い物ではなく量を優先しているのだ。


世界が経済を優先した結果このようなことが起きたとも言える。大規模に作られる野菜ではこのようなことが発生するが、果樹ではそのようなことがなく1個10万円とかの意味のわからないイチゴなどが世の中には出回っていたりする。


例えばブドウは新しい品種が次々と販売され、甘くて美味しいブドウの品種は海外で1房が5000円という高級なものになっても売れたりする。


野菜と果樹の違いは器械を利用した大量生産が可能かという問題に行き気がするが、そうではなく日本人の独特の人件費を無視した価格と、日本総中流という一瞬の幻想が原因のように思える。


野菜でも良いものを作れば買ってくれるという文化は無いわけではない。中国でもニンニクを作っているが青森で作っているニンニクは中国産の4倍の価格だが人気があり売れている。


ニンニクが毎日食べるものではなく、ターゲット層もかぶらないために高価な商品として販売できるが、もし毎日使うようなじゃがいもやネギ、醤油や豆腐に使われる大豆が高級食材になったとき、貴方は買うだろうか。


もしかしたら年に1回ぐらいは購入するかもしれないが毎日買うには家計にも影響ができるので、それなりの稼ぎがなければやらないだろう。


そのため、美味しいけど収量の少ない野菜は次々に作る人がいなくなり、今や幻の野菜と言われる物が数多く存在するようになった。


種子も管理されなかったばっかりに美味しくても絶滅してしまう野菜も存在するのだ。


グダグダと書いて入るがオチが何かといえば良いものを作れば売れるという言葉を言う人がいるが、今も昔も実は良いものを作って売れても金にならず、そこそこ悪くても大量生産できる物が世の中に流通するという話だ。


経済主義のも美味しさと安全よりも量が優先された結果かもしれないが、世の中が進んでも貴方の口には美味しいものは入ってこないという話というところで話を終わろう。



まぁ、少量しか出来ない美味しい野菜を作ったところ同じ品種の野菜と同じ値段で買い取られる運命が悲しいなとおもったのでこんなことを。

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