第64話
「義雄がさ、CHI遺伝子の第一エクソンにAC/DS系のトランスポゾンがあって、第二エクソンの末端にはレトロトランスポゾンのフットプリントがあることを見つけたんだ」
「それ、面白いじゃないですか」
みどりちゃんが身を乗り出す。
「しかも、そのトランスポゾンはエクソンにのみ挿入する、極めて稀なトランスポゾンらしい」
「それはすごいですね!」
「何、何? そのトンプラポンって」
こずえちゃんが、僕とみどりちゃんの会話に入る。
「なんか、こずえちゃんが言う発音、天ぷらポン! に聞こえるね」
「確かに」
隆も言う。
「こずえちゃん、動く遺伝子のことをトランスポゾンと言うんだ」
「動く遺伝子?」
「遺伝子って動くと困るじゃないですか」
「これから先、理科教育で習うよ」
教育学部の先輩の水野が学校の先生のように丁寧に話す。
「こずえちゃんの言う、天ぷらポン! は動く遺伝子の比喩みたいに響くね」
「天ぷら揚げたら、ポンポン跳ねて動くもんね」
水野の解釈も間違えているが、合っているようにも聞こえる。
「まあ、冗談はともかく、動く遺伝子には、自分で動く遺伝子と、酵素で動かされる動く遺伝子があるんだ」
「今回、カーネーションで確かめられたのは動く遺伝子だけど、後者の、言い方によっては動かされる遺伝子、非自律性のものなんだ」
「そうなんですかあ〜……」
半分以上、僕の言うことが伝わっていない。
「正先輩とみどり先輩、何で話がビッタリ会うんですか?」
「話すと長くなるけれど、オレンジ色のカーネーションの花色の秘密を見つけている仲間だから」
「みどり先輩も?」
「うん。うちの研究室の義雄がみどりちゃんにお世話になっている」
「義雄さん。真面目で控えめでいい感じの方ですよね」
みどりちゃんの顔が少し赤らむ。
「それ、義雄が聞いたら大喜びするよ」
「ただ、その控えめ、がヤツの欠点だね」
「正よ、CHI遺伝子とDFR遺伝子のノーザンから何か知見が得られたか?」
隆が聞いてくる。
「ああ、カーネーションの黄色花では、やはりCHI遺伝子がやられていたよ」
「その活性は、僕たちが確かめたところ三パターンある」
「DFR遺伝子は、確認した範囲においては黄色花では全部壊れている」
「トランスポゾンのせいか?」
「ああ、多分。フットプリントも数多い」
「でも、オレンジ色では黄色ができて、かつDFR遺伝子が正常に働かないとアントシアニンができないじゃないか」
「今、その謎を探っている段階」
「何、何? 伊豆に行く、いきなりで私の知らない話ですか?」
「おにぎり食べましょうよ、おにぎり!」
「あ・さ・ご・は・ん」
「そうだね」
「ついでにBGMも。先輩方、いいのありますか?」
「定演でやるマーラーの巨人聞こうか」
水野が笑顔を浮かべて提案する。のっけから。
「俺的に世界最高のマーラーの交響曲第1番、巨人。ショルティ指揮、シカゴ交響楽団」
「当時のホルンの主席は、ディル・クレベンジャー、トランペットはアドルフ・ハーセス」
「1970年代以降のシカゴ交響楽団の黄金期だね。そして歴史的なマーラー全曲録音を残した」
「史上最高の出来栄え」
隆も呟く。
「コンサートマスターはサミュエル・マガドですね!」
こずえちゃんもこの方面では若いのに詳しい。
こずえちゃんが皆んなにおにぎりを配る。
「大きさ、まちまちだね」
水野が運転しながら横目で呟く。
「はい。おにぎらずです。形はまちまち」
「うん。でも美味しい!」
「それは桜えびおかかチーズです。美味しいです」
隆も頬張る。
「これも美味しい。シーフードサラダとしらす入りだね」
「海鮮風、コールスローサラダです」
「こずえちゃん、料理上手だね」
「ご飯にコンビニで買った具を混ぜ混ぜして、海苔で挟んで切るだけです」
「なるほどね」
僕らは納得した。でもコンビニのおにぎりよりは手作り感があってずっと美味しい。
「みどりちゃんの卵焼き。最高だね、ネギ入り」
「三温糖と白砂糖のバランスが直秘伝なんです。牛乳も少し入れます」
「牛乳を? 甘さもちょうどいい。嫁に欲しいね、毎日これが食べられる」
「あら、正先輩。恵先輩に今の言葉伝えてもいいですか?」
僕はどさくさに紛れて、義雄にみどりちゃん卵焼きの写真とレシピをLINEで送信。
羨ましい。
ただ一言。義雄からのシンプルな返信。
「さて、巨人、一楽章の終盤ですよ」
こずえちゃんが、おにぎらずを頬張りながら場を盛り上げる。
みどりちゃんの、バター風味ウインナーとゆで卵の燻製、チーズ in カレードッグ。
どれもとんでもなく美味。
「さすが、ショルティ、シカゴ」
水野が盛り上がる。
さすが、みどりちゃんとこずえちゃん。
僕は二人の女の子の優しい朝ごはんに盛り上がる。
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