第45話
「はいはい、4番ホルン、6番ホルン。もごもごしないで低音、クリアにスッキリと音を出す」
「もう一度」
トレーナーの先生が厳しい。
「ダメダメ。全然ダメ」
「羊羹を切ったような音の始まり、音の終わりにすること」
「わかるか? 何度も言っているだろ」
わかっているけど、できないものはできない。練習不足。
正直、僕は6番ホルンの譜面を見たのが、これで3回目。皆にバレると非難される。製本だけは済ませてきてよかった。
それだけ、何も練習していない僕。隆にも所々で注意される。
1、2、3、4番ホルンが学生レベルをはるかに超える腕前の面子なので、なんとか低音域の多い僕たちの5、6、7番ホルンの音がクリアになると、かなりのレベルに仕上がる。
「正さ、もう少し楽器鳴らさなきゃ。練習不足丸出し」
「おっしゃる通りです」
「わかっちゃいるけど、100人のメンバーで作り上げる、壮大なシンフォニーなんだ」
「誰も気を抜いちゃだめなんだ。音出し励行、練習してね。練習あるのみ」
「隆の行っているカラオケボックスに、週2くらい通うようにするよ」
「毎日だよ、本来は。1ー2時間。毎日」
「まあ、正の忙しさから言うと、今は週2ー3日、1時間ずつくらいで仕方ないか……」
「じゃあ、7時半から扇谷で飲み会ね」
「ああ」
「飲み会には、弦楽器、木管、金管、打楽器関係なく、1年生の女の子がたくさん来るから、少しお金多めにもってきて」
「なんで1年生の女子?」
「ほらほら、トレーナーの先生のお酌だとか、話し相手だとか」
「1年生、酒ダメじゃん」
「そこは扇谷さん限定の秘密ということで」
「はいはい」
とにかく、若い子がいればいい。黄色い声、高校4年生。
ここぞとばかりに、2年、3年、4年の男子も、誰かゲットする気負いでついて来る。
まあいいか。割り勘代、安くなるし。
ーーーーー
「それってすごくないですか〜!」
「大昔は、渋谷のハチ公にまたがって、楽器を吹いていた人がいたなんて!」
1年生の女の子の黄色い声。今ならそんなのすぐ逮捕される。
しかし、まだ、18や19。
本当に賑やか。箸が転がっても笑う年頃とは、大袈裟な比喩じゃない。
なんだろう、新鮮で可愛い女の子たちと飲んでいるのに、隣に恵ちゃんがいて欲しくなる。
マジに、魔法をかけられてる。
恵ちゃん……。
「正先輩、彼女とかいないんですか〜」
一年生の女の子が3人して寄って来る。
「いないよ」
「もったいな〜い」
「3年間も?」
「うん」
「私じゃダメですか?」
つけまつげの角度の可愛い、でも幼い顔した女の子が一人顔を近づけて来る。
随分、お酒に酔っている。
バイオリンの、櫻井こずえちゃん。恵ちゃんと同じ苗字。教育学部。華奢な体をしていて、小顔で可愛い。背は高めで、ハイヒールを履くと僕と同じくらいの背丈になる。
可愛い顔して、春合宿の新入生自己紹介で相撲の四股入りを演じた陽気もの。ただものの女子じゃない。
「私、正先輩のこと、好きなんですよ〜」
陽気で若くて可愛い子から好きと言われて嬉しくない訳はないが、僕は何かに縛られている。
「今度デートしましょうよ?」
「どこ?」
「渋谷とか新宿とか」
「僕は、野山や公園が好きなんだ。ごみごみした街中は苦手」
「そうそう、来月NHKホールでマーラーの巨人やるんですよ」
「えっ? そうなの」
「はい」
「正先輩と行きたいな〜」
「何々正、こずえちゃんと仲良くなっちゃって」
隆がやって来る。
「正よ。こずえちゃん、競争率高いんだぞ」
「そう、競争率高いんだぞ」
こずえちゃんの繰り返し言葉。誰かさんに似ている。
「正。NHKホールの演奏会は絶対聞きに行くこと。俺らが定期演奏会でやる曲なんだから」
「絶対だぞ」
「絶対だぞ」
またも、こずえちゃんの可愛い声の繰り返し……。
「そう、あと正、夏合宿はどうする?」
「僕、キャンセルするよ」
「いやん、いやん。正先輩来る〜」
こずえちゃんが体を揺らして拗ねる。
「皆には正は来れないだろうと言っておいたが、どうも今日の不出来もあるし心配だ。合宿に参加せざるを得ないな」
「せざるを得ないな」
こずえちゃんが首を少し傾げ、満面の笑みで微笑む。
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