第3章

第42話

「私は暇なんでちゅ〜」


「誰か構って欲しいんでちゅ〜」


僕と恵ちゃんは、三毛にゃんの喉を撫で、ゴロゴロさせるように遊んでいた。



「正くんと恵ちゃん、ちょっといいかな?」


有田先生が、自分の研究室に僕らを招く。


「相談ごとがあるんだけど」


「何ですか?」


「いや、君たちの進めているカーネーションの黄色花とオレンジ花に関する基礎的研究を、秋の学会で発表しようと思って」


「先生、夏の色素研究会はいいんですけど、秋の学会発表の仕事が増えると、ちょっと……ねえ……」


「植物検定もありますし……」


さすがの恵ちゃんも少し戸惑う。



「いいから、ちょっと聞いて」


「3報に分けようと思っている」


「共通の表題は、カーネーションの花色に関する基礎的研究」


「1報目は、カーネーションにおける黄色花の色素の分布。2報目はカーネションにおける黄色花の発現機構の解析」


「3報目は、カーネーションのオレンジ花に関する基礎的研究」


「3報もですか?」


「うん。君たちの黄色花、オレンジ色花の自由研究は世に対するインパクトが大きいんだ」


「僕の友人もそう話している」



「皆のやっている研究は、世界的にみても花卉の花色研究に極めて重要な新知見がある」


「世界では、同時期に同じ研究を少なくとも3人は手がけているもの、と言う迷信もあるし、発表は早い者勝ちなんだよ」


「今5月、原稿提出は7月末頃、学会は9月だから卒論と同時進行させる調整はできる」


「植物検定もあり、皆の突発的な仕事も増える事、浅野教授には僕から伝えておくから」



「先生、実は僕、オーケストラの定期演奏会に出なくてはならなくて……」


「それは知らないよ。自己責任だね」


「自己責任だね」


先生の言葉を繰り返す恵ちゃんに、僕は軽くひじてつを打つ。


「1報目は正くん、2報目は義雄くん、3報目は恵ちゃんに発表をお願いしたい」



「そう、義雄くんが研究室か実験室にいたら呼んで来て」


「大樹は?」


「大樹くんは今じゃなくていい」


僕は実験室にいる義雄を先生の研究室に連れて来た。


先生が義雄に、僕と恵ちゃんに言ったのと同じ言葉を繰り返す。



「どうですかね? 義雄くん」


義雄は少し沈黙する。


「これからの遺伝子がらみの研究も盛り込みます?」


「もちろん。そこは工学部の生命工学研究室と連携をとりながら進めていってもらおうと考えている」



義雄の顔が気のせいか少しほころぶ。


「正、いいか?」


「何が?」


「いや……、別に……」



「義雄くんには、すぐにでも生命工学研究室に頻繁に通ってもらうことになるね」


「生命工学の助手と僕は同期なんだ。事のさわりを伝えたら快諾してくれたよ」


「義雄くんをサポートする三年生の浜野さんも優秀な子みたいだよ。稀に見る遺伝子取りの達人らしい」


義雄の顔が赤く染まる。



「先生、夏の色素研究会の遺伝子の研究の英文発表、義雄にしませんか?」


「おいおい、それは正にお願いしたい」


「甘くないよ。学会発表、そして論文にするレベルの研究に格上げされるんだ。遺伝子関連の発表、義雄がやらなくて誰がやる」



「な〜に正くん。自分の肩の荷をおろしたいだけじゃないの?」


「違うよ。恵ちゃん」


「私、正くんとペアで発表したいな〜」


「僕の可愛い、私の誘いに乗らないの?」


「聞こえない、聞こえない」


僕は耳をふさぐ。



「義雄くん、お願いできる?」


有田先生からもお願いされる。


「僕、TOEICは600くらいで、プレゼンのカンペの棒読みはできても、質疑応答だとか、フリーの会話とかあまり自信がありません」


「そこは正くんがサポートするから安心してください」


「なんで、そこで恵ちゃんが言う?」



「じゃあ、そう言う話でいいね」



「あの、先生。研究を進める上で、現実問題としてカーネーションのサンプル採取の問題があります」


「おじさんのハウス、6月にはカーネーションを全て処分して、新しい苗を植える準備に入ります」


「つまり、6月初旬以降、研究材料が手に入らなくなってしまうんです」



「実は、長野県でここの研究室を卒業したあと、カーネーション生産をしている先輩がいるんだ。僕より二つ三つ年上だから40代半ばかな?」


「彼も都会向けの珍しい花色の花を作っているらしいんだ」


「暖地では6月に作付けが始まるけど、高冷地では6月頃から収穫が始まる」


「ちゃんと、一年中市場に国産カーネーションが流れる仕組みになっているんだ」


「そこでは、正くんのおじさんほどではないけど、育種もしている」



「黄色花やオレンジ花もありますかね?」


「今のところ、そこまでは僕にはわからない。一度皆で行ってみようか?」


「はい」


「今できる事は、できるだけ5月中に、正くんのおじさんから沢山サンプルをかき集め、冷凍保存しておく事だね。9月頃まで材料に困らないように」


研究室に戻ると、大樹が歌って踊ってる。


「大樹みたいのがいるから、園芸学じゃなくて演芸学と言われる事があるんだ」


義雄と恵ちゃんが鼻で笑う。



「おう、皆んな」


「振り付け、だいたい済んだ」


「あと画用紙で、ハマナスと、月と、白いかもめの頭に被る小道具を作れば完璧」


「あら、ハマナスは作らなくても、私、花よ」


「いやいや、被ってよ。1番目の歌詞で」


「2番目の歌詞は月、3番目の歌詞で白いかもめ」


「正と義雄の踊りの途中で入って来て、恵ちゃんが何だかわからないでしょ?」


「あれ、カラスさんは」


「それは、被らなくていい。わかるから」


「気まぐれカラスさん、だっけ?」


「うん。そう」


恵ちゃんが三毛にゃんを抱き上げ、招き猫のように手を振らせる。


「忙しくなるんでちゅ〜」


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