冥界トロッコ

 土地のガイドの話だと、このトンネルを抜けた先に冥界が見えるという。


「本当に見えるのかね?」


「見えるときもありますし、見えないときもあります」


 カンテラの灯りが揺れるトロッコ列車に乗って、もう三時間が過ぎていた。長く続くトンネルの暗闇に、すでに方向感覚はなくなっていた。けれど先ほど胸元から落としたペンが床を進行方向へと転がっていくのを見たので、この長い長いトンネルは確実に地の底へと走っているらしい。


「冥界はこの世ならざるところです。この世とのつながりが強い者には見えない場合もございます」


 ガイドの説明を聞いて、家族もなく故郷もなく世界をあてもなしに観光して回る自分なら、そのこの世ならざる冥界というところも見ることができるだろうという、半ば確信めいた感覚が湧いた。だから私は、未知に触れる楽しみを胸に、この変哲なく続く暗闇の道を飽きることなく眺め続けることができたのだった。


「もうそろそろ着く頃です」


 ガイドが懐中時計を見て言った。高鳴る気持ちで行く先を見る。白い明かりが見える。出口だ。


「こちらが冥界です」


 トンネルを抜けた先には真っ白い世界が広がっていた。ぽっかりと表現するしかない何もない空白の空間。トロッコ列車の走る一本の鉄路以外は何もない漠然とした白一色の空間。それが私の目に見える冥界だった。


「この白い空間が冥界なのかね?」


 ガイドに訊ねると、彼は一瞬きょとんとし、そして「ああ」とうなずいた。


「あなたにはそのように見えるのですね。私には違うものが見えていますよ。ほら、あそこに火の海を泳ぐ一角の鯨が見えます。そちらには人面のキリンの群れが走る草原と、七色の蝶の群れでできた虹が見えますよ」


 ガイドにはそのような奇天烈な光景が見えているらしい。もしかしてと思い、重ねて訊いた。


「私には見えていないのかね?」


 ガイドは残念そうな顔をした。


「見えない人には、ここは真っ白い世界に見えるそうです。これはとても珍しく、長くガイドをしていますがそうした方はあなたを含めても数人ぐらいしかお会いしたことがありません……」


 申し訳なさそうなガイドの様子に、私は理由を考えてみる。この世とのつながりが強い者には見えないと聞いたが、これはどういうことだろうか……?


「ただ、あなたのここに来るまでの様子を見ていると、以前の見えなかった方と共通するところがあります。ここまでのトンネルの中で楽しそうにそわそわされている方ほど、落胆されて帰られている記憶が強く残っています。多くのお客様は長時間続く暗闇のトンネルでお疲れになったり、怖がってしまったりするのですが……」


「楽しそうな客には見えなかったと?」


「その印象はございます」


 そう言われて、思いついた理由に「なるほど」と呟く。

 楽しいという感情ほど、この世とのつながりが強いものはないではないか。


「もう、冥界を抜けますね」


 行く先に黒い穴が見えた。出口だ。

 身体が後ろに傾く感覚にかすかな勾配を感じながら、トロッコ列車が地上へと走っていく。

 冥界の姿を見ることができなかったことに後ろ髪を引かれながら、一方で地底にある真っ白な空間という珍しい世界を見ることができたことに、私は満足を覚えていた。

 家族も故郷もない。しかし私はこうした観光を楽しんでいる。なるほど、この世とのつながりが深い訳である。

 数時間後、地上の明かりを見る。

 次はどのような珍しい光景が、私を待っているのだろうか。

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