Cheers to the end of the world
音菊
地獄にメロンソーダを
「だって、極楽浄土にはジャンクフードとか置いてなさそうじゃない」
何故最後の晩餐にそれを、と私が訊ねると、アリスは当然でしょう? とでも言うように微笑んだ。その笑みはひどく艶やかに映り、ふとした時に、自分のよく知っているはずの人の見知らぬ一面を見てしまった時のように、私はどぎまぎしていた。
「まぁ、極楽に往生出来るような立派な人生送ってないけどね」
と付け加えながら、アリスはカウンターで注文した商品の乗ったトレーを受け取る。
「それな」
私もアリスに続いてトレーを受け取る。
店内はガラガラだった。私たちは、隅っこの小さなテーブル席に向かい合って座った。
「まだ現実感湧かないのよね」
もう明日だっていうのに、とアリスがメロンソーダを一口飲み、ストローに付いた口紅を指で拭う。
「そんなもんじゃないの。普通、いきなり『一週間後に世界は終わります』なんて言われて、はいそうですかって受け入れられる人間の方が少ないでしょ」
私はポテトをつまみながら相槌を打つ。
「一口ちょうだい」
と言いながらアリスが私のドリンクに手を伸ばし、私が良いよ、という前に飲み始める。そんなところも昔から変わらない。
私たちの『一口ちょうだい』は、お願いではなくて、一口飲むね、という宣言というか通知というか、とにかくそういうものだ。同様に、『良いよ』という返事にも大して意味はない。その一口を断ったことなどない。
向かいでアリスがストローを口に含みながら、その形の良い眉を顰める。
「茶色いからティーだと思ったのに」
残念、それはアイスコーヒーだ。
「第一、ハンバーガーとコーヒーなんて合う訳ないじゃない」
よくこんな苦いもの飲む気になるわね、とアリスはコップを私のトレーに戻し、また自分のところのメロンソーダを飲み始めた。
そういえばアリスは苦いものが苦手だった、と思い出した。私は席を立ち、カウンターまで歩いて行って、ガムシロップを貰ってきた。
戻ってくると、アリスはハンバーガーにかぶりついていた。彼女の視線に迎えられながら私も椅子に座り、ハンバーガーの包みを開く。
「どう」
私がハンバーガーを一口齧るや否や、アリスが尋ねてきた。
「どうって何が」
「美味しい?」
「美味しい」
「企業努力も捨てたもんじゃないよね」
というアリスの言に同意し、私はまた一口ハンバーガーを齧る。
「――――本当に、終わっちゃうのかな、世界」
「終わっちゃうんだよ、多分。どれほど現実感がなくても」
***
『一週間後に、世界は終わります。私たち人類は、滅びます』
初めは冗談だと思った。でも、国営放送どころか、世界中の政府が全く同じ声明を発表していたのだ。テレビでも、ラジオでも、新聞でも、インターネットでも。
様々な憶測が飛び交った。けれど、どうして世界が終わるのか、どんな風に終わるのか、本当のことは誰も知らなかった。ただ、漠然と、死ぬんだろうな、という実感だけがあった。
私はどうしようもなく気持ち悪くなってしまった。質の悪い悪夢でも見ているようだった。B級映画でももっとマシな嘘をつくだろう。それでも、『そんなの嘘だ』という叫びは、自宅のテレビの前で、喉の奥につっかえて出てこなくなってしまった。
『悔いのない一週間を過ごしてください』
どの声明も、最後の一文はこう締め括られていた。
暴動や犯罪がまかり通るだろう、という予想に反して、街は比較的穏やかだった。勿論、一部ではそういう動きもあったが、平穏を乱すことを望まないその他大勢によって速やかに鎮圧されたという。
役所には連日、大量の婚姻届が提出された。会社に働きに行く人が少し減った。地元に帰る人が増えた。少し奮発して物を買う人が増えた。
変化なんてその程度だった。多くの人がまだ、世界が終わる、なんてことに対してまだ半信半疑だった。例の声明は連日放送されていたけれど、人々はテレビよりも隣人の顔色を気にする。周りを見ると、皆いつも通りの生活を送っている。こういう時、人は当惑しながらも、周囲の人間に倣う方を取る。
今まで通りの世界を守ろうとしているように見えた。必死に日常にしがみついているようにも見えた。世界なんて、終わるはずがない、と祈るように。
そんな突拍子もない、恐ろしい事実を受け入れることなんて、出来るはずもない。一旦丸飲みしたはいいものの、とても怖くて咀嚼など出来ず。かといって飲み下すことも出来ず。底知れない不安と、胸を締め付けるような焦燥に見て見ぬ振りをして、『いつも通り』を擬態しているだけだ。それは、自分自身が一番、痛いほど分かっている。
***
「──別に明日じゃなくても、いつかは終わるって分かってるけど。それは大体私たち個人の自身の死、という形じゃん。こんな風に、いきなり一斉デリート、みたいな感じだとは思わなかった」
お互い、ハンバーガーを咀嚼する合間に作業的にポテトを口に放り込みながら、今週何度目か分からない、生産性のない会話をする。
「ほんと、唐突にも程がある。いきなり言われても、やり残したこと、とかさ、あまり思いつかないんだよね。ぼんやり生きてきたからかな」
口にこそ出さなかったが、私の語尾は震えていて、きっと聡いアリスは私の恐怖に気付いている。それに気付かない振りをしてくれるのは彼女の優しさだ。機械的に口に運んでいる、一個一五〇円の均一な味が保証されたチェーン店のハンバーガーも、私を日常に繫ぎとめるのに一役買っている。
おもむろに、アリスが目の前で私のコーヒーにガムシロップを注ぎ始めた。
「一個じゃ足りないわ」
注ぎ終えた空の容器をトレーに置いて、アリスは席を立つ。カウンターの怪訝な顔の店員を尻目に、彼女はさらに両手に一杯のガムシロップを貰ってきた。そして、そのことごとくをアリスは私のコーヒーにたぱたぱ流し込む。最後の一個をコーヒーに空けると、アリスはストローで中身をかき混ぜた。
一体どれほどの甘さがするのだろう。
たくさんのガムシロップと、とけかけた氷とで、私のコーヒーは透き通るような色をしていた。
「甘い。痺れるほど甘い。もう、元の味なんて分からない」
自分で作っておきながら、アリスはそのコーヒーを一口飲んだきり、私のトレーの上に戻す。
「――――どうせ終わるなら、君のいない世界だったら良かったのに」
アリスが言った。
「ええ、本当に」
滅びるのが、あなたのいない世界だったなら。
どちらからともなく、お互い、中身が残り少なくなった紙コップを掲げ、乾杯をした。
痺れるように甘く、くらくらと、暴力的な味のするコーヒーを飲み下しながら、私はアリスの死後の世界に、どうかジャンクフードが置いてありますように、と願った。
20XX/11/26 残り15時間21分47秒
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