秘密戦隊コソコソX

イヌヒコ

超人化はラブストーリーよりも突然に

丘の上にひらけた大学キャンパス。


その真ん中で、同じ道を反対方向に行く二人の男子学生がすれ違おうとしていた。


二人は互いにまったくの見ず知らずだったが、彼我のあいだを縮めていきながらチラリと一瞥し合う。日常的なよくある光景。


一方の学生が何気なく一瞥した相手の顔を、なぜかあらためてしげしげと眺め直した。そして突然ぴたりと立ち止まった。


「……おい、お前ってもしかして……アレか? アレじゃないのか? ワルダマンじゃないのか? あのワルダマンだよな? な? おれにはすぐ分かったぞ。お前絶対ワルダマンだろ。なあ、おい! 正直に答えろよ!」


いきなりそう問い詰められた方の学生は、気味悪そうに眉をひそめて相手を眺め、そのまま黙って行き過ぎようとした。こりゃとにかく関わっちゃいけない。敬して遠ざけるべし、と思ったのだ。


大学にはいかにも真面目そうな顔をしていても、中身がヘンな奴だってうろついてるんだ。つかこいつ、目付きが三角になってるじゃないか……。


「おい待て! 逃げるなよ、ワルダマン。逃げるってことは、そのこと自体ワルダマンだっていう証拠だからな! ごまかされねえよ、こっちは何もかも知ってるんだぞ、卑怯者め! お前は極悪人で有名なワルダマンだ! この人間のクズ! 犯罪者! 犯罪者!」


「……はああっ? 犯罪者とは聞き捨てならない。ぼくはこれでも一応法律を勉強中の身だ。弁護士志望だ。そもそもその、ワルダマン? というのはなんなんだよ。どこの誰なの。ぜんぜん聞いたことがないぞ。そんな言い掛かり、ぼくの知ったことか! ぼくの名前は……ウワワワワッ! こりゃ一体どうなってんだ?!」


彼は思わず両腕を顔の前に上げてのけぞりながら、よろよろと二、三歩後退りしていた。


犯罪者! 犯罪者ーっ! と目を吊り上げて怒鳴り続ける学生の顔全体が……、いや違う、その下の全身までもが! 突然、彼の内側から発せられるキラキラとまばゆい七色の光によって包まれていったのだ……。


その繭のような光がだんだん薄れてすっかり消え去った時、そこに立っていたのは、先程までのこれといって何の特徴もない、ただ少々神経質そうな風貌の男子学生ではなかった。


驚くべし、そこにあるのは全身にぴったりと密着した化繊の真っ赤なコスチュームをまとって、頭部を同じく真っ赤なフルフェイスのヘルメットで覆った、とにかくなんだかヒーローっぽく見える人物の姿であった!


そのヘルメットののっぺりとした顔面の部分には、大きく黒々とX(エックス)の文字があしらわれている!


「いっ、いきなりそんなもんに変身するお前こそ何者なんだよ。ど、どこの誰だか、そっちからまずちゃんと名乗ってもらいたいね!」


「フフン、それは秘密だな! このおれに、お前なんかに名乗って聞かせてやる名前はないんだよ。おれはただ、この世の悪というものを憎んで許さない一人の若者。ただそれだけ。タァーッ! とことん徹底的に懲らしめてやるぜ、ワルダマン。覚悟しやがれ、この鬼畜ドゲス野郎! トアーッ!」


「ぼくはだから、ワルダマンって奴じゃねえの! くっそやめろ! 痛えなバカ! 落ち着いて話を聞けよ!」


真紅のコスチューム男は、彼がワルダマンと認めて蔑む学生に、勇んで躍り掛かっていった。


パンチ、パンチ、パンチ!


キック、キック、キック!


なんだって? わざわざ少し助走をつけて……おお、ドロップキーック!


「死っね~~~~イッ!」


しかし案外、その威勢のよさのわりに、パンチもキックもほとんどの攻撃は弾かれたり躱されたりして、お世辞にもカッコ良いとはいえない空振りの図が繰り広げられた。明らかに彼は運動神経が発達しておらず、動きが雑で遅いのだ。


「お前、気は確かか。ああもう頼むからいいかげんにしてくれ。あっち行ってくれ。ぼくはワルダマンじゃない!」


「ハア、ハア、何を今更。絶対に逃がさねえぞ。懲らしめてやる……!」


揉める二人の周りには少しづつ足を止める通行人がたまってきた。


真紅のコスチューム男は右を左を振り返って、フルフェイスのヘルメットの下から訴えかけた。


「みんな、こいつはワルダマンなんだ! あのワルダマンなんだぜ! ワルダマンなんだ! ワルダマンだよ! ワルダマンが出たぜ! こいつ、鬼畜ドゲス野郎のワルダマンだぜ!!」


その驚くべき際立った語彙の貧しさは、しかしおそらく通行人に対して、なんら減点の素にはならなかった。なぜならそこには、ともあれ火のように明らかな、大いなる情念というものがほとばしっている!


通行人のうちに、部室棟に向かう途中であろうか、フィールドホッケーのスティックを担いだ二人組の男子学生がいた。背の高い方が嬉しそうに言った。


「そうなのか! あいつがワルダマンだったのか!」


眼鏡をしたもう一人が、へえーと漏らした。


「お前、ワルダマンって知ってんの」


「知ってる知ってる! なんとなくな!」


「ハハハなんだそりゃ。もっともおれも知ってるけど、なんとなくだよな」


それから真紅のコスチューム男は――長いので単にレッドと呼ぼう――レッドは、胸の前に左腕を水平に掲げて、その手首に装着している平べったい小型の機械に向かって呼び掛けた。


「ワルダマンをリサーチ!」


この小さな機械、最新の人知の結晶であるスマート・リストバンドこそ、つねにレッドを正義と真実の道へといざなってくれる頼もしい相棒、いわば小さき天使であった。このスマート・リストバンドの能力は実際すさまじい!


なんと彼はこれを用いることによって、世界中に蓄積されている、あるいはまさに蓄積されつつある、市井のこと、芸能、政治、経済、文化、科学のこと……、ありとあらゆる方面の知識や情報に、ほんの一瞬でアクセスすることが可能になるのだ!


今彼はこのリストバンドに、ワルダマンという人物に関する情報をアウトプットするように指示を出した。するとたちまちその水のように滑らかな表面には、国中、いや地球の裏側までも網羅した、世界中の人々が発したワルダマンに関する情報、意見が、膨大な文字列となって流れ始めるのだった。


レッドは法廷に立つ検察官よりもきびしい声でそれらを読み上げた。


「……ワルダマンてマジ最悪! マジ死んでほしいわ。あいつコンビニでバイトしてた時、トイレに行った後手を洗わないで商品の揚げ物に触った……。いつも行く公園に、今日初めてワルダマンという男が現れて、うちの五歳の子に向かって何回も「ブス」「死ね」と言ってきました。娘は何の迷惑もかけてないはずなのに。悔しくて悔しくて、二人で泣いてしまいました……。昨日の仕事帰りに乗った電車で、運悪く隣が超酒くさいカス野郎! 死ぬほど猛烈に吐き気がした! 顔見たら納得、あのワルダマンだ。これが証拠写真……。寝ている野良猫の真上で線香花火をやろうとしている酷いバカがいた。やめろ! と強く言って追っ払ったけど、彼女に聞いたらあれが有名なワルダマンだと教えてくれた。ワルダマンは完全に頭がおかしいから、みなさんもお気を付け下さい……。これはほんの一部でまだまだあるぞ!」


「許せねえな、ワルダマン。じゃあぶっ殺すかい!」


ホッケースティックを手にした背の高い学生が、また嬉しそうに叫んだ。するとほとんどそれと同時に、彼の頭のてっぺんから足のつま先まで、七色の光によって包み込まれていった……!


まばゆいそれが消えると、そこには真っ青なコスチュームと同色のフルフェイスヘルメットで身を固めた人物が立っていた。レッドに続く超人、ブルーの登場である! ヘルメットののっぺりとした顔面部には、レッドと同じく大きなXの文字だ!


実はこの頭部をすっぽりと覆い隠すXヘルメットにも、スマート・リストバンドに劣らぬほど素晴らしい、偉大な力が秘められている。すなわちこれを装着した者は、誰しもたちまちその腹の底から、向こう見ずなまでの大きな勇気と、荒っぽく残酷な戦いへの明るい意欲が、モリモリ湧いてくるのである!


「タァーッ!! 行くぞレッド、そいつの逃げ道をふさげるか?」


「オーケーまかせろ! タァーッ!!」


「タァーッ!!」


ブルーはホッケースティックを振りかぶってワルダマン(※と思われる)に向かっていった。


「ハハハハハ、アハハハハ! 頑張れよ~!」


その世にも勇ましき光景は、ブルーの友人である眼鏡をかけたホッケー部員を爆笑させた。腹を抱えて思い切り笑う。笑い転げながら……なんと彼もまた、七色の変身光線に包まれていった。


そしてその中から現れたのは、全身緑色のX超人、グリーンである! そしてむろん彼の胸にも、愉快な闘志がモリモリ湧いて溢れて来た。


グリーンはさっそくその左の手首に輝いているスマート・リストバンドに語りかけた。


「ヘイ! ワルダマンの悪行をもっと教えてくれ。奴を思い切り叩きのめすために、おれらの戦意を高めるために、奴のやらかした悪事の情報をもっといっぱい欲しいんだ。とにかく悪けりゃ悪いほどいい。さっきの猫に線香花火みたいな、なるべくハデハデに酷いのを頼む。いっそウソのネタでもよし! ハハハハ、恋と戦争には禁じ手がないっていうからな」


もともとフィールドホッケー部でゴールキーパーを務めていることと無縁ではあるまい。戦いをその後方で支えるという働きを自ら選び、まずはなかなか悪くない手際を示せたといえそうなグリーンであった。




このなかなか珍しい外観を呈する騒ぎのそばを、おのおの楽器のケースを携えた二人連れの女子学生が、偶然通りがかった。


「キャーなにこれ、お祭りぃ? なになにぃ、なんかのイベント? ねぇなんなの? 面白そう! こんなのいつのまにやってたのよ。わたしお祭り大好きだってば! え、ワルダマン? 何それ。……ふうーん悪い奴じゃん。それをやっつけるっての? そう。よし、そんじゃあうちらも戦いに行くよ!」


「えっ? ええーっ?! うちらも戦いに行くって、ちょっと先輩! 意味がわかりません。あん! ちょっと待って下さいよ……」


先輩と呼ばれた元気のいい女子学生は、あっというまに七色の光に包み込まれていった。そして数秒ののちそこには、四人目のX超人、鮮やかな黄色いコスチュームのイエローが登場していた!


イエローは目を丸くして恐れおののいている彼女の後輩の両手をそっと取り上げた。それからぎゅっと握りしめてみた。


するとなんと、その触れ合っているところから、後輩の身体の上にまばゆい光がさざ波のように広がっていくのだ! そしてとうとうくまなく彼女の全身をのみ込んでしまった。これはX超人のXハンドが秘めている、七色変身光線伝播能力が発動したのである!


「……わぁなにこれ、先輩。すっごくあったかいです……。どうして? うわぁどうしてだろう。こんなにあったかくなって、心がなんかふうーっと落ち着いて、ああ……いい気持ち」


「そうでしょ。あったかいのは、わたしとあんた、まったくおんなじ光が宿ったからだよ! これでうちらは心の底と底でしっかりと繋がったの。ハイ、だからほら、いっしょに戦いに行くよ?」


「あっあのう、えと……、はい。いっ、いっしょに行きます……!」


まばゆい光のベールがはらはらと舞い落ちたあとに、イエローに続く五人目のX超人、麗しのピンクが現れた!



極悪非道のワルダマン(※と思われる)は多勢に無勢の中、必死に身を守ることが出来ることのすべてであった。


長身のブルーのホッケースティックは唸りを上げて、頭に、腹に、腰に、ところかまわず撃ち下ろされた。


その猛襲から逃れようとすれば、粘着性の著しいレッドの両腕が、どこまでもしがみついてきてその邪魔をするのであった。あるいは情報戦を中断したグリーンがすかさず駆け寄ってきて、したたかスティックで足払いをかけるのだ!


新参のイエローは素早く立ち回り、人の背中をどつくことに巧みであった。


「おっ、お前たち、いったい、何者なんだーっ! ぐふっ! だから何者だ、お前たちはぁ……! ウゲ! ちくしょう卑怯だぞ。名を、名を名乗れぇ……」


満身創痍の彼は、今やこの場から脱出、逃走することだけが、残された唯一の希望であった。ようやく遅ればせながら、この異次元の国から突如現れたヒーロー、ヒロインたちに対して、名乗りを求め続けることの愚かさを悟っていた。


その五色の包囲網において最も破り抜けやすい部分は、明らかにピンクであった。そちらへ向かって何度も突進、突破を試みた。


ピンクは両手で長方形の硬いフルートケースを抱えて立っていたが、まだ一度もそれを攻撃用の武器として振るってはいなかった。激しい格闘戦――というか、ひそかに正直な印象を言ってしまうなら、どこからどう見ても集団リンチ――に加わることを恐れ、ためらっていたのである。


ワルダマン(※と思われる)が身をかがめて走り出し、ピンクを弾き飛ばそうとするたびに、誰かがそれを背後から襲って阻止した。


「ほらまた危ない! ピンク、あんたもっとしっかりしてよ!」


「ああ、だけど、だけどそもそも、こんなことってぇ……!」


背後から攻撃を受けたワルダマン(※と思われる)がそちらの敵を振り返ると、今度はピンクに対して背中と後頭部ががら空きになる。


「攻撃、攻撃!」


と、ブルーが叫んだ。


「ウオリャ、いけっ! あ~、そこで攻撃だってば! ためらっちゃダメだよ。そいつ悪魔だよ。ヒトじゃねえんだから」


「がんばれ、ピンクちゃん! がんばれ! き、き、きみなら大丈夫だからね!」


と、これはレッド。


「お願いちょっと待って……! わたし今、どうしていいのか分からない」


しかし繰り返される仲間たちの叱咤激励は、少しずつ、そして確実に、彼女の心に変化を及ぼしてゆくのであった。


それからこれも思い出してほしい。がっちりと素顔をガードしてくれるXヘルメットには、もともと装着者の大胆な気分をバーストさせる力があるのである。そしてその力が及ぶのは、神ならぬ身の人間である以上、心優しきピンクとて例外ではないのだ。


「……さあピンク! また攻撃のチャンスが来たよ!」


イエローのするどい声が飛んだ。


ついにピンクは両手で持ったフルートケースを頭上高くに掲げて、そのまま一気に素早く振り下ろした。


二発、三発、四発、五発……と、次第に夢中になりながら、黙々とそれを繰り返した!


ワルダマン(※と思われる)は鼻から血を噴きながらコマのようにくるくるっと回って、ズデンドウとぶっ倒れた。


「キャー、やったね! ピンク!」


「よっしゃ~あ、ピンク!」


「ピンク、ナイスだ! ハハハハ」


「すごいよ、ピンクちゃん! もうマジで最高にかっこいいよ! ポッ、ポーズをちょっと、キメてくれないかな? むふ! こっ、こんな感じにさ」


ピンクは荒々しく肩で息をしながら、両手の中の鮮血に濡れたフルートケースをじっと見つめていた。


こんな場面で思い出すなんておかしなものだけど……と思いながら、この時ピンクのその脳裡には、日頃しばしばオーケストラの練習を見に来てくれる、あるOGの決まり文句が浮かんでいたのである。


「あなた、物事を最初っから出来ないと決めつけていてはダメ!」


由美子先輩。この際も本当にその通りでした。ああ、でもわたし、今ここで何が出来てしまったか、先輩にお話しすることは出来ません……。


「よぉーしみんなぁ! 一気にカタをつけようぜ!!」


レッドはほとんど幸せそうな声で叫びながら、右手で天を指さし、それからその手を胸の前で握りしめるポーズを取った。


「さあ覚悟しろよ! 鬼畜ドゲス野郎ワルダマン!!」



五色のX超人たちによる正義の鉄槌はここからが本番であった。


勇猛果敢なる正義の番人、彼らの目的はただ一つ。まずはとりあえず、鬼畜ドゲス野郎ワルダマンを骨の髄までコテンパンに叩きのめして、叩きのめしてそれから……それから……、えーとさよう、その破壊し尽くした残骸の中から、新たに正道を掴んだ人格を立ち上がらせてやることなのだ。すべては彼らの力によって!


ああしかし、誰がこのことを予測し得たであろうか? なんと、その制裁が長引くにつれて、周囲の見物人たちの中にだんだんと、それを不快そうに眉を顰めながら見る者が増えてきたのである。


「うっへ~え……」


「ん? どした」


「何もここまでやらなくってもよくね?」


「そうだな……。あいつらかなり調子に乗ってね?」


「やりすぎじゃね? あんな束になって」


「やっぱ、一人に対して五人は多すぎね?」


「つーか、殴るの楽しんでね?」


「あははは、それな」


グリーンはその空気の変化に気が付いて、改めて左腕のスマート・リストバンドを胸の前に掲げて見せた。そしてその中に漂っている、ワルダマンを告発糾弾する文章を、大きなよく通る声で読み上げた。


……いや、実はそうではなかった。読み上げたのではなくて、読み上げるふりをしたのであった。なぜなら実はそれは、たった今何から何まで、グリーンの頭の中でいいかげんにでっち上げられたものだったのだ。


「……ぼくは小学校二年生の男の子です。二、三日前のことだけど、ぼくとおじいちゃんは、庭でいっしょにかわいいお花を植えていました。するとそこにいきなり塀を乗り越えて、ワルダマンが入って来ました。ワルダマンは笑いながら花を全部めちゃくちゃに踏みつぶして、おじいちゃんにはスコップを、ぼくにはバケツを投げつけました。おじいちゃんは……ぼくの大好きなおじいちゃんは……死にました!」


グリーンはこみ上げる涙でいかにも苦しそうに声を詰まらせて、盛大に鼻水をすすり上げた。


見物人の中からも大小一斉に鼻を鳴らす音が起こった。


「やっぱワルダマンはクソだな」


「ああマジモンのクソクソだ」


「これは許せん」


「うん、絶対許せん」


「そこだ! どつき倒せー!」



見物人たちで作っている人垣から少し離れた場所に、大学院生と思しき、二十歳前後の学部生たちと比べるとかなり年かさに見える、白衣姿の男が一人で佇んでいた。


彼はたまたまこの騒ぎを、最初のX超人であるレッドが登場したところから見ていたが、終始ずっと腕組みをしたまま苦々しい表情を浮かべていた。


「ふむなるほど。ワルダマンという奴がいるとしよう。そいつが世に多くの悪事を働いてる奴だとしよう……」


がりがりがりと耳の近くの髪の毛を引っ掻き回して、ぶつくさと低い独り言をつぶやいた。


「とりあえずそこを疑うことはしないとする。それにしても、あの学生がワルダマンだという証拠はあるのか? ここだ……。ふむ、少なくともおれのこの目に、その証拠は1ミリグラムも入って来ていない。これはどうやらただ単に、内容のない空騒ぎをしてるだけという可能性が高いな。いやおそらくそれが真相だ。実際これはくだらん空騒ぎなんだろう。……しかしまあどっちにしたって、このおれには1ナノメートルも関係のないことだが。最も肝心な点はここだな。フフフフ。あー虚しい。なんだか何もかも虚しい。何もかも。ヒヒヒ。どうしてだろ。しかしみんな元気だね。ぶつぶつぶつ……」


背中を丸めてくたびれた白衣の裾を翻しながら、住みなれた研究室のある方へと去っていった。




五人のX超人たちによる一人の男子学生に対する精力的な暴行は、あまりここには書いてはいけない内容で続いていった。


「やめろ! うぐっ! ぐへっ! ぶちゃっ! お前ら……、お、お前らは少しも考えないのか。ぼくがそもそもワルダマンじゃないって可能性……。それにもしも、もしもぼくがワルダマンなら、ここまでのことをやってもいいってのか……!」


「プ~ッ、何がもしもだ。もしもじゃねえよ! 苦しまぎれの言い訳すんなや、頭ワリイ奴。顔も悪くしてやる。トリャ!」


「ったくもー、いいかげん潔く謝って反省しなさいよね! エイッ! アハハハ」


しかし血にまみれ、地に這いつくばった彼は、尚も頑強に、おのれがワルダマンであると認めることを、そしてその名で為したとされる悪行に対して猛省の態度を示すことを、今後のわが身の更生を全人類に誓うことを、拒み続けるのであった!


「じっ、事実は変えられない。ゴハァ! ……ぼくはワルダマンじゃない。だ、だからお前らはッ、お前らこそ騒々しい嘘つきで、恥ずべき暴行魔なのだッ……!」


そうこうしているうちに、いかなるわけであろうか、ふたたび見物人たちの気持ちがふらりふらりと揺れつつあった。


それは単なる憐れみのせいではなかった。彼らにはそれがうまく言えなかったが、血だらけ傷だらけでゴロゴロ転がっている男の姿に、その不屈の執念に、何やらちょっと気高いものを感じ取っていたのである!


「なんかもう、どっちがクズだか分かんなくね?」


「うん。それな」


「どっちかというと五人組」


「ヒーローっぽい格好してるくせにな」


「あんなのかたちだけだよ。むっちゃ引くな」


グリーンはXヘルメットの下で憎々し気に彼らを睨みつけた。


同時に精神を集中させてその頭脳を、その周囲に火花が飛び散るほど、烈しく回転させてゆくのだった。戦闘中のこの驚異的な知的活性化状態はXスパークと呼ばれる!


チッ馬鹿どもめ! 疑り深い奴らめ。しからばこれでどうだ……!


「……エー、極悪人ワルダマンに関する、国立流言飛語研究所からの注意喚起です! 注意喚起情報であります! エー、ゴホン! 昨今かの有名な卑劣漢ワルダマンが、他人を貶める目的で、各所であらゆる手段を用いて、ありもしない『事実』を大量に垂れ流していることが確認されております! エー、更にあろうことか! 更にあろうことか! この恥知らずのワルダマンは、彼の『事実』に異を唱える人々を、なんと反対に、悪意に満ちた卑劣なる虚言者だと決めつけております! これはまことに見下げ果てた、ひどいやり方です。被害者はまことに気の毒の極み! エー、虚言社会学の基本が教えるところによりますとォ……、嘘をついたときというのは、自分が嘘つきだとバレる前に、大声で先方を嘘つき呼ばわりに罵ってしまうことがコツなのであります。すなわちそうすることによってェ、世間は相手のことを完全に嘘つきとまでは信じないかもしれないがァ、しかし、とりあえず! 自分に都合の悪い真実の在り処は、なんとなくうやむやにすることが出来るのであります。かの唾棄すべき極悪人、社会のガン細胞、恐るべき生来の虚言者ワルダマンは! この卑劣なる先制攻撃のコツをようく呑み込んでいるものと思われます。これがプロの嘘つきの姿なのです。どうかみなさんくれぐれも騙されませんように! くれぐれもォー、充分にィー、お気を付け下さーい!! 以上えーと、国連大学デマゴギー研究センター、ニューヨークからの緊急注意喚起情報でした!」


「ふうん……。で結局なに? ワルダマンは嘘つきって言いたいわけ? よく分からんかった」


「さあ。たぶんそうじゃね?」


「めんどくせえ。だったら一言でそう言えばよくね?」


「いやいや国連大学だからさ、そんなふうに軽い仕事はしないんじゃね?」


「あそっか」


「そうだよ」



それにしても、なんという類いまれな耐久力を持った男子学生であろうか! 彼はいかなる目に遭わされても、未だ頑なに、ワルダマンであることを認めなかった!


X超人たちはいささか彼を持て余し気味になってきた。あるいは暴行に費やすエネルギーが枯渇し始めていた。しかし誰一人そんなことはおくびにも出さずに、努めて明るく元気よく、笑顔と声掛けを絶やさないで、彼らが奉ずる正義の道に突き進もうとするのであった!


ワルダマンであるにせよないにせよ、とても頑固であることだけは確かな男子学生は、息も絶え絶えになりながら、最後にもう一度だけ、恐るべき超人たちに向かって問うた。


「……お、お、お前たちは、いったい、何、者……だ?」


キリッと胸を張って仁王立ちする五人は、互いに大きなXの文字が張り付いた顔を順々に見てゆき、小さくしっかりと、厳粛にうなずき合った。


そしてまるで練習済みであるかのような息の合った動きで、レッドを真ん中に横一列に並ぶと、両腕をぐるぐると大きく回し、美しくポーズを決めて、高らかに叫んだ。


「秘密!!」


二十人余りの見物人のうち五、六人……、いや三、四人かも知れないが、なんだか締まりのない拍手の音を立てた。


折しもそれをかき消すように、キーンコーン、カラーンコローンと、大きなチャイムの音がキャンパス中に響き渡った。この日の最終となる講義の時間が終わったのだ。


近くの教養棟からぞろぞろと人が吐き出されてきた。


若々しい気ままな歩みの学生たちに交ざって、グレーの上等なスーツを着こなして人品卑しからぬ禿げ頭の人物の姿があった。刑法総論の講義を終えたばかりの黒岩重蔵教授である。


法学部棟に向かってまっすぐ歩く黒岩教授は、道の真ん中に出来ている人だかりを横目で眺めて、なんとはなしに、学園祭でやる催しの前宣伝だと思った。人垣のすきまからカラフルな人物たちが踊っているのが見えた。


おや、あそこにいるのは吉田だな?


地べたに近いところから顔を上げて、半ば立ち上がりかけた格好をしているのは、どうやら自分のゼミ生らしかった。


うむ、確かにうちの吉田正太郎だ。何か馬鹿げた寸劇を演っているらしい。あれは真面目でおとなしいボンボンだと思っていたが意外な姿だ。


それから黒岩教授は次回のゼミについて、一つ二つ、学生らに伝えておくべきことがあったのを思い出した。なるべく早めに伝えた方がよい事柄だった。


「ン、ご免、ちょっと通してくれな。……おい吉田くん、ちょっといいかね。吉田正太郎くん!」


「あっ黒岩先生!」


「お邪魔して悪いが、いささか重要な話なんだ」


黒岩教授が腰をかがめて男子学生に話しかけているあいだ、それを見守る見物人たちもあちこちでひそひそ声を交わし合っていた。


一方五人のX超人たちは、みな突然火が消えてしまったように、声もなくじっと佇立している……。


この見事な禿げ頭の黒岩重蔵教授は、キャンパスの外で司法試験の考査委員という、なにやら偉いものを務めているということで、法学部以外の学生のあいだでもちょっと知られた頭、いや顔なのである。


「刑法学者の黒岩先生……」


「へえ、あれが黒岩先生」


「黒岩ゼミに入るってチョーヤベェんだって。就職の時には無敵の推薦状がもらえるんだって」


「じゃあやっぱあいつ、ワルダマンじゃなかった?」


「違うだろ。おれは最初から分かってたけどな」


「嘘をつきなさい」


「マジで!」


「でもどーすんのよ。思い切りあいつをワルダマン扱いしたあのバカども」


「どーすんのよ。見ものだな。クククククッ」



呆然と立ち尽くしているX超人たちの身に大きな変化が訪れていた。


全員みるみる変身が解けて、元の普通の大学生の姿に戻ってゆくのだ!


レッドはコスチュームが消失すると、およそ真面目でおとなしそうな、これといって何の特徴もない、ただ少々神経質そうな風貌の学生であった。


ブルーとグリーンは今や、ホッケースティックを担いだ、陽気で健康的なスポーツマンそのものであった。


イエローとピンクは、いずれも趣味の良い身なりをして、いかにも聡明らしいオーケストラの団員であった。


そして彼、彼女らは、互いに別れの挨拶もなく、おのおのの行く手へと向かって、すみやかに散ってゆくのであった!


元ブルーは元グリーンに晴れ晴れとした笑顔で言った。


「おれたちさっきまで、よくあんなワケがわからんもんに変身してたな。ま~いいや、今日は練習終わったらトンカツ食べに行こうぜ!」


「うん、トンカツ食おう。ただお前と違っておれは、変身してもあいつをボコボコにしてないからな。いいな? ちゃんとここは忘れないでくれよな」


元イエローは、顔色が悪くて今にも泣きだしそうな元ピンクの背中に優しく手を添えてやりながら歩いた。


「あらなぁに? アハハちょっとちょっと! え~しっかりしなよ~!」


「あっ、あああっ、あのさ……」


彼女らの背後から、元レッドがかすれた声をかけた。


「あの、せっ、せっかくこんな縁があったんだしさ。いっしょにポーズも取ったんだし。きみたちの、な、名前を教えて? アッぼくの名前はね……」


そのおののくような目は、悄然とうつむいて歩く元ピンクに注がれていた。しかし彼女がぴくりともその顔を上げることはなかった。


元イエローは見えないナイフを振りかざすように、元レッドに言い放った。


「あんただれ。話しかけないでくれる。あーもー、あっち行って!」



かくして、勇猛果敢にして情厚き正義の番人、倫理と常識の人、X超人たちは戦いを終えて去った!!


元X超人の面々も、彼ら自身――まあ元ピンクの女子学生はともかくとして――、その内心のつもりでは、悠揚迫らず胸を張りながらそこを立ち去ったのである……!


ただ端から見たところでは、どう見ても明らかに慌てて身を隠すように、コソコソと逃げ去ったのである……!


秘密戦隊コソコソX――おおそうだ! あるいはこれこそが、世にも不運なる吉田正太郎青年が、彼らから聞き出そうとこだわっていた彼らの名前、彼らの真の名前ではなかったか?



おいおい見物人たちもきれいさっぱりと流れて去った。


「……おっとっと済まん。つい話し込んでいるうちに、きみのカラフルな友人たちは、わたしに捕まったきみを置いて、どこかに行ってしまったよ」


「ゆ、友人……? あれがぼくの友人ですって?! とっ、とんでもないことを先生! あれは友達でもなければ、同じ大学生と呼ぶことも我慢出来ません。もはや地獄の生き物たちなんです! ああ、ああ! 先生はそんな奴らの手から、ぼくを救ってくださいました! ああ、ありがとう……ござい、ましゅ……」


吉田正太郎くんは安堵のあまり気が遠くなりかけた。


地面にひっくり返ろうとするその体を、黒岩教授の頑丈な両腕が支えた。


「救ったとはどうゆうことかね。む! その血のりは本物なのか」


「ハッ! ……はい。本物です。あの連中はいきなり、ぼくがワルダマンであると決めつけて、それから、ウウウッそれから……」


「なにっ、ワルダマン? きみがワルダマンだって?」


そう言って太い眉をひそめた黒岩教授の顔が、突然まばゆい強い光によって包まれていった。


吉田正太郎くんはすべての髪の毛を逆立たせ、目玉をひんむいて恐怖の叫び声を上げた!!


「うおおおお~!! あおおおお~!! うそだ! うそだ! うそだーッ! 先生が! そんなこと! ウガァもうダメだあ~~~! ウギャアアアアア!!」


「おいっどうした、しっかりしろ! 落ち着け! 吉田っ! 吉田っ! 吉田あーっ! その目はどうした。何を見ている!」


時は夕刻であった。


教養棟の建物のかげから炎のように燃える西日が差し込んでいて、黒岩教授の頭部にはげしく反射しているのであった。


「ふう、ふう、ふう……。失礼しました。ぼく今日はもう帰ろうと思います……」



吉田くんは深く傷ついた体と心を引きずるようにして、夕暮れに向かう空の下、丘の上のキャンパスの門を出て、駅を目指した。


そのあまりといえば凄まじいボロボロぶりに、町なかには笑う者もあれば怖がる者もあった。


「まるでゾンビだわ」


「いやゾンビでしょう」


「ちっ目障りだ。日本にハロウィンなんか持ち込むな」



ちくしょう、なぜだ、なぜだ、なぜだ。なぜおれがこんな目に遭わなきゃならないんだ……。いや違う! このおれの災難は巨大な絵の中のほんの一点に過ぎないのだ……。そうだ、そもそもなぜ、なぜ世界はこんなにも醜い姿をしているんだ!!


道の小さな段差につまづいて、非情なる慣性の法則のためにズデンドウと転んでしまった。


冷たい硬いアスファルトに頬を押し付けた吉田くんは、そのままなかなか立ち上がってこなかった。立ち上がることなんぞ、もはやなんだかバカバカしいことのように、無意味なことのように思われたのだ。ついに何かがプッツリと切れてしまった。もうどうにでもなりやがれ! これ以上押し寄せる苦痛に耐えるのはもう御免だ。もう何も見ないふり。感じないふり。いやもう死んだふり……。


若人は要するにすねたのであった。いじけたのであった。ヤケを起こしたのであった。だが誰に彼を責めることが出来ようか? 嘲笑うことが出来ようか? きっとその人は見ていないのだ。吉田くんの両目から滂沱と流れ落ちて止まぬ涙を。もはや熱さえも失ってしまった、この静かなる涙の海を! それはアスファルトをさらに黒く黒く染めていった……。



「モシモシアナタ。パンジャーブ、ノー、ダイジョーブデスカ?」


吉田正太郎くんは、打ちひしがれて涙につぶれた顔をのろのろと持ち上げて、その奇妙な声が降ってきた方を見た。そして一目見るなり、ドキリ……! として、涙も引っこんでしまった。


なんと身の丈二メートル近い、縦にも横にも堂々たる体格をした、肌の色のあさぐろい男が、頭に巻きつけた分厚い水色のターバンの下から自分を見下ろしていたのである!


しかし身なり形はこの上なくいかついが、よく見るとその大きな目はとても誠実そうに澄み切っていた。大男はひざまづいて、心配と同情の色が浮かぶ彫刻的な顔をさらに近づけてきた。


「血ガ出テイマスヨ」


清潔なハンカチを取り出して傷口に当ててくれた。


それからその巨大な手は、アスファルトに横たわったことで服に付いた汚れを、敬意ある丁寧なやり方で払い落としてくれた。


「失礼シマス。デモ、ホットケマセンノデ」


吉田くんは、怒りと悲しみのためにほとんど半分停まりかかっていた心臓が、急速にその力を取り戻すのを感じた。


「ご親切にありがとうございます。ぼくはもう大丈夫です」


ちょっと笑いながらお礼を言った。それは人の世に情けというものがあることを思い出させてくれたお礼でもあった。


通りすがりのターバンの大男は、終始、王族のごとき善意と品格に満ちた態度であった。


「ダイジョーブデスカ? アア、ヨカッタデス。キヲツケテ歩イテネ」



ああ。こんな不幸に、理不尽なんかに、負けるものか。くじけるものか。見てろよ! きっと必ずいつの日か、奴らみたいに馬鹿げた軽信と暴言暴挙に身をまかせる人間なんか一人もいない、そしてぼくのような不幸な犠牲者がどこにも生まれることのない、そんなまともな世の中を作ってやるんだ。負けるものか。そしてぼくはその戦いの中にこそ、ぼくの人生を見つけてやるのだ……!


そしてインドはパンジャーブ生まれのカレー屋店主、シンさん(39歳)にもらったハンカチをしっかりと握りしめ、再び立って歩き始めたのである……。




まあしかし、とりあえずこの日は、名もなき顔もなきX超人たちの勝利であった。実に完全なる、素晴らしい、痛快な大勝利であった! そしてむろん明日もあさっても、地球上のいかなる場所にも彼らは風のように現れ、その正義に捧げる楽しい戦いを繰り広げることをやめはしないであろう。我ら人類とその社会の、理想という名の偽りを排した、本当の在り方を目指し続けて……!




おお、恐れずまっすぐにつきすすめ、コソコソX!


仲間たちといつでも手をつなげ、コソコソX!


正義に休日はない、コソコソX!




いでよ! 秘密戦隊コソコソX!!




タァーッ!!!!!





―完―

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秘密戦隊コソコソX イヌヒコ @fukutarou

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