1-1第五話 君が佐木君だね?
カーテンの隙間から差し込む光で日向の顔がはっきりしてきた。うさぎのような小動物を見守るような気持ちで、彼女を見ていると目が合ってしまう。俺としてはもう少し寝顔を見たかったのだが⋯⋯人の願望を叶えるのは難しいものだ。
「おはよう、日向」
「おはよう、お兄ちゃん⋯⋯。なんで私の方見てたの?」
「⋯⋯それじゃあ、行ってくる」
「無視しないでよ⋯⋯。まだ日も登ってないし、早すぎるでしょ。いま、何時?」
「えっと……」
時計を見てみると、まだ朝の四時だ。普段ならば誰も起きている時間ではない。しかし、日向は布団をすぐに畳み始めた。
「お兄ちゃん、今起きないとどうせ二度寝するんだから、布団片付けたら一緒にご飯の支度しようか」
布団の外に出るなんて⋯⋯時計についている温度計を見ると、気温一桁なのに⋯⋯俺を殺す気なのか……? もし布団から出なくてもこの言い方なら、俺が(精神的に)殺されるのは分かっているので、選択肢は布団から出るしかないだろうが⋯⋯
布団から出ようとした俺は身震いをしてしまった。暖房が入っていても、やっぱり寒い。昨晩、雪が降ったから当たり前である。すぐに布団にくるまる俺を見て、日向は(きっと表面だけ)暖かい笑顔で一言。
「ちゃんと起きるんだよ?」
日向は部屋から出ていったので、二度寝するチャンスだ。しかし、さっきのような言葉を妹に言われたら兄として従わないやつはゴミ屑以下である。(←あくまで個人の意見です)
布団の温かさをギリギリまで感じようとしていたら、再び日向が戻ってきた。
「お兄ちゃん⋯⋯?」
「あぁ、分かってる」
俺はいつもなら出ることのない布団からゆっくりと起き上がった。そして、階段を降りると日向がエプロン姿でキッチンに立っている。
「あ、ようやく降りてきた。いま、お弁当作るから待ってて」
「あ、弁当ならコンビニで買うからいいよ」
「コンビニ弁当、毎日食べていたら体壊すよ? 今日は私のお弁当をお食べ!」
「お食べ」って⋯⋯今どき、使わないだろ⋯⋯。まぁ反抗は出来ないんだけどな⋯⋯。
「は、はい⋯⋯」
早朝に家族と話すのもすごく久しぶりである。今までは家族が家に居ない時間帯に目を覚ましていたので、こうやって家族が集まったのは久しぶりだ。
日向が俺の弁当を作っているので、手伝おうとしたのだが「邪魔だから、手伝わないでテレビでも見ていて」と言われてしまった。「邪魔」という言葉がグサッときたので、俺はキッチンから退散した。
そしてテレビの電源を入れる。こんな時間にやっているのはニュースか通販番組か⋯⋯。どうせならドラマとかが見たかったのだが、もちろん無いのでニュースを見るしかない。
心底どうでもいい天気予報とか、もっとどうでもいい株価とかを見ながらボーっとテレビを見て時間をつぶした。日向の作る弁当の匂いが俺の空っぽの胃袋を刺激する。
その弁当の匂いに釣られたのか、沢田さんが起きたようだ。沢田さんが寝室から出て来た時、俺と日向は思わず笑ってしまった。
「おはよう⋯⋯っ!?」
「日向⋯⋯? どうした⋯⋯っ!?」
「おはよう⋯⋯って、なんで笑うのよ!?」
「いや⋯⋯っ! ね、ねぐ⋯⋯っ!」
「ね⋯⋯?」
ようやく理解できたようで、慌てて髪の毛を押さえる。その慌て方を見てまた俺たちは笑ってしまった。人というものは慌てれば慌てるほど失敗を起こすものである。
どんな失敗を犯したかは⋯⋯言わないでおこう。とりあえず説明すると、日向の仕事を増やしたのと自滅したくらいだった。
「まぁ、改めておはようございます。もうすぐ朝ごはんできるらしいです」
「日向ちゃんが作ってるんだね~。楽しみだわ~」
「あんまり期待しないでください。お母さんみたいにはなかなか出来ないし⋯⋯」
「日向ちゃんならちゃんとおいしく作れるから大丈夫だよ」
いまの沢田さんの言葉に我慢できずに、「なんか、気持ち悪いです」と言ってしまった。
「え〜酷いよ香織くん⋯⋯」
「私を褒めたって何にも出ませんよ?」
「なんか出されたら逆に困るからいいんだけどさ⋯⋯お父さんはまだ起こさなくていいの?」
「今日は夜勤なんで起こさないでいいです」
「朝は食べないんだ?」
「はい、夜勤の日はなぜか食べないですね~」
「起こしてみようか」
ここでいたずらを考えついた子供みたいな笑いを浮かばせるのが恐ろしい。もちろんここで許可してしまえば後で怒られるのは目に見えているので、俺たちは必死で止める。
「ダメに決まってるでしょ!?」
「えーなんで? せっかくなんだから家族全員で食べればいいのに⋯⋯」
「いや、昼勤のときなら良いんですけど夜勤の日のお父さんは機嫌が悪いことが多いから⋯⋯」
「そうなんだ⋯⋯ならやめとこうか」
沢田さんが起こしに行かなかったことにホッとしつつ三人での朝食である。家族と⋯⋯いや妹と食べるのは、ここしばらくなかった。以前に一緒に食べたのは俺が不登校になる前のことだから、四年前くらいだろう。
「こうしてお兄ちゃんと食べるのも久しぶりだね?」
「そうだな⋯⋯前に食べたのは相当前だったからな」
だんだん家族らしい雰囲気が出てきたのに、それをぶち壊すように朝ごはんを食べ続ける沢田さん。本当に俺たちよりも年上なのか、と疑いたくなるくらいの速さでご飯を平らげる。
それよりも、女の人なのにこんなに食べられるものなのだろうか⋯⋯。てっきり女の人はあんまり食べないというイメージがあったがそのイメージが見事に吹き飛ばされた食べっぷりである。沢田さんに圧倒された朝ごはんであった。
「ごちそう様でした」
「お粗末さまでした」
日向の食器の片付けも終わり、そろそろ出発かと思ったが朝起きたのが早かったせいか、まだ家を出るまで時間があるようなので俺たちは日向が学校に行く時間まで家で待つことにした。
日向は「待たなくても大丈夫だよ?」と言っていたが、たまには一緒に家を出るのもいいだろう。もちろん、日向の手伝いは「邪魔」と言われ、させてもらえなかった。
ありがたいと思うべきだろうが、兄としてはもう少し頼ってほしいところではある。その間に俺たちは出かける準備を済ませると、日向もちょうど終わったようだ。
「おまたせ」
「日向は準備できたか?」
「うん、大丈夫だよ」
冬は外の冷気を入れないために出来るだけ扉の開閉は少なく、開ける時間を短くする。それが基本だ。まぁ他にも沢山あるが、我が家のルールはこれだけだ。
ちなみに雪国は大体の家屋が二重扉である。屋内の暖気を逃がさないためと聞いたこともあるが、実際は外の寒気を入れないようにするためではないか。動物が逃げないように片方の扉を閉めてからもう一方の扉を開けるようなイメージで大体あたっていると思う。
コンロの火を消したか確認も終わり、日向は玄関の鍵を閉める。すると、日向は倉庫の方に向かい、自転車を取り出した。
「お前、自転車⋯⋯大丈夫か?」
「下は凍ってないから大丈夫でしょ。雪もないし」
「それもそうか……」
「今日はお兄ちゃんに免じて歩いていってあげるけど」
何だろう……日向が妹として見れなくなったのは気のせいだと思いたい。ちなみに、日向の学校は自転車で15分程度のところにあるのだが、歩いていくと意外と時間がかかるのだ。だから、冬はバスで通っていたはずである。しばらく一緒に歩いていたが、さすがに遅いと感じたらしい。日向は自転車に乗り、先に行ってしまった。
「じゃあ、あとでね」
「お、おう……」
コンビニまで歩くだけという、普段と同じ行為のはずである。それなのに、積もった雪のせいでいつも以上に疲れた。
コンビニの駐車場にも雪が積もっている。誰かの足跡が、白い雪景色の中に影を作っていた。その足跡をたどっていくと、あの公園に居るいつものおじいさんが立っていた。俺たちに気づくと体の向きを変えてゆっくりとこちらに歩いてくる。
「君が佐木くんだね?」
「え⋯⋯そ、そうですけど⋯⋯」
これがあの人との出会いである。
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