新英月伝

ねむるこ

第1話 下された令

急げ急げ。

少女は息を切らしながら市中を駆けていた。

両側に店が立ち並ぶ、賑やかな通りだった。

駆け抜けるたびに様々な香りが吹き抜ける。


美味しそうな肉を焼く香り、甘い果実の香り…。


物を叩き売る売り子の騒がしい声に、値切ろうとする客の声。子供の泣き声や、人々の笑い声。


そんな中、黒い髪を後ろで無造作に纏めて流した少女が夢中になって道を急ぐ。

走ると同時に長く、くせ一つない髪が揺れた。

齢は17ぐらいだろうか。子供と大人の狭間に立つような年齢だった。


(もうすぐ…もうすぐ会えるんだ!)


頰を赤く染めた少女、司文しぶんはまるでこれから想い人に会いに行くみたいな表情をしていた。


司文が立ち止まったのは最近話題の芝居小屋だった。

看板には大きく演目名が掲げられていた。


英月えいげつ伝』


(はあー!待ってました!!英月様の演目っ!!)


司文の表情が輝きに満ちた。いつもは仏教面で表情が乏しいのにこの時ばかりは大きく違った。

この芝居は歴史物であり史実を演劇にしたものだ。

英月というのはこの国、烈国の武将の名で、民衆に対して悪政を行なっていた皇帝を打ち滅ぼした英雄である。

歴史上の人物を芝居の演目にするというのが最近の流行りだった。


司文はまだ見ぬ英月の姿を想像してにやけた。

きっと偉丈夫な役者が英月を演じるに違いない。歴史書の挿絵でしか英月の姿は見るすべが無い。

出来ることなら時を巻き戻して本物の英月を見たいものだと司文は思っていた。



芝居小屋には沢山の人が殺到していた。司文が満面の笑みでその人混みの中に紛れた時だった。


「そこの者たち!歴史を語る芝居を見ることは許さん!芝居を取りやめよ!!」


槍や刀を手にして武装した兵士たちが乗り込んできた。

司文と芝居を観にきた群衆たちは驚きの声をあげた。


「ちょいと!芝居ぐらいいいじゃないの。」

「そうだ!さっさと消えな!」

「おい!皇帝様の勅令だぞ?逆らえば捕らえられるぞ。」


ぎゃあぎゃあと、兵士と民衆の口論が始まった。


司文はその光景を見て遂に皇帝の号令は民衆の娯楽にまで口を出すようになったのだと確信した。


事の始まりは数ヶ月前。

突如下された皇帝の勅令だった。


『これまでの烈国の歴史を消し、新しい歴史を作らん。』


ここ数年、令が出されることは無かったから民衆は驚いた。そして内容も民衆にとってよく分からないものだった。


そもそもれいとは、この烈国れつこくを治める皇帝の命令のことである。

令には絶対服従で、逆らえば死刑になることもある。

令というのは皇帝の権威が定まらない時期に多く出されていた。いわば国が人民に課す最大級の命令である。皇帝が最終手段として強制的に言うことを聞かせるためのものだと考えればいい。


世が乱れていた時代、令によって諸国を治めるしん達を統制していた。その名残として今でも令は民衆を対象として機能している。


てっきり、増税か徴兵かそういうものだと思っていた民衆たちは拍子抜けした。

歴史なんて普段の生活になんの関わりもない。減ったところでなんの支障もないと多くの人々は考えていた。

だから特にその令に対して異を唱えるようなものはいなかった。


しかし段々と事が重大化し始めた。

歴史書を禁書とし、読むことを禁じた。それだけに留まらず、芝居小屋の演目にまで口を出し始めた。


司文は唇を噛み締めた。握りこぶしをぎゅっと作る。


(私の…私の推しがやっと演目で見ることができると思ったのに…。いくら皇帝様でも許せない…!許せない!!)


司文の瞳に炎が宿った。

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