わたしは永遠がほしい

伏潮朱遺

第1話 踊ろ驚しい=ドロシー

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 招かれざる客など、この女をおいて他にいない。

 椿梅ツバメアザミユウ。

 私がここに呼ばれた最重要目的がそれ。

 ドン=ヘッヘルフ氏の代理人たるメイドの許可はすでに得た。

 あとは、捕らえて閉じ込める。刻限までこの部屋で大人しくしてもらう。

 鍵は二つしか存在しない。一つは、メイドが。

 もう一つは私が受け取った。

「これでは不公平ではなくて?」椿梅はまったく抵抗しなかった。

 私が来客として招かれるということがすなわち、こうなる可能性は必須。

 本当はすぐにでも本部に突き出したい。が、それでは彼女に負けを味わわせることができない。何もできないまま時間切れを迎える場面に立ち合わせなければ。

「縛られないだけでも感謝しろ」ドアを半分ほど開けて、拘束していた彼女を押し込む。手が離れたところで素早く鍵を。

 これで、

 逃げられない。

「開けてくださいな。窓から飛び降りますわよ」椿梅がドアを叩く。

 どんな手を使ってでもなにがなんでもここから出てやるのだという強い意志、らしきものが感じられない叩き方だった。音はお上品なノックに近い。

「したいならそうしろ」

 ルール並びに諸注意は、あらかじめ説明を受けている。

 招かれた客全員が。

 屋敷の外に出た時点で参加の意思を放棄したものとみなし解答権を失う。

 強欲な椿梅に果たしてそれができるのか。

「死体くらいは拾ってやる」

 わざわざ最上階の一室を借りた。落ちればかすり傷程度では済まない。

「他の参加者を妨害するのは認められているのかしら」椿梅が苦し紛れに言う。

「構いません」私の後方で一部始終を見張っていたメイドの片割れが答える。「例え法に触れることであっても、わたくしどものほうでは一切関与致しません」

「脅そうが監禁しようがなにしようがさらには殺したとして僕らの勝手だけど逮捕されても知らないよ?ということですね」とても現役医師の発言とは思えない。

 ヘッヘルフ氏の主治医、烏鷺口ウロコジュンナ氏が私を見る。「そのために貴方が呼ばれた。なるほど。合点がいきました」

 幸か不幸か、この位置からはフロア全体が見渡せる。時間切れまでドアの前を動くつもりはないので、ゲームとやらの結末を見届けることができそうだ。

 中央のエレベータが開いて、メイドのもう片割れが現れる。

「時間となりました」

 ふたりのメイドが横並びになって、恭しく頭を下げる。

「これより」

「この屋敷があるじ」

「ドン=ヘッヘルフの」

「最期の命令を」

「復唱いたします」ふたりが交互に喋っているのか、同時に喋っているのか。

 私にはわからなかった。

 なにせ顔も声も体格も格好も何もかもがそっくりなのだ。

「最終確認ですが」

「参加を辞退される方は」

「いらっしゃいますか」

「いるわけがなかろうて」ヘッヘルフ氏の旧友、陸代ロクシロカラン氏。「招待状を受け取ったわしらにはその権利がある」

 招待状を受け取ってないにもかかわらずここにいる、招かれざる客に対する皮肉だろう。

 たったいま閉じ込めたばかりの大悪党。

「最期の命令ってなによ」ヘッヘルフ氏の自称孫、狸狐塚ココヅカタスク氏。

 正真正銘の孫だと認めてもらえない怨みか、メイドの一挙一動に突っかかる。

「遺言なんでしょ?知ってるのよ、おじいちゃん、もうとっくに」

「お静かに願います」メイドの片割れが強い口調で言い放つ。

「わたくしどもの業務遂行の妨害をなさいますと」メイドのもう片割れがまったく同じ声色で言う。

「はいはい、わかってるわよ。解答権てのを失うんでしょ?」

「死んでいただきます」

「殺します」

「へえ、自殺か他殺か選べるんだ」ヘッヘルフ氏の養子、良ノ沢ヨシノザワサキヤ氏。

 彼も狸狐塚氏を孫だとは認めていない。

「どっちがいい?可愛くない姪のおねーさん」

「うるさいわね。十も年下のクセに」

「二度も同じことを言わせないでください」メイドの片割れが静かに言う。

「すでにあなた方に選択の余地はありません」メイドのもう片割れが穏やかに言う。

「見事正答し、ドン=ヘッヘルフのコレクションを受け継ぐか」

「不正解もしくは無回答により、あなた方の取るに足らないつまらない命を、わたくしどもに差し出すか」

「ちょっと待ってよ」狸狐塚氏が言う。「命?なによそれ」

 陸城氏が頷く。「そんな交換条件は初耳だよ」

「参加費用と思えば安いのではないかと」烏鷺口氏が微笑む。「あのドン=ヘッヘルフのコレクションですよ?手に入れるには非合法な手段、例えば強盗殺人以外にありません。それがこのような至極まっとうな方法で手に入るのですから」

「命くらい懸けなよ」良ノ沢氏が言う。「ホントはぜーんぶ俺のものなんだよ?そこを慈悲で参加させてあげてるんだ。そんくらいの覚悟で挑んでよ」

 その条件は、私にも適応されるのだろうか。

 ゲームとやらに参加したくてここにいるわけではないのだが。

「大丈夫よ」ドアの内側から声がする。

 私がドアに耳をつけていることを見越して、椿梅が話しかけている。

「そんなことさせないわ。勝つのはわたしですのよ」

 ここから出られないのに、まだ参加するつもりでいるらしい。

 それどころか勝とうとしている。

「たいそうな自信だな」

「わたしは欲しいものは必ず手に入れますわ」

 おカネで。

「買えないものらしいぞ」

 おカネで。

「手に入れられないものなんてありませんわよ。よくご存知のはず」

 ふたりのメイドが背中合わせに立つ。

「それでは復唱いたします」

「一度しか言いませんので」

「よく耳をかっぽじってお聞きください」






 わたし

 は

 永遠

 が

 ほしい





 私は、上着のポケットに入れておいた封書を思い出す。

 サインをしたことを今更ながら後悔する。







 第1章 踊ろ驚しい=ドロシー



      1


 まったく同じ顔の来訪者は、

 まったく同じ声でこう言った。

「わたくしどもは」

「一卵性双生児ではありません」

「ドン=ヘッヘルフが」

「カネに物を言わせて探し当てた同一個体です」

 低く見積もると一ケタ代。最近の子は発育がいい。

 高く見積もると三十代前半。若さもある程度はカネで買える。

 カネにものを言わせたというのは、

 そういうことなのだろうか。整形。

 そういうことではないのだろう。

 整形なら整形と言えばいい。

「つまりそれは双子という」

「違います」間髪入れずに返ってきた。「一卵性双生児は同一個体ではございません」

 それは、

 確かにそうだが。

 アポなしでやってくる依頼主ほど厄介なものはない。いまだかつてアポありだった依頼主がいないのがもの悲しいが。

「用件は」

「わたくしがドロシィと名乗った場合」向かって左が言う。

「わたくしがルーシィとなります」向かって右が言う。

「つまりそれは呼びわけをしろという」

「違いはありません」向かって右が言う。いや、同時だったか。「わたくしがドロシィと呼ばれれば」

「呼ばれなかったわたくしがルーシィと同定されるだけのこと」向かって左が言ったかと思うのだが、二人の口が動いているようにも見える。「ドン=ヘッヘルフも絶対的な区別をしておりません」

「ところでドンへなんとかというのは」

「死期が近いのです」

「主治医によればあと数日の命だそうです」

 そういうことではない。

「誰なんだ」

 名前の響きから日本人以外だということはわかるのだが。単なるペンネームという可能性だって。

「あなた様の依頼主です」

「それだけご承知ください」

「まだ受けるとも言ってないんだが」

 しかし、受ける以外に道はない。

 とにかくカネがなかった。

 どのくらいないかというと、いちいち財布から取り出すのが面倒なくらい何も。

 どうしてないのかといえば、いちいち羅列するのが不要なほどに何も。

 していないから、

 何もないのだ。

 財布の中身も通帳の記載も。

 働いていなかったわけではない。

 働くことを拒絶しているわけでも、

 働くことが面倒なわけでもない。

 働き口がないので、

 自ら開拓するほかない。軌道に乗れていないだけなのだ。

 毎日何もせず自堕落な生活を送っているのかと聞かれればそうでもない。むしろ日に日に次から次へとやることが舞い込んで眼が回るくらいだ。幸い首も回っている。

「あなた様は必ず」

「受けると仰います」右側が左手で、

 左側が左手で差し出したのは、

 白い封筒。

 赤いハートのシールで封をしてある。

「招待状です」

「わたくしどもが帰ったのちゆっくりと」

「ご覧になってください」

「あなた様ならその意味が」

「おわかりになるはずです」

「それでは」

 同時に、

 同一角度でお辞儀をする。

「お待ちしております」

「おい、ちょっと」呼び止めても止まらない。

 履くものもとりあえず表に出たが、すでにそこに人影はなく、車が走り去った気配すらない。

 幽霊か幻の類ではなさそうだ。封筒は確かに手元にある。

 表には、私の名前も記されている。漢字の形を保てなくなって崩壊寸前の書体で走り書きされた。

 厭な予感は私にとって、いい予感と同義。

 来るのだ。ここに。

 招待状の案内する先に。

 椿梅アザミユウ。こと、

 燕薊幽エン=ケイユウが。

 凡そ彼女を知っている者で、私を知らない者はいない。

 なぜなら彼女は、知り合った人間に端から私の個人情報を垂れ流しているからだ。

 本名にはじまり、年齢、住所、経歴。先ほどの来客が私の住居を知っていても何も驚くことはない。この展開にもそろそろ慣れてきた。

 逆を言えば、私の元を訪ねてくる人間は、必然的に彼女と知り合いであり、彼女をどこぞへ呼び寄せたいがために、私に餌役を求める。

 彼女が召喚に応じるただ一つの交換条件が、私の強制連行。

 安いものだろう。カネなし地位なし趣味なしの、何の取り柄もない暇人の私を連れてったくらいで、悪の頂点に君臨する彼女にお目通りが叶うのだから。

 欲しいものはすべて手に入れる。カネで。

 という信条の彼女が唯一手に入っていないものが、私による逮捕だということらしい。

 長いこと彼女を捕まえることだけに全身全霊を注ぎ込んできた私にとって、彼女を逮捕することは、なにものにも替えがたい、人生の最大にして最終目標と言っても過言ではなかった。

 彼女が私に捕まりたいというのなら、

 私も彼女を捕まえたいと思っていた。

 しかしながら、いまの私には、

 彼女を捕まえることはできない。

 鼓膜を突き刺すような高い音で痙攣する。そうか。

 眠っていたのか。

 いけない。

 ゲーム終了のその瞬間まで、彼女を見張っていなければならないというのに。

 いきなりこの様だ。

 気が緩んでいるのだろう。

 一年ぶりの依頼で。

「誰かしらね」椿梅が呟く。

 ドアが薄すぎる。この声量で充分聞こえるなら、私がこの場で何某かと話した会話は筒抜けということになる。まずいな。

 ルール説明の際に渡された小型機器。近い外観は防犯ブザ。

 ボタンが二つある。

 紐は付いていない。

 それが、鳴った音だ。

 高い音は、

 質疑応答。

 屋敷内のどこにいようが、

 5秒以内にメイドが駆けつけ、

 あくまでルールについてのみ追加質問を受け付ける。

 会話内容は全館放送され、

 参加者に平等に情報が行き渡ることになっている。

『本当に5秒以内にいらっしゃるんですね。正直感動しています』烏鷺口氏だ。先ほどの全体説明の折にもねちねちとくどい質問を浴びせかけていた。

 まだ足りないらしい。

 もしくは純粋に、試してみたかっただけか。

『特にご質問がないのにお呼び出しされますと』

『業務遂行に支障が出て』

『すみません。殺されたくはないのでさっさと言います』

 案の定、呼び出しブザの使い勝手を試したかっただけだ。氏が入院したら頻回にナースコールを押しまくる迷惑な患者になるに違いない。

 氏本人は医師だということだったが。

「主治医が患者の遺産を狙っていいわけ?」ドアの内側からではない。

 狐狸塚氏が、不満を体現した表情と姿勢で立っていた。

 身長は目測で155センチほどだが、私が床に座り込んでいるためものすごく巨大に見えた。

 片足が付け根から丸々露出する黒のロングドレス。首という首に装飾品が光る。

 椿梅の普段着がド派手なチャイナドレスでなかったら、氏は著しく浮いていただろう。

「どうなの?刑事さん」

「奴が本当に主治医ならな」

「どうゆう意味よ」

「言葉通りだが」

 何しに来たこの女。

「嘘言ってるわけ?信じらんない。おじいちゃんを食い物にして」

『ヘッヘルフのラストワード、永遠が欲しいという願いについての解は、そのものずばりな唯一絶対の解が存在するのでしょうか』

『あります』

『以上でよろしいですか』

『まだですよ。聞きたいことは山ほどあるんですから。ねえ?そうでしょう。参加されている皆さん』烏鷺口氏の口調は楽しそうだった。

 狸狐塚氏は天井のスピーカを睨みっぱなしだ。

「何か用か」

 ここにいなくとも他者の質問内容は聞こえる。

 それこそトイレにいようがシャワーを浴びてようが。館内にいる限りは。

「その格好、なんとかなんないの?」視線が落ちる。

 私の脳天に。

「考えなくていいのか」

『ヘッヘルフがこと切れるまで、という刻限が設けられていますが』烏鷺口氏は続ける。『僕もあの自称孫の方と同意見です。ヘッヘルフはすでにあちらの岸の住人です。いい加減、主治医の僕に診せてもらえませんか。診断書を書いてあげましょう』

『要望は聞き入れられません』

『以上でよろしいでしょうか』

「おじいちゃんに失礼よ。貸してあげるから」来なさい、とばかりに向きを変える狐狸塚氏。

「ここを動くつもりはない」

「親切なお嬢さんですわね」ドアの内側からくすくす笑い声がする。

『百歩譲ってヘッヘルフが生きているとしましょう』烏鷺口氏はまだ言う。『しかし、刻限までに唯一絶対の解が提出されない場合どうなるのでしょう。まさかどこぞの取るに足らない博物館に寄付されるのではないでしょうね。ヘッヘルフのコレクションですよ?メイドともあろうあなた方が、その価値を知らないわけでもないでしょうに』

『来たるべきその時刻までにご提出ください』

『正解が認められ次第終了いたします』

『以上でよろしいでしょうか』

「早い者勝ちなんだろ」

 何でもいい。この娘を追い払いたかった。

「動くつもりはないのね?わかったわ。持ってくるから」

 だから、

 なにが目的だこの女。

「お前か」氏が視界から消えたのち、背中のドアに向かって訊いた。「グルじゃないだろうな。俺を追い払ってその隙に」

「ケージさんを追い払ってしまったらわたしは退屈で死んでしまいますわ」

「そいつは困るな」

 死んだら捕まえられない。

 死ななくたって捕まえられないのに。

 烏鷺口氏の質問内容を整理すると、誰も正解しなかった場合が如何に不利益か、その部分にこだわっているようだった。

 結論はただ一つ。

 自分に譲ってくれれば、そんな不利益は被らない。利益で満たしてみせる。

 メイドによる鉄壁な『以上でよろしいでしょうか』攻撃にもめげず、食い下がる姿勢は熱心というより哀れで醜い。

「おカネを積めばよろしいのに」椿梅がこともなげに言う。

「積んでみろよ」

「わたしは正解する自信がありますのよ?」

 カネを積まなくとも手に入る方法があるならそちらを採用するということだ。

 それでも駄目なら得意技、

 カネ積みが実行される。

 狸狐塚氏が戻ってきた。フォーマルな上下ハンガ付きを片手に。

「あっちにいるから着なさいよ。見てらんないわ」

 なんでこんなものを持ってるのだ。

 女性用ならわかる。着替え。

 しかしこれは、

 どう見ても。

「男装のシュミでもあるのか」

「なにわけわかんないこと言ってるの?」すごく馬鹿にされた。「おじいちゃんのよ。返しに来たんだけど、ちょっと遅かったみたいね」

 要らない。

「結構だ」

 葬式じゃあるまいに。

 葬式?

『四の五の言わずに答えてみろと、そうゆうことですね。わかりました。ですが僕は用心深いのでもう少し様子を見たいと思います。なにせチャンスは一度きりですからね。どうもありがとうござ』烏鷺口氏の発言を遮るかのように、

 喉元を締め上げるような低い音が。

 解答欄が埋まったから取りに来てほしいことを報せるための。

 呼び出し音。

 私じゃない。狸狐塚氏でもない。氏は眼の前で私にスーツを押し付けている。両手は間違いなく塞がっている。

 後ろのドアに眼を遣る。

「取り上げとくべきだったな」

「わたしではなくてよ」

 最上階には、私と椿梅と狸狐塚氏の三人しかいないはずだった。少なくとも私はそう認識していた。最新情報の更新を怠っていたようだ。タヌキとキツネによってたかって塚を掘られて。

 いつの間にか。

 増えていた。

「あまりにうるさいものでね。あの若造」

 広間の柱の陰に、

 無毛の和装男。

 意図して無毛なのか、仕方なく無毛なのか、諦めにも似た悟りの末の無毛なのか、私にはわかる余地もなく。

 陸代氏が下駄を鳴らしながら近づいてくる。

 片手に呼び出し機。

 もう片方に、

 封筒。

 招待状に同封されていた。

 質問用の呼び出しブザは、その後の会話中継と同じく屋敷中筒抜けだが、

 解答用のブザは、同じ階にいないと聞こえない。

 すなわち誰にも知られることなく解答を提出することが可能だというのに。わざわざ椿梅のいるとこまで上がってきて。

 ブザが鳴って7秒以内に参上しますので。その注意事項通り。

「お待たせしました」

 エレベータのドアの前にメイドがふたり。

 ドロシィとルーシィ。

「きっかり7秒ですのね」ドア越しに椿梅の要らない注釈が届く。

「どれ、ワシが茶番を終わらせようじゃないか」陸代氏は自信ありげだった。

「承りました」片方が受け取って。

「拝見させていただきます」もう片方が開封する。

「ちょっと待ちなさいよ」狸狐塚氏がスーツを私に放って陸代氏に詰め寄る。

 いいのか。形見じゃないのか。

「目的はわかってるのよ。骨が欲しいだけのくせに。おじいちゃんをあんたのキモチ悪いコレクションになんかさせない」

「下品なお嬢さんだ。とてもヘルの孫とは思えないね」

「馴れ馴れしく呼ばないで。キショク悪い」

 陸代氏は、書面検分中のメイドふたりをちらりと見遣り、余裕の表情でソファに体重を預け得る。勝ちを確信して。

「随分とカネに困っているそうじゃないか」自称孫に言う。

「それがなに?」

 音声だけが聞こえているはずの椿梅がくすりと笑った。

 そのくらいわかりやすい間があった。

「あんたに関係ないでしょ」

「お前さんこそ。ヘルの、命より大事なコレクションを手に入れて一体どうするつもりだね」眼差しも口調も優しげを装っていたが、放つ存在感は鋭かった。

 陸代氏が続ける。

「どちらが気持ち悪くて気色悪いのか。誰の眼から見ても明らかだと思うがね。札束の山にしか見えてないんだろうね。お前さんが毎夜取ってる客と同様」

「うるさいわね。最初からこれが目当てだったくせに」狸狐塚氏が怒鳴る。核心を突かれて怒っている。「死んだら骨をくれ?アタマおかしいんじゃないの?」

 陸代氏を左右から挟む形で。

 ふたりのメイドは互いに向かい合い。

「それではロクシロ様。準備ができましたらこちらをお使いになって」右側にいたほうが名刺大のカードを差し出して。「地下2階までお越しくださいますよう」

 同時に頭を下げる。

「お待ちしております」

 陸代氏は眉を寄せる。「合っていたのだろう?この偽者の前で言ってやってくれないか」

「なによニセモノって。あたしは、本当に」狸狐塚氏はメイドを交互に見ながら。「ねえ、どうなの?合ってたわけ? 嘘でしょ。言いなさいよ」

「失礼します」エレベータの中に吸い込まれる。

 メイドのあとを、

 陸代氏が追いかける。

 閉まりかけたドアを抉じ開けて乗り込む。「どっちなんだ。合ってるのか合ってないのか。その場で答えをもら」閉まった。

 下降する。

「残念ですわ」骨がお好きでしたら「お話が弾みましたのに」

 振り返る。

 ドアの反対側で、

 椿梅が微笑んでいる光景を想像する。

「残念?」

 見えるはずない。

 私にだって見えなかった。誰にも見えてない。

 開封したふたりのメイド以外には。

 見えているはずが。

 陸代氏の解答は、

 書いた本人の陸代氏のほか誰にも。

 私にも。

「どうゆうこと?」狸狐塚氏にも。

 況してや椿梅には絶対に。

「不正解ですのよ」


      2


 椿梅に真意を問いただそうとしたところで、烏鷺口氏が拍手とともに登場した。嘘くさい白衣を翻しながら。

「実にその通り。解答は実践を伴わないかぎり正解たり得ないのです。あの骨狂いにそれができるとは到底思えませんね」

 わかってるのか?椿梅にも。烏鷺口氏にも。

 わからないのは。

 私と。

「わかるように言ってもらえる?おじいちゃんの主治医先生。いいえ。違ったわね」狸狐塚氏は、肩につくすれすれの長さの髪を払う。

 二十代にしては珍しく、色を変えた形跡がない。艶のある漆黒だった。

「おじいちゃんがあんたみたいな怪しいのをみすみす主治医なんかにするわけないでしょ?きっちり説明なさい。どうせコレクションに眼が眩んで」

「ええ、眩んだんですよ」烏鷺口氏が頷く。

 こちらも染めた歴史はなさそうだが、色を変えることに興味がなかっただけだろう。手入れにも無頓着。毛先が重力に逆らおうがあらぬ方向を目指そうがどうでもいい。

「眩むに決まってます。あれを一目見せられれば、たちまち虜になってしまう。どんな手を使ってでも手に入れたいと思ってしまう。欲しいですよ僕は。ヘッヘルフのあれがどうしても」

 正直といえば聞こえはいいが、開き直ったといったほうが。

 狸狐塚氏が若干どころか相当引いている。

 さあ、あの手この手で吐かせようと吊り上げた容疑者があっさり自白し罪を認めてしまったのだから。

 これ以上の追及は自分の価値を下げる。口を閉じたほうが賢い。

「不正解?」開閉できる板に云った独り言のつもりだったが。

「絵空事では駄目なのですよ」親切な医者が解説をおっ始めてしまった。

 頼んでもないのに。展示物の前を通り過ぎるとセンサが反応して自動で音声が流れる博物館の親切設計みたいだった。

「実現可能なものでなければそれは、単なる提案です」

 ということは陸代氏は。

「やりに行ったんだな?」

 ドン=ヘッヘルフを永遠にする儀式を。

「ちょっと待って」自称孫が納得できないとばかりに遮る。「実践とか実現とか。実際になんかするってこと? そうゆう意味なわけ?」

「おや、どのような意味と勘違いされていたのです?」

 私もそっちの意味だと思っていたのだが。「名誉だとか記憶だとか」そういう無定形のものではないのだろうか。

 永遠が欲しいというのは。

「困りましたね」烏鷺口氏は完璧に我々を見下している。「どうやら早くもそちらで不当な監禁に遭っている大富豪と僕との一騎打ちになりそうです。なんとお呼びしたらよろしいでしょうか。ああ、聞こえていらっしゃいますか僕の微小な声が」

 椿梅は特に反応しなかった。

 その無反応がお喋りな医者を煽る。「ヘッヘルフのあれが欲しいばっかりに主治医の座に居座っている姑息な僕なんぞ、相手にするだけ無駄だということですか。勝てる自信はこれぽっちもありませんが、それなりに励まさせてもらいますよ」

 もういい黙れ。

 自称孫と眼が合った。

 もしかすると本当に孫ではないだろうか。なんの証拠もないのだが。証拠?

「ないのか」遺伝子なんたらとか、戸籍どうたらとか。

「なに?取調べでもしようってわけ?」

 そんな権限はない。

 どっかに置いてきた。置き場所を忘れたから取りにもいけない。届けてくれるお節介な遺失物係もいない。

「どうして参加した?孫なら」

「孫だからよ。それにこれ」招待状。凄まじい部位に挟んでいた。「あたしにだけ来たの。親戚一同を一切合財無視して。これって、そうゆうことでしょ?」

 どうゆうことだ?

「ああ」適当に相槌を打つ。

 どうだっていい。

 主治医だろうが自称孫だろうが。只今実践中の旧友だろうが。

 椿梅の手にさえ渡らなければ。

 それだけ阻止できれば。

 もうひとり参加者がいたような気がするが。誰だったか。

『ヘル?』突如スピーカから音声が。

 視線が集中する。眼球は聴覚刺激を受容する器官ではないのだが。

『ヘルなのか。ヘル。そうか。生きて』

 生きてた?

 ヘッヘルフ氏が。

「ちょっと、これ」狸狐塚氏が天井を指さす。

「地下2階にいるであろうロクシロ先生の声ですね」烏鷺口氏が肩を竦める。そんなこともわからないのか、といわんばかりに。「問題は中継かどうかですが」

 生きていたかどうかは問題ではないらしい。そうだった。

 もうすぐ絶える命だ。

 この夜を乗り越えられるかどうかの保証は何もない。

『ワシあてっきりもう。いやいや、いいんだ。お前さんの顔が見れただけで』陸代氏は感極まっている様子だった。演技かもしれないが。『そうだろうて。わかっておるわ。お前さんの最期の望みを叶えられるんは』

「なんでおじいちゃんの声がしないのよ」狸狐塚氏の言い分は尤もだ。

「おわかりにならない。流石はヘッヘルフの孫を名乗るだけのことはありますね」完全に皮肉だ。烏鷺口氏がくどくど解説するまでもない。

 解説させたくなかった。

 うるさいから。

「装いたいんだろ。まださもぴんぴんしてるようにな」

「何のために?第一そんなことしなくたって」わかってる。

 そうだった。

 一番最初にヘッヘルフ氏死亡説を唱えたのは他ならぬ孫。

「先生のお手並みのほどを拝見と言ったところでしょう」主治医が不敵に笑う。

「あんたね、わかってんなら」自称孫が息を吐く。

 解を知っているとかいう椿梅の意見を聞きたかったが、陸代氏の無謀な挑戦に耳を傾けたいのもあった。

 それでも試しにノックしてみたら、在を報せるノックが返ってきた。

『おい、どうした。ヘル。しっかりしとくれ。せっかく十数年ぶりに』

「なかなかの迫真っぷりですね」

「失敗すればいいのよ」

『ヘル!おい、お前さんがた、見てないで。早く。おっただろうて。主治医の若造が。早くせんか。手遅れになる前に。ヘル。もうちょっとだ。もう少しで』

「ねえ、ホントに演技なわけ?」

「素人のあなたが、僕の診察に不満がおありですか」

「いつの診察だ」死亡診断書がどうとか。「お前が最期に診たのはいつだ」

「お仕事熱心ですね。頭が上がりませんよ刑事さん」烏鷺口氏は本気にしていない。

 様子がおかしい。

 椿梅が大人しく黙っている?無意味なノックに無意味だと異を唱えることなく。

 いるのか?

 本当にここに。この向こうに。

「ツバメ?」

「地下2階へは行かれないのかしら」椿梅が言う。

「お前は行かれないな」主治医を見る。「なにがある?」

「担当患者の病室に行ったことがない主治医がいると思われますか?」

「自室なんだな?」ドアを叩く。「だ、そうだ」

「間に合いませんわよ」椿梅は落ち着いていた。

『ヘル!お前さん。しっかりせい』陸代氏の声は、いまにも死に絶えそうな友を何とかこちらに繋ぎとめようとする悲痛さに満ち満ちていた。

 演技かもしれないが。

「早く行け」主治医に言う。「死んだら手に入らないぞ。出してないんだろ?」

 解答。

「おかしな人だ。演技だと仰ったのはどこの刑事さんですか」

「死んでるのよ?言ったじゃない。あたしはね」見たんだから。

『ヘル?ヘ』ぶつ、

 と放送が途切れる。

 エレベータの到着音に掻き消されるところだった。

 中から。

 メイドがひとり。

 ドロシィかルーシィか。私には見分けがつかない。

 箱から降りて、

 くるりと向きを変える。踵だけ滑らせて。

「ロクシロ様が」永遠を「手放されました。それだけご報告にと」起き上がりこぼしのように一礼して。「引き続き正答をお待ちしております。それでは失礼いたし」

「録音だな」誰も言いたくもなさそうなことを代弁した。「お前ら何がしたい?」

「わたくしどもがあるじ、ヘッヘルフの最期の命令を」

 腹が立ったので、ポケットに入れていた呼び出し機器をメイドの足元に転がした。

「ロクシロがどうなったかって聞いてんだよ」

 ドロシィ。

「不正解の場合の注意事項はあらかじめ申しております」ドロシィは、一旦膝を折って呼び出し機を拾う。わざわざ私の前までやってきて手の平を要請する。「大切にお持ちください。破損されても再交付は致しかねますので」

 受け取るのを拒んでいたが、腕を摑まれてまんまと戻される。

「黙っててもなんかゆってもそいつが合ってない限り、お前らにどうにかされるんだな?」

 ルーシィ。

 エレベータのドアが開いてルーシィが降りてくる。

「あなたがたが生を永らえる時間は残すところ僅かとなっております。解答の提出は余裕を持ってお早めに」片方がドロシィなら。

 残りがルーシィになる。たったそれだけのことだ。

「ヘッヘルフは殺られた。違うか」

「左様でございます」

「わたくしどもが使命にございます」

 狸狐塚氏が顔を歪める。「どうゆうこと?おじいちゃんは。ちょっとあんたたち」

「僕に診せなかったのはそうゆうことですか」烏鷺口氏が重たい息を吐く。「本業の方の前で言うのもなんですが、あなた方がされたことは」

「殺人です」

「犯罪です」

 まるで他人事。

「わかってるじゃないですか。なら僕は何も言いません」役に立たない主治医があとは任せたとばかりに後退する。不気味なメイドと対峙したくなくなったのだろう。

 参ったな。

 この方面はとっくに降板したはずだったんだが。

「言っときたいことがあるんじゃないか。とりわけ俺に」椿梅にしか聞こえない程度の音量で言う。

 はやく「捕まえて」くださいな。

 主語は自分だ。


      3


 外見は古塔。

 地上7階、地下2階建て。

 エントランスホールは吹き抜け。

 中央の巨大な水槽には、見たこともないような奇妙な生物が。魚類とは程遠い見た目だが、彼らは確かに水の中で棲息している。

 本当に水槽に水が満たされているのであれば。

 内容は博物館。

 緩やかな孤を描く階段を上がると、書庫と資料庫。3階から5階が展示室。

 一般公開はされていない。

 招待状がなければ立ち入りは許可されない。

 6階はゲストルーム。

 全八室。エレベータを中央とし放射状に部屋が展開する。

 7階はレストランとラウンジ。

 夜景などえげつない。そこから見下ろす闇黒は格別。

「気に入っていただけましたかな」車椅子のタイヤが転がる。わざわざ自走しないタイプを使っている。

 メイドに脚を補強させて。

「どうどすやろ」

 人体模型に用はない。

 あくまで欲しいのは。

「ほんまにしょーもないわ」

「失礼した。挨拶代わりに見てもらいたいと思ってね」

 隣に並ぶな。

 おこがましい。

「老いぼれの遺言を聞き届けてはくれまいか」

「そんなん、そちらさんにゆうたらあきませんのん?」

 手足の延長。

 年齢性別不明の同一個体。

 模型趣味の主人より、よほど好ましい本物志向。話が合いそうだ。

 お前が死んだらこちら側に引き入れてもいい。

 遺志など無視して。

「ウチとあんたはんは、わかってはります?大概にしいや」

 こちらの優位を思い知らせる。

 お前の下劣を噛み締めろ。

「なんぼぎょーさん積まはったとこで、かえことやあらしまへん」

「その割には、餌なしでおいでになりましたな」はっはっは、と笑われた。形勢逆転の糸を摑んだと思い込んでいる。

 まやかし。

 やかまし。

 邪魔くさいので通訳に丸投げした。

 なにも全人類を保存しようと思ってるわけではない。

 欲しい人体だけが欲しいだけで。要らない人体は要らない。

「私は」永遠が「欲しいのだよ」

 与えてやる義理もない。全財産を差し出しても足りない。

 永遠にするだけの価値を有していない。

「朽ちて灰になりたくないのだ。この国ではそれも得がたい。心残りでかなわんよ」

 知ったことではない。

 通訳も通訳に無意味を感じている。そういう眼で訴えてくる。

「おやかまっさんどす」

 帰ることにする。

 やけに諦めがいいと思ったら、エレベータの制御を奪われ、強制的に地下1階に。

 地下2階は館長の自室だと聞いていたが。

 通訳がエレベータのボタンを押しすぎて壊してしまうといけないのでやめさせた。

「ですが」

 アトリエだ。

 館長はカネにモノを言わせるしか能がない。完成品を手に入れるだけ。

 マネキン・マヌカンを発想し製造する工房があるはずだ。

 それくらい観ていってもいいように思う。館長も心変わりを望んでいる。だからこそ自慢のアトリエ見学を急遽コースに組み込んできた。

「あんさんお仕事なんどすやろ」

 通訳が口に出していい言葉は。

「自律式翻訳機械を購入されない動機がそこにあると自負しています」

 わかっているではないか。

 こうでなくては。

「あかん。ぼっかぶり」

 通訳の眼球が床に固定されたのを見計らって。

 頑丈そうな扉は開錠されていた。館長の仕業だろう。

 特有のにおい。マネキン・マヌカンをつくるときの。

 ひんやりと末端を冷やす。

 眼が慣れるまでの時間が惜しかった。通訳もそれほど索敵能力が低くはない。

「いらっしゃいませ」脛から下だけが見えた。

 最上階で館長の車椅子を押していたメイドとまったく同じ靴。

「すべてあるじより聞いております」

 わたしの名前。

 沢山ある偽名のうちで最も流布した名を呼んだ。

「狭苦しいところではございますが、どうぞごゆっくり」

「中身はどうしているのかしら」

「型を取り、擬似臓器として再度詰め直しております」

 成程。

 道理で。

「本格的ですわね。とてもあの耄碌の発案とは思えないのだけれど」

「わたくしどもは」

 ども?

 気配が一つ増えた。

「人体クリエイタ。並びに」

 脛から下が。

 四本。

「人体アーティストにございます」

「そう。素敵。幾らでわたしに隷属していただける?」

「わたくしどもは、あるじが」永遠を「得るまでここを離れるわけに参りません」

 このふたりを手に入れるためなら。

「わかりましたわ。あなたがたの主に」永遠を「与えて差し上げましょう。それでよろしいかしら?わたしに」

 そこで通訳に見つかって強制退去になった。

 地上に連れ戻される。せめて一体くらいできたてほやほやを鑑賞したかったのだが。

「いずれあの館ごと購入されるのでしょう?」

 大した口答え。

「ウチやのうたらあんたはん、今頃どないなってはりますやろか」

「あなたでなければ隷属しません。ただの」

 もっと無礼な人肉塊に会いたくなった。

 一年に一回しか会えない理由をそろそろ思い当たってもいいはずだけど。

 七夕など凌駕するロマンティックな事情を。

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