九、守護騎士

 金属のぶつかり合う激しい音が森の中に木霊する。

「獣をどこにやった!!」

「貴様が真の聖女であるならば、自ずと分かるであろう!」

「このッ!!」

 大剣と薙刀。獲物の違いはあれど、リーチの差はそれほどない。

 だが、片や歴戦の騎士と一年前に剣を持ったばかりの少女では実力の差が大きかった。

 受け身を取ることしか出来ないマリアにクロウの薙刀が猛威を振るう。

 連撃に次ぐ連撃。

 その内に疲れてはくれまいかと一縷の望みを抱くも、数多の敵を屠ってきた騎士が小娘を相手に顔色一つ変える気配もない。

「マリア」

 アッシュの声がすぐ傍で聞こえた。

 視線を遣れば、レイピアを構えたアッシュが、隣に立っていた。

「大丈夫。落ち着いてください。貴女になら、出来るはずです」

 ここはお任せください、とアッシュが微笑みを浮かべる。

 鈍い音がクロウを襲った。

 素早い動きを得意とする彼よりも早く動いて、アッシュが懐に潜り込んだのだ。

「うぐッ!?」

「さあ、マリア! 今のうちに!」

「すまん!」

 マリアはアッシュにその場を任せると、すぐに開けた場所を探して走り始めた。

 勿論、そんな彼女をクロウがみすみす行かせるわけもない。

 血の噴き出した脇腹を押さえながら影に潜り込もうとした彼を、アッシュのレイピアが再び捉える。

「貴方の相手は俺だ」

 冷たい炎が宿った緋色の――マリアと同じ色の眼に睨まれて、クロウの身体が震えた。

「良いだろう。だが、小娘は必ず始末してやる」

 くくく、と不気味なクロウの笑い声が響くのと、マリアが引き攣った悲鳴を上げたのは殆ど同時だった。

「ひっ!?」

「マリア!!」

「い、いい!! オレに構うな!! こっちは自分で何とかする!!」

 とても何とか出来そうな声ではない。

 震えて、裏返った、そんな頼りのない声で告げられて、アッシュは自分の無力さに歯噛みした。

 やはり、少数で来るべきではなかったのだ。

 自分の判断が間違っていた。

 一刻も早く、マリアを助けたい一心で敵国に乗り込んだまでは良かったものの、未知の敵と味方の裏切りに、彼女に圧し掛かる負担はその小さな身体の許容値をとっくに超えている。

「……迦楼羅、やれるか?」

『出来るわ、と応えてあげたいところだけれど、これは少し難しいわねぇ』

 獣はその姿を変えていた。

 巨人級から一転、霧のような捉えどころのない姿で、こちらを翻弄する。

闇雲に炎を放てば、味方にあたる可能性がある。

 その所為でマリアと迦楼羅は足踏みを余儀なくされていた。

『……ア! マリア!!』

 ふと、耳に馴染んだ声は、マリアの心を浮つかせる。

「ナギ様!!」

 思わず声に出して叫べば、アッシュと対峙していたクロウが眉根を寄せた。

『俺を呼べ! 俺の名を!!』

 ナギの言葉に、マリアは敵と対峙しているのも忘れて、ゆっくりと瞼を閉じる。

「聖女(シスター)・ナギ!!」

 マリアの声が、空間を震わせる。

 次いで、眩い閃光が辺りを包み込んだ。


「因陀羅!!」

 ナギが飛び込み様に合図すれば、小さな狼は心得たように遠吠えを発した。

 雷が空を裂く。

「久しぶりだな、クロウ」

 地面に降り立ったのは浅葱色の髪を靡かせた凛とした面立ちの人物。

 それは誰もが待ち望んでいた――聖女ナギその人に相違なかった。

「ナギ、様」

「おう」

「本当に、我らが聖女ナギ様なのですか?」

「そうだ、と言っているだろう。相変わらず疑い深い奴だな」

 ナギが振るった大剣から雷が放たれると、地面に深い亀裂が走った。

 その場に居た全員の動きが止まる。

「刃を収めろ。それは俺が加護を与えた守護騎士と聖女だ」

「で、ですが! この者は貴女様のお力を奪った大罪人です……!」

「俺がいつ、そんなことを言った?」

 ぴん、と空気が張り詰めるのが分かった。

 背中に刃を押し当てられているような、冷たい殺気を真面に浴びて、クロウの額に大粒の額が浮かぶ。

「……収める気がないのであれば、俺が直々に貴様へ引導を渡してやる。だが、今はそれよりも獣を仕留めることが先だ」

「ですが!」

「くどいぞ。それでもユミルから騎士の称号を受けた男か?」

 とても女とは思えない低い、男のような声で制されて、クロウがたじろぐ。

 ナギはそんな彼を睨みつけると、地面にへたり込んでいるマリアへ手を伸ばした。

「実際に会うのは『初めまして』だな、マリア。お前と迦楼羅のおかげで漸くこちらへ来ることが出来た」

「そ、そんな。恐縮です」

 御手に触れることに若干の緊張を覚えながら、マリアはナギの掌にそっと己のそれを重ねた。

 想像以上に強い力で引っ張り上げられた所為で身体が傾ぐ。

 ナギはマリアを優しく抱き留めると、アッシュの方に彼女を押しやった。

「俺がこちらに来る際に、何体か獣が紛れ込んでしまった。直に空間が裂けるはずだ。お前たちにはそちらを頼みたい」

「ですが、」

「姿の見えない敵の倒し方なら、俺の方が心得ている。――クロウ、お前にも手伝ってもらうぞ」

 有無を言わさぬ口調に、クロウは力なく頷く他なかった。

 そんなナギの傍で控えている小さな狼の姿を見て、迦楼羅が瞬きを繰り返す。

『因陀羅? お前、もしかして因陀羅なの?』

『あに、じゃなかった姉上!! 酷いよ! 骨まで灰になるところだったんだから!』

 おかげでこんな姿になっちゃったじゃないか、と嘆く弟の姿に、迦楼羅は一瞬だけ神妙な面持ちになったかと思うと、次いで勢い良く噴き出した。

『ふ、あはははは! お、お前! 第二の眷属が形無しじゃないか!』

『だからそれは、姉上が火加減を間違えるからぁ!!』

「……感動の再会はそこまでにしてもらえるか? 後が閊えているんでな」

 ナギが呆れたようにそう言えば、二人は両手を上げて「はぁい」とだらしのない返事を返した。

「少し気になることもある。手短に済ませるぞ」

「はっ」

「全員散れ!」

 凛とした勇者の声に、その場に居た全員が次の行動へ移る。

 アッシュとマリアが肩を並べて、走っていくのを視界の端に収めながら、ナギは無口になった同胞の肩を叩いた。

「話はあとでたっぷり聞かせてもらう。だが、その前にこいつを片付けるぞ」

「……承知」

「因陀羅、雷を頼む」

『わかった』

 今となっては同族殺し、という禁忌を犯していたわけだが、かつてのナギやクロウは十五日に一度、魔界からやってくる魔族と戦っていた。

 そのため、姿形の分からない魔族と戦ったことも一度や二度ではない。

「蒸気系に変化したのが運の尽きだったな。俺はマリアと違って優しくないんだ」

 人の悪い笑みを浮かべたかと思うと、マリアは柄を握る手に力を込めた。

「クロウ。お前は影を追え。やり方は――覚えていないとは言わせないぞ」

 こくり、と頷き一つで影に沈んだクロウを見て、瞼を落とす。

 懐かしい光景が脳裏に蘇った。

『ナギ姉さま!』

 走り寄ってくるユミルやイザベル、それからフィン。

 人間界を離れたときはまだ子供だった彼らが今や新しい体制の中枢を担っているのかと思うと胸が熱くなる。

「……俺の、俺の家族を脅かす者は誰であれ許すわけにはいかない。即刻、この地から出て行ってもらうぞ!!」

 先に動いたのは、無論ナギの方であった。

 ナギが走り出したのを合図に、因陀羅の放つ雷が雨のように獣が居る場所へ降り注ぐ。

「だらぁッ!!」

 ゴン、と形の割に、重い感触を剣背が捉える。

 そのまま力任せに振りぬけば、獣の身体へ因陀羅の雷が直撃した。

 ダメージを受けた所為で姿を消すことが出来なくなったのか、醜い牛のような姿へ変わった獣をナギはじっと見据えた。

「ほう? 今度は俺の形を映そうっていう訳か」

『グ、ググ』

「最初に忠告しておいてやる。お前は映したものの力を使って俺から鍵の能力を映したわけだが、俺自体に化けるのはおすすめしない」

『ダ、マレ』

「畜生の分際で言葉を発するとは……。驚いた。ますます生かしてはおけないな」

 獣はナギの挑発に容易く応じてみせた。

 牛にあるまじき牙を剥き出しにして襲い掛かってくる獣を、ナギはひらりと躱す。

 宛ら闘牛士にでもなったような気分を半ば楽しみながら、大剣を持ち直した。

 獲物を捕らえた獅子の如く、金色の眼が光る。

「クロウ!!」

 ナギの声に、獣の真下からクロウの腕が現れた。

 その手には短剣が握られており、獣の下腹部を直撃する。

「姿が見えなくなるのはお前だけじゃない。だから、言っただろう? 俺に化けるのはおすすめしない、と。それにな、その姿は俺のモノではない。俺の親父殿、ベヒモスが真の姿。最も、親父殿はそんな醜くなかったけれどな」

 にやり、と笑ったナギの剣は迷いなく獣を斬った。

『ガアアアア……!』

 汚い断末魔を上げた獣が地に伏せる。

 その動作をゆっくりとスローモーションでも見るかのように見つめて、ナギは漸くほっと一息吐き出した。

「さて、と。それじゃあ、今度はお前の番だな。どうしてあんな馬鹿な真似をした?」

「そ、それは」

 腕についた返り血を拭いながら視線を右往左往させるクロウに、ナギの眉間に皺が寄る。

「……お前、何を知っている? 一体誰に何を吹き込まれた?」

「あの娘はマリア様の代身だと大聖女は仰いました。ですが、我々のマリア様は生きていらっしゃいます」

 言われた意味が分からなかった。

 ナギの言うマリアとは一人しかいない。

 だが、クロウはそれとは違うマリアの話をしようとしていた。

「まさかとは思うが、あの女が生きているというのか……」

「我々のマリア様は、後にも先にもあの御方だけです。例え今はコーラル帝国の教皇になっていようとも。貴女様をお慕いするように、我々が慕うマリア様はあの御方一人だけなのです」

「…………そう言えば、お前は根っからの大聖人狂だったな。だが、あの女は俺が確かに始末したはずだ。仮に生きていたとして、ぽっくり逝っちまってもおかしくはない年齢のはずだろう?」

「いいえ! いいえ! あの御方こそ、誠に大聖女を名乗るに相応しい。我が身を喰らった炎を糧に新たな身体を手に入れられたのですから!」

 今度こそ、ナギは容赦なくクロウの顔面に拳を入れた。

 黙って聞いていれば、べらべらと湧き水のように戯言を宣うかつての同胞に、殺意が顔を覗かせる。

「お前が忠誠を誓っていたのは、フィンでも、ユミルでもなく、あの女だったわけか」

「……ナ、ナギ様?」

「この上は、俺に忠誠を誓っているというのもおかしな話だ。俺が愛したのはお前たちであって、あの女ではない――立て、クロウ。あの女が生きているというのであれば、今度こそ確実に息の根を止めてやる」

 この身に沸き起こるのは憎悪の炎。

 今はただ、一刻も早く忌々しい過去との決別を図りたい。

 ナギの拳は震えるまま、大剣を背に収めた。


「どうやら、ナギ様の方は無事に始末が済んだらしい」

「我々も遅れを取っている場合ではありませんね?」

 対峙した獣は全部で三体。

 二人で相手をするには聊かこちらが不利ではあるが、迦楼羅の炎が扱えるようになった今では、恐れるものは何もなかった。

「行くぞ!」

「はっ!!」

 マリアのあとにアッシュが続く。二人は互いの視線を合わせるだけで、合図もなしに同時に己が武器を振るった。

 記憶を無くしても、身体に染み付いた動きは消えない。

 まるでそれが当たり前だ、と言わんばかりに、マリアの攻撃に合わせて動くアッシュは、宛ら夜会の床を縫うように舞うダンスパートナーを彷彿とさせた。

「私が囮になりますので、あとはいつも通りにお願いします」

「あ、ああ」

 この動悸は何だ。

 不自然に跳ねる心の臓に違和感を抱きながら、マリアは大剣に意識を集中させた。

 柄を握る手に力を籠めれば、たちまち剣背に炎が走る。

「紅炎!!」

 マリアの声に、炎が動いた。

 ザア、と木々の震えを助長させるような音を立てて、獣に飛び掛かる。

 狙いを定めた獣の身体が火柱と化す。

 最短ルートで二体目へ距離を詰めれば、最後の悪あがき、と言わんばかりに、マリアへ飛び掛かってきた。

「マリア様!」

「大丈夫だ! それより、お前はもう一体を惹きつけておけ!」

 囮になると言ったのはお前なのだから、自分の仕事をしろと強く睨みつけた。

 アッシュは若干険しい表情を浮かべたが、マリアに何か言うことはなく、レイピアを獣の目玉に向けて突き出した。

 形容しがたい獣の悲鳴が辺り一面に轟く。

 仲間の悲痛な声に、マリアを襲っていた獣が一瞬だけ怯んだ。

「迦楼羅!」

『任せて!』

 マリアの大剣を覆う炎の色が、変化した。

 赤色から、青――より高温になった炎が、剣背を押さえていた獣の手を焦がしていく。

 獣の皮膚が、ジュッと音を立てて蒸発した。

 あまりの熱さに剣背から手を離した獣を追い立てるように、マリアの大剣が唸る。

「蒼炎・狼舞!」

 炎が狼の幻影となって、獣の身体を飲み込む。

 二体目の獣は存外に皮が分厚かったようで、灰へと変わるのが一体に比べて少しだけ遅かった。

 きちんと最後の一欠けらになるまで見送って、いよいよ最後の一体となった獣へ視線を移す。

「……待たせたな」

 ぼそり、と呟いた声を、アッシュの耳は拾い上げたらしい。

「いいえ。常と比べても、早い方ですよ」

 猫のように目を細めて笑う彼に、マリアは肩を竦めると、彼の背中越しにこちらを見る獣と目を合わせた。

「足を頼む」

「承知しました」

 言葉を交わす時間も惜しい、とマリアはそれだけ言って走り始めた。

 ナギがこちらに門を開いたのならば、時間差で新手が現れてもおかしくはない。

 大剣を高く持ち上げるのと同時に、地面を蹴った。

 アッシュのレイピアが、的確に獣の足を貫く。

 身体が傾いだのと、マリアの大剣が獣の首を捉えたのは、同時だった。

 斬った個所から炎が噴き出す。

 灰となった獣の残骸を見つめ、マリアは漸く安堵の息を吐き出した。

「怪我はありませんか?」

「オレは平気だ。お前は?」

「大事ありません。ナギ様の元へ戻りましょう」

「ああ」

 まだ自国には生えていない春の草花を目で楽しみながら、マリアがゆっくりと踵を返した。

 きらり、と奥の木陰が不自然な光を放つ。

「――マリア!!」

 アッシュの声に、マリアが大剣を構え直す。

 だが、連戦で疲弊した身体では、防御が僅かに遅れた。

 ちり、と首筋を銀色の矢先が掠っていく。

 地面に落ちた赤い雫を、マリアは親の仇でも見るように睨んだ。

「誰だ」

 主を庇おうと前に飛び出したアッシュを制して、マリアが矢を放った人物に声を掛ける。

 けれども、返ってくる声はなく、不気味な静寂が辺りを包み込む。

「……この気配、人間ではないな?」

 マリアが低い声でそう告げれば、影に隠れていた人物が漸くその姿を現した。

 目深にフードを被っている所為で顔をはっきりと認識出来なかったが、その胸に飾られた勲章が人物の正体を明かした。

「コーラル帝国の教皇直属部隊――ユダ、だな?」

「ご明察。流石、我らがマリア様と同じ名を持つに相応しいと言うべきか」

 にやり、と歪んだ男の口元に、マリアとアッシュの眉間に皺が寄る。

「我らがマリア様、とはどういう意味だ?」

「直に分かることさ。それよりも、貴様には大人しく我々に従ってもらう」

 男が片手を上げるのを合図に、どこに潜んでいたのだ、と言わんばかりの人数が一斉に姿を見せる。

「やられたな。クロウは初めからお前たちの側だったわけか」

「そういうことだ。こちらとしても無益な争いは望まない。抵抗しなければ、手荒な真似はしないと約束しよう」

 マリアは大人しく武器を手放した。

 この人数を相手取るのは骨が折れる、と判断してのことだったのだが、彼女の騎士であるアッシュは納得がいかなかったらしい。

 レイピアを携えたまま、鋭い目で男を睨んでいる。

「おい、マーブル卿。ここは大人しく言うことを、」

「聞けませんね。忘れたのですか? 貴女は一度、クロウに刃を向けられているのですよ? この者たちはクロウの同胞です。口約束では到底従えません」

 固い意志を宿した瞳に、マリアは一理あるな、と言葉を飲み込んだ。

「……良いだろう。貴様らの身の安全を保障する書類を取り寄せるために早馬を出す」

「我々は逃げも隠れもしない。国境の森に居るので用があるなら、そちらから出向かれよ」

「自分の立場が分かっているのか?」

 敵国のど真ん中で啖呵を切ったアッシュに、男の頬が怒りで赤く色付いた。

 けれど、アッシュの態度は変わらない。

 それどころか、今にも斬りかからんと言わんばかりに、柄を握る指先が力を入れ過ぎた所為で白くなった。

 視線がぶつかり合う。

 一触即発の空気に割って入ったのは、地を這う低い声だった。

「命惜しくば、今すぐ飼い主の元に戻るのをお勧めする」

 音もなく、アッシュを睨んだ男の背後に立ったナギに、その場に居た全員が息を呑んだ。

「彼らを連れて行くことは俺が許さん。戻ってババアにお前が見聞きしたことを伝えるが良い」

 ひ、と引き攣った悲鳴を漏らしたのは、地面に転がった血塗れのクロウを視界に収めた

からだ。

「――失せろ」

 身体が金縛りにあったように動かない。

 首に触れる刃には、クロウの血と思しきものがこびり付いていた。

 男と、その仲間たちの顔が恐怖に染まる。

 滝のように汗を流し、ぎこちない動きで首を縦に振った男を見て、ナギがゆっくりと男の首に添えていた刃を下ろした。

 我先に、と影の中へ次々に潜り込む男たちを一瞥すると、微動だにしないマリアとアッシュにナギが微笑みかける。

「遅くなってすまない。存外に口が堅くてなぁ。少々痛みつけるつもりが、うっかり力加減を間違えてしまった」

 無邪気に笑うナギに、冷たい汗が背中を流れていく。

「い、いえ。我々の方こそ、獣の始末に手間取ってしまって……」

「二人で三体もやったのだろう? 充分だ。いつも悪いな」

 頬に返り血が付いた勇者がゆるり、と笑ってみせる。

 そんなナギの顔を見て力が抜けたのか、それとも連日の緊張状態の所為で疲労が限界だったのか、マリアの身体が不自然に大きく傾いだ。

「マリア!!」

 アッシュの腕が、少女の身体を抱き留める。

 以前にも増して軽くなった彼女の身体に、思わず眉根を寄せた。

「……無茶をさせたからな。悪いが抱えてやってくれ」

「分かりました」

「ひとまず、皆の元へ戻ろう。ここは少し、コーラルに近すぎる」

「はい」

 クロウの身体を担ぎ上げて先を歩き始めたナギの後姿に、戦場を駆けるマリアの姿が重なる。

「ナギ様」

「ん?」

 振り向いた彼女の横顔は、朝日に照らされてよく見えない。

「ありがとうございます」

「おかしな奴だな。礼を言われるようなことをした覚えはないぞ」

 カラカラと笑い声を上げたナギの仕草は、マリアのそれと殆ど遜色はない。

 鏡でも見ているようだ、と疲れ目を癒すように瞼を押さえると、アッシュはナギの後に続いた。


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